三学期に入ってからまこちゃんは更に忙しそうにしている。教員の頼み事を請け負ったり、困っている生徒に自ら助っ人を申し出たりと、今まで以上に愛想良く振る舞っている。マラソン大会の今も体育委員では無いらしいが手伝っているのが見える。何かの布石だろうか……もしかして監督業のため、とか?
「花宮って何気に努力の人だよね」
「賽の河原タイプだけどね」
「……鬼、だよな?」
「鬼であり子供。きっと自分の努力も崩しちゃう」
「辛辣だな。救いは来んのかね」
「さぁ。そんな物好き中々居ないんじゃないかな」
開会式が終わりスタート準備をしている様子をぼーっと眺めながら、健ちゃんと頭が回っているのか回っていないのかよく解らない会話をする。辛辣かな……きっと態と崩すのだからそんな事無いと思うけど。
まこちゃんは過程を愉しむ人だ。自分の思い描いた筋道通りに、事が転がり進む様子を見て愉しむ。しかもそれは彼の性格上茨の道。だからって結果に興味が無い訳では無いが、結果だけが全てでも無い、たぶん。
「お前は救ってやんないの?」
「私は石ころだから」
「…………花宮が積む?」
「それ良いね」
「……種田って花宮に傾倒してるよね。俺も小石になんの?」
「健ちゃんは子供「で、花宮に崩されると?」
「んー……これ以上は崩れるから止めだってところでまこちゃんが来て、一つ石を置かれ「で、崩されるのか」
「違う。置かれるのを見届けて寝るの」
「クッ、じゃあ救いが来ても気付かないね」
喉で笑う健ちゃんは気付いてないのかな。バスケ部に勧誘された日、屋上で眩しそうにまこちゃんを見たのに。何を思ったかは解らないが、楽しそうに、嬉しそうに、安堵したように、目を細めて彼を見ていたじゃないか。
女子が先に走るため呼ばれる。上下ジャージを脱いでうーんと伸びをして振り返る。
「もう会ったんじゃないの? 春に屋上で」
「……そりゃ花宮に救いが訪れねぇ訳だわ」
「そんなつもりじゃかったけど。そうなるね」
確かにそう言う事になる、自分で自分を救うなんて出来ない。それは最早救いじゃない。まこちゃんは鬼で子供で菩薩か。変な会話を終わらせてスタート地点に向かった。
自然公園のコースを二周して、本部野外グラウンドへ戻る。少し黒い霧が掛かった中、セットし直されたチカチカと自棄に白く光るゴールテープを切る。ここに居る女子は四人……五位か、まぁ上出来だろう。参加賞のスポドリを貰って、崩れそうになるのを必死で我慢してゆっくりスタンドへ戻る。ジャージを取り救護テントへ向かうと、保健委員だったらしい原ちゃんに出迎えられた。
「ユーキチャン転けたの?」
「貧血」
「スゲーマジじゃん。なんでそんな必死なワケ?」
肩を竦めるだけで返してスポドリを無理矢理一気に半分程飲み、枕が置かれたブルーシートに座り込む。枕の上にジャージを置いて脚を乗せて寝転ぶと、保健医がやって来て頭用に枕をくれ、更に脚の下に枕を追加してくれた。「毛布は要る?」首を振り腕で顔を覆う。意識して深呼吸をする。話し掛けて来そうな原ちゃんは意外にも静かだ。汗が引き視界の霧と点滅が消え、そろそろ寒いなと思った頃毛布をかけられた。先生ナイスタイミング、寝そう。
数分が経っただろうか、慌ただしく保健医が呼ばれる。「原くん、種田さんお願いね!」誰か倒れたか転んだのかもしれない。煩いのは嫌だ、そろそろ戻ろうかと思った時だった。
「必死こいたってなんも、意味も無いのに……バッカじゃないの」
ぼそりと原ちゃんが呟いた。声は低くのっぺりと平坦で、いつもの彼のそれとは全くの別もので、ぞわりと肌が粟立った。私が何も……記憶も感情も手に入れられない事を言われたような気がして怖くなる。そういう原ちゃんも何か手に入れたいのだろうか、そして手に入れられないのだろうか。ぐるぐると考えているうちに眠ってしまった。
原ちゃんの呟きを聞いてから数日間、帰宅後の練習に没頭している。あの言葉が耳から離れない。バスケを続けているが未だ私には何も無い。正確には少しだけ──母の記憶が手に入ったか。皮肉にもバスケに関係はあるが、私がバスケを続けている事がきっかけでは無い。自嘲が漏れる。やめろ、これは考えるな。
今練習に没頭しているのは、今年は全国大会に行きたいからだと自分に言い聞かせる。夏はまだ会場が発表されていないから、行けても男女会場が一緒じゃなかったら、劉劉は見に来てくれなかったら……それらは考えても仕方無いので気にしないようにする。
そもそもなんでこんなに劉劉に試合見て欲しいんだろ。弱そうって言われたからちょっと驚かせたいんだけど。それだけじゃないような。
シュートを態と外し思いっきり跳んでリバウンドを取る、イメージするのはあの日見た陽泉の試合。劉劉ならとても簡単な事だろう、彼は背が高く、全国クラスの強豪校の留学生で──……あぁ、
(認められたい、のかも)
純粋に凄い選手である友達に、認めてもらいたいのかもしれない。
だからマラソン大会、現状の体力を測りたくて限界ギリギリを狙った。先週の女バスの練習試合、いつもは参加しないのに男バスを中抜けして参加した。劉劉の事だ、もし試合を見せても「意外とやるアル」くらいで驚かす事も認められる事も無いかもしれないけど。
過程を、楽しむ。まこちゃんとは少し違うが、こうやって反応はどんなだろうと考えながら練習するのは悪くない。私はただの石ころだ。何かを成す意志も無ければ、筋道や結果の予想も立てられ無い。だが積み上げられる、積み上がる様子くらい楽しんでも良い筈。そうだ。この前考えた事とダブる──いつかその時まで、謳歌すれば良い。少しスッキリした。
ふふ、と笑って爆音で聴いていたイヤホンを外すと「うっわ!」と声が聞こえ顔を上げる。店長、サチマ、パキラだ。今笑ってた、初めて見たと三人が騒ぎ立てる。そうだっただろうか。私が一人練習に没頭する間、コートの半分を使っていたそうだ。気付かなかった。
「今日は随分と熱が入ってたねー」
「まぁね。そうだパキラ、新しいトリック教えて欲しい」
「うっは、トビ珍しいな!」
パキラは実家の花屋さんの手伝いをしている気の良いお兄さんだ。筋肉質でゴツい彼が花屋と聞いて少し意外だと零したら、植物のパキラのねじりの力強さについて熱く語られた。その時の印象が強過ぎて「パキラの人」と言っていたら他の二人がパキラと呼び出し、そして全員にあだ名を付けようとなったのだ。私はべーちゃんがつけたトビネズミくらいしかあだ名らしきものは無いと伝えれば、なら長いから『トビ』になった。
三人はストバスで出会い意気投合。他にも同士は居ないかとこの辺りのストバスコートを巡っていて四年前、中二の夏私と出会った。身軽で吸収の速い私を面白がって彼らは色々教えてくれる。
「ボールハンドリングが上がるから」
「まぁそうっちゃそうか」
三人は普通にバスケもするがフリースタイルバスケをやっている。パキラが一番上手くオリジナルの技も豊富、サチマは次点だが純粋なバスケは彼が一番、店長はDJが趣味でフリースタイルのイベントではもっぱら回している。彼女は二人がネットに上げる動画に音楽を付けたり編集もしているらしい。
「これ難し過ぎ」「俺のエナメルの方使えよ」そんなこんなで新しいトリック習得を頑張り、パキラのサブのボールでやっと出来て四人でハイタッチしていればかなり夜が遅くなった。
「そろそろトビは帰らないといけませんよ」
「うん。明日二人はどうしてるの?」
「俺にも訊け……普通に店番だけどよ」
「私は午前中バイト」
「フリーですよ、一緒に練習しますか?」
「うん」
なら明日は午後から三人で落ち合おうという事になり解散した。
翌日、サチマが今日はゲームがしたいと言うので少し足を伸ばす事にした。私達がよく使っているコートはあまり人が来ないのだ。それなら上手い人が居るコート知ってる、と私の案内の元来たストリートコートには目当ての人が居た。
「みゃ、み、みやみや。こんにちは」
「宮地な、んで推しメンがみゆみゆだ、轢くぞ」
「免許持ってない癖に……」
「聞こえてんぞ!」
そうそう宮地さん──確か宮地き、きよ……きよきよで良いか。「下は清志だぞ、お前絶対忘れてるだろ」心読まないでよ。で、好きなアイドルがみゆみゆ。いつも混ざるし、もうみやみやで良い気がしてくる。推しメンとお揃いで良いじゃないか、たぶん。
宮地さんと出会ったのは去年の夏頃だっただろうか。今日と同じようにここで練習し、そろそろ帰ろうかと言う時に彼が通りがかった。「こんな遅い時間にガキ一人で練習とか危ないだろ、刺すぞ」「通り魔ですか?」刺す発言に通報しようとしたら、慌てて口癖だと止められた。口癖が犯罪予告とは随分物騒だが丁度その時はとても苛々していたらしい、普段は初対面には言わないそうだ。気の知れた人相手でも中々物騒な言い回しだと思ったが、まこちゃんも口悪いしなと直ぐに流れた。
「久しぶりだな。最近はここには来ねーのか?」
「他のコート開拓に専念していて。今日は三人じゃゲーム出来ないので、ここなら宮地さん居るかなと」
「雑な扱いだなおい、埋めんぞ」
「コート荒らしちゃだめ」
気の知れた仲にしか言わないと言っていた口癖だが、割りとすぐ私にも言って来るようになった。おいおい。まこちゃんとはまた別な物騒さに思わずツッコミを入れてしまうので、彼との会話は少し面倒だが、私が毎回こう返すのを彼は気に入ってくれているようだ。今も律儀な奴と笑っている。
店長とサチマを紹介し、早速四人でゲーム開始。宮地さんは口は悪く面倒臭いが、性格はこざっぱりとしている。店長は社交性の塊なのですぐに打ち解けたようだ。サチマは一癖あるものの口調だけは丁寧で印象は良いだろう。
女子では有り得ない長身の宮地さんは良い練習相手になる。それに彼は真面目らしく、少しでもミスしたり動きが甘いと容赦なく指導してくれる。面倒見が良いのだ。私相手で彼は練習になるのかと訊けばただ一言「速さ」と返ってきた。宮地さんはドリブルが速い、それに着いて行けるか越す勢いの相手が彼の学校にはほぼ居ないらしい。
「宮地はとても上手いですね」
「敬語は要らないっすよ、あなたの方が年上ですよね?」
「サチマのこれは口癖みたいなもの」
「丁寧だと皆さん優しくしてくれますからね。日本語が上手い、礼儀もしっかりしていると。日本人は単純でバカで心配です」
「笑顔でサラッと毒吐かないでよー。宮地も敬語要んないから。学校の先輩でも会社の上司でも無いんだからそういうの面倒だしねー」
サチマは基本敬語だ。これで性格は好戦的なので、ゲーム中やトリックをミスすればぼろぼろ悪態をつく。「トビは特にバカだけど美眉ですよ」「どっち。そうだサチマ、中国人の友達で来たよ」劉劉の話をすると会ってみたいとサチマは喜んだ。しかし彼は秋田の高校に通っている。すると今度は驚いた宮地さんが食いつく。
「秋田で2mって……もしかして陽泉の留学生か! てかお前も会場来てたのか?」
「あ、宮地さん秀徳高校でしたっけ……観るの忘れてた。はい、マネですし来てましたよ」
「俺はスt、秀徳は今年成績悪かったから別に良、……って、はぁ!!?」
あれ、もしかして宮地さんはスタメンじゃないのかな。疑問を感じていると噛み付くような勢いで、バスケはやっていないのかと問いつめられる。やっているが普段はマネだと説明すれば酷く怒り出した。上手いのに、お前ならすぐ余裕でレギュラーだろう、レギュラー入り出来ないから諦めてるのかと。この会話失敗だったかな。店長は少し心配そうに私達を見ている、サチマは興味がないらしくトリックの練習中。迷いながら既にスタメンである事と契約を話せば、案の定更に怒った。「真面目に練習やっている人間をどうも思わねーのかよ」真面目でバスケ馬鹿っぽい宮地さんの意見は最もだ。だけど、
「石ころに意思は無い……」
「はぁ?」
「いえなにも。今は少し思う所も有るけど私にはマネ業の方が大事です。それに他のスタメンも表面上は納得している、文句は出ますが仕方無い。『勝てば官軍、負ければ賊軍っちゅー事や』宮地さん。嫌なら私より強くなれば良い、それだけ」
「……お前なんでバスケやってんだ? マネが大事で選手としてどうでも良いなら、オフに態々練習しねーだろ。勝ちてーから、上手くなりてーからじゃねーのか」
「…………勝敗に興味は無いです」
「に、しては今日はいつも以上に身が入ってるようだったけど?」
流石に宮地さん相手にバスケ自体どうでも良いなんて言い辛く言葉を濁す。きっと彼は私がバスケが好きだと思っている。そりゃそうだ、マネやって休日は自主練。実際は違うが訂正するつもりも必要も無い。
それにしても宮地さんは私の様子を見抜いていたようだ。少し恥ずかしい。
「劉劉が弱そうって言ったから試合見せたいなって」
「つまり友達が弱そうだって言わなきゃ全国目指さねーっつー事かよ」
「まさか。勝敗に興味が無いとは言え、推薦入学ですし部の目標は勿論勝利なので完全には捨ててませんよ。ただ個人的に今年は頑張りたいと思ったので今日はちょっと熱入ってますかね」
「結局一緒だろ。他人に言われたからやってんじゃねーか」
「まぁ勝利を目指す理由はそうなりますかね」
「……俺はやるからには勝ちてーし、バスケが好きだからこそ勝ちてーよ。お前に教えんのも、お前が強くなりてーからだと思ってたし、教えれば自分の糧になるからだ」
「でしょうね。自らの意思で勝利を目指さない私を軽蔑しましたか?」
「……あぁ」
だろうね。
態々気分を害させて少し申し訳なく思う。そうじゃなくても宮地さんはスタメンではない様子だ。必死に練習してスタメンに入るために頑張っている相手に、こんな会話は酷だし毒だろう。立ち上がって苦笑し荷物を纏めると、心得たとばかりに店長とサチマも荷物を纏めだす。
「見解の相違、ですね。申し訳ございませんでした。安心して下さい、もうこのコートには参りません」
「はぁ!? なんで!?」
「? 軽蔑なさったんですよね? ならご一緒するのはどうかと思ったのですが」
「さっきからその妙に改まるのやめろ、殺すぞ!」
「白昼堂々大声での殺害予告は流石に通報されるよ……」
「あーもー!」
乱暴に頭を掻いて溜息をつく。言動とは真逆な甘い飴色の髪が、透けるように光る。地毛かな。もう一度大きく溜息をついた宮地さんが顔を上げる。
「別にもう来んなとか顔合わせたくねーとか言ってねーだろうが。確かに軽蔑した……てか理解出来ねーよ。でもお前が勝敗に興味無かろうが一緒にバスケやんのは悪くねぇ。それに秀徳も少しそういうとこはある……『勝てば官軍』っつーとこが少しだけな」
「トビ、宮地はツンデレでしょうか?」
「みたいだね」
「うっせーよ、轢くぞ! お前免許取ったら絶対轢いてやる!」
「なんで私だけ」
「……それに1on1で本気出させてねーのはムカつくんだよ。一回くれーマジにさせてーだろ、ナメんなっつーの」
「宮地ツンデレだねー」
わぉ、気付いていたんだ。
宮地さんとの1on1はいつも負ける。それは故意に手を抜いているとか、ナメているというのでは決して無い。私は気分が乗らないとスイッチが入らない上に、少々スロースターターなタイプだ。集中しきらなければ、試合形式で無ければ、ゲームが始まって少し経たなければ、完全な状態とは言えない。そう説明すれば解ってると言われた。この人なんでも解ってるけど、そんなに私解り易いかな。
「そもそも1on1で本気? って出るか解んない」
「あぁ? マジかよナメんな、切るぞ」
「別に相手とか関係無く。それにナメてない、宮地さん私より普通に上手いですよ、たぶん」
「『普通に』って『たぶん』ってなんだオイコラ。焼くぞ、ぁあ゛?」
「トビは小さいからジャンプシュート……ひたすら3P打てば終わりですよ」
「こいつそれでもカットすんでしょ」
「フェイダウェイ混ぜれば良いよ」
「お前詰めんのめちゃくちゃ速ぇだろーが、殺すぞ!」
「宮地落ち着いてー。過激発言過ぎて通行人がこっち見てるよ」
それからどうやったら私を楽々負かせるかの言い合いになった。
……宮地さんが通う秀徳高校に、ひたすら3Pを打つ、少し生意気で酷く偏屈な人間が入学しするのはまた少し先の話。