はっと目が覚めると、わたしは汗だくで、なぜか木の根元で座り込んでいた。なんだか嫌な予感がして、周囲を見渡すも依然として等間隔に配置された木々は燃え尽きることを知らずにもうもうと燃え盛っていた。わたしのすぐ側には小さな小川が流れていた。相変わらず酸素の薄い空気だったけれど、水辺が近くにあるおかげでこの辺りは少しだけ涼しかった。ひとすくいして水を含めば、こんなに熱い火の中でも水はひんやりと冷たくて、喉が潤えばまるで生き返るようだった。

背後に人のいる気配がして振り向けば、彼がこほこほと咳をしながら駆け寄って来ていた。わたしは咄嗟に彼の名前を呼ぼうとして、喉元で引っかかる。わたしは彼の名前を知らなかった。なのに、なんで名前を呼ぼうとしたのだろう。



「ツナ? こんぶ?」



彼がわたしの顔を覗き込む。その視線が下へ流れると彼はぎょっと目を丸くして頬を染めた。その反応が何だか妙で、わたしも自分の胸元を見やれば、汗だくになった白いセーラーが体に張り付いて下着の線と色が透けて見えていた。



「へっ!? み、見ないで……!?」
「しゃ、しゃけ」



とは言ったもののどうしようもない。彼も脊髄反射的に顔を両手で覆って律儀に後ろを向いてくれているが、見てしまったことも不可抗力だったことに変わりはないわけで。こんな状況なのだから、下着が見えたからといって恥ずかしいなんて言っていられない。少し火の近くに寄れば乾くだろうと考えておずおずと彼の背中に話しかける。



「ごめんなさい。ちょっと反射的に言ってしまっただけなので、気にしなくていいですよ」
「お、おかか……すじこ、明太子……」



最後のほうは尻すぼみになって聞こえなかったのだけれど、正直聞こえても意味は分からないのだと思って落ち込む。申し訳なさを感じつつ、彼と少しだけ距離をとって、背を向けた。制服を着てきたことがこんなことで裏目に出るなんて。夏仕様だから生地も薄めなのだ。でも乾くのは早いだろう。意を決してわたしはここから一番近いに木に狙いを定めて恐る恐る近寄った。熱が届きそうそうだけれど怖くないほどの距離感を探っていれば、ふと背後から影が差して肩にとさりと何かが乗る。



「!」



この黒いのは、もしや、と確かめる間もなく、わたしはくるりと体を反転させられ、後ろから押されるままに小川のほうへ引き戻される。黒い袖が視界の端で揺れている。肩幅が合っていない所為か、肩からずり落ちないように慌てて両手で襟元を掴んだ。襟は予想以上に長くて前を閉じれば鼻先まで覆い隠せそうだった。彼はわたしを小川の近くに待機させると、わたしが振り返った時にはもう先ほどわたしのいた場所で入れ違いのように自身の中に着ていたのだろう白いTシャツを乾かしていた。

その後ろ姿に何だか心中をかき乱されて、わたしは咄嗟に視線をそらした。彼が着ると少しだけ大きめの作りなのかなと思った制服はわたしが羽織るだけでぶかぶかだ。そういえば消防士の服は火災の熱い現場にも関わらず長袖に長ズボン。熱さや危険を凌ぐためには火が直接肌に触れないほうが返っていいのかもれない、とふとそんなことを思った。




わたしたちは用水路のように細い小川の下流の方へ歩いていた。その間も全く変わらない景色が続く。木々が核となって等間隔に火柱の立つ森。延々と同じ映像を繰り返し見させられているようだった。

道すがら、彼は唐突にこちらに振り返ると、わたしの羽織る彼の制服に手を掛けてきた。何をするのか不思議に思いつつ、じっとしていれば、彼はちょうど襟元にあたる制服の留め具をきっちりと締め上げた。口元だけ覆われた状態となったわたしを一度見下ろしてから、彼は満足そうに前を向いたのだった。ふむ。確かに手で持つよりもこっちのほうがずいぶん歩くのが楽だ。それに口が布で覆われているから必要以上に煙を吸うのを抑えられる。なるほど。

彼はずっとわたしの前を歩いていた。野原にいた時は、まさか祖父以外の人間はおろか、目の前のこの人とこの森をこんな風に助けられながら歩いているなんて思いもしなかった。たった数時間のことでしかないのに、ずいぶん長い間旅をしてきたような懐かしさと哀愁に駆られる。

今や異様な黒い空気に支配されてしまったあの場所。木の下で初めて彼と会った時、ぐっと唇を噛みしめるような表情の裏には何かと言わんとしていたような葛藤を感じた。口元にある不思議な模様や、語彙が特殊なのを考慮しても、彼の発する言葉には普通の人にはない何か大事な意味を持つのかもしれない。



「ツナ?」



気怠げな視線がこちらを向いていた。少し眉を顰めているところを察するに、ぼうとしているのを心配してくれたようだ。背中に目でもついているのだろうか。
今彼は首にネックウォーマーのようなものを巻いている。真夏にそんなものを常備しているなんて、どれだけ用意周到なのだろう。もしかして彼はここで山火事が起こることを知っていたのだろうか。わたししか知らない場所のはずだったのに、彼はあの時あの場所へやってきた。もし、彼はここで起こることを事前に知っていて、その為に来たのだとしたら。



「……」



だから何だというのだ。そんなことを考えても意味ない。ふと前にいる月色の髪を持つ男の子を見やる。シャツの上からだと先ほどよりもよくわかる。硬い感触がその鍛えられた筋肉によるものだったのだと。彼の後頭部が炎色に照らされて飴色に輝く。わたしはぎゅ、と彼の黒い制服を握って、深く沈んでゆく思考を振り払うように頭を振った。今はこの燃え盛る森から逃げ出すことが最優先だ。他のことは後から考えればいい。





| 戻る |