自分が最後に見たものは、火が灯された一本のライターだった。
通りすがりの人が消えたライターに火を灯す姿がたまたま視界に入っただけ。たまたま目に留まっただけ。たったのそれだけだったのだけど、歩いている途中で急に胸が何かに刺さったような痛みに襲われて、次の瞬間には暗闇の中。直感的に死ぬんだって思った。
学校の宿題が終わってない。門限までに寮に戻らないと罰則が待っている……薄れる意識の中で夕飯は何だろうとかも考えた。お腹空いた。早く帰りたい……考えが止まったのはそこまでで、後は全く覚えていない。
「もしも〜し?起きて〜!」
それからの記憶が始まったのは誰かの声が聴こえてから。遠くで声を掛けられているみたいで、暗闇の中で体が揺らされているような感覚があった。
「ねぇ、この子生きてんの?目ぇ開けないよ。」
男の子……だろうか。女の子っぽい声音でもあるけれど、話し方からして男の子に近い気がする。
「生きてたらおまえ触れねーだろ。」
今度は男の人の声がする。少し気だるそうな感じの低い声音だ。
「ハハ、確かに。」
更にその次は楽しそうに笑う男の人の声……優しい雰囲気な声だなぁ。
「こんな所で寝てたら風邪引くぜぇ〜、アバッキオ、上着かけてやってよ!」
「これ脱いだらオレが風邪引くだろーが。あと死んでるから風邪も引かねぇ。」
「じゃあオレがかけるか?」
「「ブチャラティはやめよ(ろ)?」」
楽しそうな会話だった。聞いてて飽きないような、そんな会話。
ブチャラティにアバッキオ。どんな人達なんだろう。この暗闇から離れたら、見えるのかな?
そもそも私、何で目を閉じているんだろう?寝てるって言ってたよね?風邪引くとも言っていた。
風邪引くようなところで寝てるとは?どういうこと?
「ん……」
段々と意識が戻っていく。戻っていく中で自分の今の姿勢を把握する。
手を突いている場所は少しザラザラしていて、、まるでよく通る路地とかの地面みたい。そして脚はそこにピタリとくっ付いていて……いいや、これは体全体と言ってもいいかもしれない。お腹や顔までも謎のザラザラが侵食している。
「あ、起きた。」
ゆっくりと腕を突いて体を起こして、気だるい瞼を開いては辺りを見渡す。
まず地面。やっぱり思っていた通り見慣れた路地の地面だった。景色もよく行く場所で、見慣れた風景。
(ここは……)
場所は分かった。記憶が正しければ、ここは記憶が終わった最後に歩いていた場所だ。
「大丈夫か?」
「あんた何でこんなとこで寝てたんだ?」
上から声が降ってきた。目を開ける前に聞いた声と同じだった。
寝ていた……ように見えたのだろうか。確かに地面に横たわっていたら誰だって寝てると思ってしまう。感覚的には寝ていた訳ではないのに。寧ろ気絶が正しい。
「アレだろ?決まってんじゃん!待ちきれなくて昨日こっちに来てたんだろォ〜?」
「え?」
元気な声が上から降ってきたかと思ったら、目の前にその声の主がしゃがんできて、ひょっこりと顔を覗かせた。
少し焼けた肌に、紫色の瞳。夜の空みたいな黒髪にはオレンジ色のターバンが巻かれている。声音から言ってさっき私を起こしてくれた子かな?やっぱり男の子だった。
っていうか何だって?
(昨日からこっちに来てた?)
はい?意味分からないんですけど?
来てたも何も多分ずっとここにいたよ?たまたま実家に戻ってて、今から帰るところだったんだ。でも胸の痛みで倒れてそれから今目が覚めて……ところで今何時?
私は地面に座ると空を見上げる。最後に見た時は夕方で、空がオレンジ色だった。しかし今の空の色は青。オレンジの前。
「昨日って……いや、今日って何日ですか?」
私は地面にお尻を付けてその場に座ると、目の前の男の子に質問をした。
そもそもな部分が気になる。空が完全に「今日」ではない。今は一体何日なの?
「今日は31日だぜ!ハロウィンだよ!」
男の子はそう言うと、楽しそうにニコッと笑う。笑顔が眩しいなぁ〜
「そうですか、ハロウィンかぁ……」
わぁ〜ハロウィン好き!お菓子いっぱい貰えるし、学校の寮でもイベントあるし、何よりご飯のメニューがご馳走ばかり。ハロウィンなら尚更早く寮に戻らないと!!
いやぁびっくりだよね、この前までサン・バレンティーノだったのにもうハロウィンかぁ。あっもしかして家にまた戻ったらお母さんとお父さんからお菓子貰えるかも!
って、考えた。うん。一瞬考えた。
しかしここで突然冷静になってみると、とんでもない事実と直面してしまっていることに気が付いてしまった。
「どういうこと?」
いやいやいやだってだってさっきまでサン・バレンティーノだったんだよ?いきなり今日はハロウィンです〜って言われたらめちゃくちゃ驚くでしょうが!
何なのこれ、夢?夢なの?冗談なの??思わず頬をつねって現実かを確かめてしまった。
「おぉっ、」
……うん、痛む。痛むぞ。グリグリって摘んだものだからヒリヒリと痛む。これは現実だと私の体は訴えている。
「様子が変だが……大丈夫か、きみ。」
元気な男の子の横から今度は前髪と後ろ髪を綺麗に切りそろえた、とても綺麗なな男性が私と視線を合わせるように腰を下ろしてくださる。
いやいや大丈夫じゃないです。
「シャンプー何使ってます?」
「は?」
思ったことと返事が逆になってしまった。いやだって気になるでしょ。サラサラヘアーは女子の憧れですから……
「あっあの、そのですね……」
やっちゃったと思って言い直そうと言葉を探すけれど、混乱のあまり言葉が全く見つからない。どもって合わさった視線を下へと下げると、どうにかして冷静になろうと必死に考えた。
(何でこんなことに……?)
声がして目が覚めた。よく分からないけれど地面に寝ていた。今日だったサン・バレンティーノの記憶しかなくて、気付いた時には既に八ヶ月も過ぎていた……何が起きたんだ。何も分からない。何かが起こっていたとしても、何も思い出せない。
「悪い。死んだから髪は洗ってないんだが……」
「何マジメに答えてんだあんた。」
「オレはせっけん使ってたぜ!」
「おまえは訊かれてないだろ、ナランチャ。」
人が混乱していれば、周りが段々と騒がしくなってきた。
死んだ……死んだって今言った。
「死んだ……」
この人達が死んだってことは、私がこの人達を見ているってことは、
「死んだ、のか。」
私は死んだのか。
胸の痛みで?あの突然の心臓発作で?死ぬんだとは思ったけど、本当に死んでたんだ?何か改めて考えると全く実感が湧かない……。
っていうことは。この私の体は今いわゆる霊体ってことだろうか?体は既に土の中で、魂だけがそこに取り残された感じ?サン・バレンティーノから今日のハロウィンまで、ずっと?
改めて辺りを見渡す。そんなに人はいないけれど、近くにある店先とかにはハロウィンらしい装飾とかが付いているし、何よりまだ明るいのに仮装をした子供とかもちらほらいる。本当にハロウィンなんだなと思った。
「あんたはアレか、死んだことに気付いてねー奴だったのか?」
冗談でもない現実と直面して、最早元気が出て来ない。声を掛けられても見上げて人を見るだなんてできなかった。
「それはつらいな……」
慰めるつもりなのだろうか、頭に誰かが手を乗せて、優しく撫でてくれる。人に頭を撫でられたのは最後はいつだったか考えると、浮かんできたのは家族のことだった。私が死んだ後どうなったのだろう?
「落ち着いたら少し話をしよう。まだハロウィンまで時間はあるからな。」
いろいろと察したらしい。優しくそう言われて、私は詰まりそうだった息を吐き出しては吸い込んで、落ち着こうと試みる。
「そうだ、名前!何て名前なの?」
何度か深呼吸を繰り返していたら、男の子から質問をされた。
「シニストラ……」
ゆっくりと顔を上げながら答えると、男の子の元気いっぱいに笑う明るい顔が視界に映る。
「シニストラかぁ、オレはナランチャ!あと白い服の人がブチャラティで、裸コートがアバッキオ。」
「殴られてーみてぇだなァ〜ナランチャ?」
「って言いながら殴らないでよぉ!」
「おまえらうるせーぞ!」
(愉快な人達だなぁ……)
目の前で繰り広げられている喧嘩を見ていると、冷静さを取り戻せるような気がする……ぼんやりと眺めながらこれからどうしようとかも漠然と考えた。でもどうしよう以前に本当に自分は死んでしまったのか、とか考え始めてしまって、前向きにはなれなかった。
晴れた昼下がりの、これから街が更に賑わうであろうという時。止まってしまったらしい私の時間は再び動き始めたのだった。
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