交差

 原ちゃんが部活に復帰した。彼を家に泊めた翌日、ゲームの攻略が終わっていないからまたいつでも来てと言っておいた。「ただし噂が立ったら原ちゃんが火消し」そう条件付けると、彼は男前だと笑って帰っていった。何処へ帰ったかは解らない。でも1on1が終わって私の家に来た時よりスッキリした顔をしていた。少しは役に立てたようで嬉しい。
 その後復帰にいち早く気付いたまこちゃんによって、原ちゃんはここ一週間皆よりメニューが多い。戻った彼を見捨てないどころか、サボっていた分を取り戻すようなそれ。少なくとも、ここには彼の帰る場所が用意されているのだ。「お前最近ちゃんと来るようになったな」「ザキオレが居て嬉しいの? キモーイ。無理矢理引っ張ってウザかったよん」「ち、違ぇよ! ウルセーな!」茶化す原ちゃんだが心なしか嬉しそうだった。
 ホワイトデーはクラスの女子にクッキー、べーちゃんに例年通りマシュマロ、皆には原ちゃんリクエストのガトーショコラを作った。まこちゃんはフォンダンショコラをリクエストしたので、家に招いて出来立てを振る舞った。「悪くねぇ」甘さ控えめのそれは口に合ったらしく、いつもの嘲笑を少し柔らげていた。

「ユーキチャン聞いてー。昨日さー、弟がブチキレたんだよねん」
「わぉ」

 ある日の部活終わり、素早く帰り支度を済ませたらしい原ちゃんは、更衣スペースにいる私に向かってパーテーション越しに家族の話をした。
 無事第一志望の公立高校に合格した弟さんは、それまでの母親の態度や志望校では無い霧崎への無謀な受験を強いられた事で、かなり鬱憤が溜まっていたらしい。「オレと一哉をアンタに重ねんな!」合格した喜びと共に鬱憤も解放した。母親は驚いて兄弟を見比べたそうだ。彼女は彼らを自分に重ねていた自覚が無かった。「『俺がもっと早くキレるべきだった』って謝られちった。あいつ悪くないのに」優しい声色で原ちゃんは言った。弟さんは良い人なのだろう。いくら自分は褒められると言っても、成績は原ちゃんが上だ。優秀な血の繋がらない兄、あからさまに自分を贔屓してその兄を蔑ろにする母。彼にも思う所はあっただろうに。

「ねーちゃんと聞いてる?」
「ちゃんと聞いてるよ。事情はよく解んないけど──……」

 だって私は寝ていたのだから。

「──なんか良い人そうだね、弟さん」
「ふふ、ユーキチャン寝てたもんね……うん、スゲー良い奴だよ」

 更衣スペースから出て微笑むと、原ちゃんは満足そうに笑った。
 原ちゃんと彼の今の母親との関係は何も進展していないかもしれない、その内彼は種田家に避難しに来るかもしれない。それでも、暫くの間は心配は必要無さそうだ。






 日曜日、ストリートコートへ向かう前に本屋に寄った。小さいながらも絶版や古書、マイナーな物ばかり置いている裏通りにあるここはお気に入りだ。店主が椅子好きで至る所に有名デザイナーの作品が置いてあり、座ってじっくり本を選べる。静かでゆったりとした時間が流れ、とても雰囲気が良い。近くには大型書店が在るし、いつ来ても人は少ないし、買わずに読破する客とか居ないのかと若干経営状況が心配になるけど。
 幾つか選びレジに向かう途中、ふと思い立って隅の雑誌コーナーへ足を運ぶ。目当ての雑誌──月バス、置いてないかと思ったが一冊だけあった。ぺらぺら捲ると洛山と陽泉、そして情報量は少ないが桐皇も載っていたので即購入決定。
 ほくほくしてお店を出て表通りを歩く。早く読みたい、礼央ねぇと劉劉に写真載ってたよって写メ送ろう。なんて浮かれていたからか、後ろから歩いて来た人と強くぶつかった。急いでいるようで乱雑に謝った相手は足早に歩いて行き……また別の誰かにぶつかる。当たり屋かよと思っていると、ぶつかられた人がバランスを崩して──……



 ∇ ∇ ∇



「──大丈夫ですか?」

 僕はよく人とぶつかるからいつも気をつけて歩くのに、考え事をしていたのが悪かったのかもしれない、思いっきり人とぶつかった。相手の歩くスピードが速かったのか体勢が崩れ、バランスを取ろうと踏ん張ったが上手くいかない。半年分の怠惰を取り戻そうと意思を固めてからのここ数日、焦ってオーバーワーク気味になっていたからだろうか。
 車道に弾き出される体、視界に迫る車、傾く音を失った世界。全てがスローモーションに見えた。死ぬ、のだろうか。怪我で済んだとしてもバスケは出来るだろうか。折角思いが纏まって、これから頑張ろうと思っていたのに。覚悟と恐怖で、来たる衝撃に目をギュッと瞑る。
 だが衝撃は無く、ぐいっと腕を引かれ誰かに抱きとめられた。先程まで静かだった心臓が急にドクドク音を立て始め、掛けられた声を合図に周囲のざわめきが耳に戻る。脚に力が入らず座り込みそうだ。背中を押す手に促され、表通りを少し逸れた路地、自販機の横にあるベンチに座らされる。まだ手が震えている。し、死ぬかと思った。放心したまま、助けてくれた人が水とお茶を買い、何故か溝で水のペットボトルにお茶をゆっくり掛けているのを眺める。タオルで拭いた水を差し出され、ぼんやり見上げる。

「貧血ですか? 顔、真っ青ですよ。寒気はありますか?」
「大、丈夫で、す……ありがとう、ございます……」
「いえ。お水、あんまり温くなって無いのでゆっくり口に含んで下さいね」

 どうやらホットのお茶で、冷たい水を態々温ませてくれたらしい。渡された水を飲んで深呼吸する。少し落ち着いて恩人を見ると小さな少女だった。優しくほんのりと微笑み、そっと背中を撫でてくれている。

「その、車が……死ぬかと思い、ました。本当にありがとうございます」
「車は結構遠かったですし、もう大丈夫ですよ」
「え……」
「それより転ばなくて良かった。ぶつかった人、かなり早足で乱暴でしたから」

 どうやら驚きのあまり距離感が掴めていなかったようだ。死まで覚悟したのに少し恥ずかしい。
 改めて彼女を見る。こんな小さな子に助けられたなんて。僕も小柄な方だがこれでも中学で10cm以上伸びたし、春からは高校生だ。彼女の何処にそんな力が有るのだろう。抱きとめられた腕は細かったが、しっかりと支えられていた。思い切り腕を引いたと肩を心配されるが、彼女の肩の方が心配だ。
 彼女はゆっくり優しく背中を撫でながら、僕が何か言う度柔らかな声で言葉を返してくれる。とても親切な人だ。完全に落ち着き、もう平気だと伝えると「良かった」とすっと立ち上がる。

「あ、の水とお茶のお金!」
「大した金額ではありませんのでお気になさらず、どうぞ貰って下さい」
「いえ、それに助けて貰ったお礼もさせて下さい。僕本当に、死ぬかと思って」
「そんな大げさですよ、お気持ちだけで充分です。それでは」

 去ろうとする腕を思わず掴んでしまい、慌てて謝り手を離す。彼女は車が遠かったと言ったが、危なかったのは確かだ。ブレーキが間に合わなかったら、頭から転んでいたら、考えるとぞっとする。それに助けてくれた上に水まで買って、落ち着くまで側に居てくれた。どうしてもお礼がしたいと必死な僕の視界に、スターバックスの看板が入った。

「時間大丈夫ですか? あそこで少しお茶しませんか? 奢らせて下さい」

 焦って捲し立てると、彼女はきょとんとして瞬きを繰り返した。「あぁ、」頷いてポンッと掌を叩く。

「あれだ、ドラマのナンパみたい」

 そんな気は一切無かったが、先程の言い方では完全にそうだ。途端に恥ずかしくなる。僕の性格上きっとこれが人生最初で最後のナンパになるだろう……正確にはこれもナンパでは無いんですが。
 羞恥心は無理矢理やり過ごし、お礼をさせてくれと念を送り続ける。すると彼女は少し眉を下げて「じゃぁお願いします」ときっちり頭を下げた。

「学生さんですよね? 私は高校一年、貴方は?」
「中学三年です。僕の方が年下ですし敬語は必要無いですよ」
「ならお言葉に甘えて。君も敬語使わなくて良いよ」
「僕のこれは癖なんで、気にしないで下さい」

 正直な話、容姿を見る限り絶対年下だと思っていた。でも言葉遣いや物腰の柔らかさや、余裕の有る態度は年上のそれだろう。寧ろ一つどころかずっと上と言われても納得出来る。少しだけ、昔の赤司アカシ君のようだと思った。

「中三ね。マジバ探す?」
「あそこで大丈夫です。けど……」

 僕のお財布事情に気を使ってくれた彼女は、スタバで良かっただろうか。訊こうとして、彼女の名前が解らず言葉が詰まる。そう言えばまだお互い名乗っていなかった。

「失念してた、ごめんね。種田です」
「いえ、こちらこそ。僕は──……」

 軽く頭を下げる種田さんに習う。

「──黒子クロコテツヤです」






 店に入り種田さんを席へ残し注文する。商品を受け取って戻ると、彼女は雑誌を見て嬉しそうに笑っていた。その笑みが今までと違って年相応、それどころかとても幼く見えて、出会ったばかりなのに、この人もこんな表情をするのかと奇妙な感想が浮かんだ。

「月バス……種田さんもバスケが好きなんですか?」
「……友達が載ってるから購入したんです」
「ッ、」
「ほらこれ」

 返ってきたのは肯定でも否定でも無い答えと、感情を削ぎ落としたような無表情だった。息を飲んだ瞬間、瞬き一つでまた幼い笑みを浮かべ、陽泉高校の写真の中の一人を指差す。東京に居る種田さんと秋田に居る留学生、どうやって知り合ったのだろうか。

「陽泉のスタメンですか」
「そう。あと洛山の……この人も。桐皇には中学時代の先輩が居るけど、残念ながら写真は載って無いや。ついでに秀徳の知人も小さいけど載ってた。なんか知り合い大集合みたい」
「す、凄いですね……」

 陽泉、洛山、桐皇、秀徳。『キセキの世代』の五人の内、四人の進学先それぞれに知人が居ると聞き驚く。なんだか凄い偶然だ。そして僕は『キセキの世代・幻の6人目シックスマン』なんて呼ばれていて。その内海常の生徒とも知り合ったりして……流石に神奈川だし無いか。
 月バスは『キセキの世代』の進学先を素早く察知したらしく、今月はその特集だ。勿論僕のページは無い。一人ずつ見開きで、彼らと進学先の高校についてそれぞれまとめられている。

「黒子さんもバスケしてる?」
「はい……夏頃から少し離れていましたが、最近また始めました」

 開いたままの洛山高校と赤司君のページ。最近の写真だろう、彼の表情も、鮮やかな赤い瞳も、とても冷たく鋭い。最後の試合を思い出して苦しくなる。

「全中で彼に破れましたか?」

 その様子に気付いたらしい種田さんがストレートに疑問をぶつけてきた。

「いえ僕は…………そうですね、ある意味負けたのかもしれません。僕は帝光中学校出身です」
「帝光」
「はい、『キセキの世代』と同じ中学校、そして、同じバスケ部に所属していました」

 あぁ、考えてみれば僕は彼らに負けたのかもしれない。才能に着いて行けず、青峰アオミネ君に置いて行かれ、彼らを止められず、桃井モモイさんに背を向けて、荻原おぎはら君を傷付けて……隠れるようにバスケから逃げた。走馬灯のような彼らと過ごした二年弱に浸っていると、種田さんがとても小さな声で「水色」と呟いた。

「人違いだったら申し訳ありません。黒子さん、もしかして『歯ぐる……えと、パスの人?」
「パスって……僕を知っているんですか……!?」
「今思い出した。そんなに驚かなくても帝光は有名だし知ってるよ」
「そう、ですけど……僕ですよ?」

 なんと種田さんは僕を知っていたらしい。水色とは僕の髪の色の事だろうか。
 不思議そうに首を傾げる種田さんに、影──存在感が薄く人に認識され難いと説明する。そうじゃなくてもチームメイトは注目を浴びる『キセキの世代』、コート上でも忘れられ『幻』なんて噂される僕に気付いて覚えている人が居る事に驚く。しかもただ見た事があるだけでは無く「パスの人」と言ったのだ。つまり彼女は試合中に認識し、プレイスタイルまで知っている。

「事前に試合に出ると言わずに僕に気付いたのは、多分あなたが初めてです」
「そう」
「何故見えてたんですか?」
「普通に?」
「……ならどんな風に観戦していたんですか? 本当に普通なら、嫌でも他のメンバーに視線が行くと思います」

 何故気付いたのか、何故見えたのか。首を傾げ続ける種田さんに飛びつくように具体的な説明を求めると、うんうん悩みながら彼女は答えを絞り出した。

「ポジションで見るから、かな……?」
「ポジション?」
「それぞれの動き、プレイスタイルを一人ずつ見るんです。帝光──『キセキ』なら……紫原ムラサキバラさんは体格が規格外で動きも少なく、あんまり参考になんないから他の四人をクオーター毎に。第1QはPG、第2QはSGと。丁度一試合で全員分」

 紫原君のページを見ながら「2mだもん」と種田さんは呟く。
 僕は中々信じられ無かった。だってマークマンですら僕を見失うのだ。ポジションで一人ずつ見る、それだけで追えるのか? 何か特別なタネでもあるのかと考えるが「普通に?」と言った時の様子からして本当にただ観戦しているだけなのだろう、でも信じられない。
 そしてそれは種田さんも同じだったらしい。

「んー……影? が薄いだけでそんなに解んないもの?」
「えぇ、他の人は。それと僕がミスディレクションを応用しているから尚更です」
「ミスディレクション」
「視線誘導とも言います。えっと……例えば、」
「視線誘導か、なるほど。それでマークから外れて、あんなに完全ドフリーでパスを出してたと」
「そう……ですね……」

 そう、だ。僕はパスを出していた。それは青峰君を始め、驚異的な成長を遂げた彼らには不要だった。パスなんて無くても彼らは充分戦えるし、凡人に天才の苦悩が解る筈も無い。僕は彼らに何も──パスを出す事しか、本当にそれしか出来無かった。

「……黒子さんはそんなに沢山何を買ったの?」
「え?」
「その袋、そこの八階の大型書店でしょ?」
「あ、あぁ……小説とか新刊を色々──……」

 その後は本の話になった。僕のキレの悪い肯定に話題を変えたのか、本に興味が移ったのかは解らない。雰囲気的には気を使って話題を変えてくれたように思う。でもバスケが好きかと訊いた時の表情からすると、ただバスケに興味が無いだけなのかもしれない。なんと言うか、赤司君と種類は違えど彼と同じ二面性を感じたのだ。昔の赤司君のようだと思ったのもあるし……ほんの少し、あの無表情な種田さんは怖かったから。
 だが試合を観戦する程だ、興味が無い訳が無いだろう。それも一人ひとりのプレーを見る、参考に、とも言っていたしかなり詳しい筈だ。種田さんもバスケ部なのだろうか? もしかしたら身長が低いから男バスのマネージャーをしているかもしれない。男子の強豪校三つ、そして青峰君が行った桐皇に知人が居るのだし。
 聞きたい事は次々浮かんで来たが、店に入ってから丁度一時間程だろうか、種田さんはそろそろ出ないとと席を立った。最後にもう一度お礼を言う。「こちらこそご馳走様でした」彼女はとても綺麗に頭を下げ、足早に去って行ってしまった。待ち合わせがあったのかもしれない。

(そういえば高校……何処なんでしょうか)

 本屋の話もしていたし、東京──この辺りに住んでいるだろう。桐皇に先輩、秀徳に知人が居て、友人だと指した洛山の人は『無冠の五将』、彼は関東大会で当たった事がある。
 もしも。今日『幻の6人目シックスマン』である僕と出会ったみたいな、『キセキの世代』の進学先の殆どに知人が居るみたいな、そんな偶然が起きたら、と僕は考える。種田さんが誠凛に通っているという偶然だって有り得るかもしれない。そしたら彼女は、試合の時のように僕に気付いてくれるだろうか。僕を覚えてくれているだろうか。
 入学して一番にする事はバスケ部への入部、そしてもう一つ、種田さんを探してみようと思う。確かオープンハイスクールで誠凛に女バスは無かった。男バスのマネージャーなら探す必要も無い、一石二鳥なのに……いや、三鳥か。あれだけバスケに詳しく、親切な優しい人。きっと心強い味方だ。

(名前も訊いておけば良かった……彼女、名字しか名乗りませんでした……)

 いつか見た誠凛の試合を思い出す。ベンチに種田さんの姿が在ったかどうかは思い出せなかった。

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