バカだバカだ救えねーバカ女だと思っていたが、本当に結希はバカだ。中学の時もそうだ。刷り込みで俺と今吉なんて、面倒臭さとタチの悪さの塊みたいな人間相手に泣きながら手を伸ばして。
ある朝練が休みの朝、そんなものは関係無い自主練をしようと登校したら今吉に会った。曰く彼もそうで。その時結希を見付けたのだ。
倒れている人間を見たら誰だって驚いて少しは心配するだろう。少量とは言え、頭から出血していたし。そうじゃなくても優等生と人好きの皮を被った二人だ。その上驚く保険医に、病院へ連絡している間見ていて欲しいと言われたら断れる筈も無い。銀色の洗面器と投げられたタオル。目が覚めたのか、寝かせたのに起き上がり、吐き気を訴える彼女を介抱した。状況が状況だったから猫を被る余裕も無く、救急車が来るまでの数分間、優しさなんて皆無で焦りながら当たり障りの無い言葉をかけ背中を撫でた。たったそれだけの事。
それだけの事で結希は俺達に懐いた。なんてバカな女だろうと思ったものだ。心無い噂にも群がる周囲にも無表情を貫いていたのに、俺達にはぐちゃぐちゃに泣きながら縋って来て。何も感じないと言いながら、俺達には拒絶される事に恐怖して泣いて。
だから興味を持った。社会的なものは覚えていると言うのに、何も無い。まっさらだ。中身の無い空っぽ。それが記憶を無くす前からなのか、記憶と共に無くしたのかは解らないが、そんな事はどうでも良い。この中に、こいつの中に、何を詰められるだろう? 俺の中でザワリと逆立ったものを感じた。
興味を持ったのはどうやら今吉も同じだったらしい。俺達が手を伸ばせば、バカな結希は疑う事無く、安堵と喜びの表情で取った。
あの時も、今も。結希は気付いていないのだろうか。気付いていて手を取ったのだろうか。それが周囲と同じ、いやそれ以上の、純粋な好奇心だった事を。
そして俺達は共に時間を過ごすようになる。俺と今吉以外で結希の近くに居たのは、俺を「お花」なんてふざけたあだ名で呼びやがるナベで。あいつは馴れ馴れしいと攻撃する俺の猫被りに騙されたマヌケな女共を、被害者面のまま返り討ちにし完璧に黙らせた食えない奴だ。あぁ……後は面倒臭い変な後輩も結希は容認していたか。
人を見る目が有るのか無いのか。種田結希の事情を鑑みない人間なんて、少数だが存在していた。それでも結希は俺達三人にしか寄り付かなかったし、一人しか容認しなかった。そしてその四人は未だ彼女を失望させたりだとか、評価を下回るヘマをしていない。と言う事は、自身にとって心地良い都合の良い人間を見る目は有るのだろう。
高校に入って結希の交遊関係は少し広がった。その基準は理解出来無いが、悪く無い──ある意味悪い人間ばかりだ。四人が半年も経たずに八人に増えて。そりゃあ懐くの早過ぎんだろと少し癪に思ったが、俺と今吉二人にも直感としか思えない早さで懐いたのだから解る。こっちは早いも何も初対面だしな。
健太郎は結希が痛覚鈍麻だと気付いただろう。結希も気付かれた事に気付いた。で、なにバカな事考えたのか大体の予想はつくが、その反応に怖がった彼女は健太郎、そして懐いて近くなった他の三人と距離を取るようになった。
(くだんねぇ……)
暇潰しや受け皿、捌け口、餌食、愛玩動物、退屈しのぎ。多分あいつらにとっての結希はその辺の立ち位置だろう。だが確実に、少しだけ、淀んだ空気が、違和感が広がっている。ウゼェ、面倒くせぇ。別に彼らを信じろなんて言わない。そんな鳥肌物の気持ち悪い考えは浮かばないが、自分の直感くらい信じろと言いたい。お前の人選だろバカ女、んなもんに動じる人間選ぶかよ。俺から見ればすぐ解るのに、有りもしない不安に眠れないのか日に日に濃くなる隈。
強行手段でも取るか。決して睡眠不足が心配な訳では無い。換気だ換気、このまま二学期始まるなんざウザ過ぎる。そう思い彼らに居残り練習を告げた。
「えー……つまんないのに残ってまで練習とかダル過ぎっしょ」
「このメンバーと言うのに些か悪意を感じるな」
「種田顔色ワリィし帰らせた方が良いんじゃねぇか……?」
「……眠いんだけど」
自分に関係があると気付いているのかいないのか、口々に言う彼らに目を伏せる結希。殆ど無い仕事を押し付けて練習をし、三十分かそこらで打ち切り片付け。スコアボードを体育館倉庫にしまう時、無意味に共に運ばせる。ガラガラと前を引く彼女が方向を変えようとゆっくり振り向いた瞬間、強く、押した。
ガツン
ボードの金属部分に頭をぶつけ、足をもつれさせて倒れる結希。完全に故意なそれに気付いたのは何人か。全員が見守る中、彼女はのろのろ立ち上がった。
「危ないよ」
ツーと垂れる液体に首を傾げながら拭って、血を見た瞬間少し動きを止める。
「ぁ、……いた、ぃ」
寝不足に伴い鈍くなった判断力で取って付けたそれに一哉が爆笑した。結希がビクリと肩を跳ねさせる。
「いやユーキチャン今完っ全に痛くなかったっしょ!!!」
「え……大丈夫、なのか? つかなに、解んねぇよどっちだよ!」
ヤマがキレながら心配しあたふたする中、康次郎が結希に近づき患部を押す。
「い、痛い、それは流石に痛い」
「そうか」
「おま、古橋なにやってんだよ、そりゃ痛ぇわ!」
「流石にって、ねぇ。一応有るんだ?」
健太郎がこっちを見て「痛覚」とニヤリと笑った。
「お前隠すならもう少し上手く振る舞えよ」
「う、ぇ? ……いた、痛い。まこちゃん爪、えぐってる、爪、痛いっ」
彼らの反応に瞳を揺らす結希に近づいて、強く頭を掴み力を入れる。するとやっと耐えきれない程の痛みが走ったらしい、俺の手を叩いて逃げ出そうとする。
「ほんっと……種田って退屈しないね」
緩く笑う健太郎の言葉にはっとした様子に、頭を掴む力を緩める。結希は呆然と彼らを眺めた。ほらな。こいつら気付いたようだが大して引きもしねーぜ? ウケる奴、ツッコミ入れながら心配する奴、追撃する奴、興味持つ奴、バカばっかじゃねーか。これがお前の人選だ。そう思って鼻で笑うと、結希は泣き出しそうな笑顔で俺を見上げた。
「痛くない? 結希、大丈夫? ……なぁんて言うわけねぇだろ、バァカ」
「……うん、痛くないよ。さすがまこちゃん、ごめんね……ありがと」