風評

「わぉ」
「どしたの……あらま」

 あらまって健ちゃん奥様みたい。
 朝練が終わって下足ロッカーを開けると、校舎内用の上履きが謎の汚水でびしょびしょになっていた。上履きには押しピンが何故か山盛りで入っていて、扉の裏にはご丁寧に「死ネ」のメモ。新しい上履きとこれを入れるビニール袋でも貰おうかと考えていると、隣の一組の下足ロッカーから来たまこちゃんが覗き込んで、器用に片方の眉を上げた。「鍵付けて無かったのかよ」「面倒でさ」「ふはっ、自業自得だ」鼻で嗤われた。うーん確かに?

「古典的だな、なんつーテンプレ……つーか態々画鋲買ったのか? なんだこの量、バカか」
「つまんないね。この手のやつってキビヤック入れたらどうかな。ほら、靴が臭いって中々効くと思う」
「どうやって手に入れんだよ、それならクサヤで充分だろ。百歩譲ってシュールストレミング……は、缶開けれねーか」
「だって見た目もグロテスクで一石二鳥。あ、海鳥だけに。これ上手く、」
「ねーよ、バァカ」
「お前ら何言ってんだよ、そこじゃないでしょ」
「え、悪臭系だめ?」
「周りにも被害出るから、被害者が加害者になる点は良い線行ってるが……用意する時臭い付く「違ぇよ、内容がどうとかじゃなくて、」
「「解ってる」」
「…………はぁ。なんなのお前ら」

 珍しくしかめっ面な健ちゃんだが、特に何も思わないので仕方無い。これくらいは中学の時も経験したし。「ごめんって。これ内緒ね」謝って靴下のまま靴を持って足早に保健室へ向かう。購買はまだ空いていない時間だ。保健室には何か遭った時のために制服が一式、勿論上履きまで置いてある。
 タイミング的にまこちゃんを慕うファンか、逆恨みした原ちゃんの元カノさんか。下足ロッカーのスペースには監視カメラが着いている。犯人は知らなかったのだろう、アホだな。
 担任に事情を説明して監視カメラのチェックをお願いする。彼は快く引き受けてくれた。該当者が見付かれば上履きの代金はその生徒に立て替えさせ、今後の警戒のため誰か教えて欲しいとだけ頼んだ。罰則なんて上履き代で充分だ。

 それから数日後、ささやかな嫌がらせが始まった。

 下足ロッカーの犯人は原ちゃんの元カノさんだった。必要無いのに、事を知った他の教員が彼女に一日自宅謹慎処分を下した。その逆恨みで彼女は私のデマを流したのだ。逆恨みの逆恨み。嫌がらせは私の自作自演で謹慎処分は冤罪だと、根も葉も無い噂と共に。謹慎処分を冤罪で言い渡すなんて以ての他。誰もが解っているが、元々まこちゃんファンにも目を付けられていたようで噂は肥大し瞬く間に広まった。そして直ぐに嫌がらせも始まったのだ。
 “──男目当てに男バスでマネをやっていて男漁りをしている。優しい花宮君が断れないのを良い事に馴れ馴れしくしている。原君と彼女を別れさせた。斉藤君を弄んだ。瀬戸君を狙っていて学祭の劇の内容を捩じ曲げ、学祭二日目は彼を連れ回した。男バス二年を初め、古橋君やザキ君にも取り入っている。夜遅くに外で男と会って援助交際している。多額の寄付金を使って、練習に出ないにもかかわらず無理矢理女バスのスタメンに入っている”
 マネが男目当てなのは、元々まこちゃんのバスケ目当てだからあながち間違っていない。だけど優しい花宮、劇の内容を曲げたというのは笑ってしまった。援助交際は、ストリートで練習しているのを見てといった辺りだろう。

「くっそ、マジでムカつくぜ」
「ザキちゃんだけ山崎君じゃなくて『ザキ』だから?」
「違ぇよ!」
「うん、心配ありがと。でもかっかすると相手の思うツボ、無視むし」
「ッ! そうだけどよ!」
「良い機会だからメンタルコントロール磨こうよ」

 友達が多いザキちゃんはどんな噂でも「ザキ」呼びだった。怒ってくれる彼の人の良さが現れていると思う。
 それにしても、他人の名前を挙げられるのは困りものだ。噂の相手にされている皆へ謝罪すると、原ちゃんは「寧ろオレのせいかも? いやーゴメンゴメン」とへらへら笑い、まこちゃんには内容が微妙過ぎてつまらないと文句を言われた。「男絡みばっかで飽きた、バリエーション増やせ」「ええぇぇ」無茶振りか。ザキちゃんは激情型なので度々怒っているが、それは逆効果だ反応するなと宥めている。部員の大半は噂を信じず心配してくれている。ただ寄付金の噂は気になっているようなので、女バスとの契約書類の写しを見せ説明した。
 度々ノリが良い人が多いと思っていた霧崎は、そう言った意味でもノリが良いようだ。傍観に徹する生徒も多いが、面白がって噂や嫌がらせに便乗している生徒も多い。中には、援助交際をしているなら自分の相手もしてくれと嘲り茶化す男子までいた。
 因に教室での被害はほぼ無い。劇の件も原ちゃんの件も勿論知っているし、まこちゃんは完全に私の『お母さん』として見られているからだ。どうして男バスマネなのかは気になっているようだが、その辺りには触れられ無かった。援助交際も「セ、その……そういうのは結婚してからって言葉忘れてないからな」と、学祭の恥ずかしかった話が幸いしたらしく信じていない。私が弄んだらしい前の席の斉藤さんには、何故か自分のせいだと謝られた。劇で一緒になったくらいで大袈裟だよね、こちらこそと謝ると苦笑した。「な、伝わってねぇだろ?」「だね」健ちゃんと何かに納得した彼はいつでも相談しろと言ってくれた。私は大してクラスメイトと交流が無いのに、彼らは優しかった。
 噂も幼稚な嫌がらせも気にならないし、移動中足を引っ掛けられたり階段でぶつかられる事もあるが、運動神経は良いので被害は無い。皆暇だなと思う。






 部室に用具を取りに行く途中、突然何かが上から叩きつけられた。じわじわ冷え行く身体と伝う雫に、水をぶっかけられたのだと気付く。「ごめーん、躓いちゃってー。でもお似合いだね?」顔を見せず声だけで謝られる。水も滴る良い女ってか。体育館の野外廊下で躓いて外へ向かってバケツ一杯の水引っくり返すって、どんな器用なおっちょこちょいなの。本格的に寒くなる前で良かった。

「大丈夫か」
「うん、ちょっと寒いね」

 通り掛かった康くんが濡れ鼠の私へ声をかける。まこちゃんに一人で行かすなと頼まれたらしい。

「少しは抵抗したらどうだ?」
「反応したら調子付く」
「反応しないから調子に乗っているんだろ」
「放っとけば一ヶ月くらいで飽きるよ、たぶん。耐えてれば終わる事……耐える程の事じゃないけど」
「そうは思えないが……」
「それより康くん、二人一緒に部室入ると私との変な噂流されちゃうからだめ」
「部活中だし大丈夫だろう。それに俺は噂なんて気にしない」

 部室に入って、ロングTシャツと靴下を乾燥機に放り込む。靴は諦めよう。更衣スペースで全て脱いで身体を拭く。全身、下着まで濡れる程の水をかけた事に感心した。

「……本当に大丈夫か?」
「うん。この時期なら風邪引かないでしょ」
「違う、この事だけじゃなく総合的に……メンタル面の話だ。女バスも今週試合だろう、影響出るんじゃないのか?」
「ふっ、まさか。有り得無い」

 素肌にジャージを着る。お尻が心元ない。これで部活するのは如何なものか……取り敢えず髪を乾かそう。

「完全には言い切れ無いだろ」
「確かに。まぁでももしそれで負けたとしても自業自得」
「自業自得?」
「寄付金の噂流してるのは女バス関係」
「ッなら尚更、」
「康くん、毒を食らわば皿まで、だよ」
「?」
「実力は捩じ伏せて認めさせた、でも感情まで納得するかどうかは別。文句くらい言いたくもなるでしょ。今更練習に出て噂を撤回させる? それは虫が良過ぎる。暴君を気取るなら最後まで徹するべきだ」
「徹せられるのか? 感情まで納得するかはお前だって一緒だろ」
「余裕よゆう。文句が出るのは仕方無い事、共感は出来無いけど理解は出来るよ。私は反感を買う事も踏まえた上で男バスのマネを選んだ。文句が堪えるくらいなら、最初から女バスの練習に出てる。これもくらい屁でもない」
「……そうか」

 寄付金の噂は引退した元女バス三年レギュラーが中心に流している。彼女達が真しやかに語り、現主将がそれを否定しているのを聞いた。入部時の試合で自分達がほぼ私一人に負けたと、練習に出なくても私が一番強くエースに違いないのだと、そして私の腕は鈍っていない、きっと一人で練習しているのだろうと。「エースを潰したいんですか? 先輩達は私達に負けて欲しいんですか?」噂を流す元部員や現部員を静かに叱り付け、聞いた生徒に否定しているのを聞いた。
 入部時の試合、第2Qを放棄したスタメンの中で現在も残っているのは主将を含め二人、他の三人は三年だったので引退済みだ。それでも当時一番強かった五人が放棄したという事は、私には誰も敵わないという事。それに、納得出来無いなら再試合を申し込めば良い。なのに何も動かず私を攻撃するレギュラー達。引退したのに過去にしがみついて脚を引っ張る三年。やっぱり理解も出来無いかも、アホみたいだ。

「でも意外だね、康くんは気にしないと思ってた」
「……何故だ?」
「興味無さそう、こういうのはどうにもならない時間の問題だって。それこそ、私が思うように」
「まぁ外れてはいないが──……」

 ほらね。更衣スペースを出て、乾燥機に先程脱いだ濡れた服を放り込みスイッチを入れる。

「──少しくらい心配している」

 驚いて彼を見ると、ほんの少しだけ口角を上げていた。「お前今下は?」「着てない……変態じゃないよ」「そんな勘違いはしていない」私が持って行くつもりだった物は康くんが持って行ってくれるらしい。確かに変な噂を流されている人間が、下着を着ていない状態でマネをやっていたとバレたら変な噂が一つ本物になって増える。助かった。乾燥が終わったら練習に戻ると伝え、康くんを見送るっていると彼は振り返った。

「あぁそうだ。もしお前が耐えて終わらなかったらどうする?」
「?」
「例えば……そうだな、さっき俺の心配をしただろう? 今噂に上がっている相手、俺や他の奴らにもっと下手な噂が上がったり被害が出たら?」
「……その時は全力で潰す」

 想像して苛々した。あぁそうだ、今正に迷惑を掛けているじゃないか。こんな事に気付かないなんて。皆は噂の相手にされているし、ザキちゃんなんて心配してくれて気が気じゃない様子だ。マネ業にまで差し支えて、康くんもこうやって駆り出されている。猛烈な不快が胃から食道に上がり、そして舌の上に留まった気がした。酷くえぐくて苦い。「いや、出来れば直ぐにでも」訂正すると前を向いた康くんは背中越しに笑った。今、彼はどんな顔をしているのだろう。

「そうか、愉しみにしている」






 週末からウィンターカップ予選リーグが始まり、男女共に一勝目を収めた。月曜も嫌がらせや噂は変わらず。まぁ多額の寄付金でスタメンに入っている(仮)から試合の有無は関係無いだろう。
 まこちゃんは「応援行けないけど頑張ってね」と沢山の女子に言われて、猫の面の下でうんざりしていた。自身の勉強と部活動を投げ打ってまで恋愛に熱を入れる生徒は霧崎には少ない。根は真面目なんだろう。普段の練習でも見学者はいない。中学の時は見学者が多く、禁止になっていたっけ。
 あぁそれにしても。何かこの下らない事態を終息させる良い方法は無いだろうか。康くんに啖呵を切ったは良いものの、大した案は浮かんでいない。暴力沙汰にでも出てくれれば、正当防衛で物理的に叩き潰すのに。

(ん? ……おぉナイスタイミング)

 朝練を終え下足ロッカーを開けると、手紙が一通。隙間から入れたのだろう、丸文字で書かれたそれは罵声では無い。お昼休みに特別教室棟五階の隅、人気の無いそこへ一人で来るよう書かれていて心が踊る。直接干渉してくれる人が現れたのだ、これなら中学時代にべーちゃんがやったまこちゃんファン撃退法・その三が使える。今までは言い逃れ出来る嫌がらせと噂だけだった、存分に人柱になってもらおう。

「……どしたの」
「なにも。いつもの不幸の手紙」

 健ちゃんから声を掛けられて、手紙をそっとポケットに仕舞う。思わずにやにやしていると彼は顔を引きつらせた。酷いな。
 教室に着いたらきちんとファイルに入れて保存しよう。持ち歩いて奪われたり、また水でもかけられて濡れたら困る。大事なだいじな証拠品なのだから。

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