為い為い欺騙す
「――おはようございます!」
翌朝。慌ただしく階段を駆け下りる足音と共に、小紋と袴を着たサクラちゃんが階下にやってくる。ファイさんが手際良く開店準備を進める傍らで私は厨房に立ち、フライパン片手に奮闘していた。
「おはよー、サクラちゃん」
「おはよう、サクラちゃん。よく眠れた?」
「う、うんっ。でも、ごめんなさい! 寝坊しちゃって……!」
恥ずかしさ半分申し訳なさ半分といった様子で顔を赤くするサクラちゃんは、やはり昨夜のことは覚えていないようだった。ファイさんの言うとおり、記憶に矛盾が生じないように小狼君の部屋を訪れたというそもそもの記憶ごと消去されてしまっているのかもしれない。
「いいんだよー。お店開ける時間、まだ決めてないし。それに、サクラちゃんはまだ本調子じゃないしねー」
「明日はちゃんと起きられるように頑張ります!」
決意を固めるサクラちゃんにエールを送りながらも目覚まし代わりにとティーカップに熱い紅茶を注いでいるファイさんの横で、私はフライパンを片手にパンケーキを上手くひっくり返そうと四苦八苦していた。新メニューとして開発中なのだが、生地をつくるまではできたもののなかなか綺麗にひっくり返せず、このままでは片面が焦げてしまいそう……おっ!
「で、できたぁ――!」
「お、いい感じに焼けてるねー。ついでに皆で試食してみようかー」
歓喜に震える私の後ろから、ファイさんがひょこっと顔を覗かせてくる。どうにか食べられる味になっているといいのだが……。
「モコナと小狼君と黒鋼さんは?」
新たに加わった一品を3人分取り分けている間にほかのメンバーの姿がないことに気付いたのか、サクラちゃんは怪訝そうに辺りを見回し首を傾げている。
「小狼君たちなら市役所に行ったよ。お昼過ぎるぐらいには帰ってくると思うけど……」
「ゆうべまた鬼児が出て、それやっつけたから報奨金貰いにー」
サクラちゃんが寝静まったあと――昨日の夜は満月ということもあって鬼児の活動が激しく、特にこの近辺に大量に出没していたため黒鋼さんと小狼君がふたりで掃討していたらしい。単体で見れば大した強さではないものの、質より量だと言わんばかりの大群で攻めてくるので全て倒すのに時間がかかり、結局夜更け近くまで延々と闘ってたんだとか。それなのにぶっ続けで探索に行くとは、ふたりしてタフなものである。
「昨晩ですか?」
「うん。サクラちゃん、よく寝てたからねぇ」
「また怪我したんでしょうか……」
「小狼君は、ちみっとね」
片目が見えないというのは想像がつかないが、一般に平衡感覚が鈍くなりがちになるという話はときどき聞く。慣れもあるから普通に日常生活を送る分には支障がなくとも、命のやり取りをする場では相当なハンデになるだろう。今回の怪我も大したことはなかったものの、やはり視覚を補えないのか一方に集中しているように思えた。
「心配?」
朝食の準備を進めながら問いかけるファイさんの言葉に、サクラちゃんの顔が曇りがちになる。悄然としながら俯いたサクラちゃんは、溜息を吐くように言葉を漏らした。
「はい。小狼君、わたしの記憶を探すために頑張ってくれてるのに、わたし何もできないから。それに小狼君、ときどきすごく……独りに見えて……」
その真面目さ故に何でもひとりで背負い込みがちな小狼君の性格を、記憶がなくとも本能に近い部分で把握しているのだろう。さすがは幼馴染み、というか。
「――何もできない、なんてことはないよ」
ファイさんの言葉に「そうそう」と頷いた私はそっとサクラちゃんの手を握った。
「サクラちゃんがこうして待っててくれるから、小狼君は頑張ろうって思えるんだと思う。闘えなくても――サクラちゃんにできること、きっといっぱいあるよ」
私より少し背の低いサクラちゃんに視線を合わせるように屈み、できるだけ明るく笑う。すると、サクラちゃんも釣られたように柔らかく笑ってくれた。
――良かった。やっぱりサクラちゃんには笑顔がいちばん似合う。
「そう、今みたいに笑ってあげてよ。サクラちゃんの笑顔が、小狼君のごちそうだから」
そうして話している間にも、ファイさんの手で手際良くテーブルに朝食が並べられていく。私が作ったパンケーキはファイさんが作った料理に比べれば若干不恰好だが味は概ね好評で、もう少し練習すればメニューとしてお店に出せるだろうとの評価を頂いた。
「あ、そうだ未侑ちゃん」
「はい?」
つつがなく朝食は進み、並べられたお皿も綺麗に片付いた頃。ファイさんに声をかけられた。
「一緒にお買い物行こうかー」
「――へ?」
「――いやぁ、こないだひとりで買い物行かせたときに重そうだったからさー。やっぱりこういうのはオレが同伴すべきだよねって思ってー」
「あっ、ありがとうございます」
うっかり吃りそうになり、恥ずかしさで顔を赤くする。隣を歩く彼にバレていないだろうか。……なんか、バレてそうな気がする。
まとめ買いした小麦粉やら何やらが入った重い荷物を軽々と担ぎながら隣を歩くファイさんは、こうして見れば見るほど綺麗という表現が当てはまるように思えた。イケメンとか格好いいというより、綺麗。
――そう、綺麗だ。
陽に照らされてきらきらと光る金髪は手入れもしていないのにさらさらで、そのくせ少しだけ跳ねた毛先がなんだか猫を連想させる。今は細められている瞳は海をそのまま映したような綺麗な青で、しなやかながらも無駄なく筋肉のついた身体は自由に野を駆ける獣を思わせた。獲物を狩る肉食獣めいた精悍な体躯を持つ黒鋼さんとはまた違うものの、こうして隣を歩いていると、女のひとみたいに手先が器用とはいえ彼も紛れもなく男性なのだと意識させられてしまう。
――な、なんか変だぞ私。
今、かなり挙動不審だ。正直自分でも気持ち悪いと思う。
それもこれも、道行く人々の視線が悪いのだ。自分の隣を歩くひとが常人ならざる人間なのだと嫌でも自覚してしまう。主に女性の視線がつらい。
有り体に言って、ファイさんは格好いいのだ。だから自然と人の視線を集めるし、容姿だけでなく醸しだす優雅な雰囲気が、何気ない仕草がどことなく貴公子然としていて整っている。こうして何とはなしに歩いているだけで他者の興味を惹く。こういうのをカリスマと言うのだろうか。
――恥ずかしい、って言うのとはちょっと違う……。
恥ずかしさもあるけど、なんというかこう……嬉しさもある。らしくもなく舞い上がっている。こうしてふたりで行動するのはほとんど初めてだからだろうか。
「あ、あの。サクラちゃん置いてきちゃって良かったんでしょうか」
思考を振り切るために、努めて冷静そうに、心配そうに声を出す。サクラちゃんを話のタネにするわけではないが、このままだと気恥ずかしさで勝手に悶死してしまいそうだったので心を落ち着ける時間が欲しかったのだ。
「んー、大丈夫でしょー。本人もやる気満々だったし、昼間は鬼児も活動しないし。むやみに外に出るとかしなきゃ危険はないんじゃないかなぁ」
ファイさんと買い物という言葉を聞いた途端、こちらに向かって頑張ってとでも言いたげに親指を立ててて笑顔を向けてきた彼女を思い出し、苦笑する。いったい何を頑張れというのか。
沈黙が場を支配する。わけもなく気まずくて、なんとなく話題を探しあぐねて口が開かない。代わりにそわそわと視線ばかりが辺りを彷徨い――ふと、ある場所で立ち止まった。
「あ」
「んー?」
アクセサリーショップだった。この国の文字は読めないが、ウィンドウには髪飾りやネックレスといった可愛らしい装飾品たちが並んでいる。
その中でも一際目を惹いたのが、シンプルなイヤリングだった。銀の鎖の下に、ドロップカットされた小さな紫の宝石が吊り下がっている。宝石には詳しくないから細かいことは分からないが、アメシスト……だろうか。耳に穴を空けずに済むタイプのもののようだ。
「欲しいのー?」
じーっと眺めていると、後ろからひょっこりとファイさんが覗き込んできた。びっくりして思わず肩を震わせる。
「い、いえ! 可愛いなぁとは思いますけど、高そうですし……」
宝石というのは、それだけで値段が張るイメージがある。まだこの国に来て日が浅いうちに買うには、少々手が届きにくいものに思えた。
「あぁ、それね」
店の前で話している私たちに気付いたのか、中から店主と思しき人が顔を出してくる。そちらに視線を向けると、彼女は参ったと言わんばかりの苦々しい笑みを見せた。
「随分前に入荷した分なんだけどね、それだけ売れ残っちゃって参ってたんだよ。買ってくれるなら願ったりだ。ついでに安くしとくよ?」
ほい、と値札を書き換えられる。……これならたしかに買えそうだけど……。
「じゃ、じゃあ――」
「じゃあこれくださーい」
「えっ!?」
その前にファイさんに先を越されてしまった。
「――あの、本当に良かったんですか?」
「んー……未侑ちゃん、いつも頑張ってるし。だから、それはオレからのプレゼント」
「は、はぁ……」
道すがら、ふたつでセットのイヤリングが入った小さな袋をしげしげと見つめながら返事を返す。丁寧に袋を開けてみれば、掌には落としたらそのまま壊れてしまいそうな紫の宝石が鎮座していた。
「あの、つけてみていいですか?」
「どうぞどうぞ。きっと似合うよー」
お洒落らしいお洒落なんてあまりしたことないので、慣れない手つきでイヤリングを耳につけていく。少し時間はかかってしまったが、何とかそれらしくつけることができた。
「ど、どうですか……?」
イヤリングが目立つように、首を傾げてみる。ただそれだけなのにすごく緊張して、なんだか喉が渇くような感覚まで覚えてしまった。
「うん、すごく可愛い。買って良かったよー」
「そ、そうですか……。あの、ありがとうございます。大切にしますね」
予想以上にあっさりと答えを返され、安堵したように息を吐く。でもちょっと残念なような……。いや、なんで残念なんだ私。似合ってるって言ってくれたんだから、それでいいじゃん。
――私、なんで緊張してるのかな。
でも、さっきみたいに気まずいのとは違う。嬉しいし、恥ずかしいし。なんていうか、そう――、
ありもしないのに、自分が特別気にかけられている気がして……いや、違う。いちばん最初に私を励ましてくれたこのひとが、今もこうして私を気にかけていてくれることがとても嬉しくて。
「――ありがとうございます」
滑るように、感謝の言葉が口を突いた。
「え?」
「……え?」
まったく無意識に紡がれた言葉に、その中に含まれた真摯な響きに自分でも混乱する。本日2回目のお礼――にしては含むところがあるような。
「……あー、イヤリングのこと? 大丈夫だよ。そんなに気を遣わなくても、」
「――違うんです!」
へにゃりといつもの笑顔で話を切られそうになって、思わず声が張る。道行く人たちが一瞬立ち止まった気がしたが、今度は不思議と視線が気にならなかった。
そうだ、お礼。お礼を、言ってない。ちゃんと、感謝をしていない。いちばん最初に、励ましてくれたこと。ときどき、気にかけてくれたこと。親切にしてくれたこと。ちゃんと、ありがとうって言ってない。
「だから、えぇと、その――えっと、そうだ。唐突ですけど、ちゃんとお礼を言ってないって思ったんです。最初の、えぇと、阪神共和国……で、一緒にいてくれたこと」
ひとつずつ、言葉を紡いでいく。
「ファイさんには、ちょっと励ましただけかもしれないけど……。あのとき、すごく寂しかったし、不安だった。でも、ファイさんが隣にいてくれたおかげでとても元気が出たんです」
知らない
「――すごく嬉しかったです。ファイさんに声をかけてもらえて、話を聞いてくれたの。今もこうして、気を利かせてくださって……ありがとうございます」
照れ隠しに俯きながらも何とか言い終わり、できるだけ笑顔でと思いながらも顔を上げる――と、
「……ファイさん?」
「――……っ」
――冷や水でもかけられたかのように、目を見開いて凍りついている彼の姿があった。
「あ、あの……すみません、急に変なこと言っちゃって」
「……ぁ、いや……――そんなこと、ないよ。うん、……未侑ちゃんがそれで元気を出してくれたなら、オレは嬉しいなぁ」
いつもの彼だった。ただ、少し声が乾いていたように思えたが。
「……迷惑、でしたか?」
「そんなことないよ」
今度は即答だった。
「未侑ちゃんは、いい子だね。本当に――ごめんね」
「は、はぁ……?」
今度は不審から首を傾げる私の手を引っ張り、何かを誤魔化すようにファイさんは私の前を歩き始める。
「……帰ろうか。サクラちゃんが待ってる」
「え、あ、はい!」
早足で私を引っ張る彼に合わせようと歩調を早める。私の位置からは、彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。
――彼が呟くように告げた謝罪が、何を意味するのか。それを知るのは、まだ先の話になる。