EX4


今日からジョルノが仕事で家にいない。
朝起きて二人で朝ご飯を食べて、ウーゴが迎えに来たらそのままジョルノは出て行ってしまって、私は広すぎる家にたった一人取り残された。今までは私も仕事というかやることがあって忙しかったけれど、もう仕事に行かなくてもいい。つまりジョルノとは夜まで顔を合わせられず、そして暫くは会えない……ちょっと寂しい。一緒になってもジョルノは忙しいんだよね。
しかし私はジョルノの嫁だ。この家の事は全て私がやらなくてはならない。つまり私も家にいてもある意味では忙しい。

「やらねば……!」

とりあえず家の中の掃除をしようと掃除機や叩き、トロイメライまでもを駆使して隅々までホコリを取り、余裕が出てきたら私の部屋の整理もする。一応ジョルノが前のアパートの荷物を配置してくれてはいるけれど、開いていないダンボールもあったりで実は雑だ。棚に実家を解体する前に回収をした思い出の品や両親二人の何故か鍵が付いていて、ずっと見られないでいるアルバムやらを収納して、満足のいく並びにしてからようやく解放をされたような……そんな気分に浸った。
掃除も完璧で、しっかりと自分の部屋を部屋らしく出来た。もう思い残すことは何もない……部屋から出ると星達を回収して、掃除用具を全て片付けてからいい天気なのをいいことに外へと飛び出す。予定もないし用事もないけれど、初めての嫁としての仕事を一つクリアをしたからご褒美が欲しい。あと単純にあんな大きな家に一人とか無理だから逃げ出したい。
幸いにもこの場所にはケーブルカーが通っているため街の下の方へと行くことが出来る。ジョルノといる時は車での移動だけれど、一人の時だったらケーブルカーで大丈夫……ただめちゃくちゃ上の方に家があるから、下りるにはちょっと時間がかかってしまいそう。でも別に構わない。ケーブルカーに乗るのは好きだし何より実家はケーブルカーを使わないと行けない場所にあったから慣れている。覚悟の上で乗り込んで、景色を眺めながらひたすらに下へと下っていった。
終点まで乗り続けて一番下に着くと、私はそのまま広い通りの方に向かう……ことはせず、せっかくだしちょっと遊ぼうと思い、目から星を流すとそのまま人通りが少ない路地裏に入っては、建物の壁に向かって梯子を創る。そのまま上へと登ると屋根の上を点々と歩き始めて、キリがいい所まで歩いてみた。
トリッシュちゃんとこうやって上を歩いたんだよなぁって思い出すとあの頃が懐かしい……恋ってどうやったら出来るのかなって馬鹿みたいなことを訊いたんだよな。トリッシュちゃん困っただろうなぁ……
まだ子供だった。あと私は鈍すぎた。そういうものは人に訊ねるべきことではないって今なら思うよ。

「変わったようで変わってないんだなぁ……」

屋根の上から下の方の景色を見てみると、この見慣れている変わらない風景は相変わらず綺麗。でも昔はこの景色の中に、誰の目にも止まらないような隠れた場所に、悲しくて目を逸らしたくなるようなものが隠れていた。しかし今はどこにもその影は見当たらない。不思議と全てに陽の光が当てられているように、どこもかしこも綺麗だ。変わらない風景の中には確かに変わったものが存在していると改めて思う。
景色を堪能してからは行く宛ても特になく、歩きながらひたすらに人や空に浮かぶ雲の観察を楽しむ。道を創って道を跨いで、しばらく進んでからまた下に降りて。小道を歩いて見慣れた場所に出ると、溶け込むように街の中へと潜り込んだ。

(ここは……)

たまたま出た道から辺りを見回してみる。今いる場所は街の中の広い通りで、確かこの場所は私がナランチャに起こされた辺りだ。ここで何もかもが終わったと思っていたけれど、何も終わってはいなくて……この場所で全てが始まったのだと思う。終わったはずの私がコンティニューをした場所だ。
偶然だったのかは分からない。あの日誰かの目に留まったのはもしかしたら必然だったのかもしれない。本当はどうなのかなんて知る由もないけれど、結果今に至るなら過程なんてどうでもいいやと思う。

「……」

急に懐かしくなってくると込み上がってくるものがある。あの日に起きたもの、見たものをひたすらに追いかけたくなって、私は軌跡をなぞるように足を動かす。
あの日歩いた道を、足跡を辿るように歩きながら、再現をするようにアジトのある方へと向かう。でも途中で後ろを振り返るとそのまま私は走り始めた。あの日したことをなぞるのならば、同じように行動をしないといけない気がした。
あの時アジトに向かう途中で走るウーゴを見つけた。ブチャラティとアバッキオとナランチャと、迷いが見えないウーゴを追いかけてこの街を走った。最初は今追いかけて、追いついて隣に並んだ男の子は誰だか分からなかったけれど、思い出したら自分で自分に失望をした……忘れていたことが今でも恥ずかしいし、悔しいとさえ思う。
その道を走り抜いて目的の病院の前に立つと、私は建物を見上げながらここまで連れてきてくれた三人を思い出す。ウーゴを嫌いにならないでって言ったナランチャ、これでいいと今を諦めたブチャラティ、そして私に居場所を教えてくれたアバッキオ。皆私によくしてくれた。私に勇気を与えてくれて、今もまだそばにいる……多分どこかで私やパッショーネの皆を見守ってくれている。
今はまだ彼らとの絆は繋がっている。トロイメライでどうにかすれば皆にまた会えるし、触れたいと望めばそれは叶えられる。でもいつかは……大丈夫だと満足をしたら、彼らはきっともうこの世界にはいてくれないだろう。いつまでもこのままっていう時間も世界もこの場所には存在しないのは、三人ともよく知っているから。

「満足……か。」

未練があると地縛霊になるってジャッポーネで聞いた。悪霊とかの類はそれらしい。多分意識だけの時に見たこの病院内にいた人の中にはそういう人達も混ざっていると思う。
幽霊って言い方はあまり好きじゃない。体がなくなって心が飛び出た姿があの状態なのだと知ってしまったら、そんな風にはもう呼べない。

「……せっかくだしね。」

ここまで気ままに来てしまった。せっかくだから
気になることの消化をしたい。この病院には凄くお世話になったし、今の私にならきっとどうにかすることが出来る……恩返しのつもりでちょっとだけ頑張ってみよう。
そう意気込むと病院の中の入院病棟の方へと向かい、その入口までやって来ると警備員さんに挨拶をして病棟の中へと潜り込む。
この病院にはいろんな人がいた。私が意識だけの時にたくさん見た。多分この場所で死んでしまって、心だけになってしまった人達がここにいたのだと思う。皆廊下で思い思いに徘徊をしていた。
……しかしただ一人だけ、外に出ていない人がいた。今の今まで私の中ではトゲが刺さったように忘れることが出来ず、教会の人にもジョルノにも、誰にも相談出来ずにいた人がいる。
その人はひたすらにナースコールを押しながら笑っていて、これから始まる何かに期待を寄せているような、そんな笑い声を発していた。前に病院の人にやんわりと訊いてみたら、ハロウィンでイタズラが許される日だけあの部屋のナースコールを鳴らせるようにしてあるらしいことを聞かされた。他の日は電源を切っていて、そこにいるらしい人は常にそのボタンを押し続けているとか。
多分ボタンを押しているのは誰かを呼んでいるからなのだと思う。でも誰かが来ても自分の姿が見えないから、気が付いてもらうために必死になって余計に押してしまうのだと思った。誰かの瞳に映らないことの辛さを知っている。何かを伝えたくても伝えられないことは苦痛だし、凄く寂しい……痛いくらいに私はそれを知っている。伝えたいことがあるなら聞きたいし、必要なら体だって見えるようにしたい。本当の最期をどうにかして創ってあげたい。
階段を上って私が入院をしていた階まで行くと、ナースステーションで挨拶をしてからあの部屋へと向かう。その途中でスタンド能力を使っている人が見えるようにして、あの部屋に前に立つと扉横の札を見て……誰もこの部屋で入院はしていないらしく、名前が貼られていない。怪奇現象が出るから使えないのかもしれない。
でもここには確かに人がいる。ここで誰かを待っている。私は扉をノックして、そのまま流れるように部屋へと入った。

「失礼しまーす……」

普通だったら近付かないよね……それでも入るしかない。だって呼ばれているのだから。しっかりと話を聞かないと失礼だ。
中に無事に入るとそのままベッドの方に、意識が見えるようになった瞳をその場所へと向ける。やっぱりそこには誰かがいて、あの日と同じように一生懸命ナースコールを押していた。カチカチという虚しい音だけが室内には広がっていて、それでも虚しさを理解していないその人は、夢中になって押している。

「あの、」

多分自分の体がないことに気が付いていない。そういう「生きたまま」でいる人は意外と物に触れるらしい……意志が強いと起こせるある意味奇跡に近い現象だ。この人は多分それが当たり前になっていて、体がないことにさえ気が付いていないのだと思う。
その人に触覚を与えるために、近付きながら丁寧に望んで星を流す。その背後に手を回すと産んだ星をその人の背中へと入れて、その体に触れるように……私の都合のためだけにそれを叶えると、しっかりとその肩へと触れた。

「ちょっといいですか?」
「ん?」

確かにその人がいた。ちゃんと実在する人になっている。しっかりと声をかけて、私は貴方が見えていて、貴方はここにちゃんといるっていう意思表示をしながらその人の存在を確かなものにする。
目の前にいる人は男の人だ。入院着を着ていて両手でナースコールを握りしめている。壁の方を向いたままベッドの上に座っていて……多分死ぬ直前にしていたことがそのままになっているのかな?「押したい」っていう強い意志がそのまま反映をしてしまっているような、そんな感じ。

「やっと来てくれたの?」

ベッドに座る彼は私の方へと振り返る。でも何故かその顔はペンキで塗り潰されたみたいに真っ黒になっていて、表情も何もどんな人なのかっていうのが分からない。
こんな人は初めてだった。今まで出会った意識だけの人にはしっかりと顔があった。顔だけが都合よく塗り潰されているって一体生前に何があったのかな……?いろいろと考えはするけれど、答えはなかなか見つからなかった。

「ずっと押してたんだ。今日は大事な日だったんだけど、押しても押しても誰も来てくれなくて……目が見えないから誰かが来ても分からないんだ。」

彼は静かにそう言うと、ナースコールから手を剥がす。待ちくたびれたと笑いながら呟いて、喜ぶように声を弾ませていた。

「そう、なんですか……。」

目が見えていない……だからだ。彼は自分がどんな顔をしているか分からないんだ。だから顔がない。事情が事情でしかも複雑で、声をかけておいてあれだけれど、どう話をしてここから離れるように言えばいいのか分からない。

「今何時かな?急がないと間に合わないかもしれない!」

私が言葉に詰まっていると彼はベッドの横の何かを探り始める。しかしそれは見つからないみたいで、「どこにいった」と騒いでいた。

「急ぐってどこに?」

とりあえず落ち着かせようと肩を抱いて撫でてあげる。この人は男の人……大人だと思っていたけれど、どことなく言動が幼い。もしかしたら彼は私と同い年か少し下だと思う。顔がないから判断材料は少ないけれど、まだ大人ではないということはどことなく感じる。

「どこって!産婦人科だよ!」
「産婦人科?」

彼は私の訊ねたことに気が障ったのか、少し怒りながら、声を荒らげながら行きたい場所について「当たり前」だと言いたげに答えてくれる。

「今日妹が産まれるって前に言ったじゃあないか!ぼくの!」

怒っていたはずだけれど情緒が不安定なのか、急に声を弾ませて楽しそうに話を続けた。

「ずっと今日が楽しみだったんだ。抱っこしに行くんだよ。いっぱいいっぱい今のうちに言わなくっちゃあいけない。大好きだよって。」

目の前にいる彼の声は柔らかい。抱っこをするジェスチャーをしながら体をゆらゆらと揺らしていて、無邪気な笑い声はどこまでも嬉しそうで幸せそう。今までずっと産まれる妹を思っていたのかな?でも叶わなかったんだ。多分その赤ちゃんは随分前に産まれていて、下手をしたらもう大人かもしれない。

「だから産婦人科に行かないと……看護師さん、連れてってくれる?」

彼は私に手を伸ばす。見えていないから私のことを看護師さんだと思っているらしい。
連れて行ってあげたいけれど、産婦人科がこの病院のどこにあるのか分からない。そして彼は目が見えていない……そして彼がこうなってから時間も随分経ってしまっているから、向かったとしても彼は目的を果たせない。
なんて言ったらいいのか分からなかった。息が詰まりそうになる。こんな残酷なことがあっていいのだろうか?産まれることを楽しみにしていながら逆のことを迎えてしまっただなんて……自分のことみたいに悲しく思う。

「……ごめんなさい。」

貴方はここにいるけれど、今はもう貴方が生きた時間じゃない。どうしてあげたとしてもそればかららはどうにもならなくて、頭を下げて謝ることしか出来なかった。

「……ぼくの方こそごめん。ちょっとふざけすぎた。」
「え?」

でも私が落ち込むと今度は彼が謝ってくる。何で謝られないといけないのか分からなくて、顔を上げたら彼は気まずそうにあははと笑っていて、自分の頭をくしゃくしゃとかき混ぜていた。

「分かってる。ぼくはもう死んでるんだって。随分前からもう気が付いてたよ、流石に。」

彼は残念そうに肩を落とすと、深々とため息を漏らしながらその場で三角座りをする。

「ぼくはこのベッドから出られないんだ。かれこれ十数年くらいかな……ずっとこの部屋のここにいる。目が見えないから動けないし、世界が見えないからどこに向かえばいいのかも分からない。だからこうやって、ナースコールを鳴らしてぼくがまだいることを知らせることしか出来ないんだ。迷惑だったよな。」

どこまでも卑屈げに語るし話を聞くとどこまでも可哀想だと思えてしまうけれど、それ以上によく頑張ったなと感心もしてしまう。
彼は別に誰かを呼んでいたわけではなかった。自分がまだこの場所にいることを知らせたかっただけだったんだ。多分この部屋のベッドにいる自分が迷惑をかけると思ったのかもしれない。見えないけれど寝ているベッドの上に誰かがいるっていうのは不気味なことだって、気を使っていたのかも。

「……ぼくは病気だった。」

そして、どうしてこうなってしまったのか……何で体が死んでしまったのかを彼は私に教えてくれる。

「治らない病気でもうすぐ死ぬって言われたよ。でもさ、生きたかったから治る可能性に賭けた。覚悟を決めて戦っていた最中だった。」

頑張ろうとしたけれど、勝とうとしたけれど負けてしまった。その結果今こんなことになっている……頑張ったことが報われなかった。

「死んだけどこれでいいやって思う。もう痛くないし苦しくもない。最高だ。」

彼がここで頑張ってきたことを理解して、聞いてみたらもう可哀想だとは思えなくなった。頑張った結果こうなってしまったけれど、自分の中ではしっかりと落としているのならそれでいい。あの三人のように、もう自分がいないということに納得をしているらしい。
初めて見た時は怖いって思ったけれど、こうやって話してみると全然怖さを感じない。妹を愛したかった普通のお兄さんにしか見えない。

「……何かしたいことってありますか?」

私はベッドに腰を下ろすと、彼の隣に座って訊ねてみる。
納得をしていてもこの場所に縛られているということは多分、まだやりたかったこと……未練が残っているからだと思う。何か望むことがあるならば、私はそれを叶えてあげたい。

「したいこと?んん〜そうだなぁ〜……」

彼は私の言葉を聞くと、唸りながら自分がしたいことを考え始める。私は目の前にある窓の向こう側にある青空を見ながら答えが聞こえてくるのを待った。
……私には当たり前みたいに青空を見ることが出来るけれど、彼は見たことがないんだよな。命は平等でも体は平等じゃないのは寂しい。体が弱かったら、体が傷付いたら、そのまま何もかもを失うことになるのはいつ聞いたりこの目で見ても辛さを覚える。

「……世界が見てみたい。」

そのまま雲の形を見ていたら、彼はようやく自分の口で自分がしたいことを教えてくれる。

「ただ見てみたい。ぼくがどんなところで生きてたのか知りたい。」

当たり前を見てみたいと望む。

「もう妹には会えないし、親にも会えない……そもそも見えなくっちゃあ意味がないんだ。だから見える目が欲しい。その目で世界を見てみたい。」

塗り潰された顔に手を当てながら、顔を私の方……声がした方へと向ける。
純粋すぎる願いだった。世界を見てみたいっていうその望みは彼にとっては夢のようなことなのだと思う。

「分かりました。」

素敵なその願いを叶えてあげたい。彼に世界を与えたい。そして、この窮屈な場所から出られるようにしてあげたい。
前の私だったら多分彼の願いは叶えられなかっただろう。望んだものを創って見せてあげることしか出来なかった。しかも彼にはそれは通用をしなかったと思う。見える目がないのだから意味がなかった。
でも今なら出来る。彼の欠陥部分を修復出来る。彼に視覚を与えればいい。顔も星達で創ってあげたらいい。
私は彼の顔を包むように手を当てると、顔を近付けてトロイメライに強く望む。

(私は『渇望する』……)

本来の貴方の顔と、世界を映せる瞳を望む。
私の瞳から久しぶりにたくさんの星達が流れ出てきて、そのまま吸い込まれるように彼の顔へとくっ付いてゆく。くっ付いた星は黒く塗り潰されたその顔を、本来の色と姿へと変貌をさせてゆき、長年顔がなかった彼に形を与えていった。
日に焼けていない白い肌に、綺麗な長い睫毛……そして、開かれた瞳は青空と同じ色をしていてガラス玉みたいにキラキラと輝いている。

(……んん?)

ずっと変わっている姿を眺めていたけれど、見ている途中で不思議なことに、彼の顔にどこか親近感があるような感覚を覚え始めるあ。何でかは分からない。その姿を見ていると懐かしい気持ちになってきた。理由はどこにも見当たらないからおかしくてしょうがない……違和感なのに違和感にも感じなくて、自分の中で何が起きたかも分からない。

「……これが、きみの顔?」

いつの間にか全てが出来上がっていた。目が合うと彼は不思議そうに首を傾げて私の顔に手を伸ばしてくる。頬に触れて、耳を触って、鼻に手を伸ばしたと思ったらそのままぐりっと摘まれて……めちゃくちゃ痛い。

「いたいいたい!」

思わず腕を掴んで引き剥がす。加減を知らないのかめちゃくちゃ力一杯に摘まれて引きちぎれそうだった……病弱だったけれどそれを裏切るようなパワフルな人だったらしい。

「これが世界?」

引き剥がしても彼の勢いは止まらない。ベッドから降りるとそのままぺたぺたと床を歩いて、窓の方へと近付いた。目の前まで来ると窓ガラスに手を触れて、その向こうを見つめ始める。

「上にあるあれは何?行き止まり?」

赤ちゃんみたいに、物心がついてきた子供のようにはしゃぐ。あれは何、これは何っていっぱい私に訊ねてくる。

「あれは空。どこまでも続いてるんです。」

顔がそっくりなのは置いておいて、私は彼の質問を一つずつ答えていった。

「これが空……じゃあ空にあるあの何か……こう、うねうね?してるやつは?」
「雲ですね。」
「見てるとシパシパするあれは何?」
「太陽……あまり見ないほうがいいです。」
「へぇ〜!思ってたのと違う……」

空を見ただけで感動をしているみたいで、夢中になって何分も見続ける。そりゃあそうだよね、生まれて初めて見た世界なんだもん。何もかもが気になってしょうがないよ。

「……じゃあ、ぼくの目はこの色をしているんだな……」

彼はそう言うと視線を私の方へと向けて、嬉しそうに、どこか照れ臭そうに微笑む。

「ずっと親に言われてた。空色の目をしてるって。見えないから分からなかったけどやっと分かったよ。綺麗な色なんだね?」

目を閉じて瞼に触れる。口元は弧を描いていて満足そう。懐かしむように、何かを飲み込むように彼は首を縦に振って、くすぐったそうに笑い声をこぼす。

「離れられなかったことに意味があったんだと思う。きみに出会うためだったんだ……ようやく理解した。したけど、でも……」

でも段々と弧を描く口元は歪んでいった。閉じていた瞼が開かれるのと同時に彼の瞳から涙がぽたぽたと溢れ出てきて、流れ落ちる途中で光になってそれは消える。

「もっと生きたかったな……生きてる時にきみに会いたかった。」
「……」

いなくなった人の誰もが皆本心ではそう思う。生きたかった、まだここにいたかった……言葉にしなくても顔には書いてあるんだ。これでいいって言い聞かせても悲しいってその瞳は涙で輝くの。
彼も同じだ。死んだことには納得をしていても、それ以降に世界があると知るとこれでいいと素直に言えなくなった。ブチャラティと同じだ。

(生きている時に……)

彼が生きていた時間がいつなのか分からない。ただ言えるのは、私がスタンド使いになる前に彼はもうこの姿だったことだけだった。彼に見える瞳を望むことはその当時に出会えたとしても出来なかったと思う。
いなくなった人とこうやって触れ合うといつも思うよ。私も生きていた時にその人に会いたかったって。なくなった体を仮初に創れても、本物のその人だけの命は望めない。本当のその人の望みを知る度に悔しくなるんだ。




「それじゃあ……ぼくはもういくよ。」

彼と病院から出て外を歩く。海が見たいと言っていたから見えるところまで行って、ひたすらに青い海を見つめていた。
彼は全てを初めて見た。生まれ育ったこの街も、道を走る車も、誰かが住んでいる家という建物も。生きている人も何もかも。一生懸命焼き付けるようにこの世界を見て回って、今日までを終わらせるために足を動かしていた。当たり前を手にしたのにすぐにここからいなくなることを迷うことなく望んでいた。

「貴方が望むならここにいたっていいんです。」

何度も何度も訊いたことだった。今日で終わりだなんて寂しいと思った。

「ううん……もういい。これでいいんだ。」

でも彼は望まない。さっきはこうなったことを悲しんでいたけれど、じわじわと自分が世界から離れていることを感じ始めると、皆みたいにこれでいいと言ってしまう。

「一目見られただけでいい。世界が広いって知れたこと……これ以上に幸せな瞬間はないと思うんだ。ずっと知りたかったことを知れたから、そのままでいいんだよ。」

泣いていた彼の顔はもう笑顔だ。後悔の色はどこにもない。幸せそうに微笑んで、海を真っ直ぐと見つめている。どこにも迷いは見当たらなかった。

「……そうだ、まだ見てないものがある。」

彼は何かを思い出すと私の方へと振り返って、笑顔のまま私に一つお願いを言ってくる。

「花が見てみたい。」
「花?」
「うん。植物の。」

花……今は秋だから花らしい花も咲いてはいない。生えている花を見せるのは難しい。

(ジョルノみたいなのは創れないけど……)

私は瞳から星達を流すと、彼の手を取ってそこに彼が触ることが出来る花が生まれるように望む。茎がないだけのただの花がぽんぽんと現れると彼は嬉しそうに声を弾ませて、それを自分の顔へと持っていった。

「これが花……買ったことはあるけど見たのは初めてだ。この花、いい匂いだね。」

いきなり目の前に花が現れたのに彼はちっとも驚かない。常識を見てこなかったから多分出てくることが当たり前だと思っているのかもしれない。
一つ一つの花の花弁を優しく触りながら、一人納得をするように首を何度も頷かせる。何度も匂いを嗅いで、満足をすると花に息を吹き掛けて。それを風に乗せて飛ばすと彼自身も誘われるように宙へと浮かんだ。

「きみに出会えて本当によかった。」

彼は幸せそうに笑っていた。宙に浮かびながらそう言って、自分の体を広い空へと徐々に溶け込ませて私の手をぎゅっと握ってくれる。見ていて分かる……もうお別れの準備を済ませてしまったのだと。未練がもうないのだと。

「今日が永遠に続けばいいなって思うけど、それじゃあいけない。ぼくもいい加減進まないといけないんだ。この先に。」

清々しいほどサラッとそんな前向きなことを言って、じっと私のことを見つめてくれる。それだけで胸が詰まりそうになって……さっき感じた親近感が再び襲いかかってきた。
今日会ったばかりなのにどうして自分と近いと感じるのかな?感情移入をしすぎてしまったせい?今までだっていつだって、私は一人一人の気持ちに立っていたはずだ。この人にだけ感じる特別は一体なんなんだろう?

「ずっと暗闇にいたんだ。やっと光をぼくは手に入れた。この先がどういう場所なのか、この目で見たい。だから進む。きみが導いてくれた明るい方に。」

明るい方に進みたい。それは私がいつもしていたことで、ジョルノが教えてくれたこと。私は引っ張り回していつの間にか明るい方へと連れ出してしまうのだと教えてくれた。
思い出すと目が覚めたみたいに彼への見方が変わってくる。

「ここまで連れてきてくれてありがとう。」

私は彼を明るい方へ連れ出せた。これはお別れじゃなくて、彼にとっては始まりだ。ようやくスタートに立つことが出来たということなのだから、これを「悲しい」と思ったらいけない。何をどう感じても、ここは笑顔で送ってあげないといけない。
何人もの人を見送ったのに、迎え入れることもしてきたのに感じるものの正体は分からない……凄く不思議に思うけれど、今はそれは置いておこう。私は笑顔にならないといけない。

「……名前。」
「ん?」
「貴方の名前は?」

名前を訊くことに意味があるとは思えない。彼にとって私は走る道具を与えたただの人だ。でも訊かないといけない気がした。
純粋に名前を覚えていたいと思う。この世界が見えていない、彼と同じで目がない私のトロイメライが繋いでくれた絆だったから。

「ぼくの名前は……」

名前を訊ねると、彼はどこか嬉しそうに笑顔で答えてくれる。

「デストラ・フェルマータ。」
「え……」

しかし聞いてみるとそれは少しどころかかなり衝撃的な名前……同じファミリーネームで。昂っていた気持ちが一気に温度を下げてゆく。
私もファミリーネームはフェルマータだ。彼もまたフェルマータというファミリーネーム……謎の親近感を感じるところからもしかしたらと思ってしまう。それと同時に下がった昂りも段々と熱を甦らせる
今日妹が生まれると言っていたこと、産婦人科に行きたいと言う話。ここが生まれ故郷で育った場所を見てみたいと願ったこと、そしてファミリーネームはフェルマータ。


「お父さんもお母さんもこの花好きだよね?家中ドライフラワーまみれだし……壁のこれっていつのやつ?」


顔を見ると親近感が湧く。同じ空色の瞳を見ていると、鏡を見ているような気持ちになってくる。


「大切な人が昔、いつもサン・バレンティーノに買ってきてくれたのよ。忘れないようにこうやって飾っているの。」
「大切な人?誰?おばあちゃんとおじいちゃん?」
「いやぁ〜お子ちゃまなおまえには理解出来ないだろうからなぁ〜!大きくなったら教えてやるからそれまで生きるんだぞ?」
「はぁ?何それ!意味分かんない!」



お子ちゃまの私には理解が出来ない……大きくなるまで生きるんだぞ……その言葉達が突然線になって今に繋がってゆく。
一つ一つの家族との思い出に違和感を感じたことはあった。全部ただのはぐらかしだと思っていたけれど、それははぐらかしなんじゃない。

(そっか……)

しっかりと意味があったんだ。全ては彼に繋がっていた。全ての違和感がようやく自分の中に溶け込んで、ようやく全てが混ざり合った。
子供だったあの日に病院で彼を見た時は怖いと感じた。ナースコールをひたすらに鳴らす姿を異様に感じた。でもこうやって大人になって会ってみたら全く怖いと思えない。寧ろどこか懐かしく感じている。この「デストラ」という人が自分にとってどんな人なのか、彼自身がどんな人なのか。それを知った時初めて気が付いた。

「私、大きくなったよ。」

ほとんど透けてしまっている彼の体の向こう側には青空が見える。それでも彼の……デストラの同じ色の瞳を見て、しっかりと言葉を伝えた。でも彼には意味が分からないことで、話しても困ったような顔をしながら首を傾げている。
分からなくてもいい。大切な話は今しか出来ないから、納得をしてくれなくても止まらないまま伝え続けた。

「お父さんとお母さんは……きっと貴方が向かう明るい方にいるから、真っ直ぐ転ばないように走って。」

二人はもうここにはいない。私のせいで死なせてしまった。死者の日に捜したけれど二人はここに帰っては来ていなかった。多分ゴールになってこの人のことを待っている。まだそこにいない彼を待っている。

「私の名前はシニストラ・フェルマータ!」

私は笑顔で名前を伝える。同じ家族の名前だということをはっきりと彼に伝える。

「フェルマータって……まさか……」

名前を聞くとずっときょとんとした顔で、私の話を聞いていた彼にようやく表情が戻ってくる。
彼の中にも落ちてきたのだと思う。この出会いに意味があったことも、今まであそこにいた確かな意味も。握られている手には力が入って、私のことを真っ直ぐ見つめていた。

「私も、貴方に出会えてよかった。」

二人の口からその存在を聞けなかったけれど、ここには確かに本人がいる。その存在をしっかりと感じる。
同じ色の瞳が全てを物語っている……確かに私達には血の繋がりがあることを。

「大好きだよ、『お兄ちゃん』。」

生きていた時の貴方に会ったことはないけれど、今日初めて出会った貴方には好意しか抱けない。
貴方の力になれたこと、貴方に私が生きている世界を見せられたこと、その存在を知れたこと……今日の全てが最高だ。
今思っていることを笑顔で伝える。でも瞳からは涙が溢れ出てきた。悲しい気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合って温かくて心地いい。

「……ぼくはやっと、会えたんだね。」

彼の顔が涙で滲んでいるせいで見えない。本当はもう消えているのかもしれない。震えるような声だけが確かに聴こえてくる。耳元で優しく囁く彼の声が聴こえてくる。

「ぼくも大好きだ。シニストラのこと……ずぅっと大好きだよ。」

確かにそう言われた。温かい言葉を温かい声で。


「……いっちゃったか。」

彼の姿は私の瞳にはもう完全に映らない。第六感を広げてみても彼の姿はどこにもいない……未練がなくなって、多分向こう側に行ってしまったと思う。
さっきから涙が止まらない。勝手に思い出して流れ出てくる。本当に世界っていうものは自分が思っているよりも優しいから困る。

「……あげた花、二人ともずっと宝物にしてたよ。」

目の前に広がる青空がどこまでも遠く感じる。手を伸ばしても届かないだろうけれど、思わず手を伸ばしてしまう。太陽がひたすらに眩しくてしょうがない。

「シニー、こんなところで何してるんだ?」

ひたすらに空を見上げていれば、いつの間にかそこにいたらしい人に後ろから声をかけられる。
後ろに振り返って声の主を見てみれば、そこにはジョルノとウーゴがいた。二人とも振り返った私を見ると目を見開いて驚いたような顔をさせて、辺りをキョロキョロと見回し始めている。

「誰だ?誰がシニーを泣かせたんだ?」
「シニーを泣かすだなんていい度胸をしているな……ジョジョ、どうします?殺しますか?」
「ちょっと待って……ここにいる人達は関係ないから鎮まってくれ。」

二人ともギャングだからか血気盛んだ。街の人をどうにかしようとスタンドを体から出している……怖い。怖すぎる。恐怖のあまり心地よくて夢みたいな時間は一気に崩れて涙も引っ込んだ。

「今日の空は綺麗だなぁって思って見てただけ。太陽見ちゃったから目が沁みた、それだけだから。」

街中でスタンド能力を使っていたと知られると厄介なので、私は今日起きたことを伏せて今見ていた状況を二人に伝える。
嘘じゃない。ずっとこの空を見つめていた。小さな空を見ていたんだ。それで泣いてしまった。

「空?……ああ、確かに。今日の空は綺麗だね。」

ジョルノは私の隣に並ぶと一緒になって空を見上げる。ウーゴはそんな訳ないと言いたげだったけれど、ジョルノが街から目を離したのですぐに周囲の警戒をして、私達を守るようにその後ろに立って護衛の仕事をし始めた。

「そうなの。今日の空は綺麗なの。」

当たり前のようにそこにあるけれど、今日の空は愛しいと思う。今まで見てきたどんな空よりも素敵な色をしている。

「でもぼくは……シニーの空が一番綺麗だと思う。」
「え?」

ジョルノが変なことを言うものだから、思わず空から目を逸らしてジョルノの方を見上げた。
私の空?ちょっと意味が分からない。どういうことなのか訊こうとしたら、私の方を向いたジョルノが私の瞼にキスを落として幸せそうに微笑んで……何となくだけれどその意味を理解する。普通な調子でそんなキザなこと……いや、味なことをしてくるものだから私の方が恥ずかしくなる。

「……帰ったら一緒にアルバム見てくれる?」

私も誤魔化して話を逸らす。

「家族の、私が産まれる前のやつなんだけどね……鍵がかかってて開かないやつ。開け方は分からないんだけど……」

もう開けてもいいのだろう。知ってもいいだろう。約束通り私はちゃんと大きくなった。今の家族に私の家族を紹介したいから、三人の思い出をどうか開かせてほしい。

「成程。帰ったら早速ピッキングしようか。」
「ジョルノ鍵開けるの得意だもんなぁ……人の部屋、よく侵入してたもんね。」
「いや違う。あれをやったのはフー「でも命令したのはジョルノだよね?」
……バレたか。」
「バレバレだわ。」

愛で溢れていた貴方達を、同じ愛を注いでくれる大切な人に教えたいんだ。


家に帰る前に花の種を買ってこよう。
三人が愛したものを、私も愛してみたいと思う。




理由のいらないその証

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