10


「……暇だなぁ。」

 今日は残業もなく早く帰れた。いつもだったらこんな余裕のある日はちょっとお高い肴を買いに少し街を散策するけれど、メローネが帰ってこなくなってからはそれも億劫で、すぐに帰ると普通に夕飯を食べてからこの前食べ損ねたアイスを片手にぼんやりとテレビを観て過ごしている。
 それにしてもテレビだなんて久しぶりにつけたよね。最初の頃は結構余裕さえあれば観ていたけれど、メローネが来るようになってからは観せないようにしているのかわざとらしくテレビの前の席に座るようになって、それからはつけていたとしてもあまり観なかったような気がする。最早テレビの代わりにメローネが喋る……みたいな感じになっていて、仕舞いにはつけなくなって楽しい会話ばかりしていたっけ。そのくらいメローネとの時間は楽しかったんだなぁ。

(しっかし何で帰ってこない?)

 あれからもう何十日が経った?って、そのくらいに長く感じるほどメローネが帰ってこないように感じてしまう。実際はまだ数日でそんなには経っていないけれど、体感的にはそんな感じだ。
 一体どこで何の仕事をしているのか知らないけれどさ、もしかしたら意外に危ない感じなところで働いてる人だったりするのかな?事故とか事件に巻き込まれて挙句病院送りとかだったらめちゃくちゃやばい気がする……ただその場合多分ギアッチョさんがメローネの部屋の物を取りに立ち寄るよな?見かけないってことは多分無事だろうし普通にお泊まりで仕事かも?どこかに引きこもって缶詰状態……まさかメローネって、芸術家とか作家とかそっち系の人?だとしたらやたら女体に詳しかったり変なこだわりを抱いたりっていうのにも納得出来るけれど……本当毎回こうやって考えては謎が深まるばかりでちょっと怖いよ。メローネってば不思議すぎる……そして得体が知れなさすぎるっていうのは少し寂しい。どんな仕事をしていても中身はメローネだけれどもさ。

(無事だといいけど……)

 とりあえず死んではいないでしょ。だってメローネ、しぶとそうだしな。服装から言ってまず只者じゃないだろうし……って我ながら失礼なことを考えちゃう。

「……お?」

 観ていたドラマが修羅場になってきて段々ハラハラとしてくると、外から呼び出しブザーが鳴らされて私の意識は現実へと戻ってくる。もしかして昨日切らしちゃって日本の実家に送ってくれって頼んでおいた追加のビールかな?だとしたら助かった!アイスもあとちょっとで食べ終わっちゃうから口の中が寂しくなってきて……いいタイミングだな。

「はーい!」

 テレビをリモコンで消してからアイスをテーブルに置いて、ルンルン気分で立ち上がった私は少し弾みながら玄関まで向かってゆく。
 いやいや本当ビール大好き実家様様だなぁ!まさか一日で送ってくださるとは流石……日本から遥々長旅ご苦労さ

(って、)

いいや、流石に日本からイタリアは時間がかかるわ。半日以上はまずかかるし、しかも発注からすぐに出荷出来るとは限らない……そして何よりうちの両親は非常にルーズだ。お願いを言ったにしても数日後に行動を起こす気分屋だし、って考えるとこれはビールじゃないと断言出来る。
 ってことを一瞬で考えた私だったけれど、数秒前のルンルン気分で勢い余って玄関の扉の鍵を既に開けてしまった。開けてからもう一つの可能性が浮かんでしまって……ドアノブへ手をかけようとしたままカチカチになって固まってしまい、最早半分石になった。

(もしかして……)

 これがビールじゃないとしたら何だろうっていうと、最近だと大体は大家さんだ。よく気にかけてくれて家に来てくれて……しかし大家さんはさっき来たしでその可能性はゼロに等しい。大家さん以外でブザーを鳴らしてこの部屋にやってくる可能性として、今一番高いのは

(メローネ、だよねこれ?)

メローネしかいない。
 この扉の向こうにいるの多分メローネ。久しぶりに帰ってきた立ち寄った可能性が一番高かった。

(まずい……!)

 だとしたら、もしかしたら。そう思うと慌てふためいて別の意味で体が跳ね上がる。凄く油断をしていたよね……いつもは仕事から帰った後だったから化粧もしっぱなしだったけれど、今日はもう完全に帰ってきたのと同時に落としている。お顔の都合が非常に悪いんですよ、今!
 ちょっと待って!まだ入るな!鍵閉め直させて……せめてファンデーション塗らせる時間頂戴頼む!!

「ハナ?入るぞ?」

 しかしもう時すでに遅し。鍵に手を伸ばしても間に合わない。こちらから扉を開けずともあちら側から開けることが出来るから、ドアノブに手をかけたメローネはガッチャリと勢いよく開けてしまい、私に貴様を避ける余裕すら与えてくれず目の前に元気よく現れてしまう。

「おお〜久しぶりだぜハナ〜!」

 そんか私の気持ちを露知らず、メローネは私の部屋に入ればいつも通りの眩しいくらいの笑顔を向けて、調子良さげに軽く挨拶をしてきた。
 あ、ああ……すっぴんでエンカウントとか辛い……!会いたかったけれど今の私完全にスイッチオフな顔だよ?複雑すぎるしこの眩しい笑顔は肌に沁みるしでもうしんどい。

「ひ、久しぶりぃ……!」

 でも素直に久々のメローネを見られたのは嬉しい。顔がすっぴんっていうのを除けばそれだけでもう全然嬉しい……一瞬メローネの方を見るものの、じっと見つめ合うのには心の準備がいるもんで、すぐに下を向いてしまった。

(すっぴんもあれだけど……)

 直視出来ない理由は他にもある。今日までずっとメローネのことが頭の中に占めていた上に自分の気持ちに気が付いてしまったもんだから、目を合わせるとどういう顔をしたらいいのか分からない。っていうかメローネの方が普通この状況は気まずいのでは?変なこと言った後でしょ?何で何ともない顔をしていられるの……!

「忙しくてなかなか帰れなくて大変だったんだ。疲れた疲れた……ビールある?」

 何だか腑に落ちないけれどメローネはいつも通り。解せないけれどメローネは普通に話しかけてくる。私はと言えば今の何でどうしてのせいで思い出しては胸がぞわぞわしちゃってもう複雑で、まるで私だけが落ち着かないみたいで何だか悔しい。

「ごめん、昨日全部切らした。」

 質問への答えとこの前を思い出しそうな頭を振り切る思いとで首を横にブンブンと振って、何とか気持ちを切り替えようと試みる。折角メローネが帰ってきたっていうのに、嬉しいのに!見上げられないっていうのは凄く嫌っていうか、失礼な気がして申し訳なさが少しだけあったりと頭の中はそれはもうぐちゃぐちゃだ。緊張とかも働いてる動きもカチカチ気味……首からいい音が鳴りそうだよ。

「切らした?うーんマジか……ビールないのか……。」

 私の言葉にメローネは少し残念そうに唸ると、目に巻いてある布を取ってのんびりと奥へと進んでゆく。変にあっさりしているのが少し不気味だ。まさかとは思うけれど……こいつもしかして今、私のことを使えねー女だなとか思っていないですかね?考えすぎか?疲れたあとのビール一杯がどんなに美味いかは分かるけれども残念そうなその態度!全てを物語るその態度が非常にムカつく〜!!
 相変わらずなメローネを見ているといつも通りの自分がふつふつと湧いて出てくる。意外にも緊張らしい緊張は解されていって詰まっていた息が吐き出せた。

(まぁそんなもんだよな、うん。)

 一応恋愛感情はあるけれどそれはそれ。相手は疲れているみたいだしまずこの前みたいな浮いた話題にはならないだろうから、深めに考えるのはよそう。疲れていると人っていうのは性欲らしいものはぶっ飛ぶもんだって聞いたことがあるし、きっと今のメローネも例外じゃないだろうしさ……あれだってもしかしたら究極に疲れていて血迷っただけかもしれない?いや疲れていたら性欲は出ないって今思ったばかりだよな……ちょっとこんがらがってきたかも。

「お茶作るわ。」

 何はともあれビールがないならお茶でもと、私もメローネの背中を追いかけて奥へと向かう。
 頭を切り替えよう。好きとかそういう話題は別問題だし……とにかく今は久しぶりの楽しい夜を堪能するの。アルコールはないけれどたまには頼らずにのんびりっていうのも悪くないよね?

「グラッツェ!ハナは優しいなァ〜!」

 私が用意を始めようとしたらメローネはお礼を言ってくれる。こっちに来てびっくりしたけれど、イタリア人って日本人より素直だし優しいし、面倒くささをあまり感じないというか……いいことをした後にいっぱい喜んでくれるから、私まで幸せをめいっぱいに感じてしまう。
 でもきっと胸がぽかぽかしたような気持ちになるのはそれだけじゃないでしょう。好きって思った人に褒められたら誰だって嬉しいもんね?アルコール以上の効き目があるよ。凄く元気になれる。

「ただ苦いのしかないけど……大丈夫?」
「ハナん家は苦いものばっかだから気にしないぜ。」
「はぁ〜?それが他人の家に上がって言う言葉ですか〜?」

 凄い腹が立つことを言われても喜びの方が勝ってしまう。愛は無敵ってよく言うけれど、これも本当だって身をもって知った。苦いことを言われても好きって気持ちしか感じないってちょっと今までの私じゃ考えられないことが起きているのは凄くむず痒い。
 憎まれ口を叩かれたって今の私にはご褒美……いや、それだとメローネと変わらないしMっ気を疑われてしまう。そうじゃなくって、今こうやってこうやって話せることこそが嬉しいの!決してMじゃないぞ!違うからな!
 ともかくしばらくメローネに会えなかった。久しぶりにここにいて疲れているのにわざわざ部屋まで来てくれた。だったらおもてなしは必須だしちょっとでも安らいでほしいっていうか、今はそれだけでいいんだ。

(好きは好きだけどなぁ……)

 お茶っ葉を棚から出しながらまた考え始めてしまう。こうやってメローネに恋愛感情を抱く私だけれど、これをメローネに言ったとしてもきっと相思相愛ではないような気がしてしまって、これはずっとしまっておくべきか口に出して言うべきかっていうのはちょっと悩んじゃうっていうか……今のこの時間が崩れるかもって思うとちょっと躊躇いがちで、なかなかたったの一歩が踏み出せない。
 ただやりたいだけでメローネはあんなことを私に言いながら迫ってきたのかもしれない。ただ隣に住んでいたのが私だったから都合よく選ばれたのかもしれない……そして今のタイミングで言ったら多分この前のアレでで落ちるとは意外とちょろいのな──って思われるかもしれない。実際にちょろいっていうのは感じるもんだから、図星過ぎて非常に悔しい気持ちもある。あの時はまだ異性的な感情をメローネに抱いていただなんて、自分すら知らなかったからしょうがなかったかもしれないけれど、傍から見れば私はメローネに口説かれて落ちたちょろい人間でしかないんですよ。どうしてもちょろくないと認めたくなくて意地になって勇気が湧かない。

(メローネは友達。)

 そう、友達。飲み仲間のいい奴で隣人で友達。

(でも私としたいって言うんだよな……)

 メローネは何がしたいのか分からない。私とセフレになりたいの?それとも男女間のお付き合いがしたい?流石にそれは自意識過剰か……ってなると、やっぱり都合がいいセフレ?んんん……?
 何度も何度も同じことをループして考えてしまう。そのくらい好きになっているみたいで止めたくても止まらない。メローネはやっている仕事すら知らないんだもん。知っていることだなんて性癖くらいだし、そもそも性癖を知っているだけで友達でいられるのか?

「……ねぇメローネ、」
「ん?」

 近くにあった急須にティーパックを入れて、電気ポットに入ったお湯を入れながらメローネに思わず訊ねてしまう。

「私達ってさ、友達?」
「え?」

 いい言葉が浮かばなかったからただ率直に、友達なのかって声に出す。

「どうした急に……え?」

 ……これ絶対言っちゃあかんやつだったかも。後ろから聞こえてくるメローネの声、びっくりしたのか歯切れが悪い。でも私達って結局何なんだって気になる気持ちが勝ってしまって、ブレーキをかけられないままスパッと言ってしまった。

「ご、ごめん。ちょっと意味が分からないよね?」

 いきなりこんなことを訊かれたらメローネだって困るだろう。現にスパッと「友達だ」って言葉が返ってこなかったから、この言葉の意味をメローネへ背を向けたまま伝える。

「いやさ、私メローネのこと性癖しか知らないなって思ったんだよ。」

 普通こんなこと他人に話さないだろってなるよね。でもメローネは話すんだよ?尻を見て興奮しちゃうとか舌使いが大事だとか、気持ちいい交わり方とは?とか……明らかにおかしいでしょ。同性ならともかく異性だぞ私。

「好きな食べ物も知らないし、嫌な食べ物は……メロンかな?苦いのより甘いのがいいのは分かった。ビールより盛る方が好きなのも知ってる。」

 正直言えばこの前まではこれだけでも十分知ってるような気がしていた。でも今は違うんだ。私の気持ちが変わったせいか、これしか知らないんだってなっちゃうの。

「……メローネの自由ではあるけどさ、」

 友達だと思ってくれるならでいいけれど、メローネは私の話を聞くばかりで自分の話はちっともしないけれど、

「いつか性癖意外の話もしてほしいなって思うんですよ、私はね。」

 特技とか趣味とか、お勧めのワインの銘柄とか。そういう話もメローネの口から聞いてみたいなって思う。
 まだ友達になれていないならそういうことを積み重ねて友達になっていきたい。好感度をいっぱい上げて、そうしたらいつかは好きって想われるかもしれないって、ちょっとの希望があれば少しは前向きに考えられるのかなって思うんだ。

「変なこと言ってごめん!私のキャラじゃないよね、こんなの。」

 酔っていれば冗談で済んだけれど、今日はちっとも酔っていないから誤魔化せない。一応今まで軽快に接してきたから少し重たいことを言ってしまったかもっていう後悔もあって、言い終えればただただ苦いだけだった。

「……なぁハナ?」
「ん?」

 お茶をコップに注いでいる最中、後ろにいたはずのメローネは声をかけながら私の背後にパタパタと近付いてくる。

「どうかした?」

 全て注ぎ終えてからすっぴんであることを諦めて振り向いてみると、メローネは少し眉を寄せながら困ったような顔をしながら立っていて、口をキュッと閉めて私のことを見下ろしていた。言葉が詰まっているみたいな顔だ……流石に踏み込みすぎただろうか?確かに友達なのかって訊かれたら誰だって困るよね?複雑な顔にもなりますわ!

「ごめん、困らせるつもりで言ったんじゃ……」

 急須を置いて、ちゃんと体ごとメローネと向き合って謝罪をする。やっぱり言っちゃまずかったよね?私はやっぱり都合がいい女のままでいないといけなかったかもしれない……思われたくないけれど、それでしか保てないなら最早……!

「本当……ごめん……!」

 頭を下げようと下に目を向けて、自分の膝に手を置こうとした。

「いいや気にしなくていい、そうじゃあなくってだな!」

 しかしメローネはそれを遮るかのように肩に手を置いて声を張り上げる。メローネのその表情が全てを物語っているのに気にしなくていいとはどういうことだってなるけれど、気遣いが優しすぎて言えずに私まで眉が寄りそうになってきて、ちょっと泣きそう……困らせたのは事実だし関係だけは拗れたくないからづうにかして許してほしくて、モヤモヤする。

「いやほら、な?やっぱりあれだ、ほら……」

 そんな私を見てかは分からないけれど、メローネはちょっと慌てているみたいで若干視線を私から泳がせる。言葉が詰まっているのかほらほらばかり言っていて、なかなかそれ以上話が進まない。こんなメローネは見たことがないからちょっとおかしくて今度は笑いそう……失礼だから笑わないけれど、耐えられるかがちょっと不安。

「……ビールがないなら買いに行けばいいんだよ!な!」
「え?」

 おまけに耐え抜いたと思ったらそんなことを言い始めたもんだから、かなり不安になってしまったという。
 は?な!って言われても分からないし、ビールを買いに行くってどういうこと?ないなら買うのは当たり前だけれど……メローネにしては珍しい発想じゃない?ビールが飲みたいくらい仕事で何かあったのかな?大丈夫か?心配になってきた。

「よしハナ、ビールを買いに外に行こう。」

 何がよしなのか分からないけれど、何故か執拗にビールを求めるメローネはせっかく入れたお茶に目もくれず、私の手を引いて玄関の方へと歩き始める。

「ちょ、待って!財布財布!鍵も上着も……」

 いきなり行こうって言われても準備とかしないといけない。上着も鍵も玄関に予備が置いてあるけれど、財布は奥にあるしで取りに行きたい。

「上着も鍵も玄関にいつも置いているだろう?金はいい!オレが出す!」

 しかしメローネは今日は変に積極的で、お金がないって騒いでいたくせに今日は奢ってやるとかめちゃくちゃなことを言い出した。つーかなんで鍵の在処をしっていやがるのかこの人は……まさかとは思うけれど、部屋の中物色されたりした?いやメローネって変に勘が冴えている時あるから予想したのかも?どっちにしても私の知らぬ間に知っているっていうのはちょっと怖いわ……!

「店がもう直閉まっちまう!急ぐぜハナ〜!」
「ちょ、転ぶからもうちょっとゆっくりお願いしますー!」

 訳が分からないまま上着を羽織らされ、何気に初めてメローネに手を握られながら、寒空の下まだ開いているらしい店へビールを求めに私達は外へと慌てて繰り出していったのだった。


 ……途中でアイスをそのままにしっぱなしにしていたことを思い出して、後悔してしまったのはここだけの話。




10

- 11 -

*前次#