調教

 男子の試合の翌日、女子のインハイ予選トーナメント決勝戦が行われた。結果は敗退し、男女仲良く今年のインハイが終わった。
 相手は男子と並び都内王者の一つ、正邦せいほう高校。スタメンで私を抜いて一番上手い選手が開始早々負傷、私は私で後半開始直後手荒なプレーにベンチまで吹っ飛ばされ気絶、踏んだり蹴ったりだった。交代で入った二人の控え選手は頼り無く、目を覚ました私を大きく開いた点差が出迎えた。格上相手に有力選手の欠場、ふらふらの身体、第4Q残り五分で逆転勝利はいくらなんでも無理だった。
 三年は基本的に夏の大会を最後に引退する、つまりバスケ部はインハイでの敗北が引退の合図だ。ぼろぼろと泣く三年、戻った控え室でスタメンの内一人に掴み掛かられた。「練習出ないからあんなプレーで飛ばされる程柔なんでしょ! お前が練習に出てればっ……!」責める先輩に嘲笑を必死で堪える。どうやら彼女は私が抜けたから負けたと思っているらしい。練習に出ない私を認められ無いのに、私の実力は認めざるを得ないのだ。私が抜けた間に離された点差は、自分達の実力だと言うのに私を責める。変なの。これでも第4Q頑張ったんだけどな、結果は負けなので仕方無いか。「冬は共に頑張ろう」負傷選手は帰り際、三年の居無い所でそう握手してくれたけど。






 古橋さんと初めてサボった日の期待とは裏腹に、梅雨時期の虚無感はそこまで減らなかった。そこまで、なので少しは減った。
 だが古橋さんが何故か私を衆人環視に追い込んでくるのだ。インハイ予選が終わった頃からだろうか。朝、休み時間、お昼休み、部活中……少し離れた場所から大きく私を呼ぶので周囲の視線が集まる。怖いって言ったのに。なんなんだ。
 そして辛さがピークに達した頃、あの静かな司書室で一緒にサボってくれる。私好みの濃いミルクティーと少しのお菓子を用意して、ゆっくり背中を撫でてくれたり、眠いとカウンターに置いている膝掛けを掛けてくれる。かと思えばじっとこちらを見たり、私が目線を外す事を許さなかったり。なんなんだ。
 今ではすっかり仲良く(?)なり「何故花宮や瀬戸達にはあだ名があって俺は古橋さんのままなんだ。それはそれで悪くないが意味が解らない」と詰め寄られ康くんと呼んでいる。それはそれで悪くはない癖に。なんなんだ。
 早く梅雨明けないかな。なんなんだ。

「バテておかしくなってるね」
「…………笑う?」
「笑えないかな」

 今は健ちゃんの机の下に避難中。前面は開いているものの側面は壁とエナメルバック、後方は健ちゃんと守りは固い、と思う。壁に背を付けて体操座りの膝に頭を伏せ完璧だ、たぶん。席に座っているより人の視線も感じない、気がする。
 昨日は期末考査で全生徒の下校時刻が重なった大勢の人混みの中、康くんは私を呼んだ。弱い雨は夕方から豪雨になり、一晩越えて今も変わらず強く降り続いている。もう欠席してしまおうかと思ったが今日はテスト最終日。後はホームルームだけだし、部活の前はお昼休みを挟むからきっと大丈夫。これさえ凌げば解放される。だから必死だ。
 「種田さんと瀬戸くんは本当に仲良しだね」クラスの女子が前から覗いて微笑む。でこぼコンビの名を知った体育の日から、健ちゃんと話しているとたまにこうして声をかけられる。邪魔はしたくないから返事は要らないと言う彼女達は優しいと思う。だけど今はその覗く目も笑い声も辛いのだ。覗き込みも拒みもしない健ちゃんが心地良い。

「健ちゃんは、ほんとに、優しいから、すき」
「…………花宮は助けてくんないの?」
「梅雨は仕方無「古橋の事」
「康くんは酷いけど優しい。それは助けを求める事? よく解んない」
「飼い馴らしてるとこ悪いけど流石にやりすぎじゃないか、これ」
「?」
「花宮によると、これだけ登校しているなら上出来らしい」
「これで?」
「だそうだ」

 前面から無遠慮に伸びて来た手に引っ張り出された。康くんは何か言ってるけど「よく解んない」、クラスメイトの驚く目に竦んでそれどころじゃない。
 気がつくと司書室に通されていた。康くんは紅茶とどピンクの品の欠片も無い、ただただ甘ったるいだけの和三盆をくれる。一つだけ食べて眠いと告げると今日は膝枕をしてくれた。固い。優しいけどそんなに嬉しくない。
 覗き込むようにこちらを見る康くんの瞳は影が掛かり、いつも以上に真っ黒で、いつも以上に感情が見えなくて安心する。話し掛けられるが眠過ぎて意味は理解出来無い。雨音も雑音も無い中、彼の声だけがただの音として耳に流れ込む。ここは静かだ。
 追い詰めるのに逃げ場所を与える康くんはやっぱり酷いけど優しい、「飴と鞭」だな。寝入る直前、霞んだ視界で康くんが笑った気がした。



 ∇ ∇ ∇



 俺は膝の上で死んだように眠る、種田結希について考える。

“コバシさん”

 そう俺の名前を読み間違えたマネージャーは中々良かった。
 あまり表情の動かない俺は、光が映り難い目も相俟って「怖い」「何考えてるか解らない」と疎まれ易い。だがそいつは不の感情を浮かべず、ただじっと俺の目を覗き込んできた。興味が湧いて観察していると、居心地は悪そうにしても困惑するだけで嫌悪は無かった。見つめ続けるが無言のまま、たまに俺を見上げて目線を泳がせるだけ。
 その様子に自分の中の加虐欲が煽られて、ネットで見たSM診断なんてバカなものを試した。結果は全てM、更に文句も言わず従った──ドMなのかこいつは。こんなもので性的嗜好が完全に解る訳は無いだろうが、俺なら絶対ノらない、疑問を返して取り合わない。最悪無視だ。困惑しながらも素直に従う種田に満足して、俺は練習に参加した。
 マネージャーとしての働きは良かったどころではない。観察眼と細かな気配り。ああ見えて筋力もスタミナもあるようで、一人で大勢の部員を難なく支えている。決して愛想は良くないが、小さな体で丁寧に仕事をこなす姿は健気と呼ばれ、元々雑用のような事をしていたという先輩を中心に好かれている。

 練習試合で相手の主将と花宮が負傷した時だ。
 花宮が鼻を押さえる手の下で、一瞬嗤うのを見た。彼に氷嚢を渡した種田がさっさと離れた原の所へ戻り、軽く笑いあってこそこそ話すのも見た。これは……故意、か? 完全に事故だと思っていたので感心する。それを見て笑う二人はイイ性格をしている。俺も余裕をこく相手の絶望的な顔は愉快だった。
 部活帰り花宮に悪くない趣味だと言うと、それまでの優等生面を剥いだ彼は、お前もなと愉しそうに鼻で笑った。

 体育祭で入場門へ集合していると、早足にそこへ向かう花宮に会った。気になって後を追うと、旗取りに出場する種田の首に掛かる赤い鉢巻きが目に入った。思わず引っ張ったのは言うまでもない。明らかに俺の名前を忘れている様子に更に手を引くが、花宮に呆れたように窘められ離す。危ないと頭に鉢巻きを巻いてやる彼を見て、こいつお節介焼いたりするんだなと思う。種田はされるが侭にしていた。お前ら親子か。始まった旗取り、転んだ肉達磨を躊躇せず踏んで跳ぶ姿は確かに健気だった。
 そして借り物競走で花宮を連れた種田は、彼を母親だと言い切った。やはり親子だったか……しかし吐きそうってなんだ、気になる。






 梅雨に入って種田の元気が無くなった。普段から赤みの少ない顔は紙のように青白く隈が酷く、表情は怯えらしきもの以外浮かべない。殆どの部員は気付かなかったようだが、花宮は「結希は梅雨テンション低いから元気ねーと思ってもあんま構うな」みたいな事をオブラートどころか段ボールと猫の面に包んで釘を刺した。部員が散ると、原と、元雑用先輩等種田を可愛がりよく構う先輩数人を呼び止め「テメーら今後もマネに居て欲しけりゃ、あいつにウザ絡みすんじゃねーぞ」と猫を剥がした酷く恐ろしい笑みで更に釘をぶっ刺した。先輩達は半泣きで頷いていた。原は爆笑したが。
 下克上はこうするのかと感心したが、あんな顔俺には出来そうに無い。

 図書委員の仕事をしているとサボろうとする種田に会った。相変わらず顔色は悪く、声をかけると怯えた表情を見せる。花宮はああ言っていたが俺は言われていない。自分の加虐欲を満たすため種田にウザ絡みを決行した。
 視線を送ると怯えるが、逃げもせず耐える姿が良くて観察し続ける。目が怖いと言う種田に無感動になるが、話を聞くとどうやら視線が怖いらしい。少し慣れたと言いつつ変わらず怯えるので無理矢理視線を合わせれば、初めて会った時のようにじっと俺の目を見て「怖く無い」と言った。言わせたのかも知れないが満足だ。読んでいた図鑑を開き、無機質だから死んでいる目だと言う彼女は案外ロマンチストなのだろうか。
 部活後、少し復活した種田の様子に気付いた花宮に問い詰められた。俺とサボったと聞いたらしい。「ウザ絡みした」「……」「俺は忠告されていない」すると大きく溜息をついて言った。

“結希については任せる。部員を助けるのがマネージャーなら、マネージャを助けるのも部員だ”

 花宮が素のまま、毒も吐かず尤もらしい事を言った衝撃で返事が遅れる。「花宮って本当に種田の母親だね」瀬戸の言葉に強く頷くと何故か俺だけ蹴られた。意味が解らない。しかし一目置いてる奴の頼みだ、また図書室でサボろうとしていたら面倒を見てやろうと思う。

 その週末のインハイ予選。種田は花宮が投入されてから食い入るように試合を見ていた。嬉しいと言っていたし、こいつは花宮が好きなのだろうか。
 『鉄心』とかいう奴が負傷した時だった。多分花宮の仕業だろう、合図するのに気付いた。「最っ高」呟く声は原と俺、叫び声で起きた瀬戸も聞いたかもしれない。種田が笑った。視線が怖い筈の彼女は振り返った俺達に目もくれず、ただただコートだけを見て笑っていた。蕩けるような笑み、とはこの事かもしれない。こいつはこんな顔もするのか。俺が言うのもなんだが、彼女は普段あまり表情が変わらない。
 興味が湧いて呼びかけてみたが無視されて苛つく。いや、無視なんて生易しいものじゃ無かった。きっと種田には本当に聞こえても見えてもいなかったのだろう。だからと言って納得はしないが。
 俺は花宮に種田を任されている。月曜は覚えておけ。あまり周囲の視線に怯え続けるのも不便だろうし、人肌脱ぐ……勿論八割方は自分の欲を満たすために。






 俺は種田に注目を与え続けた。「なんでおっきい声で呼ぶの?」彼女は毎回フラフラ走って来て縋るように俺を見上げる。役得だ。部活中試しに名前で呼んでみると、釘を刺され彼女に一歩引いていた部員達は話が違うと強い視線を俺達に寄越した。その時の彼女の表情は控えめに言って最高だった。満足感を噛み締めていると「そろそろヤバい」と花宮と瀬戸に怒られた。瀬戸、お前も母親か。
 軽く焦って司書室に案内すると逡巡してから入ってきた。注目を与える俺に警戒しているのだろう。だが横に座ると俺の目を覗き込んであからさまに安心した。紅茶は前に沢山砂糖を入れていたので、甘さに負けないよう濃いめに入れてみる。丁度クラスメイトに貰って持っていた、海外製の砂糖たっぷりのホワイトチョコを差し出すと少し顔を緩めていた。俺の欲に付き合ってくれて有難う、そう気持ちを込めて背中を撫でると電池が切れるように眠りについた。
 欠席する事もあったが、注目を与え三、四日に一度程度司書室に呼ぶ事を繰り返していると、種田は少しずつ周囲の目に慣れてきた。本当に少しずつではあるが。司書室のサボりでも余裕が出てきて寝落ちが減り、呼び方を変えさせてみたりした。「これだけ登校してりゃ上出来だ。高校じゃテストも休めねーしな」花宮からは褒められた。が、調子に乗って下足ロッカーから出た所でいつも以上に遠目から声をかけると、久しぶりに『そろそろヤバい』顔になってしまった。
 そして今日、テストが終わって瀬戸から連絡が来た。《もうヤバい。俺の下で引きこもってる》流石に昨日の事を反省し……おい、俺の下ってなんだ。
 一年二組は瀬戸の連絡と反対に和気会々としていた。「でこぼコンビ可愛い」「久しぶりに原の餌付け見たいわ」「最近七組の子と仲良さげだよね」「でこぼコンビじゃないと」「瀬戸場所変われよ」俺は餌付けが気になるが、クラスの殆どは瀬戸の足元を気にしているようだ。外は大雨だ。近づくと篭城した種田が目に入った。これは……確かに『もうヤバい』かもしれない。と同時に、椅子に座る他人の足元を陣取るという種田のセンスに俺の加虐欲も『もうヤバい』。それに気付いた瀬戸が呆れた声を出す。

「飼い馴らしてるとこ悪いけど流石にやりすぎじゃないか、これ」
「花宮によると、これだけ登校しているなら上出来らしい」
「……これで?」
「だそうだ」

 種田を引っ張り出す。ふむ、これが『もうヤバい』の顔か。好奇心に負け追い打ちをかける。

「結希、瀬戸なんかの足元に跪いてどうしたんだ」
「……よく解んない」
「種田聞こえて無いみたいだけど」
「瀬戸。控えめに言って最高、より強い言葉って「早くしろよ」

 やはり瀬戸も母親だった。
 司書室に行きドアを閉める。酷い隈と充血した目を見る限り昨日は一睡もして無いんじゃないか? 手早く紅茶を入れ、合成着色料が塗りたくられた安価な砂糖の固まりを渡すが少ししか口を付けない。眠いと言うので膝に乗せ、辛そうな顔を眺める。白い唇から漏れる浅く荒い息。熱でもあるのかと額に触るとひんやりしていた。俺の平熱は人より低いのに。目には俺の影が覆って光が無い。どろりと濁ったような色素の薄い瞳。今俺と種田、どちらが死んだ目をしているだろうか。ふと、初めて司書室で過ごした時を思い出した。

「怖いか?」

 質問には答えなかったが、ゆっくり、ぎこちなく顔の筋肉を動かし、安堵の表情を浮かべ、

「飴と鞭」

 と呟いた。
 度々「よく解んない」と口にするがこいつはよく解っている。俺がこの三週間やってきたのは、正に飴と鞭だ。それに「よく解んない」なりに素直に従って安堵する種田に、俺はやはり満足した。

- 23 -
«prev  next»
back

TOP

Powered by ALICE+