わたしは待ち合わせ場所である校門へ走る。
この学校の広さと複雑さを甘くみていた。最初に狗巻くんやパンダさんと寮を案内してもらった時にあわせて校内も簡単に説明してもらったのだけれど、あの時は彼らが一緒にいたからあんなにスムーズに回れたのだ。分かっていた。分かっていたはずなのに。だから余裕を持って起きたのに、迷いに迷った挙句結局時間はギリギリになってしまった。
自分の無能さを悔やみつつ、ようやくそれっぽい道に出る。視界の奥の方で狗巻くんらしいその姿を発見した。
急いで走り寄ると、彼はわたしの足音で気が付いたのか、眺めていたスマホから顔を上げた。
「ツナマヨ」
「お待たせ…!」
既に若干の汗をかいてしまっている。パタパタと手扇で扇ぎながら上がった息を整えていれば、狗巻くんはそんなわたしをじっと待ってくれていて非常に申し訳ない。アハハ、ととりあえず愛想笑いで誤魔化しておく。
空気を取り込もうと上下する胸に手を押し当て、深呼吸で息を整えつつ、再びスマホに目を落とす狗巻くんをちらりと見やる。本日は校外に出ることもあり、狗巻くんは制服やスポーツウェアではなくラフな服装だった。落ち着いた色味で揃えられた洋服は、少々見た目が派手な彼に良く似合っていた。
思わず見惚れていると、狗巻くんはスマホに落とした視線を、ちらりとわたしのほうに移動させ、わたしの息が整ったのを確認したのか「すじこ」と言うなり、くるりと踵を返して外の方へ歩き出した。
「うん」
彼の行く少し後ろを着いてゆく。そういえば同年代の男の子と出歩くなんて初めてだ。そう思うと少し緊張してきた。
ふと、灰白色の短髪から覗く狗巻くんのうなじに気がついて、当然ながらわたしのものより太く、ゴツゴツとした骨が浮き出て、意外とがっしりした肩周りに思わずドキリとする。
「……」
どうしよう。お金のことをいつ切り出そうか迷う。しかしお店についてから言うのも遅すぎると思って、勇気を振り絞って今言ってみることにした。
「……狗巻くん、あのね」
「ツナ?」
彼はわたしの弱々しい声に気がつくと、足を止めて振り返る。そんなに優しく返されると、少し居心地が悪い。
いつものネックウォーマーでは夏に浮くのだろう、今日の狗巻くんは口元の模様を隠すために黒いマスクをしている。振り向いた瞬間に、曝け出された首回りと初めて見る喉仏が目がいってしまって、つい視線を逸らしてしまう。初めてのことばかりだからって、意識しすぎだ。落ち着け、わたし。
深呼吸すると、怪訝に眉を顰めた狗巻くんに首を傾げられる。
「…ツナ?」
「あ、えっと、その……あっわたしお金持ってなくて」
慌てて本題を振れば、狗巻くんは、なんだそんなことかと言わんばかりにあっけらかんと答える。
「しゃけ。こんぶ」
「…?」
頭上にハテナを浮かべたわたしに、狗巻くんはぐっと胸を張るとそこにぽんと拳を置いた。そしてコクリと大きく頷く。その顔つきはどことなく凛々しい。
つまり、彼が出してくれるということだろうか。いや、確かにこの状況だとそれしか考えられないし、薄々感じてもいたけれど、会ったばかりの人ましてや同級生にお金を出してもらうなんてあまり気が進まない。
そもそも一学生の彼にわたしの日用品を購入するほどの財力があるとは思えない。いや、そういえばパンダさんが呪術師の給料は良いとか何とか言っていたような……それは学生にも適用されるのだろうか。良いとか悪いとか、バイトもしたことがないからそもそも相場がよく分からない。
あ、もしかしたら学校側からお金を預かっているとか。
「学校からお金もらってるの?」
「おかか」
「えっ」
「すじこ、こんぶ」
「じゃあ、とりあえず今日は狗巻くんが肩代わりしてくれるってこと…?」
「……おかか」
狗巻くんは口元に手を当てて考え込んでいた。なんだか、思いがけなく頭を使わせてしまって申し訳ない。彼の考えが纏まるまでじっと黙っていると、狗巻くんはおもむろにポケットからスマホを取り出した。そこへさっと文字を打つと、わたしに画面を見せる。
『おごる』
おごっ…!
思わず彼とスマホを交互に見やれば、狗巻くんはふっと小さく笑いをこぼして何でもないようにスマホを仕舞った。
そんな。買い物の量がどれくらいになるかわたしにも分からないのに。しかしここで拒否したところで、じゃあどうするのという話。
ここは狗巻くんの底の見えない懐の深さに、わたしは甘えるしかないのだった。
「面目ないです……」
「こんぶ。めんたいこ」
狗巻くんは目を細めて、満足げに笑っていた。その笑顔がなんだか眩しくて。
自分のことではないのにそんなに嬉しそうにされると、なんだかくすぐったくて、だけどちょっと泣きたくなって、ぎゅっと胸を締め付けられたような変な気分になった。
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