「梅雨明けた、健ちゃん梅雨明けたよ健ちゃん起きて」
「起きてるよね、見えないの」
「ユーキチャンテンション高っ! こんなん初めて見たんですけど!」
「古橋最近ずっと種田に構ってたよな、お前何したんだよ……」
「軽く調教を」
「はぁ!!?」
「康次郎、結希が梅雨明けでもこれだけ元気なのは感謝する」
「俺も良い思いをしたから感謝しているぞ」
「はぁ……だがもう少しペース考えろ、あれは空元気だ」
久しぶりの朝練で怠そうな皆には悪いけど、私はおは朝天気予報で聞いた梅雨明け宣言が嬉しくてやばい。まぁ梅雨明け宣言だからと言って即座に毎日晴れの日が続く訳では無いが、昨日今日は晴れていて気分も晴れやかだ。
結局サボったホームルーム、翌日担任にサボったと正直に言うと気にするなと朗らかに笑われた。担任は私の不調に気付いていたのだと言う。こんなにユルくてもやっぱり教師なんだな、と思ったところで中学の教員から聞いていたとネタバラしされた。なんじゃい。
昼休み、久しぶりにべーちゃんとまこちゃんと三人だけで食べる。梅雨の憂鬱の理由を知っている二人は、その時期私に一切絡んで来ない。勿論会えば挨拶をしたり普通に接するが、心配して付きっきりになったりはしない。出来るだけ私を一人にしてくれるし、出来る限り目線を合わせないようにしてくれる。流石お母さん達、子供の事情解ってる。
「七組の古橋だっけ? あいつは何をやらかしてくれてた訳?」
「調教」
「ハァ!!?」
「……って言ってた。よく解んない」
「変な言葉覚えてんじゃねーよ。康次郎の言った事は忘れろ」
「うぃ」
朝練で聞いた言葉は素直に忘れよう。康くんは『調教』と言ったが私は人間だし訓練なんてされていない。違う意味があるのかと休み時間携帯で調べると、アダルトサイトばかり出てきてそっと閉じた。アダルトサイトは危険だ。例えエロ関係の意味があるとしても、私は何も変な事をされてない。どの道彼は意味を間違えているのだろう。
康くんのアレに何の意図があったかは解らない。周りの視線は怖かったが、司書室でのサボりには助けられた。それに脳内は「康くん何がしたいかよく解んない」の疑問で溢れ、ネガティブ思考の海に沈む事は減っていた気がする、たぶん。いや疑問で溢れぐるぐる考えていたので一緒か。でも去年より欠席は少なかったし、期末考査もなんとか乗り切った……乗り切ったが、
「お前25位とは落ちたな」
「充分っしょ、特待生キープ圏内なんだし超余裕だって」
「それは、ほんと、安心した」
順調に上がっていた成績は一気に17下がり、25位に落ちた。べーちゃんが言う通り一応来年の特待生圏内なのでほんと、ベーちゃん風に言うと超安心した。因みにあれだけ私に絡んで一緒にサボっていた康くんは23位だった。中間考査は42位だったらしい。結構悔しい。何故か私のお陰だと言われた。悔しい。解せない。悔しさにじらじらしていると、ぽつりとまこちゃんから爆弾が落とされた。
「来年も康次郎に頼むか……」
「マジで言ってんのお花?」
「…………まこちゃんが頼んでたの?」
「注目集めろとは言ってねーよ」
裏切り者。じっとり見ると、目を反らして誤魔化すようにぐりぐり頭を掻き混ぜられる。イジケていると、今度はハッキリ告げられた。
「今日は部活休め」
「なんで?」
「あの人んとこ顔出せ──……」
あの人の、ところ。
「──敵情視察だ」
と言う訳で、現在私は桐皇学園に来ている。
が、失敗した。一度帰って制服を着替えでもすれば良かった。白いシャツにくすんだ青のスラックスやスカート、桐皇の夏服はこの時期にぴったりな健康的な爽やかさだ。そんな中、夏でも黒い霧崎のセーラーブラウスとスカート、更に黒のサマーカーディガンに黒ストッキングと全体的に黒い私はかなり浮いている。梅雨が明けたからと言って、すぐに憂鬱が晴れる訳では無い。じろじろ見られて泣きそうだ。まこちゃんは今の私なら大丈夫だと送り出したのだろう。けどやっぱり無理だ、帰ろう。そもそも勝手に入って良いのか解らないし。うん、帰る。
決意して一歩踏み出した足は、視界に映った別の足に止められた。
「君一人? 待ち合わせ? 出待ち? 誰待ってんの? 彼氏?」
顔を上げると知らない人が二人。距離が自棄に近いし、矢継ぎ早に質問され混乱する。黒だけど康くんとは全然違う目が、全身、舐めるような視線を寄越す。怖くて何も言葉が出ない。「チョー泣きそうじゃんカワイー。虐めたい系だわ」「てか中学生? ちっちゃくね? 兄貴でもいんの?」「あ、この黒セーラー霧崎第一じゃん」「あの頭良いとこ?」「アーンド金持ち」「じゃあお嬢様なんだ? 無視?」質問と続けられる会話に、周りからの視線はどんどん強くなる悪循環。上げた顔を下げ、じり、と後ずさる足を追うように相手のローファーが間を詰める。も、やだ、かえる──……
「花宮が連絡寄越すから急いで来てみれば……ウチの子に手ぇ出さんとってくれる?」
聞こえた関西弁にぱっと顔を上げる。
「「ゲッ、今吉……」」
「見境ない品の無い猿はさっさと帰り。近く居られるだけでも嫌やわ」
「なっ!」
「見境ない猿はお前じゃん」
「はぁ? さっさと帰り言うたん聞こえんかった? あぁ猿やから言葉通じひんか? どないしたらええかなぁ……」
「お前っ、」
随分冷たい様子には驚いたし、まだ何か話している。けれど現れたしょーいち先輩に、二人の間を駆け抜けて思わず文字通り飛びついた。勿論先輩は受け止めてくれる。
「早よう、去ねや」
「「ッ!!」」
低い声に後ろでバタバタと走り出す音が聞こえる。「大丈夫か?」先程と違い、柔らかな声音で問われ顔を上げると、至近距離で先輩がにっこり笑った。こくんと頷くと頭を撫でられ笑みが溢れる。何故か周囲で拍手が起こった。
「なんすかそれ…………妹?」
「ええやろ若松。まぁそんなとこや」
「しょーいち先輩だいすき」
「おーそうかぁ、嬉しい事言うてくれるやん」
嬉しい事を言ってくれるのはいつもしょーいち先輩の方だ。先輩に妹が居るのは知っている。それでも「そんなとこ」と言ってくれた事が嬉しくて、思わずだっこ状態、首に回した腕に力を入れるとタップされた。ついでと下ろしてもらう。
深くふかく、試合のように深呼吸をし軽く二回ジャンプする。気持ちを入れ替える。体育館入り口、降り立った私はしょーいち先輩に頭を下げた。上げて見た先輩はうっすら目を開けて笑っている。相変わらず察しが良い。
「ご無沙汰しております今吉さん、お元気でしたか?」
「おん、元気しとったけども……なんやどないしたん? 妙に改まって」
「ふふ、霧崎第一高校男子バスケットボール部マネージャー種田です。突然の訪問で恐れ入ります……敵情視察に参りました」
「はは、敵情視察て! 真っ正面からえらいハッキリ言うやん」
改まって、なんて解ってる癖に。オママゴトのような会話に二人、クスクスと笑いあう。
監督に通されてまた挨拶をする。自棄に驚いた後、仕切り直すように笑い、自由に見学して良いと許可をくれた。漲る自信。まぁ霧崎は今年、予選敗退だ。負けた相手は新設校。対して桐皇は霧崎の格下と言われていたが、最近めきめき力を付けている。仕方無い。悔しい気持ちはあるが、急な押し掛けでも追い返されなかったのは良かった。
全体的に選手の質は高く、個々の力が強いと解る。先程ワカマツと呼ばれていた選手、パワー……が有り余ってそうなC。ああいうガツガツしたタイプは霧崎に居無いからちょっと欲しい。それからあまり目立たないがしょーいち先輩と仲の良さそうな長身の人も。ミスが少ない。堅実なプレーは派手さは無いが荒さもない、少し誠凛の8番を思い出した。8番より彼の方が上手いけど。そしてなにより、
「今の見とったかぁ結希!」
集中しろと怒られるしょーいち先輩に小さく手を振る。技術は勿論、フェイクが上手過ぎる。中学時代より磨かれたそれ。「えらい厭らしい戦法」まこちゃんの事をそう言ってたけど人の事言えないよ。相変わらず性格通りなバスケをすると少し笑ってしまった。先輩と試合をした事は無いが、とてもやり辛いだろう……きっと、親しければ親しい程に。
「こちらばかり情報貰いっぱなしも悪いので」休憩中重そうにドリンクを運ぶマネージャーを手伝うとかなり驚かれてしまった。そうやって軽く手伝っているうちに、最初は警戒していた部員も私に慣れてくれたようで笑顔でお礼を言われる。そのままマネに付いて行き仕事を手伝いながら少し観察する。桐皇のマネはあまり細かい仕事はしないようだ。部員数は霧崎より少なくマネは三人と多い割りに、結構適当と言うか……あぁでもプロテイン、その手があったか。収穫はあった。
練習が終わるまで見学して、片付けも手伝って、最後はいつでも転入して来いとまで言われた。「男バスのマネージャーでも、勿論女バスでも構いませんよ」そう柔らかく笑う監督はしょーいち先輩並か、それ以上に食えない人だなと思った。
駅まで送ってくれると言うしょーいち先輩と話しながらゆっくり歩く。少し深めに息を吐いた。まこちゃんを真似ていた精一杯の笑顔、顔の筋肉を緩ませる。
「大丈夫やったか?」
「ちょっと……正直かなり疲れました」
梅雨の憂鬱は続いていて、他校の視察と注目されるのは辛かった。でもしょーいち先輩にも会いたかったし、霧崎のマネとして来ていて、大切な先輩の中学の後輩として立っていたのだ。必死だった。ちゃんと出来たよ、まこちゃんと、なんらかの貢献をしたのかもしれない康ちゃんに心の中で呟く。
「ようやっとったで。皆にも気に入られたし」
「『今吉翔一の後輩』だから、先輩の人徳のお陰です……それともまこちゃん風優男猫かぶりが効きましたかね?」
「はは、明日にでも桐皇でやってけるで……ホンマ、なんで桐皇来んかなぁ」
「それは……」
それは先輩が一番知ってる。あの時見た試合にしょーいち先輩も出ていたら、もっと桐皇と迷っていたかもしれない。先輩の試合だったらどうなっていたかは解らない。でも、今日改めてバスケをする先輩を見て思った。試合ならまた違うかもしれないが、先輩の秘めた闘志より、やっぱり、まこちゃんの秘めらんないくらいの執着と壊れる青春。彼の感情と最低なプレイスタイルが、別格だなと。
「結希はこれ以上ワシ振ってどないしたいん」
「振る? んー……ん?」
私はまこちゃんのバスケに惹かれ霧崎に来た。それは先輩を振った事になるのか? 考えながら、私の心を読んで項垂れ足を止めた先輩を振り返る。「ワシと花宮どっちがエエ?」なんて。今日の先輩は変だなと思う。何故そんな話になったんだろう。「お父さんと妹さんどっちが良いですか?」訊くと彼は言葉を詰まらせた。
「そんな感じです、たぶん」
言ってしょーいち先輩に手を差し出す。少し前に、母親と小さな男の子が居て。彼女達を真似するように繋いだ手を緩やかに振りながら歩く。
「高校どうや?」「普通」「なんやそれ」「友達出来ました、二人……四人? よく解んないけど。仲良し」入学式の話をして、健ちゃんの話をして、面倒そうにでも拒まずいてくれる優しい人だと話して。練習試合の話をして、原ちゃんの話をして、まこちゃんの格好良さが解る愉快な人だと話して。ザキちゃんの話をして、すごく謙虚で弄られてて、私のバスケをのびのびしてると褒めてくれたのだと話して。梅雨の話をして、康くんが沢山追い込んで、沢山助けてくれて、よく解らない人だと話して。
うんうんと聞いてくれる先輩の、繋いだ手の力が、咎めるように少しずつ強くなっていく。だから、
「先輩は私に友達出来るの、嫌?」
なんとなく、自分でもよく解らない質問をしてしまった。
「……嫌や無いよ、嫌なワケ無いやん。高校入ったら結希が『なんか遭った子』て知らん奴ばっかになるやろ? したら結希の事やもん、ぎょーさん友達出来ると思うてたで。ええ事やん」
「ぎょーさんは出来てへんで」
「はは、なんやろなぁ……梅雨明けでも案外元気そうなん見て、ちょっと悔しいなって」
元気が無い方が良かっただろうか。むっとして先輩を見上げると「今情けない顔しとるから見んとって」と頭を強く撫でて下を向かされてしまった。「ワシ居らんでも大丈夫なんやなぁって」覇気の無い声。そんなの事、ある訳、
「体育祭で借り物競走に出て」
「……んん?」
「引いたお題が『家族』でした」
「…………」
「保護者の観覧は自由だけど、平日で来てる人は少なくて。リタイアしてもおかしくない簡単で少し難しいお題。なのに焦って。べーちゃんが叫んで……よくべーちゃんが先輩とまこちゃんと三人『お母さん達』なんて言ってたじゃないですか?」
「おん」
「それでか解んないけど。しょーいち先輩とまこちゃんを探しました」
「…………刷り込みやろ?」
「そうだとしても。やっぱり私の始まりは二人だから」
「『悪い遊びやなぁ、覚えとるんか』」
「忘れるわけない。私が始まりの日、保健室でなんて言ったか覚えてますか?」
「……『吐きそう』?」
「正解、たぶん」
しょーいち先輩も覚えてくれてたんだって嬉しくてクスクス笑う。先輩も頭の出来が違うのだ。
少し前を歩いていた親子、小さな男の子が転けて。心配する母親に、自分に、言い聞かせるよう「ぼくつおいもん、大丈夫だもん!」と涙声で叫んだ。「ヨウ君偉いね。強い子にはぎゅ、してあげる」そう腕を広げる母親に、男の子が泣きながら胸に縋り付いた。
「お母さんは子離れ出来ませんか?」
「…………はは……お母さん、な。せやなぁ、そうなんかもなぁ」
「じゃぁ私も先輩のお母さんになったげる」
「は?」
ぽかんと。笑顔を忘れ目を開くしょーいち先輩は珍しい。いつもにこにこ細めているそれは、開くと怖いくらい冷たく鋭い三白眼だ。でもそんな表情はいつもと違って年相応な気がして、しょーいち先輩の腑が見える気がして、私はこっちの方が好き。
「私も子離れしたくないから」
「え、ちょ……は? んん?」
「しょーいち君は偉いね。強い子にはぎゅ、してあげる」
腕を広げると「それ自分が親離れしたくないだけやん。何がちゃうん?」と頭を抱き込むように胸に強くあてられた。あぁ私は背が低いから格好付かないな。さっきの母親のように出来ない。
「そのままだと先輩が甘えらんないから?」
無理矢理顔を上げて、精一杯親の威厳を醸し出してみる。
「ッあーもー……敵わんなぁ、なんや格好付かんわ」
一層ぎゅっと胸に押し当てる手を強くする先輩に、私の方が、と笑い返した。
駅に着くとまこちゃんが居た。近くに霧崎生が居無いからかムスッとこちらを睨み付けている。なんだかんだしょーいち先輩を回避しようとするのに、なんだかんだツルむまこちゃん。これがツンデレってやつである。繋いでいた手を、指を絡めて握り直した先輩が、私に寄り掛かるように体を近づける。
「なんや花宮、ワシに会いに来たんか? 可愛い後輩やな〜。でも今デート中やねんけど、野暮やわぁ」
「あはは、まさか! 性根の悪い誰かさんの居る学校に送り出したんで、ちゃんと 霧 崎 の マネージャーが帰ってくるか心配だったんですよ。桐皇は寮生も多いので、部屋に連れ込まれでもしているかと気が気じゃありませんでした。態々お見送り頂いて有難うございましたお疲れ様ですサヨウナラ」
結局被る猫に溜息を吐く。中学時代は捻くれているなりにシンプルだったのに、少し距離が離れた先輩にどう顔向けすべきか解らないのか、更に拗れた接し方。器用なのにほんと不器用だ。
「あない唐突に偵察来させといてよう言うわ。校門で絡まれてえらい怯えとったで? もっと早よから言うてくれたら、ちゃぁんとセッティングしてオモテナシしたのになぁ……女の子相手に人使い粗ない? 結希やっぱ今からでも桐皇おいでや」
なんて言いながらも繋いだ手をするりと解き、背中に回して軽くぽんぽんと叩く──もう行けの合図。行きたいけど行きたくない。あぁ、やだな。先輩がお父さんと妹さんを選べないように、お母さんとお母さん、どっちかなんて選べない。
まこちゃんがこちらに来て私の手を掴む。そのまましょーいち先輩に、猫を脱ぎ捨て悪どい笑顔で言った。
「ふはっ、珍しく察しが悪いですね、んなん半分は嘘ですけど? いい加減さっさと全快してくれなきゃ、マネがいつまでもへばってんのは困りもんなんで」
そういうことだったんだ。まこちゃん流石。ゆるゆると笑ってしょーいち先輩を見上げる。
少し引っ張られる。違う、私が優柔不断だからまこちゃんが引っ張ってくれる。選べないけど帰らなきゃいけないし、しょーいち先輩も困ってしまうから。一歩踏み出した先は丁度二人の真ん中。
「計算ばっかしてねーで、たまには甘えて来た相手を手放しで甘やかせて、甘えてみろよ──……」
──バァカ、とは、しょーいち先輩相手だから言わないけど聞こえた気がした。べーと舌は出したけど。
「よう出来た後輩ばっかで、ほんま、敵わんなぁ」先輩が眉を下げ笑った。