ーーミョウジ家の、ナマエ。
五条悟と名乗る男性はそう呼んだ。確かにわたしはミョウジのナマエだが、そういう言い方をされるのは少々慣れない。それでは、わたし個人ではなく、"その家の生まれ" であることを強調したいようにとれる。
「もう一度聞くけど、本当に覚えてない?」
男性はこてんと首を傾げる。それは以前よりもやや真剣さを帯びる声色で、わたしは少し考え込んだ。指先を弄りながら、先のことを思った。心当たりがないわけではないが、主語がハッキリしていないので何とも言えない。どこから話せばいいのかもわからない。ちらりとその人を見やって、わたしはとりあえず思ったことを口にした。
「昨日のことなら、断片的に……」
「あー、そっか」
男性はくしゃりと髪をかけあげると、なぜか少し申し訳なさそうに「ずっと寝てたもんね」と独りごちた。その様子にぱちぱちと瞬きをすれば、今度はわたしのほうが首を傾げる番だった。このほんの数文字の言葉の中で何を悟ったのか、男性はそうかそうかと呟きながらウンウンと頷いて、そんな様子をぼんやり眺めていれば、男性はそのまま流れるように「君は一週間寝てたんだよ」と言い放った。
「いっ…?!」
「そ。今日は7月の29日」
貴重な夏休みを一週間も無駄にしてしまったというのか。29日ということは、7月は今日含めてあと3日で終わってしまうということだ。そんな。思わず頭を抱えて項垂れれば、隣から「まあまあ」と綿のように軽い慰めが聞こえてきた。
「断片的って詳細にはどこ? 呪霊と接触したのは?」
「じゅ、じゅれ?」
正直に言えば、朝起きたところから既にわたしはおかしかったのではないかと思う。森に行ったことは覚えているが、不可解にも何故そこへ行ったのか、どうして出かけようと思ったのか、全く思い出せない。紛れもなくわたしの意思で行動していたのに。
焦って何か話さなければとかえって混乱して、口を開けたり閉めたりするわたしに、男性は、呆れるでも不満げにするでもなく、「じゃあ、最初から一緒に思い出していこっか」と、優しくわたしを諭した。
その人ーー五条さんの助けを受けながら、あの日の出来事を、一つずつ順に繋ぎ合わせていく。ぽつり、ぽつりと言葉にしてゆけば、頭のどこかで埃をかぶっていたような記憶がより鮮明さを増して蘇ってきて、話せば話すほど、わたしは自分が毒を吐いているような錯覚に陥った。
今までぎゅうと抑えつけていた蓋がふと透明になったみたいに、何かが心から溢れ出して、それが涙となってぽたぽたと零れ落ちていた。ただ、あるところでは、映像としての記憶は残っているにも関わらずその行動に至った動機が自分でも曖昧で、やりきれない思いにこめかみを抑えて考え込んでしまった。
「なるほどね、専ら呪いに関わる部分の行動原理は今の君と別にあったわけだ」
「の、呪い……?」
「そう。よかったね! 今君は晴れて呪霊事件の被害者になったというわけだ」
「なんですか、それ……」
意味がわからないし、よかったという割には、大して良いことでもない気がする。
「まあまあ」
五条さんはヘラヘラと笑いながら、同じ言葉を重ねた。何というか、軽薄な人だ。でも見た目整った容姿をしているから、この人の犠牲になった人は多そうだ。ご愁傷様です。人知れず、あったかも分からない誰かの痛みを嘆いていれば、ようやく気が付いた。記憶が整理されて、気持ちが落ち着いたからだろうか。確か、この声は、わたしが意識を手放す前最後に聞いたものと似ている。ということは
「あのっ、わたしを助けてくれた男の子のこと知ってるんですか」
「ん? 棘のこと?」
身を乗り出して聞いてみれば、五条さんは、さも当たり前のように誰のことか検討がつくらしかった。もっと早く教えて欲しかった、と怒るに怒れないもどかしさを、握りしめた拳に込めてぐっと我慢する。
トゲ、というのが彼の名前なのだろうか。それともあだ名だろうか。わたしのことを助けてくれた男の子。色々あったけれど、全てひっくるめたらこう表現するしかない。わたしをあの場から離れさせようとしてくれたこと、足手まといのわたしをずっと見捨てないでくれたこと、だけど危険な場所へはわたしを置いてひとりで向かってしまったこと。今だから分かる彼の優しさもあった。
怪我をしていないといいのだけれど。記憶の中の彼の姿をもう一度思い浮かべながら悶々と考え込んでいれば、ふと部屋が静かになったなと違和感を覚えて、五条さんのいるほうへと視線をやれば。
「会いたい?」
そこにはニヤニヤと意地悪な笑みを惜しみなく浮かべた五条さんがいて。
じわじわと、顔に熱が集中してゆくのを感じながら、わたしはそれに気がつかないふりをする。何でそんなことを聞くのか、と一生懸命に言葉を詰まらせるわたしの反応を見て、更にニヨニヨと笑みを深めるこの人は、なんだかんだ会ったばかりの中で今この瞬間が一番生き生きとしているようにみえた。
「…………ッ」
会いたい、のは会いたいのだけれど、うまく言葉にできない。こんなに簡単な4文字すら言えない。あ、とか、う、とか口をもごもごさせているうちに、五条さんは言葉を続けた。
「会わせてあげるよ。君が条件を飲んでくれたらね」
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