我儘の上限越えですか
水に溶いた小麦粉が焼けていく心地好い音が響く。
「あの、助けていただいて本当にありがとうございました!」
「あ、いや、私は何もしてないし……」
ぺこぺことひっきりなしに頭を下げてくる学生服の少年に苦笑しつつ、「助けてくれたのは主にこっちだしー」と隣で興味深そうにじっとお好み焼きを見つめている小狼君を指し示す。
私が自分の巧断に助けられていた頃、小狼君も同じように巧断を呼びだしてこの子を助けていたらしい。斉藤正義と名乗った彼は何かお礼がしたいと言い張り、モコナの「美味しいお昼ご飯が食べたい!」という要望に応えお好み焼き屋に連れてきてくれていた。
「これって……」
「僕、ここのお好み焼きがいちばん好きだから!」
「へぇー……」
お好み焼きは食べたことがあるけれど、モダン焼きとかとん平焼きとか言われてもいまいちピンと来ない。お好み焼きはお好み焼き≠ナはないのだろうか……。うーん、奥が深い。
「おこのみやき≠チていうんだ、これー」
時々よく分からない笑顔を浮かべるファイさんも、異世界の文化に興味をそそられているのか物珍しげな表情だ。黒鋼さんは……うわ、めっちゃガン見してるなあのひと。
「え? お好み焼きは阪神共和国の主食だし、知らないってことは……外国から来たんですか?」
「んー、外といえば外かなぁー」
「まぁ、そんな感じ……なんですかね?」
訝しげに首を傾げる正義少年に、私とファイさんで曖昧に笑って返しておく。まあ、間違ってはいないな。
「そういえば、いつもあのひとたちはあそこで暴れたりするのー?」
へにゃんと笑いながら、ファイさんが巧みに話を逸らす。たしか、見ただけでもゴーグルをかけた集団と帽子をかぶった集団のふたつが確認できた。
正義君曰く、先程の彼らは縄張り争いをしていたらしい。それぞれにチームを組んで自分たちの巧断の強さを競い、勝った方がその場所を治める権利を獲得するんだとか。……えっと、ヤンキーの勢力争い?
それでもゴーグルをかけていた方のチーム――そういえば、あのチームのリーダーらしきひとは最後に小狼君と何か話していた気がする――は、地元では良いチーム……地域の見回りや目に余るような不良の取り締まりを中心に活動する、いわゆる自警団のような存在らしい。とはいえ、抗争中に周囲に物理的被害を及ぼしてしまうという点ではほかのチームと変わらないので大人たちからは煙たがられているようだが。
「特にあのリーダーの笙悟さんの巧断は特級で、強くて大きくて、皆憧れてて!」
あのエイのような巧断を操っていたリーダーの名前はショウゴというらしい。たしかに、あの巧断はほかのメンバーが操る巧断とは明らかに一線を画していた。
熱弁を振るっていた正義君が我に返ったのか恥ずかしそうに俯いてしまったのに苦笑する。
「でも、小狼君と未侑さんにも憧れます」
「え?」
「ん?」
いきなり話題にのぼり、はてと首を傾げる。さっきも言ってたけど、特級……?
「特級の巧断が憑いてるなんて、凄いことだから」
「それ、何なんですか?」
「巧断の等級のことです。4級がいちばん下で、3級、2級、1級と上がっていって、いちばん上が特級」
巧断の等級付け制度は差別を助長するとして国側が廃止しているのだが、国民の間では既に俗語として馴染んでいるらしく、相手の巧断の強さを測る基準として今でも使われているのだとか。
「じゃあ、あのリーダーの巧断ってすごく強いんだー」
「はい。小狼君と未侑さんもそうです。強い巧断――特に特級の巧断は、本当に心が強いひとにしか憑かないんです」
心が強い、かあ……。うーん、誘惑にも負けるし苦手なものは多いし、私の心が強いなんてとても思えないんだけどな……。
その後、いつ小狼君や私に巧断が憑いたかということに話題は移り、そういえば昨日あの獅子のような巧断が出てきた夢を話そうとして――
「待った――!!!」
「うわぁ!?」
小さく悲鳴をあげて思わず飛び上がる。何事かと振り向くと、好奇心と空腹に負けて勝手にお好み焼きをひっくり返そうとしていた黒鋼さんを、ちょうど大学生ぐらいだろうか。黒髪に少々目つきの悪い店員さんと、眼鏡をかけたいかにも穏やかそうな雰囲気の男の店員さんふたりが諌めていた。
「お……王様に神官様! どうしてここに!」
「え、王様なの!?」
しかし王様≠ニ呼ばれた店員さんは、何かの人違いではないかと不審そうに首を傾げるばかりだ。結局彼らはお好み焼きを焼き上げるのは店員に任せたままでいいから待っていろという旨を伝えて、そのまま仕事に戻っていってしまった。
「王様って、前いた国の?」
「はい」
「で、隣の眼鏡かけたお兄さんが神官様だったんだね」
こくりと小狼君は頷いた。
そういえば、旅に出る直前に侑子さんも言っていた。「知っているひと、前の世界で出会ったひとが、別の世界では全く違った人生を送っている」と。
「なら、あのふたりはガキの国の王と神官と同じってことか」
お好み焼きをじっと眺めていた黒鋼さんが顔を上げて話に加わってくる。その疑問に対し、ファイさんはへにゃんと笑いながら答えるように言葉を続けた。
「同じだけど同じじゃない、かなぁ。小狼くんの国にいたふたりとはまったく別の人生を歩んでいるんだから。でも言うなれば根元≠ヘ同じ、かなぁ」
「根元、ですか?」
「命のおおもとー。性質とかー、心とかー」
「魂ってことか」
納得したように首肯する黒鋼さんに対し、私はうーんと考え込んだ。こういう哲学的というか、抽象的な話はちょっと苦手だ。
小狼君が住んでいた世界でのふたりはそれぞれ王と神官、公人――大衆の上に立つ人物としての道を歩んでいた。かと思えば阪神共和国でのふたりは平凡なお好み焼き屋の店員をやっている。その道はそれぞれまったく別のものであり、たとえば産まれた時代や環境によっては180度別の性格をしていることもありえるだろう。それでも、各々の人生を歩む各人の為人――彼らという人間の根本的な部分を構成するもの……信念とか、考え方とか、そういうものは同じ……ということなんだろうか。
「……なんか、分かったような……?」
「馬鹿なんだな、おめぇ」
「直球で言わんでくださいよ!」
黒鋼さんがバカにしたような笑みを浮かべて豪速球のストレートを放ってくる。いや、そりゃ学校でも理数科目はほとんど赤点の常連だったから、お世辞にも頭いい方とは言えなかったけど、こんなにすぱっと言われるとちょっと傷付く。
「……っていうか、さ」
……さっきから、焼き上がった端からお好み焼きがなくなっていってるんですけど。私の分だけ。
ぷるぷると震えつつ、私の膝の上で昼食を掠め取っている犯人を摘まみ上げる。
「はぁー。やっぱ風月のお好み焼きは美味いなぁー!」
「あんた、さっきから食べすぎだってば!」
ぐいっと首根っこをひっ掴まれて凄まれているにも関わらず幸せそうな表情でお好み焼きを食しているのは、背中にデフォルメされた小さな翼を生やした、オレンジ色のぬいぐるみだった。一見してテディベアを連想させる愛らしい形をしているが、盗人の証拠として口許にべったりとお好み焼きのソースや食べかすをつけている。
「なんや、ええやんかー。わい腹減ったー。あの姿になると色々消耗するんやでー」
抗議の声をあげつつも、長い尻尾は幸せそうにゆらゆらと揺れている。うぐぐぐ。
「それ、未侑ちゃんの巧断ー?」
「はぁ。なんか、そうみたいです……」
「さっきはでっけぇ獅子の姿だったよな」
黒鋼さんとファイさんがそれぞれに私の巧断を覗き込んでくる。先程まで雄々しい獅子の姿で顕現していた私の巧断はぬいぐるみのような姿に縮み、私のポケットを根城にさっきから昼食を掠め取っていたのである。小狼君の巧断はどこかに消えたか隠れたかしてしまったが、私の巧断の場合、平時はこうして縮んだ姿で行動するのがデフォルトらしい。
「わいは巧断の中でもいっちゃん特別やからな! こっちの方が省エネなんや」
「省エネ、ねー……」
じとーっと恨みがましげな表情で睨みつけるが、巧断は知らん顔でそっぽを向いてしまった。人のお昼ご飯強奪しておいて省エネって、ちょっとないと思うんだけどなー……。