前の席の男子はこれでもかと言う程積極的にコミュニケーションを取りたがる人だった。面倒で面倒で仕方ない。疲れる。「静かで控えめ、じゃ無く、口煩くない従順な女が良いんだろ」「それ、絶対そう」まこちゃんとべーちゃんはそんな事を言っていた。
「種田さん迷惑そうだけど」一度窓口女子三人組が声を掛けていたがさらっとあしらわれていた。でこぼコンビを癒しと呼ぶ彼女達は、彼の行動がご不満なようだ。
私は会話の殆どを「そう」「そうかな」「そうかもね」「うん」「いや」と適当な相槌で済ませている。これは従順だろうか? でも正直、迷惑だとはっきり言っても状況が変わると思えない。つまり諦めである。私ならこんな対応を続けられれば話し掛けないが、彼は違うらしい。今も宿題をしているのだと言ったが、ニコニコこちらを眺めている。
「そろそろメアド教えてくれない?」
「……お母さんにだめって言われてる」
「それって一組の花宮君の事だっけ? 彼氏でも無いのに、花宮君って案外可笑しな事言うんだね」
「……他も」
「じゃあ本当のお母さんは? 普通そんな事言わないよね」
確かに親が高校生の子供に「クラスメイトにアドレスを教えてはいけません」なんて言わないだろう。穏やかに笑う様子に悪意は無い……と思う。でも私には母が居ないのだ。本当の、か。私にとってはまこちゃんだって本当と大差は無い。苛々する。と言うか、今時片親さえ珍しく無いのに不躾な人だ。
「そう言えば、どうして花宮君はお母さんなの?」
この人はいつもそうだ、質問責め。原ちゃんもよく質問をするが、当たり障りの無い事ばかりでさして気にならない。でもこの人は私の個人的な部分をかなり突いて来る。家族は、友達は、好きなものは、休日は何をしている、女バス所属と聞いたが何故男バスのマネなのか、バスケが好きか、いつからしているか、中学時代は。取り留めの無い質問だが、相手が悪い。私には全て地雷だ。
そもそも質問責めは嫌いなんだ。中学──記憶を無くした当初もそうだったから。ずかずか踏み込んで踏み荒らす。なんなんだ。疲れた、面倒だ。たかがアドレス、もう教えてしまおうか。だがふっと原ちゃんの言葉が過る。“──毎日ガンガンLINE跳ばしてくんの、面倒臭くなっちった”これだけ毎日話し掛けてくる人だ。きっと毎日がんがんメール跳ばしてくる、面倒臭いだろう。考えているとチャイムが鳴り話は途切れた。
お昼休みに入りまたアドレスの話を掘り返される。今日は生憎の雨で屋上へは逃げられない。雨模様も相俟って、私は酷く疲れていた。サボり場所へ行く元気も先の休み時間の会話で奪われ、無視してご飯を食べる気にもならず机に沈む。
「昼食が無いなら一緒に学食行かない?」突っ伏した頭を撫でられ、不快さに思わずがばりと起きそのまま立ち上がる。勢いに驚いた様子だったが学食に付き合うと思ったのだろう、彼は立ち上がって促すように私の腰に添えようと手を伸ばす。やめて、触るな──……
「種田、劇の台本読みしない?」
「────ッ」
いつの間に起きたのか、健ちゃんから声を掛けられた。頭が冷える。上げかけた手を下ろす。怒鳴ろうと無意識に吸い込んでいた息を、ゆっくり吐き出す。
「『君は優しいおおかみさんだね』……ほんとに」
「……『転んでる可愛いお嬢さんが心配なんでね』」
台本とお昼ご飯を取り出して健ちゃんに横を向いてもらう。そしていつかのように机の下に潜り込む。
「『大丈夫か』顔色悪いけど」
「『うん、膝を擦りむいただけだし』……疲れたし雨だから」
「『ふぅん……この切り株に座って少し休んでけば?』古橋呼ぶ?」
「『いや、いいよ。お母さんが病気で寝込んでて、早くお見舞いに行かなきゃいけないの』大丈夫」
「お前もよくやるね」
「そんなの台本に無い「まぁ種田は飯食ってろよ」
「うぃ」
と言っても今日はウィダーだけだ。
殆ど覚えている台詞を言いながらの会話、まるで劇の台詞の続きのようだ。私は切り株ではなく健ちゃんの机の下で、雨宿りをするのだけど。ちゅるちゅると十秒チャージしながら私の前の席、彼の方を見る。身体はこちらを向いているが、丁度顔は見えない。
「邪魔しないで欲し「斉藤には寧ろ感謝して欲しいけど?」
「ッ……なん、」
「そうだったね。健ちゃんありがと」
「……結希ちゃんまで酷いなぁ」
そうだ、斉藤さんも私も健ちゃんに感謝しなければいけない。私は声を荒げ彼の手を捻り上げようとした。苛々していたし疲れていた。でもあれくらいで手を捻り上げるのはやり過ぎだろう。加減も出来た気がしなかった。マネとは言え問題を起こせばバスケ部に迷惑をかける。私は過剰防衛をせず済んだ事、斉藤さんは腕が無事だった事を感謝すべきだ。
「よく解らないな」私の行動を読め無かった斉藤さんは、試すようなニュアンスの声色で言った。
「俺はただ食堂に誘っただけ「昼持ってたけど?」
「……でも応じていたよう「立ったのは頭撫でられたのが嫌だったんだろ」
「そッれは、キ ミ が、嫌で口を挟ん「別に。台本読みしたかっただけだし」
「ッ! 言い終わる前に言葉を被せるの、やめてく「どうにもなんない」
食べ終わり、パッケージを口に加えたまま膨らましたり凹ましたりする。斉藤さんは健ちゃんとの会話が進む程機嫌を損ねている。良いじゃん、最後まで言わなくて良いって楽だと思うけど。
「『ならあっちの花畑に行くと良い』」
「『なんで? 私急いでるんだけど』」
「『美しい花が沢山咲いてるぜ、見舞いの手土産にすりゃお前の母親も喜ぶんじゃないの』」
「『それは良い考えだね。おおかみさんは頭が良い──……』」
話は終わったらしい。唐突に再開された台本読みに台詞を返す。
配役からイメージしたという窓口文芸部ちゃんの脚本、赤ずきんの口調は私に、狼男の口調は健ちゃんに似ている。というかそのまんまかも、良く出来てる。概ね童話通りの脚本はオチだけ完全にオリジナルだ。更に最後の最後、オチの台詞は「アドリブで」と書いている。よく解らないが、盛り上げるために本番明かすそうだ。難しい事は要求しない、ナレーションが促すから心配しなくて大丈夫だと言われた。
台本読みを終えても私は机の下を陣取り続けた。咎めない健ちゃんはほんと優しい。予鈴が鳴ったので机の下から這い出る。食堂から帰ってきたクラスの女子(いつも皆で食べているようで団体だ)が、その様子を見て萌えだと叫ぶ。この悲鳴(?)にもだいぶ慣れた。「種田こっち」健ちゃんに呼ばれて側へ寄ると頭を撫でられた。また悲鳴が上がる。健ちゃんは何故か含みのある笑顔で、髪が跳ねていたと言った。
「『おおかみさん、ありがと』」
「そこまで台本通りなの? 『気にすんな。ゆっくり摘んで来なよ……あと、悪い狼に気をつけろよ』」
「健ちゃん台詞完璧だね」
「それ解るお前もでしょ。で?」
「『おおかみさん見てるとそんなの想像出来無い。悪い狼なんて居るの?』」
「『さぁ? 目の前に居るかもしんないぜ?』」
「『そうかな、おおかみさんは優しいよ』……健ちゃんはちょっと意地悪だけどね」
健ちゃんはクツクツと喉で笑う。
「種田もね。斉藤も思うでしょ?」
「……そうだね。結希ちゃんはいつになったら振り向いてくれるかな」
「? 私は後ろの席だから、斉藤さんが振り向くんだよ?」
そう首を傾げると健ちゃんがまた笑う。斉藤さんは驚いて動きを止め、少しして前を向きながら「もっとストレートに行くべきなのか」なんて呟いていた。
二学期中間考査が終わり、今日は衣装合わせ。数日で本番が来る。考査明け一週間で学祭なんて自棄に忙しいスケジュールは、考査を気にせず楽しむためらしい。健ちゃんの狼男姿が見たかったのに本番のお楽しみと言われてしまった。
「結希ちゃん、少し良いかな? 台詞合わせに付き合って欲しいんだけど」
衣装合わせが終わり斉藤さんに声を掛けられる。部活があると言うと、少しだけだからと腕を掴んで引かれた。この腕捻り上げて良いかな。特別教室棟、人気の無い所まで来て手を離された。台本片手にニコリと笑う。斉藤さんは赤ずきんのお父さん役だ。
「『──もし狼に出会っても、決して相手をしてはいけない。良いね?』」
「『うん。じゃぁ行ってくる』」
「『悪い狼に気をつけろよ』」
「台詞間違えてる」
「そうだね。でも目の前に居るかもしれないよ?」
「?」
「結希ちゃん……付き合ってくれないかな?」
「どこに?」
首を傾げると斉藤さんはふふ、と笑った。バカにしている嫌な笑い方で。だってその目は細められているけど、弧を描いて無い。目が笑って無い。何処へ行くのか解らない私をバカだと思っているのだろう。確かにまこちゃんに及ばないな、彼ならここでこんな笑い方は絶対しない。きっと完璧な猫被りで、上手く伝えられ無かった事に困ったように笑う。自分が目的地を言わなかったせいだと詫びるかもしれない。まこちゃんはともかく、花宮クンはそういう人だ。
「そうだね……学祭に。二日目一緒に回らない?」
「なんで?」
「結希ちゃんと一緒に居たいから。あと大切な話があるんだ」
「今ここじゃだめ?」
「うん、学祭でしたいかなぁ」
「んー……学祭でしたい、大切な、話……」
「どうかな?」
「……ちょっとなら」
「有難う、楽しみにしてるよ」
戻ろう、とも言わずにすたすた歩いて行く背中を見送る。“──静かで控えめ、じゃ無く、口煩くない従順な女”か。もしかしたら、今のは了承してはいけなかったのかもしれない。