こえだけが木霊する
「――変じゃないですか?」
その日の夜。私と小狼君、サクラちゃんは3人で店番をしていた。今はちょうど小狼君が接客用のタキシードに着替えてきたところだ。
「そんなことないよ。サイズもちょうどいい感じだね、良かった」
「ありがとうございます、わざわざ見繕っていただいて」
「選んだのは私でも、仕立てたのはファイさんだけどね」
苦笑する。料理もできて絵も描けて裁縫までできてしまうとは、本当にファイさんのハイスペックさには頭が下がる思いだ。
「……サクラちゃん?」
隣で反応のないサクラちゃんにちらりと視線を寄越す。……どうやら小狼君に見とれていたらしい。うんうん、似合うもんね。青春だね。
「……あ! ネ、ネクタイ曲がってる!」
「ありがとうございます」
見とれていたのを誤魔化すように、サクラちゃんが慌てて小狼君の胸元の蝶ネクタイを直しはじめる。ふたり並んで会話する姿はとても自然で、阪神共和国や高麗国のときと比べるとかなり打ち解けているように見える。ともすれば、サクラちゃんに記憶がないということを忘れてしまいそうだった。それだけふたりの間で新しく築き上げた思い出が絆になっているという証拠だろう。過去の記憶が戻らなくても、また以前のような関係になれる日はひょっとしたらそんなに遠くないのかもしれない。
「ファイさんたち、もうお店に着いたかな」
「地図を渡しておいたので。黒鋼さんが、少しならこの国の字が読めると言ってましたし」
「
小狼君とサクラちゃんは14歳、私は17歳。この国の法律では未成年なので、酒場への立ち入りや飲酒は禁止されている。逆に黒鋼さんとファイさんは成人扱いらしく、夜の酒場に赴いていた。
目的は、何かと険悪なふたりの親睦を深めるため――というわけでは決してなく、小狼君と黒鋼さんが昼間訪れた情報屋さんに教えてもらった、新種の鬼児に関する情報収集だ。なんでも、その新種の鬼児とやらに会った女性がしょっちゅうその酒場に通っているらしい。
サクラちゃんの羽根は強い魔力の塊だ。それゆえに、羽根が存在する国で何かしらの異変が起きているときはその羽根が密接に関わっていることが多い。今まで訪れた高麗国やジェイド国でもそうだった。この桜都国にサクラちゃんの羽根があるかどうかはまだ分からないが、情報屋の女性も最近鬼児の動向がおかしいと訝しんでいたそうだし、何より、これまで誰も見たことのなかった新種の鬼児とやらがここ最近になって急に活動を始めたというのはサクラちゃんの羽根が飛び散った時期を合わせると気になる情報だ。
「ファイさんいない間、3人でお店頑張ろうね!」
「よろしくね小狼君、サクラちゃん」
「はい」
年長組が不在の間にお店を任されたサクラちゃんは、すっかりやる気満々といった様子だ。こうして皆の役に立てるのが嬉しいんだろう。てきぱきと仕事をこなすサクラちゃんを見つめる小狼君の表情も柔らかい。
「あれ? そういえば未侑、そのイヤリング……」
「え? あぁ、これ?」
手際良くメニューの下拵えをしていたサクラちゃんが、私の耳に下がっているイヤリングを見て首を傾げる。早速つけてみたのだが、どうだろう。
「昼間ファイさんと一緒に買い物に出たとき、買ってもらったんだ。……その、どうかな? 似合う?」
慣れないものをつけているということもあって若干気恥ずかしさを覚えながらも笑うと、サクラちゃんはふるふると首を横に振って目を輝かせた。
「そんなことない! すごく似合ってるよ!」
「はい、おれもそう思います。未侑さんには紫がよく似合いますよね」
口々に褒めてくるふたりに、こちらが逆に照れてきそうだ。
「でも、そっか。わたし、未侑にもファイさんにもいつもお世話になってるから。ふたりが仲良しだと嬉しいなぁ」
「な、仲良しって……」
「わたし、仲良しってしか言ってないよー」
思わず苦笑する。その仲良し≠やたらと強調するのは何なのだろうか。私とファイさんは、彼女が想っているような関係ではないと思うんだけど……。サクラちゃんもお年頃ということだろうか。
いずれにせよ、控えめであってもこうして他人を冷やかせるぐらいに感情が戻ってきたのはいいことだ。うん、そう思うことにしよう。
そうやって3人で雑用をこなしつつ談笑していると、来客を告げる小気味良いベルと共に扉が開いた。もう夕食のピークは過ぎたというのに、こんな時間にお客さんだろうか。
「お、この店だな!」
「お邪魔します」
入ってきたのは、二人組の男の子と女性だった。
ひとりは中華風の服装を着た、いかにも快活そうな雰囲気の男の子だった。年齢は……ぱっと見た感じは、ちょうど小狼君と同じぐらいだろうか。背中に背負っている、身の丈を遥かに越える重そうな長剣が非常に特徴的だ。
もうひとりは、彼よりやや歳上の女性。ちょうど黒鋼さんと同じぐらいか、少し上といったところか。こちらは反対に淑やかな雰囲気のひとだ。褐色の肌と、脚に深いスリットが入った民族衣装のような服が目を惹く。短く切り揃えた黒髪が夜風になびいて、さらさらと揺れていた。
「いらっしゃいませ」
「こちらのお席へどうぞー」
ほかの食器やテーブルの片付けを小狼君に任せ、私とサクラちゃんで接客と案内を務めることにする。一方、テーブルに着いたあとも男の子の方はなんだかそわそわと落ち着かなさげにしており、その視線はなぜか小狼君に注がれていた。
「おまえがちっこいわんこ≠ゥ?」
好奇心を抑えきれないといった様子で、彼が口を開く。未だに「わんこ」呼びに慣れていない小狼君は、彼の勢いに押されつつも居心地悪そうに肯定の返事を返した。
「俺は龍王」
「蘇摩と申します」
訪れた二人組は、それぞれ男の子の方を龍王君、女性の方を蘇摩さんというらしい。こちらも名乗ろうとすると、その前に龍王君が口を開いた。
「――おまえ、強いんだってな」
挑戦的な笑みと眼差しは、明らかに小狼君に注がれている。なんだか嫌な予感がした私が一歩下がった瞬間――、
「……ひぇっ!?」
ついさっきまで私がいた横を、その気になればすっぱり首が両断できそうな鋭い刃が頬を裂きながら掠めていった。
「申し訳ございません、龍王をお止めできなくて……」
「い、いえいえ。こうして片付けも手伝ってもらいましたし……」
ひたすら平謝りを続ける蘇摩さんに恐縮しつつ、苦笑いしながら構わないと手を振る。
あれから数分後、店の中はあちこち散らかってすごいことになっていた。なんとも血気盛んなことに、店内で小狼君に腕試しを挑んできた龍王君が暴れ回った結果だ。たまたま同じタイミングで入ってきた草薙さんが止めに入っていなければ、最悪店ごとぶっ壊れていたかもしれない。
「いや、俺のせいでもある。美味い店見つけたって龍王に教えたときに、強い奴らに会ったって言っちまったからな」
カウンターに腰かける蘇摩さんの隣に据わった草薙さんが、申し訳なさを滲ませながらかすかに笑った。どうやら彼はこの前のほんの少しの会話で男性陣の腕っ節の強さを見抜いていたようだ。
「おい龍王、おまえも嬢ちゃんに謝れよ。下手すりゃ首飛んでたかもしれないんだからな」
その草薙さんもさすがに少々ご立腹らしく、先程からじろりと龍王君を睨みつけている。一方、蘇摩さんや草薙さんといった年長組に窘められた龍王君は飼い主に叱られた仔犬のようにしょんぼりしていた。
「うぅ……悪かったよ。どこも怪我してねぇか?」
「ううん、私は大丈夫だよ。ありがとう」
心底反省したといった様子を見るに、本当に悪気はなかったのだろう。どうやら、黒鋼さんと一緒で熱くなると周りが見えなくなってしまうタイプのようだ。
「龍王、ほんっとうに強い人と手合わせするの好きだものねー」
片付けを手伝ってもらったお礼にと振る舞ったケーキを堪能する譲葉ちゃんの表情は満足げだが、隣で紅茶を味わっている蘇摩さんはいかにも困った様子で溜め息をついている。……察するに、こういう事態に陥ったことも二度や三度ではないのかもしれない……。蘇摩さんの苦労が偲ばれる。
「……おや。この紅茶、香りも良くてすごく美味しいですね」
「それ、未侑……じゃない、えっと……ちょうちょ≠ウんが淹れたんです」
「ケーキはニャンコさんが作ったんですよ」
未だにこの名前で呼び合うことに慣れない私たちの言葉はぎこちないが、特に蘇摩さんが聞き咎めたような様子はない。サクラちゃんは譲葉ちゃんと話に花を咲かせているし、小狼君も少し離れた場所で龍王君と盛り上がっているようだった。同じ男の子同士、通じ合うものがあったのかもしれない。
「……あの。先程龍王が暴れ回ったとき、頬に怪我をされていませんでしたか?」
「えっ」
残った私に、蘇摩さんが気遣わしげに声を潜めて話しかけてくる。……思わず頬を撫でれば、たしかに切っ先が掠った筈の頬にはもうその痕さえ残っていなかった。
「……うーん、気のせいじゃないでしょうか。本当に大丈夫ですよ、私」
曖昧な笑みを浮かべて誤魔化す。……もうこの程度の傷では勘定にも入らないということだろう。多少の不気味さは残るものの、慣れもあって今では逆に便利だと思ってしまうぐらいだ。
ならいいんですが、と蘇摩さんも納得してくれたらしい。特に引っ張られる様子もなく、話題は次に移っていく。さっきからファイさんたちが調べに行っている、新種の鬼児のことだ。
「おふたりも鬼児狩りなんですね」
「おう! イの五段階≠フ鬼児までは倒したぞ!」
龍王君は蘇摩さんと組んで、鬼児狩りとして活動しているらしい。……しかしイ段というと大まかなランク分けでは最上位に位置するわけだから、このふたりはかなりやり手の鬼児狩りということになる。すごいんだなぁ。
「草薙んとこはイの四段階%|したんだよな?」
「あぁ。しかし、おまえでも倒せる。あとは遭遇するかどうか運次第だ」
それぞれに盛り上がりながらも夜は更けていく。いつもならこの時間には寝る準備に入っている私たちも雑談に興じ、1時間もする頃にはテーブルに並べられたデザートやドリンクはすべて空になってしまっていた。
「美味かったー!」
お腹いっぱいスコーンを平らげた龍王君は満足げだ。ファイさんが作り置きしていたスコーンも好評で、また新しく常連さんが増えそうな予感である。
「じゃ、ここは龍王の奢りで」
「なんでだよ!!」
不満げな表情の龍王君に対し、譲葉ちゃんはにまにまと笑みを浮かべている。いいのかなー、って感じだ。
「草薙さんが止めてなきゃ、今頃このお店のもの全部壊しちゃってたでしょ? それに比べたら――」
「安いだろう」
きっぱりと草薙さんに正論で返され、がっくりと項垂れる龍王君。結局、この場は彼の奢りということに相成った。
「龍王。強さを求め闘うのも良いですが、状況を見極め無用な戦いを避けるのも、またひとつの強さですよ」
溜め息の中に懸念と心配を滲ませつつ、支払いを済ませる龍王君の背中に蘇摩さんが忠告してくる。しかし龍王君は申し訳なさそうに肩を竦めつつも「分かってる」と小さく笑った。
「――けどな、俺は自分がどのくらい強いのか試してみたいんだよ。世界の広さを知らずに自惚れないように。……強い奴と出会えることが、俺のしあわせだからな」
何を以て幸福とするかは人それぞれだ。龍王君は、強い人間と闘って自分を磨きあげることがしあわせ。私は、
――私は、どうなんだろう。
今も心配しているだろう皆のもとに戻ることが、私のしあわせだと思っていた。でも、こうしているとこのままずっと旅を続けるのも満更ではないとさえ思えてくる。
――そもそも、皆っていったい誰だっけ。
はて、と首を傾げる。……まあ、考えるのはあとでいいだろう。
「……あれ、モコナ? どうしたの?」
ふと小狼君に視線を戻すと、彼の肩に乗っていたモコナがぴくりと顔を上げていた。ほかの皆の様子もおかしい。どうしたのだろうか。
「――鬼児が来た!!」
一拍遅れて小狼君もおかしな気配を読み取ったのか、肩に乗せていたモコナをサクラちゃんに預けて駆け出す。
「小狼君!」
「姫はここにいてください! 未侑さん、姫をお願いします!」
堪らず叫ぶサクラちゃんを置いて、小狼君は鬼児のところへ行ってしまった。後には私とモコナ、それから悄然とするサクラちゃんが残される。
「小狼君……」
「……大丈夫だよ、サクラちゃん」
ぽん、とサクラちゃんの頭を軽く撫でる。……見ているしかできないもどかしさには、私にも覚えがあった。