テントに戻ると不参加だったクラスメイト達に出迎えられた。驚きつつ褒め労られ、少し中学の試合後を思い出す。
「種田すげぇな、ちっせーのにあんなにジャンプ力あんだもん!」
「小さいは余計」
「脚も速かったよなぁ。部活でもマネ業余裕でこなしてるし凄いなぁって俺ずっと思ってたんだよ」
「え!? マネ業って……種田さんバスケ部のマネージャーだったの!?」
「うん」
「あのジャンプ見ると思うわ、流石は『死篭』だよな!」
その言葉に脚が竦んだ。「何それ?」「種田バスケで一部じゃちょっとした有名人なんだぜ」「へぇ、でも女バスじゃないんだ?」「え、俺バスケやってんのに知らなかった」口々に交わされる言葉。“──流石は『死篭』だね?”キャプテンの言葉を始め、チームメイト達の言葉がリフレインする。あぁこの人達ももしかしたら、最後の最後、掌を返すように私を弾糾するのかもしれない。「なんで有名なのに女バスじゃなくて男バスのマネ? 故障……とか?」さも心配しているかのように取り繕う目は、好奇の色に爛々と輝く。好奇な目が私を囲む、たくさん、目が、い やだ──……
「どうしたの種田」
お手洗いにでも行っていたのか、見当たらなかった健ちゃんがテントに入って来た。
健ちゃんは……友達だ。チームメイトでもクラスメイトでもない。大丈夫、だと思う。彼は少し意地悪だが優しい。私が話しても普通で、退屈しないと言ってくれて、既に自分達は友達ではなかったかと悪戯に笑っていた。
「なにも。また背もたれになったげる」
逃げるように健ちゃんの後ろに隠れ小さくなる。「俺もうすぐ出番なんだけどね」後ろ頭をぽりぽり掻いて言いながらもたれてくる。クラスメイトがまだ何か話しているがもう大丈夫だ。聞こえない寝息と体温に、健ちゃんってほんと優しいな、と思いながら意識を手放した。
そろそろ借り物競走だと起こされ、寝足りないで降りてくる瞼を擦りながら入場門へ向かう。
私の出場種目は旗取りと借り物競走だ。全学年種目の借り物競走、何故かクラスの女子にどうしても出て欲しいと頼まれた。少々面倒そうな種目ではあるが、まぁ旗取りで我が侭を言ったしと了承。更に何故なのか、一昨日の体育では着替えの時に「お題が『○○な人』だったら基本的に瀬戸君を連れてく事」と約束させられた。よく解んない。
入場門に着くと、またしてもべーちゃんが居た。
「べーちゃんも借り物競走なんだ?」
「押し付けられた。ユーキこそよく借り物なんて選んだね」
「? クラスの女子に頼まれて」
「……アンタも押し付けられたワケね」
「いや、健ちゃん連れてけって?」
「あー……」
遠い目になるべーちゃんに何か意味があるのかと問うが、具体的な回答は得られなかった。
……後に聞いた話だが、借り物競走は体育祭の目玉種目らしい。共学になった数年前、当時の体育委員長が「折角女子が入るなら、借り物競走で『好きな人』を引いて告白る青春の定番がしたい、されたい、見たい!」と言い出したのだとか。なので出場選手は全学年男女。お題は当然『好きな人』が毎回入っていて、他にも『恋人』『タイプの人』『仲の良い異性』といったものが多い。勿論この時の私には知るよしも無い。
男女別、クラス学年はごちゃごちゃに四人一組で走る。私は十一番、べーちゃんはトリの十二番。
先の走者が毎回一人は『好きな人』を引き当て、彼氏を連れて走ったり、アイドルの団扇を持って来たり。放送部が盛り上がり過ぎて最早何を言ってるかよく解らない。『チャラい人』を引いた人が原ちゃんを連れてって、少し笑ってしまった。たまにネタ枠を引いた人が半泣きでリタイアを告げる。リタイアの中に『希少な毛』があって、禿げた理事長が「何故私を選ばない」と笑っていた。理事長器がでかい、格好良い。
全走者四十八人、あっという間に私の番が来てピストルを合図に走る。一番に着いて選んだ箱、引いたお題は──……
「──か、ぞ……く?」
『おーっと旗取り少女が動きを止めた! なんだなんだ、何を引いたんだ!?』
大きく流れる放送が、まるで水の底にでも居るようにくぐもって聞こえる。『家族』なんてあまり難しいお題じゃない。平日開催の体育祭、観覧は許可されていて、少数だが暇で物好きな保護者は来ている。ネタ枠でもなんでもない、普通のお題。でも私の家族は来てない──私には家族が居無い。ぐるぐる考える私の横を、他の走者が同じように足を止め、そして去って行く。
「ユーキ!!!」
スタート地点から心配そうなべーちゃんの声が聞こえ、思考の海から脱した。“──お母さん達嬉しいけど、ぶっちゃけ超心配だわ”彼女はよくそういう冗談を言う。べーちゃん、しょーいち先輩、まこちゃんの三人を私の母親ポジションだと。だがべーちゃんは次の走者だ。それに……雛の、刷り込み。しょーいち先輩は当然ここには居無い。私は一年一組のクラステントへ走った。
∇ ∇ ∇
俺はスタート地点に列ぶ結希を見て苛々していた。
霧崎第一の体育祭では借り物競走が目玉種目であり、その内容がくだらないお題だらけだという事は、一年でも部の先輩等から聞いて殆どの奴が知っている。結希はそんな事を知らなくてもどうせクラスに馴染めていないだろうから、適当に数合わせの徒競走なんかに出ると思っていた。
しかし予想は外れ、首にハチマキをぶら下げた危なっかしい姿で旗取りに集合するのが見えた。途中次の種目に出る康次郎と出会ってそのハチマキを頭に巻いてやった。康次郎がハチマキを思わずというように引っ張ったのを見て、あぁもしかしてこいつそういう趣味だったかと少し遠い目になる。始まった棒倒し、結希は最初こそ端に控えていたが、うちのクラスの柔道部を踏みつけて跳び旗を掴んだのを見て、あぁプリンに釣られて必死なんだなとまた遠い目になった。
その後リレーでも姿は見ず、まさかと思っていたら嫌な予想程当たる。クラスメイトの生け贄にでもされたか。
お題を引いた結希は硬直していた。一体何を引いたのだろうか。くだんねーの引いたら潰す、変な奴連れて行ったらガラクタにすんぞ。だがその考えはゴール地点で始まった茶番劇によって打ち消された。少しほっとしていると、同じく借り物に出ていたナベが大きな声で結希を呼ぶ。逡巡した結希はこっちに走って来た。ちょっと待て、テメーなに引きやがった。顔には出さず焦る俺を見る彼女の目は揺れていた。
「まこちゃん、助けて」
女子の前では名字で呼ぶのに、堂々と普段のように俺を呼び、あまつさえ「助けて」なんて口にする結希。叫ぶその声は不安の色に染まり、眉は情けなく垂れている。クラスメイト、男子の囃し立てる声と女子の密やかなざわめきを聞きながら、様子のおかしな結希の元へ行く。隣のテント──彼女のクラスからは何故か悲鳴が上がった。取り敢えずお題を確認しようという考えは、俺の腕を掴んでそのまま走り出した結希によって却下された。茶番劇は終わったようで少し落ち着いた実況が俺達を的にする。
ゴールに着いて結希が実況にお題を渡す。『旗取り少女が連れて来たのは、主席、噂の花宮君かあ。では注目のお題は──……』柄にもなく少々緊張する。
『──へ? か、家族……!?』
「は……?」
『え、彼氏? 結婚を前提にお付き合いしてる感じ? まさか許嫁、未来の旦那さん!? いや親の再婚で兄妹か!? 同級生と今日からドキドキ☆一つ屋根の下って胸熱! どういう事、旗取り少女と花宮君は一体どういう関係!!?』
思わず声が漏れた。演技も忘れて隣をまじまじと見る。バカな実況に混乱していると、実況は結希にマイクを向けた。グラウンドが静まり返っている。
「…………おかーさん」
『「は?」』
実況と俺の声が重なった。
その時スタート地点から大きな笑い声が聞こえた。静まり返ったグラウンドでその声は良く響いた。振り返って見ると、ナベが腹を抱え地面をバンバン叩いて笑っていた。そして思い出す。彼女がよく、あいつを含め俺と今吉の三人を冗談で結希の母親だと言っていた事を。
『えー……っと。お母さんだそうだけど……花宮君どうなの?』
困惑した実況が今度は俺にマイクを向けた。ざわつくグラウンド。一哉の笑い声も聞こえる。あいつら後で殺す。
俺は優し気な笑顔を作り、少し眉を下げた。結希の頭を軽く撫で、そのまま前に押して頭を下げさせる。
「うちの結希がいつもお世話になっています」
小さく笑いが起こった。呆気に取られていた実況は、すぐに調子を取り戻しニヤリと笑う。
『いやあお義母さん、僕も結希ちゃんとはいつも仲良くさせて頂いて……』
「初めましてだよ」
『ブフッ! でもこれだけじゃなあ……体育委員長、どうします?』
『なんか検証考えてー』
『丸投げ! うーん……そうだな、結希ちゃんが生まれて初めて喋った言葉でも言ってもらおうか! 良いですか?』
『良いぞー』
テメーにそう呼ばれる筋合いはねーし、テメーがこいつを名前で呼ぶ筋合いもねーだろ。眉間に寄りそうになる皺を我慢して考える。
生まれて初めて話した言葉……そんなもの本人でさえ覚えてないだろう。俺だって覚えてないし、母親に訊いた事も無い。そうじゃなくても、結希が覚えている筈も今更知る術も無いのだ。『せーのでどうぞ、行くよ』急かす実況にどうすんだと隣を見ると、彼女は薄く微笑んでこっちを見上げていた。小さく、まこちゃんならきっと解るよ、と呟く。その言葉に言いたい事が解る。
こいつが、生まれて初めて──こいつの、始まり。
『せーのっ!』
「「吐きそう」」
揃った声に今度こそグラウンドが笑いに包まれた。