保健室は閉まっているので、職員室で傷口を診てもらう。幸い大した傷ではなく軽い処置で済んだが、自主練中に怪我なんて一体どんな用具の使い方をしたのか頭は出血し易くぱっくり切れるから気をつけろ縫う程じゃなくて良かった……と長々小言を言われた。「縫合が必要なんてんな面倒くせーヘマするワケねぇだろ、バァカ」まこちゃんが部室に戻る時に呟いて、流石だなとここ最近で何度目か解らない感想が浮かんだ。もしかしてどれくらいやれば、どれくらいの怪我を負わせられるか解るのだろうか? なにそれ『悪童』スキル?
「そうだ、マジバへ行こー♪」
部室で出迎えた原ちゃんの突然の提案に賛成する。家は通り過ぎるが今日は皆と話したい気分だ。最近話していなかったし、そもそも皆でマジバってなんか良い。楽しみ。嫌そうだったまこちゃんも結局参加している。皆はセットメニューを頼んだのだが、
「え、花宮それだけ? OLかよ」
「肉を食わなければ大きくなれないぞ」
「うるせーよ。安価なファストフードの肉や揚げ物なんざ、油が臭くて食えたもんじゃ「どこのセレブなの」
「セレブっつーか年寄りの発言だな」
「セレブな高齢OLまこちゃん」
サラダとコーヒーだけ頼んだまこちゃんに相変わらずだと笑う。「お前人をとやかく言えんのか? やっぱ味蕾イってんだろ」睨まれてしまった私の目の前には、チョコレートとストロベリーのソース、パンケーキのシロップが掛かった激甘サンデー。「思った、それだけ? てかそんなん出来んの?」「ここのマジバだけ。特別」人生数度目の来店の時、倍の料金を払うからと頼んだら断られてしまった。数日後ストバスで出会ったお姉さんはその時会計をしてくれた店員──しかも店長さんで。変な注文をした子だと覚えられていた。それなりに仲良くなってから、倍では無く追加料金を支払えば特別にカスタムしてくれる事になったのだ。因にこのカスタムは甘党のバイトが試してハマり一部バイトの間で大流行、現在本店にカスタムの検討を申請中らしい。早くメニューに組み込んで欲しい。
「で? ユーキチャンはなんで避けてたワケ?」
「避けてはないよ」
私が特製激甘サンデー誕生秘話に意識を飛ばしている間に、皆粗方食べ終えたようだ。別に避けていない、リセットしていたのだ、もうその必要は無いだろうし気にしなくて良い、そう言うが誰も納得してはくれなかった。
「ふはっ、グッダグダだったくせに良く言うぜ」
「……私は器用じゃないからね」
確かに何も上手く出来てなかっただろう。一度気を許したのだ、そう簡単にリセット出来る訳が無い。健ちゃんにいつキモチワルイと言われるのか怖かった。彼を発端に他の皆にも気付かれるのではないかとひやひやしていた。
「俺が合宿の時探り入れたからでしょ? だからってなんで寄り付かなくなったか解んないんだけど」
「探り? 瀬戸なんかしたのかよ。つーかやっぱ種田なんかあんの?」
「ザキ今日ので気が付かなかったとかバカじゃないの?」
「種田は熱や痛みを感じ取りにくい、と言うやつか? なんだったか……」
「温痛覚障害じゃないよ。堅苦しい言葉を使うなら、痛覚鈍麻」
熱は感じるから違う、他の人より痛みに鈍いだけだと説明する。康くんに薙ぎ倒されたのも、肩を強く掴まれた(らしい)のも少し痛いと思ったくらいだ。霧崎でこれを知るのはまこちゃんとべーちゃん、数少ない同中出身者。また担任や体育教師や保険医等の一部教員にも知らせている。怪我をした時に痛みを感じないのは危険だ。気付かず放置したり軽視して重症化する可能性がある。
「あんまり痛くないの、中学でキモチワルイって言われて。それは大して気にならないけど。健ちゃんが気付いたから……友達に引かれるのは嫌だなって?」
「俺が引く前提なワケ? たかがそれくらいの事で?」
「え、っと……」
「信用無いね、酷くない?」
「そう、かな……そうかも、ごめん」
“──たかがそれくらいの事”健ちゃんが簡単に言った言葉が、私にとって如何に大きな意味を持つのか彼は気付いていないのだろうか。あぁだから鋭い癖に、私が彼に近寄らなかった理由が解らなかったのか。一切、嫌悪等の考えが無いから……想像も出来無い程に。
そして原ちゃんや康くんも気付いても嫌悪しなかった。けど、唯一気付いていなかったザキちゃんは。大丈夫かな、引いたかな、とこっそり彼を見る。
「別に引かねぇけど、それ危ねぇんじゃねぇの? 大丈夫なのかよ」
「……ザキちゃんのそういうとこ、ほんとすき」
嫌悪するどころか心配され、少しだけ泣きそうになった。私の言葉に真っ赤になったザキちゃんは原ちゃんにからかわれている。それでも心配だと重ねる彼は更に皆に弄られて。弄られると解っていても、私の事を考えはっきり言葉をくれるザキちゃんの、こういう所がほんと優しい人で好きだなと思う。
「でもそれって瀬戸の話っしょ、オレ今日気付いたんだけど」
「俺もだ」
「一緒……皆も気付いて、それで引いたら嫌だなって。少し、気を許し過ぎてると思った」
「それって中学の奴らには引かれてもどーでも良いけど、オレらは引かれたくないくらい好きってワケ?」
「そうだね」
デレたデレたと笑う原ちゃんに首を傾げる。デレたかな。事実なんだけど。
突然向かいに座っていた康くんに腕を取られた。ぎりぎりと力を込められ、手の色が白く変わっていく。「これは?」「少し痛い。というか感覚なくなってきた」その答えにまこちゃんが静止し、手が離された。止まっていた血液が流れるぴりぴりとした感覚。赤くなった手首を康くんがじっと見ている。
「引く?」
「悪くない。別に良いんじゃないか?」
そっか。良かった、安心した。かなり溶けているサンデーを半分飲むように食べる。ソフトクリームとしての美味しさを損なっている筈なのに、いつもより美味しい気がした。だめだ、少し顔がにやけている。恥ずかしい。
「じゃー花宮ってユーキチャンのために今日スコアボードぶつけた「その言い方はどうなの」
「はぁ!? 態とかよ!」
「ヤマ煩ぇ。こいつのためじゃねーよ、お前らがウザかったからだ。結希はブスな顔して仕事ミスるし、お前はつまんねーつってヤマは心配して練習に身が入ってねーし、康次郎はピリピリしてるし、健太郎はすぐ寝るし」
「じゃあ俺達のためか」
「ちげーよ、お前らの空気が悪ぃから換気だっつーの。ウゼェ空気醸すな」
「これね、ツンデレって言うんだよ」
隣から鋭い蹴りが跳んできた。流石に痛い。脛をさすって、でもツンデレなまこちゃんに顔は緩んだままだ。蹴られてもにやける私に原ちゃんが何か言おうとしたが、まこちゃんに遮られた上に彼も蹴られたようだ。唸り声と共にテーブルに踞ってぷるぷるしている。暫くして復活した原ちゃんが私を見た。
「ユーキチャンさ、痛くないならオレの練習付き合ってよー」
「練習?」
「ラフプレ、」
「口は災いの元だよ、原ちゃん」
原ちゃんが言わんとする事が解ったのか、皆静まり返る。了承する前に気になっていた事を訊こう。
「その前に。花宮監督はさ、今後どうなさるおつもりですか?」
ラフプレーは言葉を変えればダーティプレーとも言う。ダーティの文字通り、忌み嫌われるプレーだ。
この面子はまこちゃんの指揮に気付いても、彼との交遊を断ってはいない。友達付き合いと個人のプレースタイルは別問題なのかもしれない。だが少しでも否定する気持ちがあれば、友達と言え、いや、友達だからこそ意見しそうなものだ。が、その様子は無い。
「花宮監督?」
「そう……現在の監督、どう思う?」
「どうって……」
ザキちゃんの言葉に私なりの監督への評価を答える。凝り固まった年功序列の考え、部費の無駄使い、試合展開の見通しの悪さ、選手を見る目は無いし使え無い。更に合宿計画時の話をする。現在の監督が教員の間で嫌われている事、まこちゃんが監督業をやれば良いと冗談半分で言われていた事、うちの担任に至っては本気だと思える事。そして、
「満更でもないですよね、花宮監督?」
本人もそのつもりがある事。確信をぶつければ彼はニヤリと笑った。「良いんじゃない?」「出来るっしょ」「面白そうだな」皆も監督とまこちゃんに対してそれぞれ思う事はあるようで、花宮監督話に乗り気だ。
「出来るもんなら……やったら面白ぇだろーな」
「既に統治目指しといてよく言う」
「ふはっ、俺は好きなように、自分に都合の良い環境を作ってるだけだぜ?」
「ふっ、ならその『悪童』サンの棲み易い環境はどう展開していくの?」
楽しいな。まこちゃんの雰囲気が少し試合の時みたいだ。皆口を挟む気は無いのか、私達の形式的な会話を黙って聞いている。
「別に? なるようになんだろ」
「君がやる事はない?」
「俺は何も特別な事はしねーよ」
「そうだね……笛は鳴らない、『特別な事』は何もしない」
「……もし監督になってもそれは変わんねーよ。今まで通り『特別な事』はしねぇ、俺の好きなようにするだけだ」
「『特別な事』はせず好きにする。そのための駒集めは?」
まこちゃんは鼻で嗤うだけで答えず、ちらりと皆を一瞥する。彼に倣って皆を見る。態とした意地悪な言い方に不快を表す人間は居無い。だがその中の一人とだけ視線は交わらなかった。
これは私のただの確認だ。これ以上会話を続けても意味は無い。
「……原ちゃん、私は別に練習に付き合っても良いと思ってる」
「ちょ、種田!」
「オレ冗談だったんだけど……マジ?」
「まじ、思ってるよ。ただし心配してくれてる人が居る手前、じゃぁどうぞとは言えないかな」
「はは! ユーキチャンほんっと面白いねん、オレ冗談とは言えかなり最低な事言ったけど。ニブイって重症かもしんないけどワカンナイんだろ? なら他人以上に怪我は極力避けるべきじゃん」
「そうかもね。でも構わないよ、役に立てるなら。それに──……」
キモチワルイと思わない皆の役に立てるなら良い。多少怪我をしても無茶が出来る以外で、初めてこの特異性を生かせるのだから。原ちゃんは悪趣味な冗談のつもりだったようだが(とはいえ少しくらいそんな考えが無いと思いつかないだろう)、もし本当にまこちゃんが監督をしたなら役に立つかもしれない。マネ業だけで無くそういった方面──笛を鳴らさないための駒として。
──それに。もう一つ理由はある。でもこれは言えない。痛みが鈍い以上に変なものだ。ほんと、変なの。思わず自嘲だか苦笑だか、笑いが溢れる。
そんな考えで練習に付き合っても良いと思っている。だからって心配して声を荒げる人──ザキちゃんが居るのに、ほいほい身を差し出しは出来無い。
「それに?」
「……それに、マネ業に支障を来すのは嫌だし、これでも一応女バスの特待生だから。無茶出来ない」
当たり障りの無い回答で会話を切り上げる。きっとまこちゃんは納得していないだろう。まこちゃんなら良いや、後で言おう。
そろそろ時間が遅いと解散し、送ってくれるというまこちゃんと帰る。
「くだんねー事ばっか考えてただろっつっただろ」
「そうだね。杞憂な……くだらない事だった」
合宿の時の言葉。あれはそういう意味もあったのか。誰も引かないのにぐるぐると考え込むのはくだらない事だ。
それから案の定、先程濁した「それに」の真意を訊かれる。送ってくれるのはついでだろう。「別にさっき言ったのもほんとなんだけどね」「解ってるっつーの。でも大部分占めてんのは全くの逆だろーが」お母さんポジションにこんな事を言うのは忍びないが、ばればれだし、まこちゃん本人も割と容赦無く蹴ったり踏んだりしてくるのだから良いや。
「変な事言うけど笑わない?」
「ふはっ、どーせ笑えねーくれーバカな事言うんだろ」
「まぁね。なんて言うか、痛いと安心? するから……別に良いかなって」
大きな溜息を吐いてから「一応訊く。理由」と呆れ返った声で言われ答える。
どうでもいい人達にキモチワルイと言われても大して気にならない、とは言え少しの不安はあるのだ。紙で手を切ったり、針で指を刺してしまったり、膝を擦りむいて痛いと言う周り。その程度なら痛みなんて感じない自分。感覚なんて人によってまちまちだ。転けて泣く人も居れば、眉を顰めて済む人も居る。そう解っていても、明らかに他人より痛みに鈍い事を不安に思わないのは難しい。なんかおかしいよなと思う。やっぱりおかしいのかなと思う。だから痛みを感じると安心する。私もちゃんと痛いのだと、ちゃんと痛みを感じるのだと。
「──良かった、普通だ、おかしくないんだって思えるから。あとは…………自分でもよく解んない」
まこちゃんは器用に片方の眉を上げてから鼻で嗤った。「笑わないって言ったのに……」すると更に嗤う。
「普通、平均、一般的、平凡……んな人間なんざ居ねぇよ、バァカ」
「そうだけど……そうじゃないじゃん」
ぽつりと溢した言葉に、まこちゃんは溜め息を吐いて後ろ頭をがりがりと掻く。「言いてー事は……解らなくもねぇ、」苦々しい響きで彼は言った。遠く、前を睨む瞳は複雑な感情を宿して見える。瞼を伏せもう一度溜め息を吐く。次に現れたのは、普段通りの不敵な黄みがかった灰、灰汁色の瞳だった。
「……が、例えお前の痛覚が鈍くねーとしても他の面はそーじゃねーだろ。俺もお前もバスケの才能は 普通 じゃ無い。それ以上に普通じゃ無い『キセキ』も居る。お前の背の低さも健太郎の背の高さも 平均 から抜け出てる。通ってる霧崎第一は偏差値も校風の自由さも 一般的 な高校とは違う。俺らと比べりゃ平々凡々なプレイヤーだ、なんつってる今吉サンの相手選手への読みと対応力は 平凡 のそれじゃない。凡人と呼ばれる人間でも、何処かで何かしら他より枠から外れてるもんだ。その外れた部分だけを切り取って普通じゃ無いなんて考えるのは、『普通じゃない』じゃねぇ──……」
言葉を止め、私の眉間を人差し指でグイっと押す。
「──ただの、バカだ」
ごくごく当たり前な事を、身近な例を出し細かく説明して嗤う。解り辛いまこちゃんなりの励ましだろう。確かにこの優しさの形は一般的じゃない。
「だからんなに考えなくて良い。だがまぁ……あいつらには言うな」
「それは変だから? 引く?」
「寧ろ嬉々としてお前で遊ぶだろーな」
あぁちょっと解るかもしれない。康くんなんか頭の傷口を押したし、さっきみたいに強く腕を握って何度も安心するのかと確かめそうだ。原ちゃんはそれを見て爆笑し、ザキちゃんが慌てて。健ちゃんはいつか更衣スペースで起きた時のように、呆れた目で「さっきから何してるのお前らは」と言う。簡単に情景が浮かんだ。
考えているとまこちゃんに「それにな、」と覗き込まれる。
「痛いのが好きなんざ、変 態 だ」
「好きな訳じゃないんだけど……というか変態ってもふわっとしか解んない」
「…………露出狂も痴漢も変態だ」
「犯罪者って事?」
「そりゃ行動に移せば、いや、法を犯したらだろーが。そこまでやるかは人による。俺はナベが801本読むのも変態だと思ってる……後はフェチとかか?」
「解るような解んないような。そういえばこの辺で下着泥棒出たね、変態?」
「に、なるだろな」
「んー……べーちゃんの801本の件は置いといて。その辺と同列なのはなんかやだし、痛覚とは別で隠しとく……まぁ元々まこちゃんくらいにしか言わないつもりだったけどさ」
「……そうしろ」
つまり人によっては理解出来無いどころか、嫌悪される物事を好むのが変態?
「なんか変な事真剣に考えてるね」
「お前がバカなのが悪ぃんだろ。つーか、あとはよく解んねーってなんだよ」
「だってよく解んない、上手く説明出来ないよ……これが変態?」
「お前マジで救いようがねーな」
状況が面白くてクスクス笑うと、まこちゃんはパシンと私の頭を軽く叩いた後、乱暴に掻き混ぜるように撫でた。
∇ ∇ ∇
「種田機嫌良かったな」
「つーかオレら信用無さ過ぎっしょ。んで引かれるかもしれないから先にさっさと身を引くって、ユーキチャン結構冷めてんよね」
「結構? あいつリセットっつったんだぜ? 縁切りと変わん無いでしょ、かなり冷淡だと思うわ」
「防衛本能ってやつだろ。中学で引かれたっつってたし仕方ねぇんじゃねぇか? 俺もあの反応には困ったし……引きはしねぇけどよ」
「少々手荒でも大丈夫「じゃないから。それは違うでしょ、古橋自重してよ」
「それに、って本当は何言おうとしてたと思う?」
「はぁ? 言ったまんまだろ」
「別の理由あるでしょ。俺あれは『構わない』っつった方に掛かると思ったし」
「そーそー、良いっつった理由言うと思ったんだよなー……」
「俺もだ。少々手荒でも大丈夫だ、やってくれって言いたかったりしないか?」
「はぁ? マゾっ気ありますってか?」
「……」
「……」
「……」
「ッなんで誰も何も言わねぇんだよ! つかさっき瀬戸被せたのに今度は「いやなんとなく」
「俺に被せろって意味じゃねぇよ!」
「まっさかー! まっさかー……」
「前もこんな会話をした故に無いとは言い切れない歯痒さ」
「はぁ?」
「つまり俺は色々と自重しなくて「だから最初から自重してないでしょ」
「『流石にユーキチャンもそこまでドMじゃないっしょ』ってとこでザキが来たんだっけ?」
「「そうそう」」
「部室掃除ん時か? なんつー話してんだよ。ねぇだろ」
「……」
「……」
「……」
「えっ」