麗しき女神は魔女なる者か
私の課題に続く形で春香ちゃんの屋敷の修理もこれで雨風は凌げるだろうという段階まで終了し、手持ち無沙汰になっていた私たち3人は、どうやら高麗国で浸透しているらしいボードゲームの一種らしきもので遊んでいた。といっても私はこの手の頭を使う遊びは苦手なので、黒鋼さんとファイさんの対局をぼーっと眺めているだけだ。
白黒2種類の石を使う陣取りじみた遊びというのは私の世界にある囲碁と似ているが、使用する板は碁盤ではなく、奇妙な曲線で3つに区切られた六角形のボードだ。ちなみにふたりとも先程から何回か対局しているがどれもファイさんの連戦連勝で、黒鋼さんは目に見えて苛々しながら額に青筋を浮かべている。……どうやら黒鋼さん、私と同じでこの手のゲームは苦手らしい。
「未侑ちゃんもやるー?」
「あ、いえ。私はこういうのあんまり得意じゃないんで……」
「見てるだけで面白いんで結構です」と断ると、話を聞いていない黒鋼さんが横から「じゃあ小娘、次は俺とやれ」と誘いをかけてくる。ニヤニヤとした表情から察するに、どうやら私になら勝てると踏んだらしい。くそっ、言葉にはされてないけどなんか凄い馬鹿にされてる気がする。
「女の子を苛めるなんて、黒ぷーは非紳士的だねぇ」
「だから黒鋼だっつーの! つーかヒシンシテキって何だよ」
紳士≠ニいう言葉に馴染みがないのか首を傾げる黒鋼さんにファイさんが「つまり礼儀がなってないってことだよー」と煽るように返すと、またいつものコントじみた口論が始まってしまう。もう私も慣れたもので、また黒鋼さんが上手いこと言いくるめられて終わるんだろうと見切りをつけ、そろそろ探索に出た小狼君たちが帰ってくる時間だなあなどと思考を巡らせながらふたりの口論をBGMにお茶の用意を始めていた。
そうやって3人で騒いでいる間に時間は過ぎ、玄関の扉が開く音でふたりの口論も中断される。どうやら小狼君たちが帰ってきたらしい。
「おかえりー。どうだった? 何か――……あったみたいだね」
「ちょっと小狼君、大丈夫!?」
サクラ姫に支えられる形で帰宅した小狼君は、あちこちに擦り傷や切り傷を負っていた。いちばん酷いのは頭部で、彼の柔らかな栗毛を赤黒く濡らすほどに出血している。素人目にも今すぐ治療が必要だと分かるほどの負傷だった。案内役も兼ねて同行していた春香ちゃんもがっくりと項垂れており、その表情は明らかに暗い。
難儀そうに小狼君を支えるサクラ姫からバトンタッチしてもらい、彼を部屋の端まで連れていく。歳下とはいえさすがは男性というべきか、鍛えているのもあって10代にしては逞しい体格の彼を支えて歩くのは少々大変だったが、あのままサクラ姫に抱えさせるよりはまだマシな筈だ。
特に頭部の失血が辛いのかやや息の荒い小狼君を壁に凭れさせ、春香ちゃんから同意を得て治療器具を借り、サクラ姫とふたりで小狼君の治療を開始する。
話を聞けば、街で昨日と同じくまた領主の息子に遭遇したらしい。例によって民衆に横暴な振る舞いをしていたようで、生来のお人好しもあって見るに見かねた小狼君が助けに入り息子を物理的に黙らせたのはいいが、どこで見ていたのか父親の領主が件の風≠ナ小狼君を攻撃し、ここまで傷を負ってしまったのだという。
「しかし、そこまでやられてなんで今の領主をやっちまわねぇんだ」
一通り話を聞いたあと、いちばん最初に口を開いたのは黒鋼さんだった。さっきから心ここに在らずといった具合でひたすら碁石を指先で弄んでいたが、話そのものはきっちり聞いていたらしい。
「やっつけようとした! 何度も何度も! でも、領主には指一本触れられないんだ! 領主が住んでいる城には秘術が施してあって、誰も近寄れない!」
今の領主が来て最初のうちは、あまりの暴虐に耐えかねて民衆たちも彼の住む城まで抗議に出かけたり、一揆や暴動を起こしたりしてどうにかしようと奮闘していたのだという。しかし、領主の城にはどんな秘術を使ったのか非常に強力な結界が張られており、秘術の知識に乏しい民衆たちや春香ちゃんが相手ではとても突破できない。
更に、自分たちに歯向かった民衆は領主が特定し、見せしめとして折檻を行ったり殺害したりと非情な行為を働き、そのうちしっぺ返しと言うにはあまりにも残虐な報復を恐れて誰も彼も抵抗する気力を失ってしまったのだ。唯一果敢にも領主親子に立ち向かった春香ちゃんの母親も、その見せしめの一例として惨たらしく殺されてしまったのだという。……彼女と領主親子の確執はこれが原因だったらしい。
「なるほどー、それがモコナが感じた不思議な力≠ゥー」
「不思議な力がいっぱいで、羽根の波動よく分からないの」
私の膝の上でこくこくと頷くモコナは、役に立てないのが心苦しいのかしょんぼりと項垂れている。気にするなと彼女の頭を撫でてやればモコナは「ありがと」と礼を言ってくれたが、その声色にいつもの溌剌とした快活さは見当たらない。
おそらくだが、モコナの言う「不思議な力」とは領主の行使している秘術の力のことだ。これがモコナの探知能力を阻害しているせいで、彼女も上手く羽根の気配を辿れないのだろう。こればかりはどうしようもない話だ。
「あの息子の方はどうなの? 人質にとっちゃうとかさー」
「ファ、ファイさん……」
「……おまえ、今さらっと黒いこと言ったな」
はーいと挙手したファイさんがいつもの調子で提案するが、その内容はなんというか、かなり腹黒い。普段はにこにこしてるファイさんだが、意外とというか、結構強かなおひとらしい。
「だめだ! 秘術で領主は蓮姫の町中を見張ってる! 息子に何かしたら……!」
「昨日とか、今日の小狼君みたいに秘術で攻撃されちゃうかー」
うーん、と揃って頭を抱えて考え込む。
……あ。
「……春香ちゃん。領主親子って、去年から急に強くなったって昨日言ってたよね?」
「……? あ、あぁ」
がっくりと項垂れていた春香ちゃんの服の裾を引っ張って確認する。
最初に領主の息子から私たちを助けてくれたとき、春香ちゃんはこう言っていた。
「領主といっても、1年前までは流れの秘術師だっただろう」
ふむ、と思考を巡らせてみる。
秘術師という存在が、ファイさんが生業にしている魔術師と似たような存在であるならば。私が覚えている知識が間違っていなければ、一朝一夕に力が強くなることなどありえない。魔力というのは天性の才能であり、それを伸ばすには勉強やスポーツと同じように練習や修練という名の量≠こなす必要がある。だというのに領主親子はその過程をすっ飛ばして、普通ならありえない力の伸び具合を見せた。まるでドーピングだ。一介の秘術師でしかなかった彼らが、そう簡単に広範囲に結界を張り巡らせ、高名な秘術師だった春香ちゃんの母親を斃せるほどの力を得られるか。否、ここはやはり外部から何らかの力の影響を受けていると考えるのが自然だ。
「……サクラちゃんの羽根に関係ないかなぁ」
「やっぱりそう思います?」
隣で難しい顔をしていたファイさんも、同じことを考えていたらしい。
「辻褄が合わねぇだろうが。記憶の羽根とやらが飛び散ったのは、つい最近の話だろ」
黒鋼さんの指摘は尤もだ。小狼君がいた国で姫の羽根が飛び散ったのは、体感時間ではほんの数日前の出来事である。しかし、私たちが感じているこの時間が別の次元でも同じように流れているとは限らないとしたら。
「次元が違うんだから、時間の流れも違うのかも」
「この次元での1年が別の次元ではほんの数日だったり、また別の次元では数日前に起きた出来事がこの次元では何年も前の出来事だったりとか、そういうのがありえるんじゃないか……ってことです?」
「そうそう」
「そんな感じー」とファイさんは笑って肯定してくれるが……うーん、まるで浦島太郎にでもなった気分だ。というか、その理屈が通るとすると私ものんびりしていられないような。元の世界に戻ったのはいいが、帰ってきてみればそこは100年後の世界でした、なんてことだって充分ありえるのだ。
――やめよう、今考えることじゃない。
思考を切り替える。今大切なのはサクラ姫の羽根のことだ。
結論がまとまる前に、話を聞いた小狼君はすっと立ち上がった。領主の所に直接乗り込んで、本当に羽根の力によるものなのか確認してくるつもりなのか。
「確かめてきます。その領主の下に羽根があるのか」
正義感が強くお人好しな彼のことだ、領主の圧政に苦しんでいる街の人々を黙って見ているだけというのはできない質だろう。それが羽根の力の仕業という可能性が出てきたならば尚更だ。羽根の影響ならば、どの道領主親子との衝突は避けられないだろう。羽根を渡してくれと言って、阪神共和国の正義君のように分かりましたとあっさり譲ってくれるような人間ではないのは明らかだ。もし羽根が関係していないのなら――まぁ、無駄骨にはなるが善行ではあるだろう。世直しというやつだ。
「待って!」
そうと決まれば善は急げと言わんばかりに支度を始めようと立ち上がった小狼君を引き止めたのは、先程まで彼の手当てに精を出していたサクラ姫だった。まだ自我が曖昧なのもあってこれまで自己主張をほとんどしてこなかった彼女がここまで声をあげるという事態は珍しく、皆の視線が一斉に彼女に集まる。
「小狼君、怪我してるのに……」
小狼君の服の袖を引き、サクラ姫はなんとか彼を思い留まらせようと必死に言い募っている。それもそうか、今の彼女にとっては知らないひととはいえ目の前で大怪我を負ったひとが再び危険な場所に赴こうと言うのだ。しかも自分のために。加えて先程の怪我もまだ治りきっていない。心配なのも当然だろう。
「平気です」
「でも……」
「大丈夫です、羽根がもしあったら取り戻してきます」
彼女を安心させようと小狼君は柔和な笑みを浮かべているが、相変わらずサクラ姫は心配そうな表情を崩さない。それでも言っても聞かないことは悟ったのか、名残惜しげに彼から手を離した。
「ちょっと待ってー」
会話が一段落したところで、ファイさんが挙手して間に入る。怪訝そうな顔を向ける小狼君に、ファイさんは止めるワケじゃないからと笑って「でもね」と続けた。
「あの領主の秘術、結構凄いものみたいだからねぇ。ただ行っただけじゃ無理でしょう。せめて、城の入り口にかかってる術だけでも破らないと」
「おまえ、なんとかできるのかよ」
いかにも秘策有りといった表情で語るファイさんに黒鋼さんをはじめ周囲の視線が集まるが――、
「無理」
眩いばかりの笑顔で即答される。そ、そうだった……今のファイさんは侑子さんに魔力の素を対価として渡してるから、魔法は使えないんだった……。
「いかにも策あり気な顔で言うな――!」と黒鋼さんから凄まじい野次が飛ばされるが、ファイさんは涼しい顔だ。一方、話を聞いていたモコナは「侑子に訊いてみよう!」と私の膝の上から跳び降りてしまった。
「侑子さんに……?」
侑子さん――次元の魔女と呼ばれる彼女は、こことは全く違う次元に存在するあの店≠ノいる筈だ。なのに意志の疎通を図ることなどできるのだろうか。
ひょいと跳び降りたモコナの額に埋め込まれている赤い宝石が眩い光を発する。スポットライトのように照らし出された光は点を結んで鏡像を作り出し、暫く待つとそこに見覚えのある後ろ姿が現れた。あれは――、
『あら、モコナ。どうしたの?』
私たちに次元を渡る術を与えた張本人――次元の魔女こと壱原侑子さんそのひとだった。
「喋った――!」
モコナのような生き物に馴染みのない春香ちゃんは勿論、小狼君やサクラ姫といった面々もこれにはさすがに度肝を抜かれたらしく、目を真ん丸にして呆然としている。唯一びっくりしていないのは「本当にモコナは便利なんだねー」といつものように笑顔を浮かべているファイさんぐらいだ。かくいう私もこれがどういう仕組みで成り立っているのかさっぱり分からず、目を白黒させている。
そういえば最初に店≠ノ来たとき、黒い方のモコナで次元移動すると言った黒鋼さんに対して侑子さんは「こっちは通信専用」と返していた。あの黒いモコナが何か中継機のような役割を果たしているのかもしれない。しかし、次元移動ができて羽根の気配も分かって、翻訳機の代わりにもなって――あとで聞いた話だが、阪神共和国でモコナがさらわれたときは互いに言葉が通じず男性陣は随分難儀したらしい――次元間の通信も可能とはまさにモコナ様々である。正直、彼女がいなければ旅が続けられないレベルの貢献度ではなかろうか。
とりあえず相談してみようと小狼君を中心に侑子さんに事情を説明してみる。ファイさんが魔法を使えない以上、正直こちらも八方塞がりなのだ。
『――なるほど、その秘術とやらを破って城に入りたいと』
一通り事情を説明すると、侑子さんは考え込むように目を伏せ「でも」と言葉を紡いだ。
『あたしに頼まなくても、ファイは魔法使えるでしょう?』
「えっ」
隣に立つファイさんに思わず視線を寄越す。彼が次元を渡る際に対価として渡した、あの翼を広げた鳥のような形をした刺青――あれが彼の魔力の素ではなかったのか。
『あたしが対価として貰った刺青は魔力を抑えるための魔法の素=B――あなたの魔力そのものではないわ』
一瞬、痛いところを突かれたと言わんばかりにファイさんの笑顔が強張った――ように見えた。それでも数瞬あとにはいつもの
暫く気まずい沈黙が続いたが、侑子さんは結局秘術破りへの協力を承諾してくれた。さて、彼女から協力を取りつけた以上、何か対価が必要なのだが――。
「これでどうですかー? 魔法具ですけど、使わないし」
よいしょ、とファイさんが持ってきたのは壁に立て掛けてあった彼の杖だった。彼が最初に店≠訪れたときにも持っていた、青い水晶のような宝石と上品な意匠が特徴的なあの杖である。
「いいんですか? 何か大切なものなんじゃ……」
「いいのいいの。オレは杖がなくても構わないしねー」
思わず引き止めるが「だから大丈夫だよー」といつもの笑顔でかわされてしまった。それは杖がなくてもどうせ魔法は使わないから大丈夫≠ネのか、それとも杖がなくても魔法を使うことができるから大丈夫≠ネのか。どちらの意味でとるべきか判断しかねたが、考え込んでいる間にも話し合いは進み、結局対価はファイさんの魔法具ということで決定してしまった。
『……いいでしょう、モコナに渡して』
ぱかっと大きく口を開いたモコナの中に、ファイさんが杖を向ける。すると杖はまるで吸い込まれるようにモコナの中に入っていき、みるみるうちにどこかに消えてしまった。喉に詰まらないか非常に心配になる光景だったが、魔法具の転送はこれで完了したらしい。
通信が途切れ、杖の代わりにモコナの口から吐き出されるようにして送られてきたのは、ちょうど小狼君の掌にすっぽり収まるぐらいの黒い球体だった。何やら見るからに禍々しいオーラを発しているが……。
「これが、秘術を破るもの……」
――うーん、本当に大丈夫なのかな。