暗い水底に沈むように
――翌朝。結局あれからほとんど眠れなかった私たちは、浮かない表情のまま朝食を摂るべくダイニングへ向かっていた。
昨晩見たあれは何だったのだろう。……いや、伝説どおりに考えるなら、あの彼女こそが件のエメロード姫だ。……本当に? 本当に幽霊が子供たちを拐っているのだろうか。正直、今でもあれは夢だったのではないかと疑っている自分がいる。それはサクラちゃんも同じようで、隣で狐につままれたような顔つきをしていた。サクラちゃんに抱えられているモコナだけが訝しげな表情で首を傾げている。
「未侑ちゃん、サクラちゃん、おはよー」
「おはようございます」
「おう」
ダイニングには、既に男性陣3人が揃っていた。今はカイル先生が朝食を用意している最中のようで、キッチンからは香ばしい匂いが漂ってきている。……それさえも私たちの表情を明るくさせるまでには至らないのだけど。
それぞれの挨拶に私とサクラちゃんで銘々に返すと、私たちがどこかおかしいことに気が付いたらしい小狼君が「どうしました?」と気遣わしげに訊ねてきた。
一瞬サクラちゃんと目を合わせ、昨晩見たものについて話すかどうか躊躇する。……正直、確証もないのに混乱させるような発言は控えたいのだが――。
「昨夜……わたしと未侑で見たんです」
「ん?」
ファイさんが首を傾げるが、サクラちゃんはそれっきりどう説明したものか分からなくなってしまったようで、ごにょごにょと口ごもったきり後は任せたと言わんばかりに私の後ろに隠れてしまった。……えっと……。
困ったなあと頬を掻きつつ、言葉を継ぐ。
「昨日の夜、サクラちゃんと私で遅くまで話してたんです。雪の中を――」
例のお姫様が、と本題に入ろうとしたところで私の声は悲鳴に掻き消された。ちょうど外からだ。
――まさか……!?
慌てて5人で診療所の外に出ると、町は既に大騒ぎになっていた。やはりまた子供が消えたらしい。人だかりに囲まれるようにして、失踪した子供の母親らしい女性が咽び泣いていた。
「壊されたのか!?」
「中から開いてるんです!! 絶対に鍵は開けちゃいけないと教えてあるから、あの子の筈ないわ!」
――それはおかしい。
中から開いていたということは何か物理的な手段で鍵や扉を壊して無理矢理連れ出したのではなく、おそらく部屋で眠っていたであろう子供本人が自主的に鍵を開け、誘拐犯について行ったということになる。
ただでさえ町全体が不穏な雰囲気に包まれているのだ。子供はこの手の機微に聡い。鍵を開けるなと厳命してあるなら、友人や来客を装って鍵を開けるよう促されたとしてもそう簡単に侵入を許すようなことはしないだろう。それよりもまず親に知らせて判断を仰ぐ筈だ。……やはり、今回も超常的な何かが関わっているのだろうか。
「じゃあ、あれは夢じゃない?」
「なのかな……?」
ピリピリとした雰囲気の自警団や町の人たちに聞こえないようサクラちゃんと小声で会話するが、どうやら耳聡くも聞こえてしまったらしい。自警団のリーダー――よく見たら、昨日銃を突きつけてきた男のひとだ――に詰め寄られてしまった。すかさず前に出た小狼君と、リーダーの青年の視線がぶつかり合う。
「……昨夜、雪の中を金色の髪をした白いドレスの女のひとが、黒い鳥を連れて歩いて行くのを見たんです」
「私も見ました。すぐに消えちゃったから、正直てっきりふたりして寝惚けて同じ夢でも見たんじゃないかって思ってたんですけど――」
人だかりにちらりと視線を寄越す。……この分では、見間違いや幻というわけではなさそうだ。
更に悪いことに私たちの言葉が契機になったらしく、町の人々は一気に恐慌状態に陥ってしまった。私たちの証言で、自分たちが潜在的に不安と恐怖を向けていた形のないエメロード姫≠ェ輪郭を得てしまったせいだろう。口々に「やはり金の髪の姫が子供を拐って行くのだ」「北の城の姫君だ」「姫の呪いだ」と明らかに平常心を失った様子で喚いている。……うーん、参ったな。そういうつもりじゃなかったんだけど、どうしよう。
「――いい加減にしないか!」
鋭い一喝で場を収めたのはグロサム氏だった。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。余計なことを言うなと言わんばかりの表情でこちらを睨みつけてきている。後を追うようにカイル先生も診療所から駆けつけてきた。
「また子供がいなくなったんですか!?」
「昨夜、この余所者達は家から出なかっただろうな」
グロサム氏の詰問は、明らかに私たちを疑う内容のものだ。……正直、これが町の総意でもあるだろう。このタイミングでやってきた私たちは誰が見ても怪しすぎる。カイル先生はあくまで私たちを信じているらしく――いや、実際に無実なんだけど――、表情を険しくしているが。
「いつ急患が来ても良いように、私の部屋は入り口のすぐ隣です。誰かが出て行けば分かります」
ふたりの睨み合いは、町長さんの仲裁で中断された。町の人々も、ここで嘆くよりも子供たちを探した方がいいと促されてそれぞれが捜索に移っていく。……今回も徒労に終わるだろうと半ば諦観を抱きながらも捜索の手を緩めないのは、おそらくそうしなければ心が折れてしまうからだ。
「さあ、戻りましょう。朝食の準備ができています」
カイル先生に促され、私たちも診療所に戻っていく。……長く続く雪のせいかふと見上げた空は相変わらず曇っていて、なんとなく心を掻き立てた。
朝食を摂った私たちは、事件の手がかりを探るべく町長宅を訪れていた。この国――ジェイド国の歴史書を閲覧させてもらうためだ。書籍そのものは2冊あってもうひとつはグロサム氏の屋敷に置いてあるそうだが、あの態度では彼に見せてもらうのは難しいだろうということで町長さんの家にお邪魔させてもらうことになったのである。
史書の内容を知るカイル先生曰く、史書には「300年前にエメロードという姫が実在して突然王と后が死亡し、その後次々と城下町の子供達が消えた」「いなくなったときと同じ姿では誰ひとり帰ってこなかった」とあるそうだが――。
――いなくなったときと同じ姿では誰ひとり帰ってこなかった≠ヒ……。
なんとも紛らわしい言い方だ。生きて帰って来なかったと言うならまだ納得できるが、随分と湾曲な表現をする。
「どうかな、小狼君。何か手がかりは掴めそう?」
町長さんから史書を借り、その足で件のエメロード姫が住んでいたという城に向かう。以前お父さんとの旅の途中でこの国の文字に似た言語体系を見た経験がある小狼君が史書の解読に勤しんでいるが、彼は器用にも馬の手綱を操りながら前も見ずに解読に励んでいた。ちなみにいつも同乗しているサクラちゃんは、万一何かあると危険なので今回は黒鋼さんの馬に乗せてもらっている。
「カイル先生や町長さんから聞いた以上のことが載っているようには思えません。ただ――」
情報が乏しいと言う割に、私の質問に答える小狼君の表情は険しい。手綱で馬の背を一度叩いて歩みを止めた彼は、歴史書をこちらに見せてきた。
「これは……」
「ちょっと破かれてるねぇ」
私とファイさんで、小狼君が示したところを覗きこむ。アルファベットの筆記体に似た文字は私では解読しかねるが、問題はそこではない。そのページのあと――一見した程度では分からないほど丁寧に、数ページだが切り取られた痕跡がある。よく気付いたものだ。
「エメロード姫が住んでいた城はこの先です」
小狼君が指差した方向に馬を進めていくと暫くして鬱蒼とした木々が開け、代わりに川の濁流のような音が聞こえてくる。更に進むと、朽ちた城が見えてきた。
「あれが北の城かぁ」
既に300年もの時が経っていることもあり、石造りの城は木々や蔦に覆われて寂れた廃墟と化していた。かなり長い期間人間の手が入っていないことは一目見て分かるが、それでも目につく豪奢な意匠が嘗ての栄華を偲ばせる。
本来なら、ここまで来て城に入らない手はないのだが――。
「しかし、これでどうやって城まで行くんだよ」
黒鋼さんの指摘どおり、城とこちらの間にはかなり流れの激しい川が横たわっている。この分では歩いて渡るのは勿論、馬に乗って無理に渡ろうとしても馬ごと濁流に流されてしまうだろう。城は完全に陸の孤島と化していた。
「黒鋼、渡れない?」
「無理だろう。特に子供を連れてじゃあな」
モコナの言葉を、黒鋼さんが首を振って否定する。この中でいちばん屈強な黒鋼さんでも渡るのは難しいというなら、10歳を越えるかどうかの小さな子供はあっさり流れに呑まれてしまうだろう。況してや、子供を連れて渡ろうというなら相当難儀する筈だ。誘拐された子供たちの隠し場所としてはここがうってつけと思われたが、実際に訪れてみればここは監禁場所として不適当にもほどがある。
「この川は300年前にもあったようですね」
「昔はどうやって城に入ったんだろー」
「ここに橋があったんでしょう」と小狼君が示した先には、濁流にほとんど呑まれているものの僅かに瓦礫の残骸のようなものが残っていた。当時はあそこに橋がかかっていて、城からの行き来はそれを使っていたのだろう。
いくらか探してみたが、あの壊れた橋以外に城へ渡る手段はないという結論に落ち着いた私たちは結局手がかりを得られないまま町に帰ってきていた。サクラちゃんの羽根についても分からないままである。帰りにグロサム氏が城の方向に向かっていたのが気になるといえば気になるが――。
「サクラちゃん、まだ起きてるの?」
「いなくなった子供たち、寒さで震えてるかもしれない。姫を見たのはまだわたしと未侑だけだし、ひょっとしたら何か起きるかも」
その日の晩も、私とサクラちゃんは起きていた。姫がまた出てくるかもしれないからと、小狼君たちには秘密で寝ずの番を決行することになったのだ。
「眠いでしょ、代わりに私が起きてるよ」
「でも……」
悄然と俯くサクラちゃんはやはり眠たげだ。気丈に振る舞っているとはいえ、まだ戻った羽根の枚数も少ない。本調子でないのに無理をするのは良くないだろう。
「何かあったら起こすから。今無理して明日の体調に響いたら、小狼君がまた心配しちゃうよ」
「う、うぅ……」
ここで小狼君の名前を出すのはやや卑怯かと思ったが、なにせ探索はまだ続くのだ。小狼君のことを気にかけているサクラちゃんはその名前を出されると案の定弱いようで、「分かった……」と小声で返してベッドに戻っていく――と、思われたが。
「――金の髪の姫!」
「え!?」
外に灯った光を見咎めたサクラちゃんが突然起き上がり、貼りつくがごとく窓に食いつく。慌てて私も外に視線を投げると、たしかに金髪の姫が夜の闇に沈んだ町を歩いていた。長い髪で顔は隠れているが――間違いない。あれは史書に載っていたエメロード姫そのものだ。
「見失っちゃう!」
「待ってサクラちゃん、その前に小狼君たちに知らせないと――ちょっと!」
止める間もなく、サクラちゃんは窓から身を乗り出して器用にも木々を伝いながらするすると降りていく。ちょっと待って、私木登りとかそういうの無理……!
2階から飛び降りるのは無理だと判断し、部屋を飛び出す。一瞬小狼君たちを起こすかどうか逡巡するが――。
――サクラちゃんを追いかけないと。
暗がりの中で自衛手段のない彼女をひとりで行動させるのは危険すぎると判断し、階下に向かう。……最悪私が盾になればいいんだし、という諦念も正直あった。
階段を降りて玄関に辿り着き、ドアノブを掴んで外に出ようとする――が。
「……!?」
突然身動きがとれなくなるのが感覚で分かった。羽交い締めにされたのだと気付く間もなく、口に布のようなものを当てられる。
――え、何……!?
意識が明滅する。薬を嗅がされたのだと咄嗟に思った。せめて、と下手人を確認すべく振り向こうとする。
「――ちょうどいい。あっちの女共々、人質になってもらおうか」
――それっきり。声の主の名前を思い出す前に意識が断線して、それっきり思考は闇に沈んでいってしまった。