まだ勇気がいるらしい
「嫌だ!!」
晴天の下、怒号じみた拒絶が響く。隣家にまで伝わりかねないそれは春香ちゃんのもので、屋根に止まっていた鳥たちも驚いたように飛び去っていってしまっていた。
城を守る秘術への対抗手段も得たところで、協議の結果男性陣とモコナで領主の城に乗り込み、私とサクラ姫は屋敷に残ることになったのだが――ここでひとつ問題が発生してしまった。
春香ちゃんだ。
「私も領主の所へ行く!」
先程から自分も領主の所に行く、母親の仇を取るとその一点張りで、小狼君たちに縋りついたまま動こうとしないのだ。
「領主の城には秘術が施してあるしね。危険だよー」
順当に考えて、城の周囲に張り巡らされた認識阻害の秘術のみならず、侵入者が来たときのことも考えて内部にも何かしらの秘術、あるいは仕掛けが複数施してあると見るのが普通だろう。そうなれば、未だ有効な戦闘手段を持たない私やサクラ姫は単なる足手まといになってしまう。私たちが屋敷に残ることになったのはこれが理由なのだが……まあ、春香ちゃんにはまた別に理由があると思うんだけどなぁ。
「承知の上だ! 一緒に行く!!」
「んー、困ったなぁ」
ファイさんが宥めるように春香ちゃんを引き離そうとするが、当の彼女は梃子でもその場から動こうとしない。この歳頃の子供の相手は苦手なのか、彼の特徴であるいつもの柔和な笑顔の中にも若干困惑が滲んでいた。助けを求めるようにファイさんが黒鋼さんに視線を寄越すが、黒鋼さんも同じタイプのようで「俺ぁガキの説得はできねぇからな」とすげなく断られてしまっていた。いよいよファイさんが困り果てたように柳眉を下げる。
「ね、春香ちゃん。悪いこと言わないから、私たちと一緒にお家で留守番してようか」
「わたしと未侑さんと一緒に、待ってよう……?」
春香ちゃんの視線に合わせてしゃがみ、爪が食い込むほどに強く握られた春香ちゃんの掌を傷付けないように気遣いながら包む私と優しく春香ちゃんの肩を抱くサクラ姫とでなんとか説得を試みるが、しかし彼女は頑として譲らない。
「行って領主を倒す! 母さんのカタキをとるんだ!! 絶対一緒に行くからな! いいだろ!? 小狼!!」
目に涙を溜めて必死に追い縋る春香ちゃんに対し、小狼君の表情は俯いているせいでよく分からない。
……気持ちは、なんとなく想像できる。私だって元の世界で待たせているお父さんやお母さんが死んで、しかもそれが誰かに殺されたせいだとしたら、きっとふたりを殺したひとが憎いだろう。ひょっとしたら復讐したいとも思う……かもしれない。でもそれはそのときにならないと分からないし、あくまでも想像できる≠ニいうだけの話だ。
――あれ? でも、私の両親はどんな名前で、どんな顔をしていて、どんなひとだったんだろう。
春香ちゃんの怒りや悲しみ、憎しみ――今まで彼女が味わってきた苦しみは、今までお母さんと過ごしてきた年月ゆえのものだ。きっと愛情いっぱいに育てられてきたんだろう。だから、その思い出も含めて彼女の感情は彼女だけのものだ。私を含めて余人が勝手に外野から「彼女は今こんな気持ちなんだ」と決めつけていいものではないし、分かったような顔をして同情するのも何だか違う気がした。だからひたすらここで待っていようと繰り返すだけで、口が裂けても「気持ちは分かるけど」とかそんな台詞は吐けなかった。
「だめです。ここでサクラ姫と未侑さんと一緒に待っていてください。……未侑さん、ふたりをよろしく頼みます」
縋りつく春香ちゃんを突き放すように小狼君は彼女の手を振りほどき、そのまま何も言わずに屋敷を出ていってしまった。愕然とした表情で春香ちゃんが崩れ落ちる。地面にぽたぽたと彼女の悔し涙がこぼれ落ちた。
「私が子供で、大した秘術も使えなくて……足手まといだからか」
「……違うと思う」
そんな春香ちゃんに寄り添うようにして彼女を包み込んでいたのは、サクラ姫だった。……彼女は優しい。きっと記憶をなくす前から、そういうひとだったんだろう。私も若干戸惑いつつ、しゃがみこんだままあやすように春香ちゃんの頭を撫でている。
――私も、頑張らないと。
戦闘能力のある男性陣が揃って抜けてしまった以上、もしこの屋敷に何かあったときふたりを守るために動けるのは私だけだ。会ったことも会話をしたこともないが、伝え聞く話だけで領主の性格は察しがつく。何せ無力な女子供にも躊躇なく手をあげるような性根の人間だ。脅威となる面子が不在の今、相手が気に食わなかった春香ちゃんであるのも手伝ってここぞとばかりに配下をけしかけて屋敷に攻め込んでくる可能性だって決して低くはない。最後に小狼君が私に念押しして行ったのも、そのあたりを想定してのことだったんだろう。
……つまり、自分たちが不在の間ふたりを守り抜けと――私は任されたのだ。大役である。
私と姫のふたりで、悄然としている春香ちゃんを支えるようにして屋敷に戻る。大部屋の奥で嗚咽を漏らす春香ちゃんに寄り添うようにして慰めているサクラ姫に内心見守るような気分を覚えつつ、思考を徐々に切り替えていく。
勉強に使っていた筆を墨で濡らし、神経を研ぎ澄ませながら玄関傍の床にひたすら文字を書き連ねる。この前の課題で教わった魔法のひとつだ。魔力を膜のように変化させて屋敷全体を包む結界を張り、ふたりを守る。私が今覚えている中で最も高度な防御魔法だ。
「未侑? 何やってるんだ?」
「ごめんね。何もなければあとでちゃんと掃除するから……」
ようやく落ち着いたのか、春香ちゃんが涙を拭いつつこちらを覗き込んでくる。それに苦笑を浮かべて答えながらも、結界を張る手は休めない。もし何かあったら……ファイさんに教えられたこと、上手く実践できるといいんだけど。
……そう、何もなければそれでいい。だって私、自慢じゃないが生まれてこの方切った張ったどころか腕ずくの喧嘩さえしたことないのだ。今でも心臓がバクバク言っているし、身体があちこち震えて仕方ない。正直怖いし、痛い思いをせずに済むならそれがいちばんいい。
――でも、任された。託された。小狼君も黒鋼さんもファイさんも、あとたぶんモコナも、今頃領主の城で頑張っている筈だ。なら、私も自分にできる精一杯のことをやらなければ。弱くて頼りなくても、それが今の私がやるべきことだ。せめて皆の足を引っ張らないように。役に立てないなら、せめて私のせいでその永く苦しい道行きが妨げられることのないように――そのために、ファイさんに無茶を言ってまで魔法を教わると決めたのだから。
理想としては、無事に小狼君たちが領主を倒して、羽根があれば取り戻してくる。私たちはその間ここで待っていて、小狼君たちが帰ってきたら、きっと何だかんだでボロボロになっているだろうから心配しつつ手当てして、少し休んでまた別の世界に行くのだ。それだけ――それだけで済めばいいのだが。
まだ完全に修理の終わっていない屋根から、僅かに青空が覗く。いつもなら心を爽やかにしてくれる筈の晴天も、今ばかりは不安を煽るだけのものでしかなかった。