瞳孔

 体育祭が終わり謀ったように梅雨が来た。窓の外では雨が降り続き、ザーザーという音が止まらない。湿気を含み木の香りが強くなった机。少し濡れてしまったスカートの裾。筋トレばかりの練習に愚痴を溢す野外運動部。周りの全てが梅雨の訪れを告げ、堪らず舌打ちする。
 梅雨は嫌い、雨の日が多いから。私が記憶を失ったのは丁度その年の梅雨入りの日だった。雨音をBGMに行われる様々な診断、手続き、警察との話。知らない父の葬儀は土砂降りの中、後見人と二人ひっそりと行った。湿気と共にまとわりつく落胆と同情、形だけの心配で包んだ好奇な目。祖父母と顔を合わせた時には雷で停電になった。煩わしい事も面倒な事も全てが雨と共にあった。
 特に学校の、生徒達の目は露骨で。梅雨が開けるのは一ヶ月と少し。生徒達が落ち着くのも丁度一ヶ月程度かかったっけ。

(雨と一緒にぶつけられる目、眼、メ、め)

 だから梅雨は見張られているような気がして滅入る。自意識過剰だと、勘違いだと解っている。高校にはもう私の事情を知る人は殆ど居無いと解っている。それでも貼り付いて剥がれない考え。記憶を失ったばかりの頃は大丈夫だった。だって感情は完全に死んでいたから。でも次の年から──中二、中三、そして案の定今年も、この時期は見張られている気がしてならないのだ。
 ふと、虚無感に襲われる時がある。全てが他人事に感じて、自分には関係無いと、何もかも面倒になる時がある。そんな時はいつも保健室やどこかでサボっている。それがあからさまに増えるのが梅雨だ。滅入ってぐずぐずとネガティブに溺れ喘ぎ、もう嫌だ疲れたと最後に擲つ。思考停止。内申に出席はほぼ考慮されない、という点が非常に助かる。
 五限はサボってしまおう。お昼休みの終わりに図書室に行き、人の居無い奥まった貸し出し禁止区域でじっと気配を消す。ふと目についた鉱物図鑑を手に取る。気を紛らわしたいが、今は文字を追う程頭は回らない。

「もう予鈴は鳴ったぞ。施錠する」

 この図書委員は真面目らしい。覚えておかないと、授業に行くフリをして別の場所でサボろうか、予鈴くらい聞こえてる、覚えるって何を、勝手に施錠して、構わないで、でも今移動すれば教員に出会うかも、今日の曜日は真面目な図書委員さん──……考えが湧いては消える。そもそも面倒になって思考停止でサボるのだから纏まる筈もない。

「閉めて良い」
「サボりか」
「そう」
「なら俺もサボろう」
「はい?」

 眺めていた鉱物図鑑から顔を上げるが誰も居無かった。貸し出し禁止区域から顔を出し室内を見回すと、一人の生徒が図書室から出て行き……何故か窓から入って来た。顔が見える。確かまこちゃんが仲良くしていた謎行動の人だ。こちらに来た彼は不思議に思う様子に気付いたのか、図書委員として施錠しただけだと言った。真面目だ、でもサボるらしい。彼の基準はよく解らない。
 特別教室には電子キーがついており、教員以外では委員等をしている生徒の学生証カードに鍵の権限を与えられる。図書委員は昼休みに図書室を開放する役割があるため、学生証での施錠・解錠が出来るのだ。つまり彼は施錠記録だけ残したという事?
 促されるままカウンター裏、「委員司書室」とプレートがかかった部屋に通される。室内は狭く、ソファとコーヒーテーブル、壁付けに小さな簡易シンク、電気ケトルやマグカップの入ったカラーボックスがある……まるで休憩室だ。ぼーっと突っ立って室内を眺めていると、図書委員が昼食を食べる部屋だと教えられた。本の管理を行う本来の司書室は図書室後方、別にあるらしい。
 ソファーを指され座る。ふかふか。持ったままだった鉱物図鑑をテーブルに置く。「紅茶にミルクは要るか?」頷くだけで返すとミルクティーを出された。至れり尽くせり、職権乱用。暖かい紅茶に知らず入っていたらしい体の力が抜けた。隣に座った彼の重みでソファーが沈み、ゆるりとそちらに傾きそうになるのをなんとか耐える。

「えと」
「……古橋康次郎ふるはしこうじろうだ。落ち着いたか?」
「ん……ありがと」
「顔色が悪い。保健室じゃなくて良いのか?」
「いつもだよ」
「いつも以上に、だ」
「そう」

 保健室で横になるのも悪くないが、あそこには窓がある。部屋の中の部屋という構造、そして窓がないここの方が良い。雨音もせず外も見えない、静かで優しい部屋だ。それきり会話は無く、時折紅茶をすする音だけが響いた。
 ……なんだかもの凄く横から視線を感じる。揺れる紅茶からちらりと目を移すと、案の定古橋さんがこちらをじっと見ていて慌てて紅茶に戻す。「あの」「なんだ?」「なに?」「なにがだ?」ぽつりぽつりと言うが埒が明かない。「やめて欲しい」「なにを?」「あまりこっち見ないで、欲しい」「何故だ?」何故って……まだ感じる視線で古橋さんが居る左側の頬がちりちりする気がした。もう一度ちらりと目線を移すと変わらずこちらを見ている。無表情も相まってほんと、どうすれば良いか解んない。折角静かなのに。こうも見られては聞こえる筈の無い雨音が聞こえて来るようだった。

「目が怖、い」
「…………よく言われる。俺の目は死んでるそうだ」
「違う……見られるのが、視線が怖い」
「ついこの間までそんな様子は無かったけど?」
「今は、梅雨だから」
「そうか」

 途切れる会話とは裏腹に、やはり視線は途切れなかった。諦めて鉱物図鑑の続きを眺めた。






 索引に突入した鉱物図鑑閉じ、冷めた紅茶をすする。ずっと感じていた視線はそのままだった。「視線には慣れたか?」「少し」「そうか」また途切れた会話にゆっくりと紅茶を飲んでカップを置き訊く。

「楽しい? 見るの」
「あぁ、種田は中々面白い」
「面白い?」
「嫌なら出て行けば良い、それか俺を追い出せば良い。せめて背を向けたり、俺に『やめてくれ』ともっと強く懇願すれば良いのに耐え続ける」
「……言われてみればそうだね」
「それが興味をそそる」
「そう」
「ずっと視線を向ける俺は怖いか?」
「よく……解んない」

 すると顎の辺りを持たれ、古橋さんの方へ顔を向けさせられた。目線を合わせ、ごく近くでもう一度「怖いか?」と訊かれる。

(あ……)

 いつだったか、探そうとしても見付からなかった瞳孔が今ははっきり見えた。黒いくろい虹彩に、もっと黒い瞳孔。蛍光灯の反射が映らないそれは、光も吸収してしまうほど深い黒だからだろうか、なんて。だがじっと見つめていると、真っ黒の目がチカと瞬いた気がした。先程読んでいた鉱物図鑑に載っていた、黒い原石が頭を掠める。
 その目が中学時代、じっとりとまとわり付いたそれとは違うと気付いた。顔と同じで、古橋さんの目は無表情だ。私を中々面白いと言っていたが無表情。感情を映さない、無機質な瞳。ほんとに面白いと思っているのかも知れない、けれど私には解らない。そして面白いと思っていても、それは記憶喪失とか何か事件に巻き込まれたとか虐待されていたらしいとか両親が死んでいるとか、そういう『噂のあの子』を見る目とは違うのだ。当たり前の事に気付いた。この目は、彼の目は──……

「──こ、わく……ない」
「そうか」

 あ、まただ。前と同じ、無表情がほんの少しだけ緩んだ気がする。
 離された手に、前を向いて鉱物図鑑を取り黒水晶のページを開く。原石を指差して古橋さんに見せた。

「これに似てる。だから古橋さんの目は、確かに死んでるかもしれない」
「……」

 無表情だから解らないがむっとした気がする。自分で言い出した事なのに。最初の方のページを捲り鉱物の説明文を指差す。

「鉱物──無機質結晶質物質だから」
「……なるほど。それは死んでいるのかもしれないな」

 チャイムが鳴るまで、今度は私の目に似ている鉱物探しが始まった。
 雨音はもう少しも聞こえなかった。雷鳴が響き、一瞬明かりが消えたが何も感じなかった。ふとした虚無感はまた訪れるだろうが、今年の梅雨はそこまで回数が増える事は無い気がする。それでもサボる時は古橋さんを誘ってみよう。

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