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そして滑らかな刺を吐くのだ

春香と名乗った女の子にぐいぐいと強引に手を引かれ、私たちが連れて来られたのは街の外れにある屋敷だった。

「あの、ここは……」

「私の家だ」

「どうして急に……」

部屋の隅でファイさんから手当てを受けていた私は小さく「えっ」と呟き、思わず私の腕に包帯を巻いている途中だったファイさんと顔を見合わせて首を傾げる。彼女の、家?

連れて来られた家は民家というよりは屋敷に近かった。荒れてはいるが広い庭や、長い間使われていないとすぐに分かる部屋がいくつも存在し、先程「座れ」と促された先のどうやら居間と思しき大部屋には、このぐらいの年齢の女の子が持つには似つかわしくない化粧道具や雑貨品たちが散らばるように置いてある。……まだ10歳を越えるかどうかという歳頃の女の子がひとりで住むには、明らかに不自然な豪邸だった。

「おまえたち、何か言うことはないか?」

「え? え?」

年端も行かぬ女の子にいきなり自宅に連行され、言うことはないかと問い詰められた当人である小狼君は状況を把握しかねているのかしきりに首を傾げている。

「ないか!?」

「いや、あの……おれたちはこの国に来たばかりで、君とも会ったばかりだし……」

「本当にないのか!?」

ぐいぐいと問い詰めるようににじり寄られ、小狼君は可哀想なぐらい困惑しきっている。その隣に座るサクラ姫は、あれだけの目に遭ってまだ眠気が抜けないのかしきりに目をこすって舟を漕いでいた。やはり羽根が2枚戻った程度では、まだ本調子とはいかないようだ。

「よく考えたら、こんな子供が暗行御吏アメンオサなわけないな……」

「「あめんおさ?」」

聞き慣れない単語に反応したサクラ姫と私の問いが重なる。それに「知らないってことは、本当に違うんだな……」と悄然と俯きながらも春香ちゃんは暗行御吏について説明してくれた。

暗行御吏は、それぞれの地域を治めている領主たちが私利私欲に溺れてないか、民衆たちに圧政を強いてないか監視する役目を負っている特殊な役人たちのことを指すらしい。高麗国の中央政府から不定期で派遣され、この街――蓮姫のみならずさまざまな街や地域を隠密として見回り、あまりに無体な働きをする領主は調査して証拠を掴んだあと捕縛し、しかるべき司法機関に連行するなどの役割も与えられているのだそうだ。どうやら春香ちゃんは私たちがあまりに見慣れない格好をしていたため、その暗行御吏とやらと勘違いしてしまったらしい。

分かりやすく言うなら水戸黄門かと納得していると、小狼君の傍で話を聞いていたモコナも同じことを考えていたらしく「水戸黄門だー!」とはしゃいでいるのが見えた。この世界ではモコナのような生き物は珍しいらしく、春香ちゃんは驚いたような表情でモコナを見ながら首を傾げている。

「手当て、終わったよー。あくまで応急処置だから、しばらくは無理に動かしたら駄目だからねー」

「ありがとうございます、ファイさん。助かりました……」

状況把握のために春香ちゃんがこの街について説明してくれている間に、ファイさんは私の腕にぐるぐると包帯を巻いて手当てをしてくれていた。白く清潔な包帯はきっちりと巻かれており、ファイさんがこの手の治療行為に手慣れているのだと暗に示している。

「この家に治療器具があって助かったよー。――オレ、今は魔法そのものも使えないけど、その中でも治癒魔法は本当にからっきしだからねぇ」

「そうなんですか?」

「魔法を使って誰かを傷付けたり何かを壊したりするのは、昔から得意なんだけどね。――逆に言うと、それしか能がないっていうか」

最後にぼそりと呟いたファイさんの言葉は私にしか聞こえなかったと思っていたが、すぐ傍で阪神共和国で購入した雑誌を読んでいた黒鋼さんにも聞こえたようで、鋭い視線をファイさんに向けている。……もしかしたら、ファイさんはその魔法を使って大切な誰かや何かを傷付けたり壊したりしてしまったことがあるのかもしれない。ふとそう思ってしまうぐらい、普段明るいファイさんの表情には暗い影が差していた。

「……おい、」

「――で、オレたちをその暗行御吏だと思ったのかな。えっと……」

「春香」

その先に言及しようとした黒鋼さんの言葉を断ち切るように、ファイさんは春香ちゃんに話を振った。彼女の話を聞いていた小狼君とサクラ姫はファイさんが状況を一言でまとめたように思っただろうが、実際は違う。この話はこれで終わりだ、これ以上訊いてくれるなと黒鋼さんに対して暗に牽制しているのだ。

ちっと忌々しげに舌打ちする黒鋼さんと、いつもの柔らかな笑顔を取り戻したファイさんの視線が交錯し不穏な空気が流れるが、それは本当に一瞬の出来事で、そのあとすぐに始まった緩い自己紹介で緊迫した空気は流されてしまった。

「オレはファイ。で、こっちが小狼君。こっちがサクラちゃんで、この子が未侑ちゃん。……あと、これが黒ぷーね」

「黒鋼だ! つーかこれ≠ニか言うんじゃねぇ!!」

先程の意趣返しだと言いたいのか、ファイさんによる黒鋼さんの紹介はいかにもとってつけたような非常に素っ気ないものだった。しかも語尾には聞くひとが聞けば分かる嫌味っぽさのようなものが滲んでいる上にこれ′トばわりまでされている。……ファイさんって、実は結構いじめっ子気質というか、根に持つタイプなのかな。

「つまり、その暗行御吏が来て欲しいぐらいここの領主は良くない奴なのかな?」

「最低だ!」

ファイさんの問いに間髪入れず即答した春香ちゃんの表情は、悔しさと悲しみに彩られていた。聞けば先程春香ちゃんと口論していたあの男は、秘術師である――私にはファイさんが名乗っている魔術師といまいち判別がつかない――ここの領主の息子だそうで、自分や父親の地位を笠に着た上に、秘術という不思議な術を使って街全体を掌握し、民衆たちから法外なまでの税を搾り取って自分たちだけ贅沢な生活を送ったり老人や女子供といった弱い立場の人々に理由もなく暴力をふるったりと筆舌に尽くしがたい暴政を敷いているらしい。

おかげで彼らがやって来るまではほかの街と同じように賑やかで活気に溢れていたこの蓮姫の街も領主たちの暴虐の被害を被ってすっかり廃れ、街に住む人々は生きる気力を失い、日々領主やその息子の折檻に怯えるだけの毎日を送っているのだという。

……なるほど。この街に着いたとき、前の阪神共和国の街や人々が明るく賑やかな雰囲気だったということもあってやけに行き交う人々の表情が暗く見えたが、あれは気のせいではなくこれが原因だったということか。

「それにあいつ、母さんオモニを……」

「オモニ?」

私の問いに答えはなかった。春香ちゃんが再度口を開く前に突如響いた轟音が声を掻き消したのだ。

「な、何!?」

「外に出ちゃだめだ!」

思わず立ち上がろうとした私を、春香ちゃんの悲鳴じみた制止がその場に縫い止める。木造の床がガタガタと地震でも起きたかのように横に揺れ、居間のみならず屋敷全体が不穏な音を立てて軋みをあげたかと思うと次の瞬間窓が木片と化して木っ端微塵に破壊され、そこから尋常でない強さの暴風が吹き込んできた。まるで屋敷全体が竜巻の中にいるようだ。

「や、やば……!」

そして私は先程の治療で左腕を固定されているせいで上手くバランスが取れず立ち上がれない。慌てて手近な家具に掴まろうと右腕を伸ばすが、それも暴風に巻き込まれて空高く舞い上がっていってしまった。思わず血の気が引く。

「ちっ! おい小娘、てめぇ両腕揃って駄目にしてぇのか!」

あわや竜巻に巻き込まれるかというところで私の身体を無理矢理引き戻したのは黒鋼さんだった。私の制服の襟を掴んで強制的にこちらに引き戻し、抱きすくめる形で盾になってくれている。これが普通なら恥ずかしさで顔を赤くしていたかもしれないが、あと数秒黒鋼さんが遅ければ竜巻に巻き込まれて全身バラバラだった私は、震えながら彼の腕に掴まり身を縮めて自然の暴力が収まるのを待つしかできなかった。

永遠にも思えるほど長く感じた聴覚の蹂躙は唐突に終わりを告げた。まるですっぱりと切り離されたかのように暴風は止み、あとには見るも無惨なまでに破壊された屋敷や家具、かろうじて無事だった私たちが残される。サクラ姫は小狼君が、モコナはファイさんが掴まえていたおかげでことなきを得たらしい。

「あ、ありがとうございます……」

ようやく風が収まったのを確認し、黒鋼さんから離れる。黒鋼さんは情けないとでも言わんばかりに再度舌打ちし、無言で私を解放してくれた。……本当に情けないことに脳は今更恐怖を認識したらしく、身体全体がガクガクと震えている。

……怖かった。あんな思いをしたのははじめてだった。あの領主の息子に絞めあげられたときも、今も。

――本当に、死んでしまうかと思った。

その傍らでファイさんが眉を寄せながら晴れ渡った青空を振り仰ぐ。目が眩むほどの青空は雨が降るどころか雲の欠片も見せていないし、何よりこの屋敷以外のほかの家屋はまったく被害を受けていないのがその証拠だ。……これが先程春香ちゃんが言っていた秘術とやらなのだろうか。

「……自然の風じゃないね、今の」

魔法が使えないとはいえファイさんは魔術師――この国でいうところの秘術師に近い存在だ。阪神共和国でも直感的に羽根の能力について理解していたようだし、こうした超常の力を用いた現象には人一倍聡いのかもしれない。

「領主だ! あいつがやったんだ!!」

青空の下、春香ちゃんの絶叫が響く。燦々と降り注ぐ日差しが、なぜか彼女を嘲笑っているように見えた。

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