許容

 今日は暇だったし、そろそろさつきの堪忍袋の緒が切れそうだったから練習に来た。でも午前中は面倒なだけの基礎トレで。屋上は最近さつきが一番に捜しに来るようになったから、灯台もと暗し、体育館でサボる事にした。笛の音に目が覚めたから、女子の試合なんて観た事が無いなと暇潰しに観戦した。それだけだ。さつきがヤバくて、基礎トレが面倒で、灯台もと暗しで、暇潰し。それだけ。決して今吉サンが、オレの求めるモノを見透かしたような人が言った言葉に、淡い期待と興味を持った訳じゃない。
 結局来た屋上で寝転がり、誰に宛てるでもない言い訳を心で繰り返す。目を瞑ると先程の女バスの練習試合が、小さな6番の姿が瞼の裏に映る。キレは劣るがあのクロスオーバーはオレのものに近かった。速さや、ストバスを彷彿とさせる変則的な動きも。でもそんなものよりも、纏う空気が、雰囲気が、楽しんでなどいない様子が。そしてコートの中の誰よりも上手かった、上手過ぎた事が、

(あの人が見せたかった面白いもんっつーのは……アイツの事か)

 オレと似ていると感じさせた。
 オレに勝てるのはオレだけだ。更に相手は女子。だから彼女がオレより強い事は有り得ないが、女子としては充分過ぎる、男子でも中々の実力があるだろう。流している様子だったがそれは伝わって来た。でもバスケに対する気持ち──楽しいとか勝ちたいという感情や意志、そういったモノは一切感じなかった。オレと同じで退屈なのか? 渇いているのか? いや、そもそも最初から潤いなんて無いのかもしれない。それくらい何も感じなくて。アイツはなんなんだよ。彼女も「天才故の孤独」ってやつを感じているのだろうか?
 ぐるぐる考えて。脳裏に「ほらな、おもろい言うたやろ?」と言いた気な、今吉サンの腹黒い笑みが浮かんで決まりが悪くなる。舌打ちして溜息を吐いた時、ガチャリと屋上の扉が開いた。さつきか……今日はもう出る気が完全に失せたから諦めてくんねーかな、さっさと帰りゃ良かった。だが掛けられない声と足音が幼なじみではないと伝える。他の部員が捜しに来たにしては軽く小さな足取りだ。屋上に誰も居ないと気付いた足音の主はここ──扉の上へ目星をつけたらしい、梯子を登る音がする。オレは寝たフリを決め込んだ。

「最強で居続ける努力はしなくて良いの? したくないの?」

 掛けられたのは初めて聞く女の声だった。一瞬詰めてしまった息を、静かにゆっくり吐き出す。“──自分、負けたい思てプレイしとるやろ?”前に今吉サンに言われた言葉が蘇った。
 「なんちゃって」登って来たソイツはオレを起こしはせず通り過ぎた。薄く目を開いてその背を見る。何故かウチのジャージを羽織っているが、纏う空気も、低い身長も、色素の薄い髪も、あの6番の彼女だ。近くで見ると一際小さい。女子の平均身長にも届いてねぇんじゃね? これでよくあれだけ強いものだ。振り返る彼女に慌てて目を閉じる。

「しょーいち先輩が言うから捜しに、会いに来ただけ。別に君に興味なんて持ってないし」

 近くに立ったのか声が降って来る。ショーイチ先輩? ショーイチ……そういや今吉サンの名前はそんなんだったか。コイツもあの人に乗せられたのか、と思って、いやオレは別に乗せられてねーし、とまた心の中で言い訳した。

「興味なんて持ってる訳ない。ただちょっと、前にほんの少し共感しただけ……だからって別に全然違うし。たまたま一番強かっただけ、たまたまウチで一番だったからエース張ってるだけで最強とか……今は知んないし。女バスだってサボってるんじゃなくてマネやってるだけだし。一応はオフで練習してるし。別に拗ねてない、しょーいち先輩の一番の後輩は私だし……たぶん。というか私こんなに黒くない、全然違うもん。真っ黒くろすけ。木炭。墨汁。なんか……近くで見ると牛ってより黒豹…………やっぱりだめ、黒豹はしゅってしてて格好良いから無し」

 オレだってんな黒くねーよ。
 イラッと来て噛み付きそうになるのをなんとか堪える。なんだコイツ、めちゃくちゃ拗ねてんじゃねーか。今吉サンの後輩? 同じ後輩としてオレに対抗意識でも持っているのだろうか。面倒だし、そもそも話の流れに納得がいかない。腹黒メガネの一番の後輩とか怖ェよ、こっちから願い下げだっつーの。
 そう呆れると同時に、似ているという印象がより濃く強くなる。現エース、口振りからして中学では最強と呼ばれていたのかもしれない。練習も(コイツが言うには違うらしいが)サボっていて。べらべら喋る彼女は、今吉サンに何を言われてここに来たのか。ほんの少しの共感は、オレの何に共感した?

「負けたいのは先輩の憶測? それとも君の本心?」
「ッ、」
「なんだ……やっぱり全然違うよ。私は負けたいなんて思わない、」

 動揺で、片方の瞼がビクリと動いた気がする。続いた言葉は、自棄に失望した声色。そしてオレも失望する。どんなに似ていると思っても、やっぱりオレの気持ちが解る奴なんて──……

「勝ちたいとも……思えない」

 あ。
 と思ったのは声に出てしまっただろうか。ハッとして、時が止まったような気がして解らない。そうだ、確かにコイツはオレと違う。違うけど、同類だ。
 オレだって負けたいと思った事は無い。無意識では今吉サンが言った通り負けたいのかもしれないし、結局は同じ意味かもしれない。だけどオレは「自分と同等か、自分以上に強い人間」を求めているだけ、そしてソイツとガチの勝負をして、ソイツに勝ちたいだけだ。でもそんな人間は居ない。だから負ける事も、本当の意味で勝つ事も出来ない。それは負けたいと思う事も、勝ちたいと思う事も出来ないのと似ているんじゃないか? コイツは違う、でもやっぱ同類だ。矛盾しているがそう思った。

「寝てたいなら寝てても良いけど」

 言って側を離れる彼女。狸寝入りはバレているのか、起きないからそう声を掛けたのか。今度は薄くでは無く、普通に目を開けてみる。景色を眺めているのか、背を向けた彼女はそのまま脚を外へ投げ出して座った。

「負けたいなら負ければ良いのに。変なの」
「…………負けらんねーんだよ、オレはいつだって勝つ」
「なにそれ。普通に負ければ良い、簡単じゃん」
「態と手ェ抜いて負けてなんになんだ」
「確かに?」
「勝つ、勝っちまうんだよ。普通にやっても適当にやっても圧勝だ。『たまたま一番強かっただけ』、一番な」
「……」
「オレに勝てるのはオレだけだ」

 気付いたら話し掛けていた。やはり狸寝入りはバレていたようで、驚いた様子も無く言葉は返って来た。

「君は好敵手が欲しいの?」
「あ? コーテキシュ?」
「競争相手、ライバル。そういうの」
「……居んならな。でも居ねーっつってんだろ、オレに勝てるのはオレだけだ」

 中学も高校も両方三年間、つまり全国に来る顔触れ──強い人間は変わらない。同じ『キセキ』のアイツらとやればどうなるか解らないが、それでも自分が負ける所は想像出来無かった。
 頭の片隅では「オレに勝てるのはオレだけ」じゃない事くらい解っている。もしかしたら三つ上……は、ねーか。もっと年上には強敵が居るかもしれない、プロになればこの状況も変わるかもしれない、海外にはオレなんか屁でもない奴ばかりかもしれない。でも待てないのだ。オレは今、この場に、すぐ欲しい。この退屈をどうにかしたい、この渇きを癒したい。

「お前は?」
「なにが?」
「お前は何が欲しいんだよ」
「……なんで?」
「お前もあんだろ?」
「さぁ」
「言えよ」
「…………言っても理解出来ないし、君には想像も出来ないよ」
「はあ?」
「君と私は全然違う。けど……少し、似てる」
「……そうかもな」
「ねぇ、他者が羨む程力を持ってるのに、それ以上何かを求めるのは傲慢?」
「普通だろ。弱ェ奴が強さを求めんのと同じじゃねーの」
「そっか……ふふ。共感、同族嫌悪と妬み、同情と投影」
「あ?」
「手に入ると良いね、君は」

 ──私は手に入らないから。そう言われた気がした。

「…………だから居ねーっつーの。存在しねーもんなんて手に入れられるワケねーだろ」
「そうかな。明日か十年後か、きっとその内現れるよ。希望的観測」
「は? キボーテキカンソク?」
「希望を交えて観測する、都合の良いように考える事。ほら、今小学生くらいの子がどーんと才能開花とか?」
「何年も待てねーよ」
「なら明日に祈るしかないね」
「……」
「でも例え明日現れても、負けないで」
「嫌味か。どっちなんだよ……負ければ良いっつったのはテメーだろ……」

 コイツは「全然違う、少し似てる」なんて言うがオレは同類だと思っている。そんな奴に、手に入れば良いと、その内現れると言った奴に、負けるなと言われて何故か裏切られた気分になった。

「一年だよ、」

 その時彼女は初めてこっちを振り返った。人差し指を立てて真剣な表情で言う。交わった視線、試合中ぼんやりしていた目がオレを射る。その意志の強さに驚き、思わず上体を起こして彼女を見返した。

「今年一年は負けないで」
「あ?」
「まこちゃんには、霧崎うちにはそりゃぁ勝って欲しい。けど、去年から更に伸びただろう桐皇に君も居て、霧崎うちが勝てる確率は正直低いと思う。だから言う、今年一年は負けないで欲しい」
「誰だよ……なんで今年一年なんだ?」
「しょーいち先輩が居るから。先輩は君の強さを信頼してる」
「今吉サンか」

 ハッキリした口調と強い目。適当だったりはぐらかす返答はなりを潜めた。今吉サンのためならここまで意志が宿るのか。
 ふと彼女の羽織るジャージの持ち主に検討が付いた。「お前あの人の女?」「彼女って事?」「決まってんだろ」「違う」「なら惚れてんのか?」「そういうのよく解んない」まぁ今吉サンが惚れられた相手に、下手に気を持たせるような真似はしないか。でも彼女は彼のためにここまで変われて、彼は彼でジャージを着せる程度に可愛がっているようだ。どうやら本当に今吉サンの一番の後輩らしい。あの人の方は惚れてんのか? どうでも良い事をつらつら考える。

「でもね、君は手に入ると良いなって、ほんとに思うから、」

 一転して、泣き出してしまいそうな、それでいてとても優しい顔で言った。

「だから、負けるなら来年にして。来年は好きなだけ負けたら良い」
「────ッ」
「負けても、良いから……勿論、君が負けたいのなら、だけど」

 なぁ今吉サン。

“そんなもんは、他のだーれも望んでへんねん”

 アンタはそう言ったけど。コイツだって望んではいねーのかも知れねーけどよ。オレが負ける事を、負けるかもしれねーくれーの強敵を求める事を、許してはくれるみてーだぜ?

「ハッ! 良いな……お前」

 今年一年は負けない、か。約束してやるよ。この退屈と渇きをしのぐ、軽い暇潰しだ。つっても、

「心配しねーでも、オレに勝てるのはオレだけだ」
「……期待してるよ最強さん。私も君の強さを信頼し、その言葉を信用する」
「あの人が信頼してるからか?」
「ご明察」
「ゴメ……は?」
「脳みそは一切信用も信頼も出来ないアホさだけど」
「おい! つーかお前が求めてんのはなんなんだよ結局よ。そもそもお前オレが嫌いなんじゃねーの? 最初ボロクソ言いやがって」
「なんだ、最初から起きてたんだ」

 肩を竦めると、立ち上がってこっちへ来て、座るオレの前にしゃがみ込んだ。すっと片手を挙げる。

「だから同族嫌悪と妬みだっ、て」

 バチンッ

「イッテ! ッ〜〜!」
「君と私は全然違う、けど少し似てる……でもやっぱり根本から違うから」
「ぁあ゙? んだよそれ! クソッ! 痛ェなオイ!」

 音が鳴る程強くデコピンをされて、思わず額を抑え踞る。女子の癖に、チビの癖になんつー威力してんだ。

「あれかよ、今吉サンの後輩としてどーこーってヤツか? 面倒クセーな」
「まぁ……そんなとこ。だってなんかなぁって思ったんだもん」
「そんなんでデコピンしてんじゃねーよ! 『手に入ると良い』とか言っといてなんだよこの仕打ちはよ!」
「それは同情と投影」
「あ゙? 同情ってナメてんのか? つーかトーエイってなんだよ、意味解んねー言葉ばっか使いやがって!」
「それは君がアh……勉強不足のせい。辞書引きなよ」

 痛い所を突かれ、強く出れない。「……バスケ強けりゃ良いだろ」「桐皇は赤点で欠場とか補習が優先とかないの? 先輩に迷惑掛けたら許さないから」据わった目と低い声に完全に何も言えなくなった。

(成績やべーと欠場とかあんのか……? 補習? 試合ねー日にやりゃ良いだろ、アホか。つーか補習あんのか?)
「…………君もしかして」
「ッな、なんだよ」
「入学実力考査で既に躓いてるの?」
「入学実力考査?」
「……そんなにアホなの? 入学後すぐにやる実力テストの事、」
「お前こそアホか、それは解るっつーの。桐皇はそんなんねーよ」
「なら、どれは、解んないの?」
「…………トーエイ」
「ふぅん?」
(正直に欠場も補習もあるかどうか解んねーとか言ったら、デコが危ねぇ)

 追及の眼差しから逃れるべく思わず下げた視線、丁度彼女の胸元が目に入る。

「うわ、お前胸ねーな……」
「ええぇぇ、どしたの急に」
「だってお前程胸ねー奴初めて見たし。マナイタはつまんねーからな、これから頑張れよ」
「なんのエールなのか。胸とか要らないし、つまるつまらないの話じゃない。なによりマナイタは便利」
「いや要んだろ、お前自分がねーからって強がりか」
「違う。だって絶対俯せで寝転がれないし、バスケする時邪魔になる。あれは他人に付いていてこそだよ」
「あー確かに邪魔そーだな。でも巨乳の子がバスケとか、こう、シュートの後にバインってさ……うおめちゃくちゃ良いんじゃねーの!?」
「ロッカーモーションで揺れる乳?」
「おう、お前解ってんじゃねーか」

 あー……なんか。

「君巨乳でバスケ上手い子探しなよ。そっちに目が行ってる間に負けれる」
「おいナメんなよ。オレならおっぱいから目ェ離さずとも余裕で勝てるっつーの」

 バスケしてーかも。

「それは視線のフェイクに入る?」
「おっぱいフェイクだな」

 コイツとバスケしてみてーかも。

「……お前は揺れるモンねーけど」
「つまり君もおっぱいフェイク使えないって事だね」
「やべーな、マナイタ最強じゃねーの」
「君に勝てるのはマナイタだけだ」
「もう意味解んねーな」

 だってそうだろ。負けたいとも思えねーコイツなら、きっと──……

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