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帰りたい、還りたい、孵りたい

「……参った、眠れない」

隣で健やかな寝息をたてているモコナを起こさないようにぼそりと呟き、小さく寝返りを打つ。枕が変わると眠れないなんて繊細さは持ち合わせがないと思っていたが、旅は旅でもさすがに異世界旅行になると話は違うらしい。本当に元の世界に戻れるのか、向こうでは今頃私の扱いはどうなっているのか、家族は心配していないか――考えはじめたら切りがない。

最初に辿り着いたこの世界は、阪神共和国というらしかった。その街並みは召喚者を探し出すまでもなく元の世界に戻ってきてしまったのかと錯覚してしまうほど私が元いた日本にそっくりで、正直今でも異世界だとか言われても信じられないぐらいだ。

なんでも、この世界に来た人間には必ず巧断というモノが憑くらしい。闘うためのものなのか何なのか、空汰さんたちは実際に見た方が手っ取り早いからと詳しい説明はせず、とりあえず明日私たち4人で探索してみようということで本日はお開きとなったのだ。

小狼君は眠ったままのさくら姫が心配なのだろう、彼女を看るために部屋に残り、これから一緒に旅をする仲間とはいえまだ見知らぬ他人同然の人たちがいてはゆっくり休めないだろうと私たちは別室に回された。で「男衆の中に女の子ひとり放り出すのはあかん!」とやたら熱弁を振るいだした空汰さんに押され、私はモコナと一緒の部屋に振り分けられたのだ。ちなみに話して分かったことだが、モコナは女の子らしい。性別とか、あったのか……。

「……水、貰おうかな」

なかなか目が冴えて眠れないので、天井の木目をひたすら数えて心を無心にするという地味な作業に没頭していたが、思考はふとした瞬間にどうしても悲観的な方向に流されてしまう。たしか1階の居間は食堂として開放されていた筈だし、ちょっと思考を切り替えてこよう。

何やら寝言をむにゃむにゃと口走っているモコナの頭をそっと撫で、目覚まし代わりに枕元に置いていたスマートフォンを持ち出して、モコナを起こさないように注意を払いながら部屋を出る。

「……ふう」

ぐったりと壁にもたれかかり、スマートフォンのロックを解除したあと、あまり働かない頭でホーム画面を眺める。

何やかんやと慌ただしかったせいで確認する暇がなかったが、東京タワーからこちらに召喚されるまではたしかに正常に起動していたスマートフォンは悉く文字化けや画像消失を起こし、アプリに登録していた家族や友人の連絡先も軒並み消え去ってしまっていた。データの修復が大変そうだな、なんてちょっとズレたことを考える。これも異世界に来た影響というやつなのだろうか。半ば分かっていたことだが、これで実質的に私と、私のいた日本との繋がりは断たれてしまった。今私が手にしているのは、何の役にも立たないただの鉄の塊だ。こんなものが私と世界を繋いでいたのか、となんだか虚しい気分になる。

「……どうしよう」

ちょっと、というか割と泣きたい。

なんで私なんだろうとか、これからどうなるのかなとか、無事に帰れるのかとか、益体にもならない思考がぐるぐると渦を巻いている。ひとりになってネガティブさに拍車がかかったのか、一度考えはじめるともう本当に止まらなかった。……いつか帰れるとか、異世界って凄いとか、そういうプラスの方向にはどうしても思考を持っていくことができなかった。

……何にせよ、これからは集団で行動するのが必須だ。私ひとり色々引きずって、皆に迷惑をかけるわけにはいかないだろう。今日は思いっきり落ち込んで、明日からは笑って過ごせばいい。そう、修学旅行の行き先とメンバーがちょっと変わって、期間が延長したと思えばいいのだ。というか、無理にでもそう思ってないとやっていけない。ああ、自分のネガティブさが嫌になる。我ながら結構鈍感というか、図太い方だと思ってたんだけどなあ。

泣いてはいけない、と思う。私は感情をそんなに上手く隠せる方ではない。きっと、無闇に泣いては迷惑をかけてしまうだろうから。

マイナス思考に支配されつつもよろよろとした足どりで居間に向かう途中、障子を開ける軽い音でふと我に返る。しまった、モコナを起こしてしまったのだろうか。

「あれ、未侑ちゃんだ。まだ起きてたのー?」

「……ファイさん」

やほー、とひらひら手を振って現れたのはファイさんだった。空汰さんに貸してもらった現代風のラフな部屋着が似合っている。控えめに言ってもかなりの美青年と表現して差し支えはなく、イケメンは何を着てもイケメンなのだという俗説の証拠を目の当たりにした気がした。

「……その、眠れなくて」

「ん、オレもなんだよねー。目が覚めちゃってー。はい、お水どうぞ」

「……ありがとうございます」

ふたり揃って居間に向かい、ソファに座るとファイさんが冷蔵庫に置いてあったペットボトルから水を注いだコップを渡してくれる。へにゃっとした微笑みは、どことなくこちらに安心感を与えてくれるものだ。

「……」

「……」

暗がりの中、ふたり揃って黙り込む。なんとなく気まずい。……当然か、私はこのひとのことを何も知らないのだから。ただでさえネガティブシンキングで参ってるところに不意に話しかけられたせいで、俯いていないと涙がこぼれそうだった。

「……泣いてたのかな?」

「……え」

思わず顔を上げると、ファイさんの蒼い瞳と視線がかち合う。暗がりの中でも、彼の静かな水面のような瞳は揺らぎを見せていない。

「オレは自分の意思で世界を渡ったクチだから、君の事情について知ったように慰めたり共感したりすることはできないけど――寂しいなら、泣いてもいいんじゃないかな」

「それ、は……」

「ね?」

静かに笑ったファイさんは、それっきり後ろを向いてしまった。……彼なりの気遣い、なのだろう。耐えきれなくなって、背中を合わせるようにして彼にもたれかかる。

「……わ、私……私、いきなりひとりで全然知らないところに呼び出されて……」

「うん」

「異世界とか、羽根とか、旅をしろとか、ほんとに、意味分からなくて――」

「……うん」

ファイさんは背中越しに相槌を打つばかりで、支離滅裂で勝手な私の言い分にも具体的な答えや反論は返さない。でも、上手く言えないけれど……なんだか、逆にそれがありがたかった。

堪えきれない嗚咽が漏れる。分からない。怖い。寂しい。何もかも始まったばかりなのに、何もかも分からなくて、それが嫌でたまらない。

――帰りたい。家族に会いたいし、面倒だった学校にも行きたいし、家に帰りたい。

ごめんなさい、と小さく呟く。みっともない泣き声が静まるまで――その夜、ファイさんはずっと私に付き添ってくれた。

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