ナチュラルに恋して「なんで街が、こんな……チーズまみれに?」 「五十年前南極で発見された、宇宙由来のアミノ酸……あれが全ての始まりだった」 画面の中でふたりの男が話している。背景の街は穴だらけで、黄色い粘土のようなものが乱暴に塗りたくられていた。あれでチーズだと言い張るつもりらしい。今カメラが映している二人が主役級である、ということ以外一切の情報を仕入れる気のないジェイソンは、一度大きなあくびをして視線をテーブルに移した。さっきから携帯電話が微かなバイブ音でメールの着信を知らせている。 「リチャード、またメッセージ来てる」 「あ、本当だ」 さっきまでくだらない映画を注視していたディックがテーブルに手を伸ばす。長い指が携帯電話のケースをひっかけた。手前に少し引きずってから持ち上げる。同時に彼はテレビのリモコンを探し出し、律儀にも映画を一時停止した。流し見にはしたくないらしい。ジェイソンなどは開始五分で眠くなってきているというのに随分な忍耐力だ。 いや、こういう映画が好きだと言っていたから忍耐力ではない。おそらく感性の重要な部分が死んでいる。 ディックがメッセージの返信を打っている間に時計を見たジェイソンは、すでに映画を見始めてから五十分が経過していることに気づいた。この五十分の間画面の中でなにがおこったのかまったく覚えていない。非常に無駄な時間である。 バカらしいと思いながら画面を見ていたジェイソンは、とうとう本格的にバカらしくなってしまって、忙しなく携帯電話をいじっているディックの肩に頭を預けた。 すると相手は少し嬉しそうに笑ってジェイソンの頭を撫でてくる。 「どうした?」 「この映画つっまんねぇ」 「そうかな。おもしろいけど」 「どういう神経してんだよお前」 「よく言われる、お前にだけど」 自然、ジェイソンは苦虫を噛みつぶしたような顔になる。義兄はとても嬉しそうだ。頭を撫でている手が自然を頬を滑り降り、首筋に触れてきた。胸鎖乳突筋をなぞるように滑った人差し指が鎖骨をなで上げる。ジェイソンが睨むと、ディックは速やかに手を放した。そのままリモコンを使って再び映画を流し始める。 「あれには私の娘の……娘の癌細胞が使われているんだ!」 なにやら衝撃的な告白をしたらしい男のセリフがまったく頭に入ってこない。よく真面目に演技ができるものだ。ジェイソンが役者だったら台本を渡された時点で逃亡する。あくびをひとつして、ジェイソンはぼんやりと考えた。いや、この男だって逃げたかったのかもしれない。演技だとわかってしまう時点で真面目にやっていないのかもしれないではないか。 ディックは相変わらず真剣にこのバカらしい映画を注視していた。別に彼の趣味に今更どうこう言うつもりはないが、つきあい始めて丁度二年という日になにもこんな下らない映画で一日潰さなくても良いではないかと少し思う。以前はこちらがうんざりするほど積極的だったクセに。 そしてこんな女々しい考え方をしてしまう自分にもいい加減うんざりだった。昼は美術館にでも行って夜は夜景の見えるレストランでディナーでも食べれば満足なのだろうか。面倒な女でもあるまいし。 ただ相手が携帯電話と下らない映画に夢中というのが面白くないのは事実なので、ふてくされたようにディックの肩に額をこすりつけ、体重をかけて目を瞑ってしまっている。面倒な女でもあるまいし。 頭上からクスクスと小さな笑い声が聞こえた。 「今日は機嫌が悪いな、リトルウイング?」 また義兄の指がジェイソンの頭をなで始める。宥めるような手つきは先ほどと違い他の意味を含んでおらず、とても心地よかった。ただ素直になるのは癪なので、わざと不機嫌そうな声を出す。 「たまの休みくらいもっと有意義な時間の使い方したらどうだよ、リチャード」 「充分有意義だろ?」 「こんな下らない映画見てたまに携帯いじってんのが?」 「お前が珍しく僕の肩によりかかってるのとかが」 ジェイソンはなんだか無性に悔しくなって、わざとらしく目を細めて見せた。 「……ヤッてる時より?」 「同じくらいかな」 欲望に忠実な男の脇腹を軽く殴ってやると、また頭上から楽しそうな笑い声がする。 「映画なんかみてねぇじゃねぇか」 ジェイソンが吐き捨てると 「見てるよ」 即座に答えが返ってきた。手は相変わらずジェイソンの頭を撫でている。五センチも背が小さいくせに、生意気な義兄だ。睨み付けてやるため顔を上げる。すぐ近くにディックの顔があり、予想出来ていなかった男はその場で硬直してしまった。その隙に、彼の唇が一瞬だけ塞がれる。 やっぱり、映画なんかみてねぇじゃねぇか 遠くで聞こえるセリフの音が拾えない。上手く口が動かず皮肉が言えない。ジェイソンの耳朶を、優しげな恋人の声が通り抜けていく。 「それと、夜はちゃんとレストラン予約してあるから、楽しみにしてろよ」 大丈夫、ブルースのお墨付きだから。という男の脇腹をもう一度殴りつける。また頭上から「痛い痛い」と、楽しげな笑い声が聞こえてきた。 面倒な女でもあるまいし、こんなことでなぜこんなに気分がいいのやら。 どうしようもなくくだらない映画を、あと三十分我慢してしまえる程度には顔が熱かった。 [しおりを挟む] 目次 戻る |