3「となり、いいか?」 やけに色っぽい男がバーで声をかけてきたことは覚えている。 無論、最初から色っぽいと思っていたわけではない。身長が高くガタイも良い同性の、おそらくジムにでも通っているのだろう鍛えられた体に興奮するような性癖はない。 ジョスリンは異性愛者だ。昨夜も娼婦相手に良い想いをしたばかりである。だから最初は隣に座った男に対して、女にモテるだろうなというくらいの感想しかなかった。隣に座った縁だと言って酒を一杯奢られた時にはなかなか気の利く奴だとは思ったが。 「レッドタウンは楽しいか?」 アイスブルーの瞳がジョスリンを映し、気だるげにしかし優しそうに笑う。バリトンボイスが酔った耳に心地良かった。 「ああ、昨日も楽しませてもらったぜ」 「そうか。イイ女だったか?」 「へへっ、まあまあかな」 下世話な話をしている筈なのに、相手の笑みに下卑た様子はない。ロックグラスの縁を指で撫でる姿は優雅ささえ感じるくらいだ。 ここで初めて、ジョスリンは体が熱くなるのを感じた。自分より背の高い、ガタイの良い男相手にだ。 自分が目の前の男を組み敷く姿を妄想し、そうして次に自分が目の前の男に抱かれる姿まで想像してしまい、いよいよ逃げられなくなった彼は、ゴクリと喉を鳴らして口を開いた。 「あんたも、レッドタウンには女捜しにきたのか?」 すると男の口元が半月型の弧を描く。唇は赤く、酒のせいかとても発色がよかった。 「いや、俺はこの町に住んでんだ」 ドクリと心臓が跳ね上がる。 「へぇ……じゃあ、アンタ……」 口がやけに渇いていた。酒を飲み過ぎたせいだろうか。うなじにじっとりと汗をかき、服が張り付いてきて不快だった。脱いでしまいたい。 「ああ、男娼だよ。生憎閑古鳥だから、今日は一杯ひっかけて帰っちまおうと思ってな」 自嘲気味に笑う姿さえ妙に艶めいているのは職業故なのだろうか。昨日の女はこれほど色香を放っているわけではなかった。 「あんたいくらなんだ?」 ジョスリンの問いに、男はすこし驚いたようだ。意外そうにアイスブルーの瞳を見開く。睫毛がとても長い。太い首もきりりとした眉もこれでもかというくらい性別を主張しているのに、異性愛者であるジョスリンの劣情を煽るのはなぜなのか。 「俺を買う気か?」 「そんなに金ないけど」 バリトンボイスの笑い声が小さく弾ける。楽しそうに笑った男がグラスを持ち上げ、ジョスリンを見た。赤い唇に長い指。黒髪が店のほの暗い明かりに照らされて濡れたように輝いている。 「じゃあアンタの言い値でいいよ。ただ、お互い酒を飲み終わってからだ」 鼓膜を震わせる低い声は、遠く東洋に伝わる妙声鳥を思い起こさせた。聞いていると上等な酒を飲んだときのような心地よさが襲ってくる。 男が酒を持ち上げたまま小首を傾げたので、ジョスリンも慌てて酒のグラスを持ち上げる。 「あ、ああ、酒を飲んでからだな」 そうしてやけ気味にグラスの中身を煽り、彼の意識はそこで途切れてしまった。 ジョスリンが次に目を覚ましたとき目に飛び込んできたのは、バーの風景でもホテルの天井でもない。一部が壊れて宵闇が覗くトタン屋根だった。 なんだ? バーにいたはずなのに 不思議に思って起き上がろうとするも、手足を縛られていて叶わなかった。一緒に飲んでいたあの男娼はどこにいってしまったのだろうか。現状が把握できずにうろたえていると、ふいに声がかけられた。 「よう、おはよう。ジョスリン」 声のする方を見ると、さび付いた椅子に男が座っていた。赤いフード付きのパーカーを着ていて、顔はフードを目深に被っているせいでよく見えない。 けれど声は聞き覚えがあった。バーで声をかけてきたあの男娼だ。聞き心地の良いバリトンボイス。 「お、お前! どういうつもりだ!!」 ジョスリンは男娼の名前を知らない。だというのに相手は自分の名前を知っているようだった。名乗った覚えはない。ではどこで知ったのだろう? 答えが出る前に、ジョスリンは男娼の背後に十人ほどの人影を目撃して息を呑む。 男が怯えるジョスリンに対し淡々と告げた。 「お前、昨日フランチェスカって娼婦買っただろ? いや、買った、じゃないな。お前、金払ってないもんな。フランに」 男娼の表情はうかがい知れない。声色は今までと変わらない穏やかなバリトンボイス。だというのにジョスリンは空気がぐんと重くなったように感じた。 フードに隠れた目が、きっとジョスリンを射貫いている。怒りと、殺意と、憎しみに満ちた目で。 「お前、方々で娼婦をヤッて捨てたって自慢してたそうじゃねぇか。町の防犯カメラにも、お前とフランが一緒にいるところが映ってるぜ。フランの死亡推定時刻の五分前にも一緒にいやがる」 男娼が片手を上げると、闇と同化していた人影達が一歩前に踏み出した。亜麻色の髪の女と紫の目の女がジョスリンに歩み寄り、男の体を上から押さえつける。 「縄は解いてやれ」 男娼の命令に女二人はジョスリンを縛る縄を解いた。それでも押さえつけられたまま動けない。相手は女だというのに。 「ちくしょうっ! どうなってんだ! はなせよアバズレ!」 ジョスリンは知るよしもないが、合気道と呼ばれる東洋の武道によるものだった。合理的な動きを以て相手の力と争わず、年齢や性別、体格、体力に関係なく敵を制するとする技術形態。間接の仕組みを利用し、相手の体勢を崩し、拘束する術。 亜麻色の髪の女がジョスリンの腕を強く捻り上げ、低く唸った。 「黙りなクソ野郎! アンタがこの町をフラついてる間に、フードがDNA鑑定を済ませたんだ。よくもフランをあんな無残に殺してくれたね! あの子がアンタになにしたっていうのさ!」 「うるせぇ! てめぇらどうせ掃きだめのクソどもだろうが! ここにゃ娼婦なんざ掃いて捨てるほどいるんだ! 一人死んだってどうってことねぇだろ!」 ジョスリンを押さえつける女二人の顔色が変わった。そうしてなにより、フードを被った男娼の発する怒気が強くなる。暗闇の中で息苦しさを覚えたジョスリンは、しかし怯えてみせるのが癪でニヤリと笑った。亜麻色の髪の女はますます顔を歪め怒りを露わにしたが、紫の目の女は無表情だ。 それでも微かに体が震えている。呼吸も荒いようだった。目はギラギラと異様な輝きを放ち、ジョスリンを睨み付けている。 「……フランは、親の借金返すために娼婦になったんだ。考えなしに若い頃から売りやって、この道以外なくなっちまったあたしらとはワケが違う。優しい子だったんだ」 男娼の横に立った小柄な男は、女と見紛いそうな顔に不機嫌の色をありありと浮かべ、わざとらしいほど冷静な冷たい声を絞り出す。 「……フランは気が弱いから、お前みたいなのをはねつけられないんじゃないかって、みんな気にしてた。昨日ももっとちゃんと気に掛けておくべきだった。お前はタダじゃおかない」 「はっ、どうすんだよ? サツに突き出すか? それとも俺を殺すか?」 ここでやっと、フードを被った男娼が口を開いた。 「もちろん、ジョスリン。フランより手ひどく、フランより無残に、フランより残酷に、お前を切り刻んで殺してやるよ」 「そうしたらてめぇらも人殺しだな! もともと売春なんて犯罪やってんだ、今更人殺しなんざ怖くねぇってか?」 「ああ。怖くない。警察は俺たちに"手を出せない"からな」 ジョスリンを押さえつける女ふたりは相変わらずビクともしない。フードを被った男娼は冷静そのもので隙がなく、ジョスリンを冷徹に見張り続けていた。 代わりに不機嫌そうな男が一旦闇に消え、手になにか持って戻ってくる。トタン屋根の隙間から差し込む月明かりが彼の手元を明るく照らした。 青白く光るのは、さび付いたノコギリだ。 ジョスリンはノコギリを見て思わず呻いた。赤いフードの男の、冷静で感情の読み取れない声が響く。 「ここはレッドタウンの外れにある廃屋なんだ。空き家になって五年くらい経ったかな。生憎道具はこれくらいしかなくてね。切れ味はよくないが、まあ耐えてくれや」 不機嫌そうな男がノコギリを赤いフードの男に手渡した。男娼が立ち上がり、ジョスリンに向かって歩いてくる。顔は見えない。フードで隠れているから、どんな表情をしているかもわからない。声はバーで酒を飲んでいた時と同じ、平静そのもの。蕩けるようなバリトンボイス。 「メルチェーデ、デルフィナ、靴ぬがせ。まず足の指から切り刻む」 「了解、フード」 女のうちどちらかがジョスリンの靴を掴む。彼はバタバタと暴れて抵抗したが、無駄だった。靴も靴下も脱がされ、肌が外気に晒される。フードの男娼がノコギリを男の足につけた。 ゾワリと鳥肌がたち、つま先から頭の先まで震えが走った。今まで平静を装っていたプライドをかなぐり捨てて悲鳴をあげる。 「おい待てよ! 冗談だろ! おい! 待てって! やめろよ! おいっ!」 「お前はフランを切り刻んだ時待ったのか? やめたのか?」 「ひっ、まって、まってくれ、あの女が、いや、悪かった、俺が悪かったよ!」 「地獄でフランに言うんだな」 ジョスリンの親指に錆びたノコギリが食い込んだ。鈍い痛みが徐々に貫くような激痛に変わっていく。 「足の指を全部切ったあとは足を引きちぎってやるよ。その次に手の指。腕。耳。鼻。口。舌。最後に性器。止血はしてやる。最後まで死なせないぜ」 鉄が足の親指に深く食い込む。さび付いた鉄の、サメの歯を思わせる凹凸がじわじわとジョスリンの肉を引き裂いていった。痛みが全身を駆け巡り、口から嗚咽と悲鳴が漏れる。頭上で彼を見下ろす人影は全員冷ややかに苦しむ男の姿を睨み付けていた。 「お前は見せしめだ。今後妙な気を起こす奴が現れないように、俺たちに手を出したらどうなるか、その体にたっぷり刻み込んでやる。思い出させてやる。レッドタウンが誰も手出しできない"聖域"だってことを」 「た、たのむ! たすけ、たすけて、ひっ、いだ! いだいっ! いやだっ! あっ、あぁあ゛あ゛あっ、いだっ、あぁああっ!」 フードの下から赤い唇だけが覗いている。口が小さく動いていた。 「――――」 けれど男娼のバリトンボイスは、ジョスリンの悲鳴によってかき消えてしまい、誰かの耳に届くことはなかった。 [しおりを挟む] 目次 戻る |