「ジャーン!」
深夜の薄気味悪いトンネルを背景に、これ見よがしに満面の笑みで万歳をする五条さんを、教師だと言い当てられる人がこの地球上に果たしてどれほど存在するだろうか。よくて怖い物好きの大学生である。
「…めんたいこ」
「何ですか…こんな所に連れてきて」
ぶるりと震えて、わたしは制服の腕をさすった。国道のど真ん中。閉鎖中のロープを抜けて、わたし達はここへやってきた。
夏夜なのに、何だか妙に寒気がするのはきっと気のせいではない。眼鏡をきゅっと押し上げて、わたし達をここまで送ってくれた伊地知さんが五条さんの代わりに説明してくれた。
「ここはちょっとした心霊スポットでして。ここで二級相当の呪霊を見たという通報が窓から寄せられましたので、急遽狗巻二級呪術師に任務依頼しました」
なるほど。
「わたしは…?」
「君は見学だよ!」
五条さんがひょっこりと割り込んできた。社会科見学みたいなもんだよ! と意気揚々としている五条さんをシラと見つめる。元気なのはこの中で五条さんだけだ。
ツンツンと肩を叩かれて何だろうと振り返ると、いつになく真剣な様子の狗巻くんが詰め寄ってきて、無意識に引き腰になった両腕をガシリと掴まれる。一瞬どきりとしてしまったのは不可抗力だ。
「ツナ。すじこ。しゃけ?」
「え、ごめん。分からない」
何かすごく念を押されたのは分かった。けれど、申し訳ないがまだ複雑な意思疎通はわたしにはできない。
彼は直ぐにスラックスの後ろポケットからスマホを取り出せば、光の速さで文字を打つ。指先に全く目が追いつかなかった。
「絶対に前に出ないで…?」
見せられた画面にはそう書かれてあった。
画面の後ろから紫の瞳にじとりと覗き込まれ、もう一度低い声で「しゃけ?」と念を押される。きっとわかったかどうか尋ねられているのだろうけれど、答えは一つしか用意されていないような。しかし狗巻くんのその圧力に耐えられなくて、わたしの口は勝手に「…しゃけ」と動いていた。
補助監督の伊地知さんは車の側で待っているらしく、現場周辺にはわたしと狗巻くんの二人で向かうことになった。
五条さんは本当に付き添いできただけらしく、現場に向かうため背を向けるわたし達を伊地知さんと見送ると、いつの間にか居なくなっていた。
重なり合う二人の足音が、オレンジの明かりに染まるコンクリートに反響している。
「……」
わたしの少し先を進む狗巻くんをちらりと見つめた。警戒しているのだろうか、狗巻くんの歩調はいつもより遅いような気がした。
正直にいうと、彼らの担う任務というものが、どんなものなのか興味があった。狗巻くんは今までにも何度か任務で校内に居ないことがあって、その度に一人で暇を持て余していたから。パンダさんや真希さん、乙骨くんと知り合ってからは、そんなことも無くなってきたのだけれど。
ぽた、とどこからか垂れてきた雫の落ちる音がした。
変に過敏になっているのかそんな些細な音にもびくついてしまって、気を紛らわしたくて心なし小さな声で狗巻くんに話しかける。
「……静かだね」
「しゃけ」
「……怖くない?」
「おかか……ツナ?」
視界の端で狗巻くんの足が止まる。顔を上げると、彼と目が合う。少しだけ眉を顰めて、心配の色を孕んだような表情に、わたしは笑って大丈夫だよ、と返した。
彼には任務に専念してもらわなければ。
わたしが足手纏いになることは絶対に避けたい。
確か、二級の呪霊だっただろうか。狗巻くんの等級が二級だから、呪霊は彼よりも格下だ。車の中で伊地知さんにしてもらった説明を思い出しながら、わたしは重たい頭を働かせる。
「ツナ? こんぶ?」
「…心配してくれてるの?」
狗巻くんの手がそっとわたしの頬を包み込む。彼の親指がわたしの目の下あたりをなぞっていた。涙なんて出ていないのに。ゆら、と揺れているのは彼か、それともわたしか。
狗巻くんは優しい。
そんな風に接されると勘違いしそうになる。
ふうと息をつくと息が白く色づいた。
「しゃけ、すじこ」
「優しいね…」
早く終わらせたいだろうに、彼は進む足を止めてまでわたしを気にかけてくれている。しかし狗巻くんは呪霊を祓いにここまでやってきたのだ。わたしの心配ばかりをかけさせるわけにはいかない。
わたしは彼の手をそっと離した。
この先にどんな呪霊が待ち構えているというのだろう。こんなに静かで誰も来ないような厚いコンクリートに囲まれて、ずっと一人でいるのはどんなにか寂しいのだろう。
ふと、カツンカツンと鳴り響く足音が一人分減っていることに気がついて、振り向けば、狗巻くんが少し後ろで立ち止まっていた。
狗巻くんの月色の髪の毛がオレンジ色に染まっている。
彼はネックウォーマーに顔を埋めていて、その表情は窺えない。どうしたのだろうか。なんだか変な感じがするな、と違和感を覚えて、あ、と気が付いた。狗巻くんがわたしの後ろにいるのが珍しいのだ。
俯いていた視線がゆったりと持ち上がる。それに捕らわれた時、すっと背筋が凍りつく。彼の目は据わっていた。感情が読めない。思考回路は遮断されながらも、脳内の遠くの方では危険信号が鳴り響いていた。
彼は一歩ずつこちらへ近づいてくる。口元のジッパーをゆっくりと下げながら、そこに刻まれた自分の模様を見せつけるように。
まるで蛇に睨まれた蛙の気分だった。
じり、と後ずさるも、混乱した状態では逃げるに逃げられなくて。成す術なく距離を縮められたかと思えば、また、そっと彼に頬を包まれた。思ったよりも優しい手つきに驚いて強張っていた力が抜ける。しかし、それを待っていたかのようにぐいと強く顎を持ち上げられれば、目の前の彼と顔を突き合わせられる。
ほんのりと赤く染められた頬。苦しそうに顰められる眉。熱い吐息の漏れる口から、ちらりと彼の舌が覗く。そこに、口端から伸びるそれと同様の黒い印があることを、わたしは今初めて知った。
「いっ、いぬま、きくん」
腰に手が回されて、更に体が押しつけられる。普通ではない、まるで欲情した様子をさまざまと見せつけられて、こんな状況にも関わらずカッと顔に熱が集中する。瞳孔の開いた彼の深みを増した紫の瞳が大きくゆらりと揺れると、それはゆっくりと伏せられて。わたしは、妖艶な彼の、その様子に息を飲む。
「ーーーナマエ」
前 | 戻る | 次