確かに脚は前のようには動かせなかった。
ただゆっくりだったら大丈夫。リハビリで何度も何度もどこまでなら動かせるかをしっかりと確かめた。障害っていうのは速く走るために地面を勢いを付けて蹴ると、その瞬間に痺れが走る程度だけで苦痛さはそんなに感じない。私に出来た不自由は、まるで床に膝を曲げて座り続けた結果に起こる罰ゲームみたいなものだった。ウーゴ曰く地味な嫌がらせみたいな障害は「神様が無理させないためにストッパーを付けた」ものらしい。めちゃくちゃにたくさん走ったからもうそろそろペースダウンをしたっていいんだよって、子供へ言い聞かせるようなそんな感じに柔らかく言っていた。ここのところずっと落ち込んでいたけれど……もしもウーゴが言うように、神様が私のためにしてくれたことがこの結果だったとしたらと思えば「私のせいじゃない」って自分を責めることもなくなって、ほんの少しだけ元気になってきた。
走るのは生き甲斐だ。最初は風を切るのが楽しくてたまらなかったんだ。疲れた時に感じる息苦しさなんて特に充たされた気分に浸れて最高で……ってところまで思い返してみると何だか自分がドMみたいに見えてしまう。そういうわけじゃないのだけれど……傍からしたら息苦しいの最高って話をしたらうわぁってなるんだよね……万全のケアと称して連れてこられたカウンセリングの先生には少し苦い顔をされた。
ちょっとずつ自分の中ではこうやって「しょうがない」っていう言葉は落ちてきている。命あればこその今なんだ。全力疾走が無理ならこれからは疲れるくらい歩き回ればいいとかめちゃくちゃなことを考えている。最初は物足りなさとか感じるかもしれないけれど、着々と前を向けるようになっているのはいいことだと皆に励まされて、今日も何とか一日を楽しく過ごしている。そういう毎日の中で生きるのは意外にも楽しかった。
「シニストラはこれからどうしたいとか、そういう目的とかしっかりと考えているのかしら?」
目が覚めてから更に二週間後。ようやく退院が出来た私は早速外へと飛び出して、友達のトリッシュちゃんへ会いにのんびりと街を歩き回ってリストランテへとやって来ていた。
トリッシュちゃんは私が怪我をして入院をした時に電話をかけてくれて、凄く心配をしていただいて退院したらお話しましょうっていうことになって……そして今日会うことになった。指定をされた場所は凄くいいリストランテな上退院祝いと称したトリッシュちゃんの奢りで……いろいろお話をしながら美味しいご馳走をいっぱい食べて、現在は運ばれてきたドルチェをのんびりと食べながらお喋りに花を咲かせている。こんな贅沢を受けていいのかと庶民派の私は思いつつ、ひたすらに口をもぐもぐと動かしていた。
「したいことかぁ……」
トリッシュちゃんに言われてみて思い出すけれど……入院をしている時にウーゴにもこれからはしたいことをしてみたらどうだって言われたんだっけ?あの時は生き甲斐が消えてそれどころじゃなくて、ウーゴに八つ当たりみたいな感じで疲れてるから考えられないって、酷いことを言っちゃった気がする。
でも今はもう落ち着いてきたし、考える余裕はぽつぽつと生まれている。出来ないことも浮かぶけれど、これをこうしたいって今ならしっかりと考えられると思う。
「そうだな……まずは掃除がしたいよね。」
掃除はしないといけないよね?だってウーゴってばあまり家に帰っていなかったみたいで、殆ど病室で一緒に過ごしてくれていたし……まだちゃんとはチェックを入れていないけれど、多分棚とかに埃とか溜まっているんじゃないかな?
「あとは料理!ウーゴにいっぱい食べさせたいなって!」
多分ウーゴはここ最近はろくなものを食べていない。病室にいる時とか見ていても、ウーゴってば軽いものばかり食べてばかりで肉とかお腹に溜まるものを食べてはいなかった。ミスタさんが私のいぬ間に与えているかもしれないけれど、もしジョルノ寄りの仕事をしていたら……多分食べたとしてもお菓子とかそっち系だと思う。折角一生懸命付けたスタミナが落ちているんじゃないかと心配だ。
「あと、あとは……」
したいことは他にもある。もうギャングにはいられないし走る趣味だって絶望的だから、体力作りをしたり人を消す訓練だってする必要はない。私はもう普通の女の子で女の子らしくおしゃれとかだって出来ちゃうんだ。……スタンド能力があるからちょっと普通じゃないかもしれないけれど。
とにかくずっと憧れていたあれやこれが浮かんでくる。一日中お菓子とか作ったり、ウーゴに宿題を出してもらってちょこっと高校の勉強とかしてみてもいい。何ならウーゴが読んでいる難しい本を読破!……は流石に頭が爆発を起こすかな?外国の言葉とか覚えたりだっていいかも。ジャッポーネ辺りの言葉を覚えてジョルノとお喋りとかしてみたいかな。
「ふふ……よかった、しっかり前を向けているのね。」
トリッシュちゃんは指を折ってやりたいことの数を数える私を見ると、何だか微笑ましそうに安心したって言ってくる。
「まぁ……前を向くしかないよね。」
何ていうか落ち込みは確かにあったけれど……ウーゴがいなくなった時並の辛さがあったけれど、結局は立ち止まることは生きている限り許されないことなんだと思う。
「皆みたいに「これでいい」って思う生き方をしたいなって思ったの。」
テーブルの上のケーキを一口分切って、口に入れて甘さを堪能してからトリッシュちゃんへ思ったことを伝えた。
「美味しいものを食べたり大好きな人とそれを分け合ったり、日常にあるそういう幸せをいっぱい吸い込もうかなって……今までは馬鹿みたいに酸素ばかり吸い込んでたけど、そんなの自発的にしなくてもいいかなって気持ちが生まれたっていうか。」
願わくばまた走れたらなとは思う私だっているけれど、こうなったことに意味があるとしたらと思ってみれば結構と思う私もいる。最初に感じた七割の納得が戻ってくればどうにか立ち上がることは出来た。
諦めたように見えるかもしれない。実際は諦めたけれど、でも止まらない限り走らずとも前には進んでいる。そう思う。
「なるほど、つまり大人になったのね?」
「えっ?」
私の話を聞いたトリッシュちゃんは大人っぽく笑いながら、そんなまさかなことを言い始めた。
「そう、かなぁ?」
んん?よく分からない……私が大人って何だか違和感があるっていうか、何だか落ちてこないっていうか。まずどの辺がどう大人になったのかがピンとこない。
大人とか子供とか別にどっちでもその人はその人だしなって思ってしまう。現にギャングの世界は年齢とか関係なしに幹部は幹部でボスはボスなんだもん……いわゆるオンリーワン的なもので、私はそうやって人を見る癖が出来ている。気にしたら負けだって、大人っぽいウーゴといる時にはまだまだ子供な私はそう思うようにしてきたからそういう気持ちが未だに抜けない。
「ほら、よく言うじゃない?落ち着いた人のことを「大人しい」って。走りまくっていたシニストラが立ち止まってゆっくり歩こうって思うようになったのは、そういうことなんじゃあないかしら。」
混乱をしている私にトリッシュちゃんはそう言うと、自分のケーキに乗っていたいちごを私のお皿へと乗せてくれる。いちごにこだわりはなかったし少し子供扱いされているように見えたけれど、くれるのならと思って素直にお礼を言って、フォークで刺したらもぐもぐとそれを食べる。ここで子供じゃないって言ったら多分それこそ子供になってしまうから、多分素直になるのが正解だ。
トリッシュちゃんがくれたいちごはクリームが付いているせいか凄く甘かった。いちごって季節によっては甘いし酸っぱいよなって、味わいながら食べてみると難しいことを考えてしまう。いちご以外にもそういう食べ物ってあるけれど……人にもそれって当てはまったりするのかな?
凄く苦いことばかりをずっと考えていたけれど、落ち着いたところでそこにようやく甘さが馴染んできたように感じる。エスプレッソに砂糖を入れて溶け込ませて甘くなって、ようやく飲み干せるようになるみたいな……今のこの時間はそんな感じに似ているように思えた。
走っていたあの瞬間を味で表現をしたとしたら、多分こってりしたソースみたいな感じかな?肉にいっぱいかけてよく噛んで食べるの。噛み締めて味わうんだ。ウーゴがいなくなった時はかなり酸っぱかったように思える。それこそ甘さがなくなったいちごみたいな感じだった。そしてジョルノと出会ったあの頃は、例えるなら優しい味?ホットミルクみたいだと思う。倒れて目を覚ましてしばらくは四苦八苦なことばかりが起こってひたすらにしょっぱくて、ウーゴを好きになった辺りからかな……ウーゴの中のチョコレートを見つけたら、途端に甘いと思う毎日が始まった。味で例える思い出とか食い意地張りすぎじゃないかって思うけれど、心を豊かに過ごすには食事は大事だって死んだお母さんもグルメなミスタさんも言っていた。確かに美味しいもののことを考えると気持ちもボキャブラリーも豊かになると思う。不思議だ。
(大人しくなった、のか……)
トリッシュちゃんと別れて街を歩きながら考えてみる。今までの私ってどんだけ落ち着きがなく見えていたのかちょっと分からないけれど、でも確かにこうなってからは抜け落ちたみたいにのんびりをしているような気がする。
これは多分もう走れないんだって思うのは寂しいから、もう走らなくていいんだって思うようにした結果に起こったものだ。真っ直ぐあった道を無視して曲がってみたら、いつの間にかそうなってしまった。副産物が私を成長させてしまったのかな?それって凄いことじゃない……?
でも何はともあれ私は私だ。シニストラ・フェルマータっていう人間で、自分で言うのもあれだけれど、単純な女子。大人になったと言われようと根本的には何も変わらない自分でありたいと願う。足では走れなくたって、気持ちの部分ではいつだって走る時には走りたい。そういう風にこれからは生きるし生きていく。世間ではそれを大人になったって言うのかもしれないけれど……私は私で大丈夫。
それはそうとして……私は少し、いや、めちゃくちゃ考えないといけないことがまだあったりする。
(したいことはする。でも……)
歩きながら考えようと思っていたけれど、考えようにも街の賑やかな空気の中では全く気持ちが落ち着かない。街道の方に背を向けると、ちょうど道の脇にあったベンチへと腰を下ろしてその先に見える海を眺めながら、ぼんやりと青いそれをジッと眺めつつ……ゆっくりとしたいことの先について考え事をし始める。
(ウーゴとまだ一緒にいていいのかな?)
これからのことを前向きに考えるようになっても、唯一後ろ向きに考えてしまうのはウーゴのことだった。
私はもうギャングを辞める。私がしていた仕事は復帰を果たすメローネが引き継ぐ話になっていて、彼は元暗殺チームにいただけあって追跡任務の動き方は心得ているし、きっと前よりも活躍してくれるだろうって……ジョルノがきみも安心して引退出来るよって、少し嬉しそうに言っていた。ギャングは向いていないとまで言われたしそう思いはするけれど
、今までの頑張りは無駄だったのかなとか少しの残念さもあったりで気持ちは複雑だった。
それはまぁしょうがない。だって私が使い物にならなくなったのは全部私のせいだ。自分が招いたことだもん、結果生きられたならいいことだと思うようにしてしっかりと飲み込んだ。
そして問題はそこじゃない。全部を諦めたあの時に思ったことがずっと引っかかっていて、こんな悩ましい今に至っていることだ。あの時……ナランチャが来る前に、ウーゴと結婚したかったなって思ったけれど、その時はまだ私はギャングとしていられるって思っていたからで、この先ももし彼のそばで生きられたらっていう空想があったからこそ一緒に生きることを続けられるって信じていたの。でも目を覚ましてみたら世界は変わっていて、私はもうあの場所にはいられなくてウーゴと住む世界とは違う場所に行かなくちゃいけないことになってしまった。
ウーゴは今のこんなネガティブな私を好きだと言ってくれるだろうか?諦めた私のことを、変わった私のことを愛してくれると思うだろうか……ずっとそばにいたいっていう気持ちを伝えたら、私と結婚をしようって思ってくれたりするのかな?まだ言ってすらいないのに、決まった未来が見えないから勝手に不安でいっぱいになってくる。
もう別れた方がいいのかもしれない。ウーゴが昔にそうしたように、私達は別の道を進むべきなのかもしれない。一般人に戻ったら私はきっとウーゴの邪魔になってしまう。ジョルノを支えることが生き甲斐のウーゴだから、遠い世界で生きることを決めているウーゴのために障害にからないために離れるべきなんじゃって、弱気になりっぱなしだ。
せめてもう少しだけそばにいられるのならウーゴにいっぱい肉を与えたいし付けてあげたい。住んでいるあの家を埃がないくらいピカピカにして、それでウーゴが仕事に行ってから……ウーゴがしたように音もなく静かにいなくなりたい。ただ私はSPW財団からは死んだことにされているから生き方にもいろんな問題がある。帰る田舎もないから身寄りがないし、そもそも安定して生きられる自信がない。
いろんな部分に不安を覚える。折角気持ちが持ち上がっていたのに気分は一気にナーバス一直線だ。心は一応しっかりと立っているけれど、ウーゴから離れたとしたら私はどこへ向かって進めばいいのかな?目指す方向がどこにもないってこんなにも不安になるんだなって……落ち着きを覚え始めたらもう、ただ未来は怖いだけ。
「誰にも言えないよね……」
誰かに言えたらいいのにと思う。でも言えない。もう相談相手は自由に歩いて違う場所で過ごしているし、ミスタさんももうすぐ私の上司じゃなくなる。ジョルノは友達だけれど街どころか国を変えようと頑張って動き回っているし……トリッシュちゃんといる時は明るい人間になりたくて、つい笑ってばかりになってしまった。自分からは何も言えなかった
私が今必要なものは「したいこと」じゃなくて、「するべきこと」なんだと思う。悲しい未来しか見えないけれど……そうするべきだと思うと胸はひたすらに苦しい。辛いだけだ。
「……帰ろう。」
まだもう少しだけウーゴのそばにいたい。私の願いはそれしかないし、それ以上でもない……今はそれだけでいい。
ここで黄昏ていてもしょうがないんだ。ウーゴの家に帰って冷蔵庫の中身でもチェックして、買い物でもしに行こう。そう思って重たい腰を持ち上げると、私はのろのろと家までの道のりを歩き始めた。
歩く度に動く景色を見る度にウーゴとの思い出が甦ってくる。
スーパーまで走らせたらすぐにバテて弱音を吐いたり、競走をして負けたら凄く悔しそうな顔をするの。面白くて笑ったら風船みたいに膨れちゃって……相変わらず素直すぎて可愛かった。
付き合おうってなった時、エスコートをするように手を繋いで引いてくれた。暖かくて優しくて、この人とこれからずっと一緒にいられるかもって浮かれたりもした。
「ただいま……」
廊下を見ると思い出す。帰りが遅い日はウーゴが床でたまに転がっていて、私を待っている間に夢の中にいってしまった。一緒になって隣で寝たら次の日は私はベッドにワープをしたみたいに目が覚めて、リビングに行くとウーゴは何もなかったかのように「おはよう」って言ってくれる。寝顔が凄く綺麗だった。
リビングでは……一緒にご飯を食べたり映画を観たりした。カッコいいヒーローのポーズとか見て一緒に真似てみたり、光の剣が欲しいとか魔法使いの杖が欲しいとか騒いだ後でネットで値段を調べてみて、輸入品で高すぎるから諦めようって……働いているから買えはしたけれど、それよりも何か美味しいものが食べたいよねって二人で言い合って、次の日にはケーキを買って食べたりしてパーティーみたいな時もあった。
ここでキスだってした。ココアをぶちまけてカッコ悪くて恥ずかしかった。でもその恥ずかしさが吹っ飛ぶくらいに幸せで、甘くてたまらないの。いちごのジャムを付けてキスとか何か今思うとココアをぶちまけた以上に恥ずかしい……あれから時間は経ったけれど、未だにウーゴとキスをするといちごの味が甦ってくる。どこまでも甘いのが続く。
中にも外にもいろんなところにウーゴとの思い出がいっぱい残っている。過去に泣いた私は将来の私達を見たらどう思うのかな?また会えたんだねって笑ってくれるだろうか。今の私を見たらまた泣くかもしれない。泣くんじゃなくてダサいねってもしかしたら笑うかも。シバくぞ。
「シニー、帰ってたのか?」
半分泣きそうになっていたら、後ろから家にいたらしいウーゴが声をかけてくる。
「ウーゴ……」
朝早くに出て行ったから今日はいないものだと思っていたから驚きしかない……慌てて涙を引っ込めるとウーゴの方に振り返って、笑顔を作って彼を見上げた。
「うん。ちょうどさっき帰ってきた。」
自然に笑えたか不安だった。
「そうか、ぼくもさっき帰ってきたんだ。」
でもウーゴは自然に私の笑顔を受け止めて、自分も笑顔を作ってくれる。
「今日は早……やることないから帰っていいよって言われてね。」
そして近付いて目の前に立てば、ウーゴは私の肩を掴んで挨拶に頬と頬をくっ付けてきて、そのまま抱き着かれたらキスが降らせてきた。まさかウーゴにこんな挨拶をされる日が来るとはって、一度でも振り返ってしまうといちいち感動を覚えてしまう。それも多分あと少ししか浸れない。そう思うと寂しいな。
「シニー、少し散歩でもしないか?」
抱き着いたままのウーゴはゆらゆらと揺れながら、落ち着いた声音でそんなお誘いをしてくれる。
「今日はよく晴れて暖かいし……昔遊んだ公園とかどうだろう?今の時期はいい匂いの花が咲いてなかったか?」
でもウーゴにしては不思議なお誘いだ。公園とか普段は煩いからって行きたがらないのにな……花が咲いているとウキウキしちゃう人だったっけ?そうだったら可愛すぎる。どこまでこの人は可愛かったら気が済むのか。
「うん、行きたいな。」
このお誘いに断る理由はなかった。ちょうど昔の思い出に浸っている最中だったから、いいタイミングで気持ちはそっちへと向かう。
ウーゴが隣にいたら離れなきゃって気持ちのせいで悲しみが止まらなくなるかもしれないけれど、もしも今この瞬間がウーゴと出掛けられる最後だとしたら……思い出がいっぱい詰まったその場所で、楽しかったこれまでの記憶を綴じたい。
「よかった、そうこないとな。」
ウーゴは私の返事を聞くと体を離す。そのまま流れるように手を差し出してくれて、それと一緒に向けてくれる笑顔は眩しくて、こういう風に笑える日が〜とかもう何度だって思えてしまうくらい、そんなウーゴを新鮮だと思う。
差し出された手を掴もうと手を伸ばす。少しだけ躊躇いが生まれかけたけれど、ウーゴは手を動かしたその瞬間から自分から握ってきて、背を向けたら指を絡めて私を引っ張りながら廊下へと飛び出してゆく。
引っ張る力も握る力も強くなっていていちいち驚いてしまう。あの引っ張られてばかりだったウーゴが私を引っ張っているっていうのは感慨深くてたまらない。最後かもしれないのに終わりがちっとも見えなくて……何かが込み上がりそうなのが少ししんどい。
「行ってきます。」
ウーゴは誰もいないけれど誰かがいるかのように声をかける。開けた扉から私とそのまま外に出て、鍵を丁寧にかければゆっくりと、私達は公園を目指して進み始めた。
外は確かに暖かい。夏に向かって走っているはずなのに暑さらしい暑さもなくて、もしもこの足が走れたら気持ちよかっただろうなとか思ってしまった。
「シニー、知ってたか?あそこの壁に猫の肉球の跡が付いてるんだよ。」
若干落ち込む私に対して、隣を歩くウーゴは指を差しながら楽しそうにそんな話を振ってくる。
「結構高い位置にあるから……ジャンプでもしたんだろうな。何があってあんな所までジャンプなんてしたんだろう?」
凄くくだらないけれど、ウーゴらしくない話題だけれど、それを吹き飛ばすくらいの勢いで話しかけてくれる。声はどこまでも弾んでいて、少しの落ち込みを抱えていた私もそんなウーゴを見れば余裕が生まれてきて、少しだけいつもの調子で話せるようになった。
「虫を……捕まえようとした、とか?動くもの追いかけるよね、猫って。」
「なるほど虫か……確かに蝶々がヒラヒラ飛んでくっ付いたら、気になってじゃれつこうとするかもな。あと他にもこういうのがいっぱいあるんだけどさ……」
それからもウーゴは歩きながらちょくちょくと立ち止まった。地面に生えた花の名前や飛んでいた虫の名前、何なら空に浮かぶ雲すら話題にしてくる。まるで子供みたいに無邪気に笑いながら、何もかもが楽しいと言わんばかりに話す話題をポンポンと生んでいった。
前はどうだっただろう?一緒に歩くことがあってもこういう話題は特にしなかった。仕事の話や昨日見たものの話、最近のジョルノとミスタさん、ポルナレフさんに一周回ってジョルノの話で埋め尽くしていたように思う。遅刻しそうだと慌てて走ったり、店が閉まる前に買い物をしたくて走ったり……流れるままに見るばかりで、景色にある些細なものまでもを見ようとはしなかった。感じるままのものをただ感じるだけで、それが全てのように終わらせてしまったような気がする。
私はこれから猫の肉球の跡を見る度にウーゴのことを思い出すのだろうか?蝶々を見る度に楽しそうなウーゴを思い出して、今をあの頃にして懐かしむのかな……空を見上げながら、ウーゴと歩いた街を、道を思い出して……そんなこともあったって素直に笑えるだろうか?
「あの公園は……あの家から結構近いんだな。」
歩きながら考える。本当にこの瞬間を最後にしてウーゴとの物語を綴じてしまっていいのかなって。上を向いて歩いていたけれど、ウーゴの隣にいたはずだったのに、いつの間にか私はウーゴの背中を見つめていて……そして視線は段々と自分の足へと落ちて。ついにはその場で立ち止まってしまった。
「……シニー?」
凄く、めちゃくちゃ……最大級かもしれないくらい悲しくなった。家族との別れよりも、皆を見届けたあの時の寂しさよりも遥かな寂しさを覚えてしまってしょうがない。立ち止まった私に気が付いたウーゴは私のいる後ろへと振り返って、握ったままの手に力を込めながら名前を呼んでくる。
「わた、し……」
反射的に何かを言おうと口を開いて、途切れながら自分の一人称を呟く。でもその先をどう言えばいいのかが浮かばなくて、口はすぐに固まった。
どうしよう、どうしたらいい?分からない……多分今ここで暗い言葉を言ってしまったら、今のこの瞬間は凄い音を立てて崩れ去る。勢いがついて喧嘩になったら余計なことを言ってしまうかもしれない……でも今から訂正をしたって遅い。何でもないって言ったって、何かがあって今この場に立ち止まってしまったのだからもう逃げようにも逃げられなかった。
「どうしたんだ?疲れたか?」
「……」
ウーゴは優しく声をかけてくれる。下を向く私の顔を覗き込んできて、丁寧に頬を撫でて心配をしてくれる。
彼はどこまでも親切だ。もうポンコツなのに私のことを変わらずに大事にしてくれるんだ。なのに私は最初から裏切るつもりでここまで歩いてきて……最低だ。やり方が汚い。
この人がいいって、一緒にいたいってそう願いながらこうやって手を繋いだり、好きを互いにぶつけ合ったりしてきたからこそ素直に浮かぶのは、
「……離れたくない。」
続いている今を手放したくないっていう欲張りな言葉だった。
私の頬にあるウーゴの手を取って、そこに非力ながらに力を込める。離さないように指を絡めて、ぎゅっと掴んで欲張りな言葉をまた吐き出す。
「ウーゴと……ずっといっしょが、いい……」
気持ちを伝えたあの時みたいにウーゴを諦めたくないって気持ちばかりが膨らんで、爆発を起こしてそのままこぼすように口から出てくる。
目の前にいるウーゴは笑うことをやめて、目を丸くさせながら私のことをただただ見つめていた。そんなウーゴを私も見つめるけれど、見ていると勝手に私の目から涙が落ちてきた。見ないでって思うけれど何も言えなくて、顔を隠したくても隠すどころじゃない気持ちの昂りがあって、体が鈍くて重たくて……ただただこの綺麗なウーゴの手を掴むことだけしか出来ない。
これだけじゃ伝わらないって分かっているから、私は震える唇を動かしながら、この言葉の中身をウーゴへと伝える。
「ウーゴはギャングだし……わたしは、もうギャングじゃない。住む世界も……違う……だから多分、これでお別れが正しい……そう思うし、思った……」
ウーゴの邪魔にはなりたくない。めんどくさくなった私といたら、多分ウーゴはイラつくだろうし冷めてしまうと思う。
「新しい道は見つけたし、前は向ける。したいことだって見つけた。」
したいことはしっかりと持っている。でもさっきトリッシュちゃんと話した時、したいことを言いながらそれに必要なとんでもないものを見つけてしまって、気が付いた今やっと出てきた言葉が「離れたくない」だったんだ。
「でも、それは……私がこれからしたいことは……」
美味しいものを食べさせたい。部屋をピカピカにしたい。そして本当に一番したいことは、その人に尽くしたいっていう気持ち。
「ウーゴとじゃなきゃ、絶対に出来ないし、不可能なの……」
ウーゴの食べっぷりが好き。あの家を宝物みたいに大切にしているウーゴが好き。そんなウーゴの帰る場所を私も大切にしたいし、毎日お腹を充たして幸せな気持ちでいっぱいにしてあげたい。こんな風に終わるより、この人のために命を燃やして終わりたいって思うの。何度も何度も。
「だから……」
ウーゴに別れようって言われたわけでもないし、私が勝手に終わらせようと考えていた。けれど無理だ。音もなく消えるだなんて私には出来ないことだしウーゴの心を殺すかもとか思うと勇気が出ない。最初から不可能だったことを、こうやって振り返りながらついに気が付いてしまった。
トリッシュちゃん、やっぱり私は大人になんかなっていないよ。ウーゴのことになるとどこまでも単純だし大好きだって真っ直ぐにしか見られない。子供みたいにわがままになって、ウーゴが欲しいって思ってしまう。何が何でもって諦められないんだ。
これでいいっていう生き方をするにはウーゴがいないと始められないんだって、自分で自分に突き付けてしまった。
「……何でそういう考え方になったか分からないな。」
これ以上のことが言えなくて泣いたままただ立ってでいると、それを全て聞いてくれたウーゴは私の額にゴツンと自分の額をくっ付けながらそう言ってくる。
「だって……表と裏って、全然違うでしょ……?」
表は大っぴらに出来るけれど、裏は表を仮面にして隠れている。見えない部分に生きるウーゴとこの先表で生きていかないといけない私とでは住む世界は違いすぎる。
「シニー、きみは大雑把に考えるのが得意だろ?ギャングとかギャングじゃあないとか、そんなのちっとも関係ないんだよ。」
言い訳みたいに理屈を語ればウーゴは額をくっ付けたままそうじゃないよと首を横に振る。
「きみとの繋がりは職業仲間っていうだけじゃあないはずだ。恋人同士で充分なんだ。ぼくは恋人としてきみと繋がってる。」
ちょっと前まで今の私みたいにごちゃごちゃと考えていたはずのウーゴは、人が変わったみたいに一は一だと言い張った。「これ以下はないぞ」と付け足すように更に言い放って……どこまでも私と逆だ。
ウーゴはへっぴり腰の私の意見を突っぱねたら「ぼくこそが正しい」と言いたげにはっきりとした声音で言ってくれる。昔のウーゴだったら違うだろって手が出そうな場面だなって思うけれど、今のウーゴは手を出してこない。やっぱりあの頃のウーゴから大人になったんだなって思う。自分と比べたらやっぱりシャレにならないからこれ以上比べるのはやめておこう。
「ぼくは、ぼくらが一緒にいることに理由はいらないと思うんだ。」
少しの惨めさで更に泣きそうになっていると、くっ付けていた額を離しながら、ウーゴはしっかりと見合うようにその場に立つ。私から手を離すと自分の服のポケットに手を突っ込んで、中から何かを取り出したら私の左手を手に取って……それからその話の続きを話し始めた。
「もうお互いが好き合っていることは当たり前になったし、それ以上に愛し合っているんだ。キスだってするしその先だってする。何より二人揃って貪欲にこれじゃあまだ足りないって離れられないし……きっともう、この気持ちに終わりはない。」
好き合っている、それ以上に愛し合っている……聞いていると恥ずかしくなってくるけれど、ウーゴが話してくれたことは全部事実だ。
「うん……」
どんなことがあったってウーゴが好きだし愛している。一緒にいるだけでしたいことが溢れてくるんだ。昔からウーゴのことになるともっとこうしてあげたいとか、こういうことをしたいとかどんどん溢れてきてつい振り回してばかりだった。しかも一旦は終わったのにそれは再び始まって、あの時の気持ちがいっぱい甦って今に続いている。終わりが全く見えないくらい、ウーゴにしてあげたいこと、したいことはこんな瞬間でもポンポンと浮かんでくるんだ。
「今日はぼくらが終わる日なんかじゃあない。絶対に終わらせるわけにはいかない。ぼくはもうきみを二度も三度も諦めないって決めてるんだぞ?」
諦めないってウーゴの口から聞かされると、さっきまでの自分がめちゃくちゃ馬鹿だったって言われているような気分になってくる。でも実際に馬鹿だったからどうしようもない。何もかもがそうだねって、正解だよってなってしまって、ついつい首を縦に振ってしまって馬鹿を肯定してしまった。
「だからきみもこの先は……絶対に諦めないでほしい。」
左手に何かをしたウーゴは手を離すと、そのままその手を持ち上げて、私の手の甲へとキスを落としてくる。こんな道の真ん中で何てことをって恥ずかしくなるけれど、誰も私達を見てはいない。イタリアでは道端で突然キスをしたりするカップルはたくさんいるし、ましてや手の甲へのキスだなんてまだ軽い方で誰も見向きはしないから。
でも、そうだとしても。ウーゴの顔が離れてそのキスをされたその場所を見たら……突然誰かが道端でし始めたキスなんかよりも、このキスには私のにとっては最高のキスだったっていうことを知ってしまったら。その重たさと暖かさが重なったら、もう恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。
「……いきなりすぎるよ。」
左手の薬指に綺麗な石が付いた指輪が嵌め込まれていたのだから。
さっき離れたくないって、ずっと一緒にいたいって話したばかりなのに。もうそこにはその望み証が存在をしてしまっている。そもそもいつこれを買ったのかが分からなかったし、どうしてサイズがピッタリなのかも不思議すぎる……そのくらい、私達は手を繋いできたのかな?
「シニーだっていつも突然やって来ただろ?」
ウーゴがくれた指輪の石は太陽の光で輝くオレンジ色で、トロイメライが産むのと同じ星の形をしていた。本物の空に瞬いているような星みたいで素直に綺麗だと思う。
「それとこれは……別だし……!」
何て名前の石か分からないけれど、どことなく私に諦めるなって背中を押してくれた彼を思い出す色だ。
まだちゃんと覚えている。私の声でウーゴのことを愛してくれてありがとなって言ってくれたのを。これが続くように彼はやって来てくれて、この繋がりを残してくれた……そんな気持ちに陥ると胸がもっと充たされる。感謝してもしきれない……この指輪は私が失った道標そのものみたいに見えてきて、引っ込みかけていた涙がまたぼろぼろと流れてくる。
「前も言ったけど、もう走らなくたっていいんだ。」
ウーゴは左手から手を離すと両手を私の背中へと持っていって、めいっぱいに抱きしめて声を弾ませる。
「これからは歩く速さでこうやって時間を過ごすんだ。道端に咲いた花を見て、空に浮かぶ雲を眺めて、夜は暖かくして流れ星を探す。そうやって生きてくんだよ。踏みしめるように、噛み締めるように、一緒に生きているって感じていこう?」
今日のウーゴは何もかもを覆してくる。
「ギャングにいようがきみの前ではぼくはぼく。ただ一人のきみのぼくだから。」
聞いたことがないようなことばかりを言ってくれる。あのウーゴがっていちいち感動をしちゃって何を言おうにも言葉に出来ない。
「うん……」
代わりにウーゴの腕の中で首を縦に振って、その胸に耳をピタリとくっ付ける。走っていないのにウーゴの心臓の音は早く動いていて、この告白をすることに緊張をしたのかもとか思うと本当に……可愛くてたまらなくて、ただただ愛しい。
理由なんかもういらない。そこにいたいと望むならそこが私の居場所。
「ありがとう、ウーゴ!」
ウーゴの隣が、私が生きられるその場所なんだ。
今日はまだ終わる日じゃない。そう言ってくれた時思ったの。
「本当は公園で話そうとしたんだけど、タイミングって上手くいかないものだな……って、」
終わるどころか今これから始まるような気がするって。新しい物語をただ一人の人と一緒にこれから一歩ずつ、ページを捲るように進んでいく……そんな気がした。
「シニー?どうした?泣きすぎて頭でも痛くなったのか?」
「んん……いや、目がちょっとゴリゴリして……」
幸せを見つけたら立ち止まる。チョコレートみたいに甘いことが起きたらその味を堪能していく。したいことを一緒にたくさんしながら頑張る貴方に尽くしたい。
「……え、」
夢は終わらない。ずっと続くし意地でも続ける。二度と終わらせるものかと私は望み続けるどころか叶えにいきたいと思う。
ねぇウーゴ、
「星が出た……?」
私のこと、諦めないでくれてありがとう。
ただ一人の女の子にしてくれてありがとう。
見つけてくれて、ありがとう。
uno
【name change】