旅立ちの鐘が鳴る

拝啓 牢の中の貴方へ 籠の中の僕より


 昨日の早朝に見た金色が、今朝は姿を見せなかった。
 ぼんやりと天井を見つめたジェイソンは、部屋に自分以外の気配がないことを意外に思いつつベッドを出る。彼が聖務日課を終えたあとも、梟は姿を現さなかった。
 用意した部屋を使ってくれたのだろうかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。司祭館からディックの姿が忽然と消えている。書き置きもないし、連絡手段もない。ジェイソンには梟が目の前から消えた場合、追いかける術がなにもなかった。
 昨晩は朝食も食べると言っていたのに。

「リチャード?」

 名前を呼んでも返事がない。
 とにかくミサの準備を終えてから考えようと決め、ジェイソンは司祭館を出た。
 白亜の壁が眩しい教会堂はまだ静まりかえっているも、七時には朝のミサが行われるため、信徒が集まってくる予定だ。
 今日のミサはテリー・ハンクス神父が執り行う予定になっている。ジェイソンも同席する予定で、そういう時は大概、司祭館に住んでいるジェイソンが先んじてミサの準備を行っていた。ある程度まで進めておけばアクシデントがあっても迅速に対応できる。
 一段落ついたら朝食の準備をして、ディックの帰りを待てばいいだろう。いつもミサがある時は食事を後回しにするので問題ない。
 それにしてもディックはどこにいるのだろう。
 教会堂の施錠を解き、身廊を通って内陣まで至ると、ステンドグラスからうっすらと朝日が差し込んできた。
 きっと今なら梟もこの光景を美しいと思ってくれるはずなのだが。
 ため息を飲み込むために顔をあげ、ジェイソンの動きが止まった。
 
 梟の刻印がある。

 天井に、ディックの持つ投擲用ナイフに彫り込まれているものと同じ梟の意匠があった。
 ジェイソンの全身から一気に汗が噴き出し、肌をひりひりと焼いていく。心臓が一度大きく収縮し、ドクドクと早鐘を打ち始めた。呼吸が荒くなり、上手く酸素を取り込めない。息苦しい。
 なぜこの場所に、梟の意匠があるのだろう。
 疑問符で脳が埋め尽くされる中、混乱した神父はひとつの単語を思い浮かべた。
 ジュード・グレイヴス
 ティムがメディナ家のお抱え建築士だと言った男は、聖ラザロ教会の設計も手がけていた。
 カトリック教会までもが〈梟の法廷〉に関係していた可能性に思い至った瞬間、ジェイソンの全身から血の気が失せる。
 共に教会に奉仕する神父が〈法廷〉と関わりがあるなどと思いたくはない。教会堂が建てられてからかなりの時間が経過しているし、この教会堂が〈梟の法廷〉によって建設されたとしても、今以てなお関係が続いているとは限らないのだ。疑うことはしたくない。
 天井の梟と睨みあったまま、神父の喉が上下する。固唾を飲む音がやたら大きく聞こえた。心臓の音がうるさい。
 金縛りにでもあったように動けないでいるジェイソンは、次の瞬間教会堂の扉が重い音と共に開くのを察知した。
 ディックかと思ったが、そうではない。立っていたのはオズボーン司教だった。
 ウェイン司教が負傷した際、臨時でゴッサム教区を与ることになった前任司教である。
 黒髪を横に流した男が、黒に限りなく近い青目でジェイソンを捉えた。

「聖務日課の準備ですか? トッド神父」

 一体何の用だろうか。

「……いえ、この教会は、教会堂での聖務日課は行いませんので、先ほど自室ですませました。今はミサの準備です」

「そうですか。熱心なことですね」

「いいえ、当然のことです」

 ナロウズはスラムと形容される地区だ。教区をあずかる司教がおいそれとくるような場所ではない。ブルースが聖ラザロ教会に来ていたのは、彼の腕が立ち、この教会に勤めるジェイソンが彼の養子であったからだ。

「それよりもオズボーン司教、なにかご用ですか? リンド神父がいらっしゃるのはもう少し後になりますが、司祭館でお待ちになられますか?」

 オズボーンが一歩ずつ内陣に近づいて来る。口元にうっすらと笑みが浮かんでいたが、何を考えているのかいまいち解らなかった。

「いえ、今日用があるのは貴方ですよ。トッド神父」

「私に、ですか……?」

 みぞおちに穴が空いたような感覚。ジェイソンの口から吐き出された声は思いのほか小さかった。
 年若い神父と視線を合わせた司教は、内陣から十メートルほど手前で歩みを止める。

「〈梟の法廷〉について、調べているそうですね。信徒の方からお話を聞きました」

「それが、どうかしましたか?」

「調べてどうするのですか? まさか、ゾンビ兵やら不死身の化物の話など、信じているわけではないでしょう?」

「……その噂が真実だとしたら、〈梟の法廷〉は悪魔の手先ですね」

「面白い冗談です」

 ステンドグラスを通して色づいた朝日が司教を照らしていた。赤い光が紺色の瞳孔に入り込んでいる。

「〈梟の法廷〉について調べるのをやめなさい。トッド神父」

 早鐘の様になっていたジェイソンの心臓は今や落ち着きを取り戻していた。ゆっくり深呼吸することで、みぞおちに穴が空いたような感覚もゆっくりと埋まっていく。
 パニックになってはいけない。

「なぜですか?」

「理由はわかるでしょう?」

 混乱してはいけない。オズボーンをまっすぐに見据えたジェイソンは、努めて無表情のまま天井を指差してみせた。
 自分が立っている内陣の真上。梟の意匠がある場所。

「ついさっき、ここに梟の刻印を見つけました。〈タロン〉が身につけていたものとまったく同じデザインのものです」

 司教の体が一瞬だけ硬直した。質問に答えない彼を見て、ジェイソンが更に言葉を続ける。

「ゴッサム教区は、〈梟の法廷〉に与しているのですか?」

 ゴッサム教区としたのは、せめてカトリック教会全体にまで腐敗が進んでいるわけではないと思いたかったからだが、実際のところどうなのかジェイソンは半信半疑であった。
 こうしてジェイソンを止めに来た以上、オズボーンが〈法廷〉と関係していることは間違いない。
 では、オズボーンより上の人間は。過去の司教は。
 疑いたくはないのに、オズボーンは答えない。代わりに笑みが深まったが、目は笑っていない。

「……ああ、もうそこまで気づいてしまいましたか」

 再び教会堂の扉が開いた。黒衣の集団が素早く動き、オズボーンの前に立ち並ぶ。
 梟を思わせるマスクを被った五人ほどの不審者――いや、暗殺者。
 立ち並ぶ黒衣の間で司教が目を細める。赤い光を取り込んだ紺の瞳孔は悪意と殺意の輝きに満ちていた。

「以前から、神学校もまともに通っていない"悪魔の子"が聖職者を名乗るのは気に入らなかった。余計なことに首を突っ込んだのが運の尽きですね。地獄に堕ちなさい、ジェイソン・トッド」

 司教がしてよい顔ではないと、ジェイソンは思う。清廉潔白な人間などこの世にいるわけがないけれど、それでも。人を導く立場にある人間がしていい表情ではない。悪意と殺意にまみれ、目の前の人間を見下し嘲笑する表情。
 ジェイソンは思わず眉を顰めた。

「……本気で、言っているんですか? オズボーン司教」

「冗談に聞こえるなら、心外ですね」

 司教と神父の間に立ちふさがる〈タロン〉たちが、ジェイソンに向かってナイフを構えた。
 まず右端の暗殺者が武器を投げつけてくる。
 ジェイソンは咄嗟に、主祭壇の裏へ逃げ込んで攻撃を避けた。敵の動く気配がする。
 眼前に現れた黒衣に対し、近くにあった燭台を投げつけてひるませた。顔に鉄を当てられた暗殺者が怯んでいるあいだに彼の背後に回り込む。
 敵が装備していたナイフを一本引き抜き、背後から腎臓を貫く。
 梟の体が一度大きく痙攣するも、他に大したアクションもなく冷たい体が脱力し、弛緩した。
 ひとり殺したからといって他の敵が撤退してくれるはずもなく、他の暗殺者が仲間の死体に構わずナイフを投げつけてくる。
 仕方なく、肉に刺さった刃物を取って代わりに、死体を壁にしてナイフを避けた。
 取っ手を握った右手に、盾が傷つけられる感触が伝わる。あまり気持ちの良いものではない。
 思わず眉を顰めた神父は、だから、死体だと思っていた梟の動く気配に気づかなかった。
 突然服の襟首を掴まれ、放り投げられる。
 視界がぐるりと回転し、背中から床にたたき付けられた。
 視界の隅で、殺したと思っていた梟が背中からナイフを抜いている。
 別の暗殺者が刃物を投げてきたので、ジェイソンは素早く体を反転させて攻撃を避けた。
 迅速に片膝をついて立ち上がり、舌打ちをする。

「ゾンビ兵とはよく言ったものですね!」

 盾のなくなったジェイソンは、雨のように降ってくるナイフに対抗する術がない。
 いくつかの攻撃を避けた末、とうとう肩に一本刃物が刺さった。
 全身を激痛が走り抜けていき、体の動きが止まる。
 暗殺者がその隙を見逃すはずはなく、一匹が真正面から飛びかかってきた。
 反撃しなければ殺される。
 武器なら先ほど敵がくれた。
 肩に埋まったナイフを引き抜き、横一閃。
 黒衣の喉笛を切り裂くと、勢いよく鮮血がほとばしり、磨き抜かれた教会堂の床を汚した。
 一般用の木製座席にも汚れが付着し、鉄の臭いが周囲に広がる。
 オズボーンが服の袖で口元を覆った。

「教会堂を血で汚すなど、嘆かわしい。お義父様が泣きますよ」

 またジェイソンの心臓が大きく脈打った。
 ウェイン司教は、〈梟の法廷〉のことをどこまで知っているのだろう。〈タロン〉に暗殺されかけたのだし、関係者だとは思いたくない。
 カトリック教会のどこまでが〈梟の法廷〉と関係しているのかジェイソンには解らなかった。リンド神父は。ハンクス神父は。
 逡巡が刹那の隙を生み、黒衣がジェイソンを取り囲む。
 オズボーンが口元を隠したまま笑みを深めた。

「死で償いなさい」

 梟の覆面を付けた暗殺者達は全員、一切の躊躇なく神父にむけてナイフを投げつける。
 人を殺傷せしめる銀の雨。
 防ぎきる方法はない。
 だが凶器が人の肉を裂くことはなく、床に刺さったナイフが硬質な音を響かせた。
 ジェイソンの姿はその場になく、オズボーンと梟たちが慌てた様子で周囲を見回す。
 神父が包囲された場所から一メートルほど離れた場所に主祭壇があった。
 その上に、自分でも何が起こったか解らない様子の神父が四つん這いになっている。
 無論、望んでそのような体勢になったわけではない。子犬のように首を掴まれているため、そうならざるを得なかったのだ。
 青白い手が彼の襟首を掴んでいる。立て膝で主祭壇に座っているのは、彫刻のように均整のとれた容姿の若い梟。
 黄金を思わせる金色の目に、闇より深い黒髪と、蝋のように白い肌を持った美男子だった。
 リチャード・ジョン・"ディック"・グレイソン。

「誰が死ぬって?」

 薄ら笑いの口元から出たのは嘲笑。余裕そうに振る舞う彼の体は、しかし至る所に傷があり、主祭壇は血の雫で濡れていた。
 オズボーンが忌々しげに顔を歪め、荒い舌打ちをする。
 ジェイソンの頭上から、ディックの短い笑い声が聞こえた。オズボーン司教が動揺し苛立つ姿が面白いらしい。
 意地悪く笑う間にも、青白い腕や太ももから血が流れ出ており、そのひとしずくがジェイソンの頬にかかった。仰ぎ見た梟の傷ついた姿を見て、ジェイソンは知らず悲鳴のような声をあげる。

「リチャード! その怪我はどうしたんですか!」

 しかし当の本人は落ち着き払っており、神父に一瞥もくれず淡々と答えた。

「気にしないでよ、どうせすぐに治る」

「治る傷ではないですよ!」

 暗殺者たちがディックとジェイソンに向けてナイフを構える。
 ディックも神父を抱えたままナイフを構えた。

「治るんだよ。そんなことより、貴方がまだ無事でよかった。傷はすぐ手当てするから」

「貴方のほうが先じゃないですか!」

「だから、それは大丈夫なんだって」

 青白い頬に走っていた赤い切り傷が治っていく。太ももにあった裂傷も、首筋にあった擦り傷も、ディックの言った通りみるみるうちに回復していった。目の前で起こった出来事が理解の範疇を超え、硬直したジェイソンに金色の視線が投げかけられる。

「うすうす勘づいてるだろ? 僕らは噂通りの"ゾンビ兵"。〈法廷〉が作った特殊な化合物と、体内の[[rb:通電性合金 > エレクトラム]]が細胞内部にまで入り込んでる。細胞組織が化合物と融合すると、何度でも再生と修復を繰り返すんだ」

 ディックの傷は今や完全に修復されて、跡すら残っていなかった。青白い頬の上で凝固した血を梟の手が擦る。ぽろぽろと赤黒いカスが落ちて、蝋の肌には汚れも傷もなくなってしまった。

「だから僕らの体は、たとえ高層ビルから落下してもすぐ再生するし、殺しても死なない。まあ、体自体はもう死んでるんだけどね」

 何か言おうとしてジェイソンは口を開いた。喉から音が出ることはない。なんと言って良いかわからなかった。梟が少し悲しそうな笑みを浮かべる。
 なにか言わなければ。
 そう思っても、説明されたことを理解するのが精一杯でどうしていいのか解らない。ジェイソンが冷静になる前に、ディックが口を開いてしまった。

「噂ってバカにできないよね。〈法廷〉はこの情報を流してないから、たぶん誰かが面白半分に考えたんだろうけど、本当にゾンビ兵が〈梟の法廷〉に仕えてたわけだ」

 少しずつジェイソンの脳が冷静さを取り戻す。目の前の男がわざと自らを貶めているように思えて、神父はやっと声を出すことが出来た。

「リチャード、自分のことを、どうかそんな風には……」

 ディックはなにも言わない。代わりに、まだ口元を袖口で覆ったオズボーンが棘のある声音を発した。

「随分懐かれたものですね、ジェイソン・トッド」

 ディックをペットかなにかだといいたげな態度だ。神父の表情が歪む。自分の属している組織の、同じものを信じているはずの人間に、こんなことを言われるのは心が痛んだ。

「そんな言い方は……やめてください、オズボーン司教」

 司教はなにも答えず、首を傾げるに留める。かわりに視線をジェイソンからディックに移し、嘲るように目を細めた。

「貴方も"処分"すると聞いていましたが、よく逃げ切りましたね」

「生憎、"歴代一の〈タロン〉"ってのはダテじゃないんだよ」

「そうですか。では、数で勝るといっても油断はできませんね」

 〈タロン〉たちがディックとジェイソンにナイフを向ける。さらに一歩敵から遠ざかった司教は感情のない声音で吐き捨てた。

「確実に仕留めなさい」

 梟たちが動き出すと同時にディックも動く。

「そんな簡単にやられるかよ」

 男が手に持った小型の発煙弾を地面に叩きつけ、敵と自分たちの間に煙の壁を作った。
 暗殺者たちが白煙を払いのけたころには、すでにその姿は消えている。
 オズボーンが「探しなさい!」とヒステリックな金切り声をあげていた。
 梟たちが音もなく散り、主祭壇の周囲を中心に敵を探す。
 その気配を、ジェイソンは内陣裏にある聖具室で感じ取っていた。座り込んだ神父のすぐ横で、若い梟が壁に耳を付けている。おそらく彼はジェイソンよりはるかに精密に、敵の存在を察知しているのだろう。
 彫刻の青白い唇が僅かに動いた。

「ここも長くは持たないと思うから、傷の手当てをしたらすぐに逃げよう」

 今負傷しているのはジェイソンだけだ。ディックの体は傷などとうに消え失せているが、服は回復するわけがなく、黒衣のいたるところが裂けて青白い肌が覗いている。
 繊維の切れ目に手をあてがい、裂こうとするディックを神父が手で制した。 おそらく布を包帯代わりにジェイソンの止血をしてくれるつもりなのだろう。

「大丈夫です……」

 神父の小さな言葉を聞き、梟が動きを止めた。金の目がジェイソンをじっと見つめる。男は視線を合わせられず、俯いたままだった。

「私は、大丈夫ですから……貴方は逃げてください。〈梟の法廷〉に、狙われているんでしょう?」

 神父の言葉を聞いて、ディックはひどく戸惑ったようだった。自分の服に手を掛けたまま、弱々しく声を震わせる。

「貴方も狙われてるんだよ。貴方も、逃げなきゃ殺される」

 そうだ。オズボーンはジェイソンに死ねと言った。ディック以外の〈タロン〉たちはジェイソンを襲ってきた。
 けれどそれでも、ジェイソンにはもう立ち上がる力がない。

「私は……私は、もう良いです……」

 吐き出した言葉は思ったよりも震えている。情けないと自嘲する彼の頭上から、酷く重たい声がした。

「は?」

 ディックの声だ。それはそうだろう。危険を冒してまで助けた人間が投げやりな言葉を吐いたら誰だって苛立つ。そのまま見捨てられたいと思うジェイソンはきっと卑怯者だ。

「私を地獄から救い出してくれた、私の信じていたカトリック教会は、〈梟の法廷〉と関わっていました。それがゴッサム教区だけなのか、バチカンもなのかはわかりません。もしかしたらオズボーン司教だけなのかもしれない」

 ガタガタと扉が揺れている。〈タロン〉の誰かがこの部屋に気づいたのだろう。向こうには、教会の構造に詳しいオズボーン司教もいる。暗殺者が一斉に攻撃してきては、古い教会の扉などひとたまりもない。
 ジェイソンは、ディックだけでも逃げて欲しいと思った。

「でも、私は一瞬、全てを疑ってしまった。ウェイン司教やリンド神父や、ハンクス神父も〈法廷〉の関係者なのではないかと思ってしまった」

 今まで共に歩んできた仲間の全てを疑った。所詮自分はその程度の人間なのだ。胸に抱いた信仰は、その程度のものだった。このまま、ディックまで疑ってしまう前に、見捨てられたほうがいい。全てをもう一度疑ってしまう前に、裏切る前に、自分の信じていたものを自分で壊してしまう前に、いっそ息を止めてしまったほうがいい。
 信じるものを一瞬でも疑ってしまったジェイソンは、きっともう神父ではいられない。

「私は……私はもう、なにを信じて良いかわからない……」

 強ければ疑わずに済んだのだろう。罪悪感に押し潰されそうだった。そんなわけはないと思いながらも、ジェイソンはまだ心の何処かで、カトリック教会自体を疑ってしまっている。
 ディックの怒気が蹲るジェイソンの産毛を逆立てた。肌に刺すような感覚がある。
 せっかく助けに来てくれたのに、ごめんなさい、と言おうとして、ジェイソンは思わず口を噤んだ。
 ディックの口から零れた

「なんだよそれ」

 という言葉が、思いのほか怒りの熱を孕んでいたからだ。呆れられて、冷たい言葉を吐き捨てられて当然なのに。
 え、と思って顔をあげると、胸元を乱暴に掴まれ、無理矢理立ち上がるよう促された。
 視界が揺れ、眼前に鮮烈な輝きを放つ金の目が現れる。整った顔立ちは声の孕む熱のわりには冷静で、開ききった瞳孔がまっすぐにジェイソンを捉えていた。

「なにを信じて良いかわからない? なんだよそれ」

 ディックの目にジェイソンが映っている。ひどく情けない顔をした男だ。こんなものは捨て置いて自分だけでも逃げればいいのに、ディックはそうしなかった。
 梟が神父のカソックを乱暴に掴んで、思い切り顔を近づける。鼻先が触れるような距離だ。

「大抵の人間は、なにを信じて良いかなんてわからないまま過ごしてるんだよ。僕だって今まで尽くしてきた〈法廷〉に殺されそうになって、信じるものも帰る所もなくなったけど、諦めたりなんかしない」

 青白い手が小さく震えている。怒りなのか悲しみなのか両方なのか、ジェイソンには解らなかった。
 ディックの腕に力がこもる。
 少し息苦しかったが、息ができないほどではなかった。おそらくこんな状況でも気遣ってくれているのだろう。
 気遣ってくれているから、今彼はジェイソンに対して怒っている。
 
「なのに貴方は諦めるのか? 僕を救ってくれた男は、そんなことで揺らぐほど弱い人間だったのかよ」

 救ってくれた。その言葉が神父の心に落ちてくる。ジェイソンはディックを救えたのだろうか。
 手を差し伸べはした。救いたいとは願った。
 かつて自分も助けられたからだ。差し伸べられた手と、カトリック教会に。
 そんな恩人を今日疑ってしまった。そんな恩人に与えられた信仰を疑ってしまった。
 ジェイソンの胸中をまた罪悪感が責め立てる。
 神父の心情を察したのか、ディックの眉間に深い皺ができた。

「教会がなんだよ! 司教がなんだよ! 僕の名前を呼んでくれたのはキリストでも司教でも教皇でもない! バチカンもゴッサム教区も僕に眠る場所なんかくれなかった! 僕の名前を呼んでくれたのも、いつでも食事を作るって言ってくれたのも、ジェイソン・トッド! 貴方じゃないか!」

 扉がガタガタと揺れている。はやくディックを逃がさなければと思ったジェイソンは、けれど、若い梟は絶対に自分を置いて逃げようとはしないだろうと悟っていた。
 太陽のような金の目が、あまりにも明るく輝いていたから。

「なにを信じてるかなんて関係ない! 貴方が信じてるものも、僕が信じてたものも、僕を救ってくれやしなかった! 僕を救ってくれたのは貴方だけなんだ!」

 救えたのだろうか。ジェイソンの不器用で、短くて、小さな手でも。迷子の梟を救うことができたのだろうか。かつて自分が救われたように。
 茫然とするジェイソンに対し、ディックは血の吐くような悲鳴を投げつける。

「僕は貴方に救われたんだ! だから、諦めるなよ! ジェイソン! 貴方だって、貴方が今信じてるものに救われたわけじゃないだろ!? "それを信じる誰か"が、救ってくれたはずなんだ!」

 殴られたような衝撃がジェイソンの脳を駆け抜けた。
 信仰は、なにもなかったジェイソンが、やっと手に入れた生きる糧で、やっと手に入れた誇りだった。
 そう思えたのは、ジェイソンを救ってくれた誰かのおかげ。
 ブルース・ウェインの、彼の差し伸べてくれたあの大きな手のおかげだ。
 ジェイソンがカトリックの教えを信じたのは、ブルースが信じていたから。
 そのブルースさえも一瞬疑ってしまったが、彼のように誰かを救いたいとずっと思っていたから、ジェイソンはこうしてディックに命を助けられ、叱咤されている。
 信仰はジェイソンがやっと手に入れた誇りだ。
 では、信仰とは?
 ブルースはいつも口癖のように『心に従え』と言ってくれていた。

『信仰とは、戒めではなく自由だ。お前はお前の心が欲する善に従いなさい。全ては、心が知っている』

 心が欲する善が信仰ならば、信じるものが自分の心の中にあるのなら、なにかを疑ってしまっても、迷ってしまっても、自分の中から信仰を見つけ出すことができるはずだ。
 ディックはカソックの襟首を掴んだまま神父を睨み付け、目を逸らそうとはしなかった。
 彼はジェイソンに救われたと言ってくれた。ジェイソンも彼を救いたいと願った。
 それは心に従ったからだ。
 自分を助けてくれたブルースのように、自分も誰かを助けたいと、思ったから。
 ジェイソンの心が欲する善は、自分を助けてくれたあの大きな手。あんな風にいつかなれたらいいと思った。
 そこにカトリックが説く神の教えは関係ない。けれど、きっとこれこそ、神がジェイソンに与えてくれた"信仰"なのだ。

――信じるものは自分の心の中にある。

 まだジェイソンは、自分の信仰自体を疑ってはいない。誇りはまだ捨てていない。見失ってなどいなかった。
 
 ディックは黙りこくっているジェイソンに痺れを切らしたようで、険しい顔つきのまま低く唸る。

「傷の手当てをするから、抵抗するなよ。無理矢理にでも連れて行くから。こんなところで、あんな奴らに貴方を殺させたりなんかしない」

 彼の手はまだカソックを握りしめている。微かに震えている腕にそっと手を置いたジェイソンは、なるべく穏やかな所作で彼の手を自分から引き離す。

「……ありがとうございます、リチャード」

 梟はジェイソンの動作を拒絶と受け取ったらしい。青白い頬が高揚し、呼吸も荒くなった。

「貴方は、まだ抵抗する気なのか!?」

 反して、今まで揺らいでいた神父の表情は穏やかだ。揺らいでいたものを、目の前の青年が支えてくれた。

「いいえ。傷の手当てなら、この地下に用具が揃っていますから」

「地下?」

 梟は理解しきれず口をぽかんと開けている。説明するより見せた方が早いだろう。ジェイソンが二、三歩進んだ場所でしゃがみ込み、床のぼみに手を掛ける。
 ギギギ、と重い大きな音がして床が持ち上がり、地下への階段が現れた。
 ディックは相変わらず放心したように立ちすくんでいる。彼の目の前で軽く手を振り、ジェイソンが言った。

「ここに止血剤があります。軍事用に開発されたもので、患部にあてるだけで止血と鎮痛の効果があるんです」

 神父の説明を聞いて、梟がやっと我に返ったようだ。一瞬視線をさ迷わせたあと、僅かに不服そうな表情でジェイソンを見やる。

「なんでそんなものが教会堂にあるんだよ……」

「他にもいろいろありますよ」

 神父の手招きで梟が地下へと潜っていく。階段はすぐに終わり、ジェイソンの手が照明のスイッチを押した。
 広がっていたのは、教会堂と同じ広さの部屋。一八三センチのジェイソンがやっと通れる程度の高さがあり、薄暗い裸電球に照らされた室内には所狭しと銃器や刃物、火薬の類――要するに武器が並んでいた。
 ディックがその場で足を止め、目を見開いたまま硬直している。
 ジェイソンは軍事用止血剤を取って肩の傷に当てた。関節の負傷はひどく痛むし、下手をすれば命に関わる。

「表にいる暗殺者が全員貴方と同じレベルの生命力を持っているとしたら、銃で倒せますか?」

 彼の目についたのはコルトM4コマンドーとH&KMP7。なるべくコンパクトで扱いやすく、かつ攻撃力の高いものがいい。PDWを使うなら、弾丸の予備も必要だろう。
 ディックは出入り口の近くに立ち尽くしたままだ。

「……頭部が完全に破壊されれば、大丈夫だよ」

「そうですか。荷物が少し多くなりそうですね」

 ジェイソンは少し迷って、コルトコマンドーとMP7の両方を持っていくことにした。ひとつはなにかあった時の予備だ。それから出入り口に立ったままのディックを見て、彼の足もとにある木箱を指差す。

「そこにも銃が入っています。見ての通りほかにもたくさんありますから、いくつか持っていっていいですよ」

 頭部を破壊しなければいけない相手と戦うなら、接近戦よりは銃で狙い撃ったほうが楽だろう。噛まれたらゾンビになるなどというオマケはないが、格闘戦に持ち込まれいつまでも殺せないという状況は避けたい。
 話しかけられたディックは、戸惑ったようにジェイソンから視線を逸らし、手のひらを顔の前に突き出して見せる。

「いや、僕、ナイフがあれば充分だから。銃の訓練はされなかったし……」

「そうですか。古くさい教育ですね」

 ディックが銃を使えないとなると、それを考慮して動かなければならない。だが逆を言えば、相手も銃を使えないということだ。これは好都合である。
 
「そろそろ相手も扉を蹴破ってくる頃でしょうから、攻められる前に攻めましょう。まさか反撃されるとは思っていないはずです。必ず隙が生まれる」

 神父がディックの横を通り過ぎ短い階段を上る。梟が慌てた様子で後を追いかけてきた。
 
「切り替えが早すぎじゃない?」

 声に多少呆れの色が滲んでいる。ジェイソンが立ち止まり、ディックを振り返った。

「泣いていても腹は膨れないと、子供の頃学びましたので」

 それに聖書にも書いてある。求めよさらば与えられん。
 階段を上りきると、既に扉がところどころ壊れており、蹴破られる寸前だった。
 ジェイソンがコルトコマンドーを構えると、ディックも肩にかけたベルトからナイフを引き抜く。

「司祭館まで援護するから、なるべく弾を使わないようにして。多分、この後も追ってくるから」

「ありがとうございます。ですが、司祭館にも武器のストックはありますから、大丈夫ですよ?」

「そうなの? まったくなんなんだよこの教会……! 僕のほうがなにを信じて良いかわからなくなりそうだ……」

「でも、問題ないんでしょう?」

「そうだけどね! 司祭館で武器を変えるならあまり目立たないものにしてよ。逃げる時見つかりにくいものにしてくれ。あと、荷物は手早くまとめてくれよ」

「荷物はまとめませんよ。逃げませんから」

「は!?」

「司祭館に行くのは、武器を取りに行くためです。あちらのほうがメインの倉庫になっていますから」

 コルトコマンドーの銃口が揺れる扉に狙いを定める。

「こうなった以上、全面戦争です。〈梟の法廷〉を潰します」

 銃口がけたたましい音と共に火を噴き、毎分七百発もの弾丸が吐き出される。当然凄まじい威力だ。扉ごと暗殺者がふたり吹き飛んだ。
 床に倒れ込んだ死体の頭をさらに銃で撃ち抜き、千切れてしまった手を踏み越えると、攻撃を免れた梟たちが襲いかかってくる。
 狙いを定め、引き金を引いた。
 まず胴体に弾を命中させ、怯んだ隙に銃口を頭部へ向けると、暗殺者の上半身に小さな穴が無数に開いていく。
 肉塊に成り果てた仲間を見捨て、もう一人のタロンが弾丸の雨をくぐりジェイソンに近づいてきた。同時にディックも姿勢を低くして敵に突進していき、相手がナイフを振りかざす前に敵の喉笛をかききってしまう。
 穴だらけになった肉塊の上に、切断された首が転がり落ちた。
 頭との破局を迎えた体のほうは、どうと重い音を立て前のめりに倒れる。首のあたりから赤い血がドクドクと流れ出たが、それもすぐに止まってしまった。
 ジェイソンがふたつの死体を踏み越える。

「同じ〈タロン〉なのに、動きのレベルが違いますね」

「言っただろ。僕は"歴代最高の〈タロン〉"なんだよ。こんな起き抜けの連中に、遅れなんかとるかよ」

 教会堂にはすでにオズボーンの姿は見えない。代わりに、数人の暗殺者が一斉にジェイソンとディックへ襲いかかってきた。
 ディックにナイフを突き刺そうとした〈タロン〉は、踊るように攻撃を躱した彫刻によって、逆に頭部をひとつきにされてしまう。
 崩れ落ちる敵の死体を蹴り飛ばし、すぐさま体を反転させた梟が、もうひとり自分に襲いかかってきた黒衣の腕を掴む。
 瞬間、青白い彫刻に捕獲された敵の頭が吹き飛んだ。
 至近距離にいたジェイソンが銃口を黒衣の頭に押しつけ、引き金を引いたのだ。
 ディックの頬に数滴赤い汚れがつく。
 馴れているのか、彼は眉一つ動かさず鉄の液体を指で拭い、神父に笑いかけた。

「ねえ、僕ら結構いいコンビじゃない?」

「そうですね。数分前共闘したばかりにしては上々じゃないですか?」

 ジェイソンの銃口が別の〈タロン〉に向けられる。轟音が響き、暗殺者の頭部が破壊されると同時に、残った体が衝撃で後ろへ吹き飛んだ。銃口を横にずらしてもうひとりの膝を撃つと、即座に敵へ接近したディックが暗殺者の目をナイフで突き刺す。
 
「これで再生が妨害される」

「なるほど。しかし、ナイフがもったいなくないですか?」

「そこらへんにやまほどあるから大丈夫だよ」

 実際、倒したタロンは全員ディックと同じようなナイフを持っていた。目玉を刺し貫いた死体から、ディックがナイフを数本奪う。
 武器を補充し終えた後、彼らは教会堂の扉を開けて司祭館へ向かい走り出した。
 五メートルほど先、木の上から飛び降りた〈タロン〉をジェイソンが撃ち殺す。並走するディックは襲いかかってきた暗殺者の頭にナイフを突き立てた。

「ねえ、前にも聞いたけど、なんでそんなに強いんだよ? 教会が武器庫になってる以上、昔ヤンチャしてましただけじゃすまされないぞ?」

「最初に言っておきますが、この武器を使っているのは私だけですよ」

「じゃあ勝手に教会改造したの?」

「教皇様の許可は得ています」

 またジェイソンが銃の引き金を引いた。植え込みから飛び出してきた暗殺者を吹き飛ばし、倒れた敵の頭部を再度撃って完全に破壊する。

「お恥ずかしながら、カトリック教会内部にも不貞の輩はおりますし、信徒の皆様が世の不条理に悩まれ、教会を訪問することも数多くあります。そういう不条理を"取り除く"お仕事を、神に仕える傍らしておりまして」

「うわ、じゃあなに、犯罪者とか殺すの? 神父なのに?」

 ディックがナイフを投げ、木の上にいた〈タロン〉が落ちる。ジェイソンの銃が暗殺者を狙い撃ち、ボロ雑巾のようにしてしまった。

「ローマ人への手紙十三章四節ですよ。『権威者はあなたに益を与える為の神のしもべなのである。しかし、あなたが悪をおこなうなら、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神のしもべであって、悪をおこなう者に対しては、怒りをもって報いるからである』」

 ジェイソンが襲いかかってきた黒衣を蜂の巣にした後、銃のカートリッジを入れ替える。古いものはその場に捨てた。どうせ後で掃除するのは自分だ。

「私は、その権威者であることを選んだのです。ヨハネ福音書十五章十三節、『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』……私は自分の命を賭け、怒りをもって悪に報いる」

「こわっ! なにが昔ヤンチャしてただよ! 今もヤンチャじゃないか!」

「ヤンチャではありません。友のための献身です」

「そんな仕事しててよくも今更『なにを信じて良いかわからない』なんて泣き言言えたよね……」

「仕事仲間や恩人と人間のクズは別ですから」

「今神父にあるまじき発言しなかった?」

 ディックが死体からナイフを抜き取り、教会堂の屋根から飛び降りた梟へ投げつける。
 ジェイソンは彫刻とは反対側に体を向け、どこからか現れた梟に弾丸の雨を浴びせた。敵が起き上がってこない事を確認すると、まだ煙を噴いている銃口を空に向ける。

「さあ、もうすぐ司祭館につきますよ」

 居住区のほうにはまだ追っ手が来ていないようで、静かなものだった。神父が銃を担いだまま振り返ると、庭にはいくつもの死体が転がっている。
 ジェイソンの右手が中空に十字を描いた。

「主よ、世を去りたるこの霊魂を主の御手に委ね奉る。かれが世にありし間、弱きによりて犯したる罪を、大いなる御あわれみを以て赦し給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン」

 横で祈りを聞いていたディックは苦虫を噛みつぶしたような顔で神父を見る。

「自分で殺しといて……いや、もう死んでんだけど……でもなんかこう、僕それ知ってる。偽善っていうんだ」

「偽善とは"言う事は言うが、実行しない"こと、そして"すべての行いを、人にみせるためにする"ことですよ。私は心の底から彼らの安らぎを祈り、信仰によって行動しているので、これは偽善ではありません」

「うわー、僕でもわかるくらいイカれてる」

「失礼な。ですが今はこのような宗教的議論をしている暇はありません。後ほどゆっくり話し合いましょう」

「出来れば遠慮したい」

 ディックの呟きは無視することにして、ジェイソンが乱暴に司祭館のドアを開ける。やはり敵は襲ってこなかった。人の気配もしない。リビングはジェイソンが朝出ていった時のままになっている。

「リチャード、貴方はここで敵がこないか見張っていてください。私は武器を調達してきます。教会での籠城は避けたい。信徒のみなさんを巻き込んでしまう恐れがありますから」

「まかせといてよ。戦争の準備なんだから、慎重にね」

「ありがとうございます」

 カソックが緩やかにはためいて、ジェイソンが司祭館の階段を上っていく。
 死体から奪ったナイフを構え直したディックは、ジェイソンに背中を向けて口の片端を歪めた。

「今まで大抵ひとりで仕事してきたけど、仲間がいるって悪くないね」

 ジェイソンも同じ意見だ。仲間がいるのは悪くない。
 そして、ディックが自分のことを仲間だと言ってくれるのが嬉しかった。
 あまり待たすのも気が引けるので、急いで自室に向かう。やはり敵の気配はなかった。おそらく教会堂で倒せると思っていたのだろう。オズボーンはジェイソンの裏稼業を知らない。
 体勢を立て直され、本格的な攻撃が始まる前に自分たちから仕掛けなければ。
 可動式にした本棚の奥が武器庫だ。隠し部屋に入るため本棚に手を掛けたジェイソンは、ふいに机の上へ視線を移した。
 朝部屋を出た時はなかったはずの茶封筒が置いてある。
 不審に思い手に取ってみるも、妙なものが入っている様子はなかった。おそらく中身は紙の束だ。
 袋を開ける。
 出てきたのは写真の束だった。
 まず最初に、モノクロの古い写真。家族写真のようだったが、両親に囲まれ微笑んでいる少女が赤いマジックで囲まれている。次のモノクロ写真も、やはり画面の隅にいる少女に赤いマジックで印がされていた。おそらく一枚目と同じ少女。
 次も、次も。やがて写真がカラーになったが、その全てにおいて金髪の少女に赤い丸印がついていた。
 テーブルに写真を広げたジェイソンは、しばらく赤い印を睨み付けた後、あらためて本棚に手を掛ける。見かけよりもずっと軽い棚はスライド式になっており、奥は隠し部屋になっていた。
 使い慣れた二丁の拳銃と、他に必要な手榴弾やナイフを装備した後、テーブルの上に写真の束を置き去りにしたまま急ぎ足で梟の元へと戻る。
 ディックのほうも戦闘はなかったらしく、彼は壁に寄りかかった状態でナイフジャグリングを楽しんでいた。

「あ、トッド神父。準備できたみたいだね。それなら、法廷の拠点に案内するから」

 ディックがジャグリングを止め、ナイフをホルダーに収納する。ジェイソンが装備した拳銃の状態を確認し、梟と視線を合わせた。

「ハーバーハウス」

「え」

「〈梟の法廷〉の拠点は、ハーバーハウスでしょう?」

 神父も銃をホルスターに収納した。
 ディックは目を見開き、ジェイソンを凝視している。

「確かにハーバーハウスの地下は〈梟の法廷〉の拠点だ。僕らは〈コート〉って呼んでる……だけど、なんでわかったの?」

「……レイチェル・ロスも、カート・グレイヴスも、メディナ家の支援を受けていた。ヘイリーズ・サーカスもそうです。カート・グレイヴスはメディナ家の"お抱え建築士"でした。この教会もジュード・グレイヴスの設計で、祭壇の天井に梟の刻印があった。ならば、メディナ家が所有し、ジュード・グレイヴスの代表建築であるハーバーハウスは、〈梟の法廷〉と無関係とは思えない。あれほどわざとらしく梟をモチーフにしているので、ブラフかとも思ったんですが……やはりそうでしたか」

「大正解だよ。じゃあ、案内するからついてきて。〈梟の法廷〉の《コート》に」

「お願いします」

 ディックが金の目を細めて笑う。嬉しそうな表情はとても生き生きとしていた。
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美しくなんて死ねると思うな