サンシャイン・シャワー
しゃくしゃくとリンゴを齧りつつ、綺麗に平らげる。芯の部分はモコナが食べると言って聞かなかったので、彼女にあげてしまった。……あとでお腹壊したりしないかな、大丈夫だろうか。
隣でリンゴを食していた小狼君はリンゴに何か思い入れがあるのか、食べかけのそれを眺めて悄然としている。
「……大丈夫? どっか体調悪い?」
小狼君の顔を覗き込んで様子を窺う。特に異常は見られないが、慣れない旅で疲れてしまったのだろうか。
「あ、いえ……さくら姫のことを思い出してたんです。……さくら、リンゴが好きだったから……」
「……ん、そっか。なら、帰り際にでももうひとつ買っていってあげよ。お土産」
「……はい」
苦いものではあるが、小狼君はそれでも笑みを浮かべてくれた。
私は、彼のような人間にかける言葉を持たない。私は誰か大切なひとに忘れられたことはないし、何かサクラ姫のことを知っているわけでもない。それをいかにも分かったような言葉を並べて慰めたり同情したりするのは、……なんというか、上手く言えないけれど彼の覚悟とか、そういうものを蔑ろにしているような気がしたのだ。
「……その、ありがとうございます」
「ん、なんのなんの」
雰囲気を明るくしようとしてくれたのか、ファイさんとモコナがまた黒鋼さんを弄り回しはじめた。その声と、黒鋼さんの怒号をBGMに黙々とリンゴを齧る。うーん、さすがに今度は手が出そうな勢いだ……特に黒鋼さんの方が。
少しだけふたりの間の空気が重くなり少々話題に詰まってきたため、そろそろ物理的な強硬手段も辞さないぐらい険悪になってきている年長組をいつ仲裁するかについて割いていた思考は、突然あがった悲鳴で中断された。咄嗟に声のした方向を振り向くと、高層ビルの屋上に十数人程度のグループが屯している。おう、なんだなんだ。
「今度こそおまえらぶっ潰して、この界隈は俺たちが貰う!」
遠目にはどういう状況に陥っているのか把握しかねるが、何やら別のグループと言い争っているように見える。集まってきた野次馬たちは「縄張り争いだ」だのなんだのと騒いでいた。……縄張り?
「ヒュー、カッコいいー」
「い、いや、そんな呑気な……!」
ファイさんはにこにこと笑みを崩さないまま見物しているが、騒いでいる間についに両グループは抗争に入ってしまった。周囲に物理的な被害が広がりはじめたことで好奇心半分で見物していた野次馬たちが一気にパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように皆銘々に逃げだしていってしまう。
「あれ何ですか!?」
「巧断だろ、ありゃ。つーかしれっと俺を盾にしてんじゃねぇ」
「く、黒鋼さん、この中じゃいちばん強そうですしー……」
「モコナが歩いていても驚かれないわけだー」
ひえーっと内心で悲鳴をあげ、そそくさと黒鋼さんの後ろに隠れさせてもらう。前に空汰さんが巧断のことを「見れば分かる」と言っていたが、ひとによってはこんな風に武器として使用するものであるらしい。グループ内の彼らに憑いている巧断は敵方のものを含めても本当にひとそれぞれで、同じ形、同じ姿のものは全く見受けられない。
と、高層ビルの屋上に立っていたチームのリーダーらしき青年が、攻撃の矛先が自分に向いたのを皮切りに合図のようなものを送る。すると、一見してエイを連想させる明らかにほかの巧断とは姿の違うものが出現して津波じみた勢いで大量の水を吐きだし、一斉に敵方のグループやその巧断たちを押し流してしまった。その津波は質量の暴力と化して周囲の建造物を巻き込み、終いにはこちらにまで向かってくる。
「えっ、ちょっ」
思わず引き攣った笑顔が浮かぶ。
「ちっ、何やってんだこの馬鹿娘!」
黒鋼さんが咄嗟に私の首根っこを引っ掴んで避難させようとするが、間に合わない。ま、待って。私泳げない。あいあむカナヅチ。
さすがに最低でも全身ずぶ濡れになる覚悟を決めた瞬間、身体が熱くなる。特に胸の部分はまるで無理矢理盤陀でも押しつけられたかのようで、正直耐えきれるものではなかった。眼前に迫る洪水の暴力も忘れて思わず胸を押さえて蹲る。
「な、なに、これ」
「――なんや。えらい見知った顔や思って久しぶりに降りて来てみたら、よう見たら別人やないか。ただの他人の空似かいな」
質量を伴った洪水は、私を飲み込むことはなかった。むしろ何か柔らかいものに包まれるような感触に、ぎゅっと閉じていた瞳を少しだけ開く。
「……ライオン……?」
「おう、昨夜ぶり」
私を包み込むようにして洪水から守っていたのは、しなやかな体躯の獅子だった。正確には、その獅子の背から生えている大きな白い翼が私を包むようにして洪水から守っているのだ。翼、あるいは獅子の身体そのものが水を蒸発させる効果があるのか、私の周りだけみるみるうちに水が蒸発していく。
「え、えっと」
「ん、忘れたんか? 昨日会ったやないか。夢ん中で、やけど」
「ゆ、夢」
どうやら獅子は人語を解するらしい。阪神共和国のライオンは言葉を話せるのかー珍しいなーなんて現実逃避をしている間に獅子は悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべて、私に跪くように身体を伏せた。
「――我は炎と地を司るものの主。我に相応しいものを永い間待ち続けていた。これより汝の心の強さを認め、我が力を汝に貸し与える……とまあ、堅苦しいのは抜きにして。
――わいはケルベロス。おまえに憑いた巧断やで。よろしゅう」
……えっと。
「……私の巧断が、なんだって?」
――ちょっとよく分からないんで、誰か説明お願いします、どうぞ。