due


「……」

 シニーの泣き声が病室の中から聴こえてくる。
 帰ろうと思ったけどシニーから借りているペンを病室に忘れてしまって、取りに扉の前まで戻って来たら引きつったような声が聴こえてきて……引き戸にかけていた手を引っ込めてはそこに寄りかかり、ぼくはとりあえずそばにいてあげているつもりになる。

(脚……だよな。)

 他にも理由があって泣いているのかもしれないが、一番の理由は多分脚のことだと思う。ずっと筋肉に負荷がかかっていたのと怪我が重なって、ズタボロ状態になっていたとか聞かされたら泣きたくもなるよな……何より走ることに意味を持っていたシニーには辛さしか残らないない。
 シニーの脚は決して二度と治らないわけじゃあないんだ。治せる人間は日本にいるらしいが、ミスタが日本へ連れてこうって言ってもジョジョは決してそれを許しはしなかった。もうシニーに無茶はさせたくない思いもあっただろうし、何よりSPW財団は既に一件で死んだことにされている。全快をして今みたいに能力を振り撒いて目立ってしまったら、また似たような事件に巻き込まれて今度こそ死ぬかもしれない……だったらもういっそそのままにっていう残酷な選択しかシニーの命を守ってあげられなかった。止めるためには脚を犠牲にするしかなかったんだ。
 そして目の方もまた謎で、シニーと繋がっていないそれは今どこに繋がっているのかが分からない。ジョジョ曰く体から離れたら物質になってしまうらしいが、見た感じではしっかりと繋がっている上しっかりとぼくを追いかけるように動いていて、まだあの目はしっかりと生きている。それが確かだったとしても中を開けば体と繋がっていないっていうのは……普通に考えれば不気味なことだった。今のシニーにどういうことか聞き出そうにも訊きづらい。シニーにとっては昨日の今日なところもあるだろうし、落ち着いてから何がどういう風になっているのかを確認するのが一番だと思う。

(残酷だけど、きみのためなんだ……)

 シニーは……自分の存在を脚で感じる人間で、見える全てを自分が望むものへと変えてしまう不思議な子だった。もうそれは過去形になってしまって、今のシニーはもうそんな無茶が出来なくて、多分見える世界に何かを望むことも出来ていない。だから今扉の向こう側で泣きながら一人で苦しんでいる。生き方を変えることは難しいっていうのをぼくは痛いくらいに知っているつもりだし、シニーだって一度は既に苦しんでいるけど、その時とこの状況は全く以て違う。本人はギャングを続けられないって自分の口で言っていたし、きっとそれは本心だった……でも認めたくないから悔しくて泣くんだよな。近くで見ていたから分かるよ。旧パッショーネに不幸にされたのに今のパッショーネに救われて、もういないみんなに望まれて、ぼくらもそう望んだ結果そこにいてくれている。パッショーネは居場所なんだって笑いながら言っていたくらい、シニーはそこを大切にしてくれていた。だからそこにもういられないっていうのが欠けてしまうと、酸素を失ったかのようにただただ息苦しい。今のシニーは多分、死にかけの魚だ。

「んー……」

 ……どうしたらいいんだろう?シニーは別に走れないわけじゃあなくて、単に全力では走れなくなっただけなんだ。しっかりとこれからリハビリをすれば少しの全力でも走れるはずだろうし……しかし走れたとしても、もう誰かのためには走れない。死んだことにされた以上、SPW財団と手を組んでいる以上もうこの裏社会では生きられないだろうし、何より生き方を変えないといけないっていうのはあの子にとって負担が大きすぎる。

「唸り続けてどうしたんですか?」
「え、」

 とにかく考えることを止めずにシニーがまた笑顔になる方法を探していると、いつの間にかここにいたらしい……ジョジョがぼくの目の前に座り込んで、ぼくの考え続ける姿をじっと見ていた。

「すみません……ちょっといろいろと……。」

 いつからいたんだろうか?気配すら感じなかったからびっくりした……驚きはするもののそれは最小限に抑えて、ぼくはジョジョへ返事を返して初めてそこで息を吐き出す。
 ジョジョに相談らしい相談をするのは難しい。もうシニーを解放する方向に舵をとり、既にいろいろと行動を起こしている。てんやわんわな中でここに来てくださっていることが申し訳ないくらいだ。

「シニーのこと、考えてたんだろう?」
 
 しかし言わずとも、後から来たにも関わらずジョジョはぼくのことはお見通しらしく、ぼくの素っ気なくなってしまった返事に対してくすくすと笑うとその隣へ自分も腰を下ろして、一緒になって扉に寄りかかる。あなたがこんな所に座ったらいけないと注意をしたかったが……言った方が失礼に値するような気がして何も言えなかった。

「きみが悩むことじゃあない。シニーは自業自得だよ。暗殺チームのアジトへの出入りはそもそも禁止していたのに行ったわけだろう?起きたメローネには責めるなって言われましたけど、守れなかったならそれ相応の処分はします。」
「……」

 そう、シニーはあの日メローネに会いに行っていた。
 それだけを聞いたら正直恋人のぼくがいるのに他の男の所へ行くなんてって怒るっただろう。だが中身を開いて覗いてみると、そこに向かった内容は優しさから来たもので……責めることはぼくには出来ない。
 しかしジョジョからしたらシニーのそれは、許可もなしに勝手に命令違反をしたことにしかならなかった。いくらこの街が平和になったとしても、健全な場所に見えたとしても。ギャング間での監視というものはいつまでだってなくならないし、何より使われていなくともそこがアジトだった場所となれば、張り込みをして動きがあるのを待つ人間だっている。決して安全とは言えないのがこの世界で世の中だ。

「……でもまぁ、本音を言うとですが。シニーにはそろそろ落ち着いて欲しいんです。」

 そんな厳しいことを言いはしたものの、「ギャングのボス」としてではなく「友人」としてだとしたら、ジョジョはどこまでもシニーを甘やかすんだ。

「ギャングへ引き込んでおいてあれですが、シニーは暗闇で手を汚すより青空の下で笑っている姿の方が似合うんだ。誰かの心を殺す凶暴じみたシニーよりも誰かの大切な女の子のシニーの方が……幸せなんじゃあないかなって。そう思いません?」

 誰かの大切な女の子……誰かっていうのは、多分ぼくのことだろうか。ジョジョだってシニーのことを大切にしているから少し複雑な気持ちになって自然と眉が寄ってくる。でもそんなぼくを見てもジョジョの表情は一切変わらない。ぼくの手にある書類を奪ったら小さく笑って、ゆっくりと立ち上がった。

「腹を括るべきなのはシニーじゃあなくてフーゴの方かもしれないね。」

 そしてそのまま背中を向けると暗い廊下へと消えていって……ぼくの前から完全にジョジョはいなくなる。

「腹を括る……か。」

 取り残されてからその言葉を復唱した。腹を括るっていうのはつまり、ぼくらがいつだってしている覚悟をするっていう意味だろう。要するにジョジョが言いたいことは、多分……って考えたところで口から大きなため息がこぼれ落ちた。
 いやいやだってだぞ?考えることはあったにしてもまだ早い、まだ先でいいってずっと思ってきたから他人に突き付けられたら……照れくさくなってくるんだよ。離れていた時間を今は埋めたいからいつだってすぐそこにいるシニーを大事にしてきたんだ。だからそこへ踏み込むには凄く勇気が必要で、今のぼくにそれが備わっているかと訊かれるとはっきりとは首を縦に振れそうになくて……凄く悩ましくもなってくる。
 でも同意見な部分はしっかりとあった。そうなんだ、ジョジョが言う通りシニーはこんな汚れた裏側よりも、綺麗な表側で笑ってくれていた方が似合っているんだ。だとしても細かいことを気にしようとしない本人は多分、そんなことはオフの日にいつだって出来るだろうって突っぱねるんじゃあないだろうか?勝手にイメージを付けないでくれって怒るんじゃあないだろうか?
 いつだって足を動かすのを止めないシニーだ。走り続けてきたせいか誰よりも諦めが悪くて、こうと決めたらそれを正解にしてしまう……シニーはいつだってめちゃくちゃで、だからこそ魅力的で愛しい。だからぼくは恋をした。そんなシニーに言われたら多分気持ちの部分で負けそうになる。
 ずっときみに恋している。ぼくはどんなシニーも大好きだし、守ってあげたいし支えたいって心では既に決めているんだ。だからきみが言うなら止められはしないけど、でも守りたいっていう気持ちはぼくは絶対に無視をするつもりはない。
 いずれが今だって別にいいじゃあないか。全力で走れなくたって、生きてさえくれればってぼくは思うよ?どこまでだって本当の最後まできみに付き合いたい。「これでいい」と思えるくらい、走らなくたって生きているって分かるくらいの実感をたくさん噛み締めさせてあげたい。そう思う。
 パッショーネから離れても居場所がなくなったとだなんてことは絶対にない。ぼくの隣がきみの居場所で、ぼくの居場所はきみの隣。あの家はもうぼくらの家で、ぼくとシニーの居場所。たとえ一般人に戻ったとしても、きみはずっとパッショーネの仲間。そう想うからこそジョジョは容赦なくきみをここから切り離せるんだろうし、でも少しの不安があるからぼくの背中を押してきた。

(これは間違った選択じゃあない。)

 これがぼくの、ぼくなりの覚悟。きみの生き方を考えるのはやめて、代わりにぼくはきみとの生き方を改めて考える。きみが理不尽にぼくを振り回してくれたように、今度はぼくが引っ掻き回して振り回して泣く暇がないくらいの時間を与える番。

「……」

 心を決めたところで改めて扉の向こうに耳を傾ける。中の声はまだ止まっていなくて、シニーはまだ泣いていた。

(ちゃんといる……)

 走ることで生きていることを感じるきみだけど、ぼくはこういう時にきみが生きているって感じるよ。
 声が聴こえるだけで安心するんだ。昔からずっとそう。昨日もいた、今日もいる、また明日って言ってくれたこの声があったから、ぼくは……

「……明日も楽しみだって、思えたんだ。」

今その時を楽しみに生きられた。

「きみは知らないかもしれないな。」

 扉の方を向いて、そこに手を当てて、小さな声できみには言えない言葉達を吐き出す。

「きみと走るのは疲れるし、息苦しいしでいいことなんてちっともなかった。」

 歩いたっていいじゃあないかってずっと思っていた。生き急ぎすぎるんだよ、いつだって。

「喉は乾くしもう動けないし、家の中にいた方がマシなんじゃあないかって。思ったことだってあった。」

 頭を使うしか知らなかったぼくは脚を動かすのが大変だった。机に向かって手を動かしていた方が楽だった。

「……ずっと意味が分からなかったけど、今なら分かる気がする。」

 こうなった今、きみに二度とが訪れないかもしれない今、気が付いた。気付かされた。

「めんどくさいと思うことも喉が乾いてたまらないことも、疲れてる瞬間も……全部生きてるっていう証だったんだ。」

 感情とか生理現象とか、当たり前のそれは全部を生きている証拠だった。心臓が速く動くことを感じた瞬間に生きているってきみは喩えたけど、それはただの一つにすぎない。きみはそれを知っていてあの庭から引きずり出して、毎回疲れきったぼくを見て嬉しそうに笑っていた。いろんなきみのいろんな顔を見てきたてやっとあの時の走った意味を理解出来たんだ。

「……見つけてくれて、ありがとう。」

 もしきみが見つけてくれなくても、もしかしたら意外としっかりと生きられていたかもしれない。
 でも、それでもこれだけははっきりと言える。きみがもし見つけてくれなかったらきっとこの当たり前を見過ごしていたし、何よりこんな風に誰かを想えなかった。

「きみに出会えて本当によかった。」

 こんな風に、他でもないきみを愛せなかった。
 あの日、たった一歩の勇気を出した瞬間からここに向かって進み始めていたんだと思う。失いたくないっていうのは逆に言えばきみのことがもっと欲しかったんだ。宝物みたいに思うのはきっとそういうことだった。

「これからはゆっくり生きよう、一緒に。」

 一瞬一瞬を噛み締めるように、きみと一緒に生きたいってぼくは望む。


 きみが向かうのは不幸じゃあない。たった世界に一つしかない幸福だよ。





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