腕のストレッチをしながら黄瀬さんの前へ出る。
「え……まさかのトビちゃんなの!? 無理でしょ!」
「この中で一番純粋にバスケが上手いのはトビなんでー」
「うっそ!? パキラさんが一番強そうなのにな、ゴツい!」
「私はサチマさんが一番だと思った〜。一番背が高いし!」
「……良いんスか?」
ボールをフリップする黄瀬さんの、こちらを見下ろし見下す目。薄くて軽い黄色の、嫌な目。天下の『キセキ』サマに、対する私は地を跳ねる小さなネズミだから仕方無いだろう。だが「コレの何が凄いの?」とでも言いた気な態度は見過ごせない。師匠が売られた喧嘩は弟子が買って仇を討つべきかな、なんて考えながら一礼する。宜しくの合図。「マジっスか……オレ強いっスよ?」聞こえた呟きに内心舌を出す。
(あの『キセキ』の一人と対戦出来るなんて光栄だなぁ……なんて思うわけねぇだろ、ばーか)
良い経験になるとは思うが、正直そんな事は至極どうでも良い。一矢くらい報いる、それだけ。だから、
「……跪いてね」
「?」
小さな声は黄瀬さんには届かなかっただろう。「トビちゃん仇宜しく!」芸人へ頷き、ちょっと頑張りますかとパーカーを脱ぐ。「勝てないけど溜飲は下げるよ」こっそり言うとパキラ達はサムズアップを返してくれた。
「お? 結構やる気だね! じゃあ三本勝負、先攻は勿論トビちゃんから」
「宜しくっス!」
ボールを受け取ってその場で二回小さくジャンプ、深く息を吐く。「頑張れトビ、殺ったれー!」キセリョコールの中、アウェイを諸ともしないべーちゃんの過激な声援に小さく笑い、苦笑する黄瀬さんにもう一度礼をした。
緩いドリブルで数歩前へ出る。ゴールまで目安10m、だが正面の黄瀬さんは動かない。良いの? 首を傾げるとにっこり微笑んで頷かれた。そっか良いんだ、ディフェンスも居ないし自信あるんだけど。レッグスルーを挟み両手で持ったボール、しゃがみそうな程ぐっと腰を降ろす。黄瀬さんの驚く顔がちらりと見えた。
「スッ──……」
ボールがゴールを潜って落ちる音と、私が着地する音が重なる。
「──ゲェェエエエ! トビちゃんの跳躍力鬼だな!」
「マジかよ! 3Pラインより遠いでしょ!?」
「え、え? なに今のジャンプ〜!?」
ゴール近く、笑顔でボールを取ってくれたパキラ達へVサインを送る。黄瀬さんへパスすると、呆気に取られていた彼は、はっとしてニヤリと笑った。「練習休んだ甲斐、少しはあったかもしんないっスね」彼の目の色が変わる。「ちょっと……いや、めちゃくちゃナメてたっス」少しはやる気になってくれたようでなにより……やる気無いのを折っても意味無いからね。
ディフェンス、黄瀬さんを止められるとは思わないが、出来る限り圧を掛けようと前を陣取る。すっと下がる彼に警戒しつつも、違和感を覚える。と、彼は私と同じようにしゃがみそうな程腰を降ろした。でもこれは……脚が伸びきる寸前でボールをはたき落とし奪う。
「まだナメてる?」
「うーん、その……かなぁ……?」
ドリブルしながら小さく会話を交わす。眉を下げ言葉を探す反応を見るに、ただ模倣してみた結果だろうか。
シャムゴットで抜こうとするが反応が速く難しい。さてどうする……みやみやに試すつもりだった青いのを参考にしたクロスオーバー、より速い黄瀬さんで試してみようか。体勢を立て直し、ゆっくり間を詰めてのチェンジオブペース。
「なっ! ッ、」
驚いた様子だったが、跳ねたボールに触れた瞬間を叩かれた。んー……やっぱり無理か。あの瞬間を狙われるって事はキレと握力が足りない、あともっと腰落としても良いかも。そのままターンした黄瀬さんがレイアップで決める。1-1。司会と会場が盛り上がる。
「今のッ……なんでもないっス」
「?」
二度目のオフェンス。少し楽し気な様子の黄瀬さんは、実力差は明確なのにそこそこ本気らしい。先程までと迫力が全然違う。軽く上がった口角と、もう軽薄さなんて感じさせない真剣な目。腰を落とし隙あらばボールを奪いに来る。
無理矢理なドライブからすぐ下がり、空いたスペースに切り込む。スピンムーブでかわそうとするが阻まれた。結構キレあったと思ったのにな、流石元帝光レギュラー。スティールに伸びた手から逃げ、今度はビハインドザバックやレッグスルーで左右に揺さぶってみる。
「なんっでそんな動ける、んスかッ!」
「どや」
レッグスルー連発で進むとか、そこから横に跳び退くとか私の十八番なの。伊達にべーちゃんにトビネズミってあだ名付けられてないよ。と、
「ッあ」
体勢を崩した黄瀬さんが片膝をつく。
「ノルマ達成」
「え、」
厳密にはアンクルブレイクではない。ドリブル位置の低い私を深追いする相手はたまにこうなるのだ。
跪く黄瀬さんを小さく鼻で嗤って抜き去りシュート。だが一瞬でブロックに来た彼に、即座にダブルクラッチで対応する。ほぼ適当に放ったボール、
「ッなんで今ので入るんスか〜!?」
「まぐれだよ」
「次! オレのオフェンスっスよ!」
ガコンと乱暴に入って2-1。
一矢報えたかな、もう良いや。そう思うが、悔しそうな黄瀬さんはさっさとディフェンスにつけと言いた気に自分の前を指差す。なんかほんと、小谷みたい。彼女が男の子だったらこんな感じだろうか。ふふ、と小さく笑いが溢れる。小谷(仮)だと思うと、こちらも真剣に応えたいという気持ちになる。パフォーマンス前のアップ、もっと入念にしとけば良かったな。
∇ ∇ ∇
この人、一体なんなんスか?
初めて見たフリースタイルバスケ、転がしたり放ったり跳んだりはじいたり、DJに合わせてボールと踊るようなパフォーマンスは面白くて格好良かった。バスケに、ボールにこんな使い方? があるのかと驚く。青峰っちのプレーを見た時程の衝撃は無いものの、オレもやってみたいと思った。
自分の出番になってボールを持った時、手持ち無沙汰でやってみたら簡単に出来た。他の難しそうな技は解らないが、多分オレなら、出来る。なんだこんなもんか、なんて。やらなきゃ良かった、そしたら「格好良い、凄い」って気持ちのままでいられたのに。知らなきゃ良かった、そしたら「こんなもん」って思うモノを増やさなくて済んだのに。そして思う。ねぇ、簡単に出来たっスけど? こんなもん頑張らずに普通にバスケした方が楽しいのに、んな事も解らないんスか? 変な人達だなと『trilingual』の彼らを見た。
見当違いな落胆や憐れみは、練習にも出れずヌル過ぎる相手との中途半端な1on1で苛立ちに変わる。八つ当たりでもしそうな気分だった。新たな相手として呼ばれた『trilingual』はコソコソ話し合い、笑顔の三人が一番小さく弱そうなトビさんを送り出す。もしかして彼らはバスケが下手だからフリースタイルの道を選ばざるを得ないのだろうか、年下のオレに負けるのが嫌だから弟子と呼ぶ彼女を出したか、と邪推した。tenさんは彼女が一番上手いと言ったが、独特の棒読みな話し方も相俟って嘘にしか聞こえない。
「良いんスか──……」
──あの人達のバカなプライド保つためにスケープゴートにされても。続く言葉は心に止め、トビさんを見下ろす。中学生くらいにしか見えない彼女。体格に恵まれなかったからフリースタイルをしているのだろうか。でもオレは簡単に出来ちゃって、アンタはスケープゴートにされて、あーあ可哀想。
鼻で嗤うオレの内心に気付かないのか、トビさんはお願いしますと言うようにきっちり綺麗にお辞儀をした。ステージ袖には《巻いてる 1on1押しで》とカンペが出ていた。マジっスか、こんな子との1on1で尺伸ばすとかどうしろと。更に、笑いながら宜しくとジェスチャーする『trilingual』の三人。さっきの月バスの記事、持ち上げられる程度には、オレ強いっスよ?
さてどうやって押しで行くか。攻めさせて様子を見て、良い感じの接戦で点を取ってもらって……考えていると、少し間を詰めたトビさんが首を傾げる。もう始めて良いかと訊かれた気がしたので勿論と頷くと、彼女はレッグスルーをして両手でしっかりとボールを持った。
(は?)
こんな長距離で何やってんスか。そりゃそっから入れられる人も居るけどアンタじゃ無茶っしょ、バカ?
そしてトビさんは緑間っちがスリーを打つ時より、深くふかく屈んだ。嘘、まさかアレと同じ──……
「ッ!?」
いやボールの軌道は高くない。ただ、シュートを打ったトビさんのジャンプは恐ろしく高かった。滞空時間もまるで時が止まったかのように長い。背が低いので最高到達点は比べるまでもないが、火神っちくらい跳んでいるかもしれない。後ろから小さくネットの音がしてシュートが決まった事を告げる。ボールの弾む音と共に、彼女は静かに着地した。刹那、驚きの声が上がり時が動き出す。
緑間っちの特殊なシュートとは違うが、トビさんのような身長の人が出来ると思えなかった……いや、屈む深さ、タメの長さ、跳躍力でカバーして可能にしたのか。あとは筋力。小ささにばかり目が行っていたが、改めて見ると、細くしなやかな手足は無駄な脂肪が無くしっかり筋肉が付いている。彼女が三人に掲げるピースが、さっきのシュートはマグレや賭けじゃないと語る。
(これマジだ、本当にこの人が四人の中で一番上手いんだ……完全にナメてた)
オフェンスでさっきのトビさんを思い出す。あの跳躍、オレも出せるだろうか。オレがすればもっと跳べるかもしれない。何度か真似した緑間っちのスリー、それより腰を落とす。高弾道じゃなくて良い……全身のバネをフルに使う、普通で普通じゃないジャンプシュート。しかし跳び上がろうとした時スパンとスティールされた。「まだナメてる?」訊かれるが上手く答えられない。そんなんじゃなく、さっきのアレ試したいだけだ。
考えていると抜きに来るので止める。オレの反応を見極め無理をしない、と思いきや立て直したトビさんはゆっくり間を詰め即座にクロスオーバー……ってコレ、
(今度は青峰っちの!?)
似てるだけ、か? フェイクの入れ方が違うし緩急も甘い、切り返すタイミングで簡単に弾く事が出来た。「キレが甘い、握力も……もっと屈んで」ぼそぼそ呟くトビさんの声を背にレイアップ。まだ未完成なのだろうか、もしかして目指してるのは青峰っち? 抜きに来た時の独特なドリブルも似ていた。トビさんも青峰っちに憧れて模倣してる? それともストバス仕込み? 疑問が尽きない。
ゲームは続き、トビさんは低い位置での様々なドリブルテクニックで翻弄してくる。スティールしようにも低くて手が出し辛いし、そもそもディフェンスの時点で体勢がキツい。なのに彼女はその低姿勢で素早く動く。無理矢理手を伸ばした時、ガクンと膝がついた。不意を突かれてのアンクルブレイクじゃない、慣れない体勢に疲れた脚がもつれた。
「ノルマ達成」
呟いたトビさんはドリブルで抜く間際、膝をつくオレを鼻で嗤った。
(ど……どこの赤司っちっスか!!?)
戦慄しながら急いでブロックに入るが、無茶なダブルクラッチで放たれたボールはゴールに入った。マグレとは言え運も実力の内、完全に追い付いていたのにマグレで入るとは悔しい。
1-2でゲーム中盤。オレとは裏腹に、トビさんはもう満足したのか気が抜けている。今からが勝負なのになんで、とディフェンスに着くよう言った声は拗ねた色を隠しきれなかった。小さく笑った彼女はスッと纏う空気を変えた。急にプレッシャーが掛かって試合中みたいにピリピリする。でも闘志とかそういうのは感じられない。とても静かだ……何処までも、乾ききってるみたいに。
「アンタ、なにモンっスか?」
本当に、なんなんスか。
オレら──『キセキ』には及ばない、でもかなり上手い方だし面白い。こんな人会った事が無い、始めてだ。だって男子はこんなに小さくない。体格の差があるからこそ、低身長と言うハンデを持っているからこそのスタイルと、青峰っちを彷彿とさせるストバスっぽさ。ならハンデの無いオレがすればどうなるのか。
「何者? 『trilingual』の弟子?」
「そうっ、じゃなくて!」
女子バスケのレベルがどんなものかは知らないが、トビさんはその辺の男子より上手い。全中で「まぁまぁやるかも」と思った相手くらいだ。女子で、この体格でコレって、相当なバケモンじゃないっスか? 女子にも『キセキの世代』という呼び方はあるのだろうか。
見極めてビハインドザバック。ピクリと反応したトビさんは攻める気配は全く無いのに、少しでも隙を見せるとスティールを狙いにくる。1mmも気が抜けない、本能的に恐怖を感じさせるようなプレッシャーに何処か懐かしさを覚えた。
(なんかちょっと……楽しい、かも)
レッグスルー、腰を落としてもっと低くもっと小さく。ドリブルも、もっと低くそれでいて速く。トビさんみたいに、もっと……でも元々の体格が違い過ぎて中々上手く出来ない。
「模倣が得意なんだよね?」
「まぁ……見れば大体出来るっスよ」
「ふぅん」
訊いた割りに興味が無さそうなトビさんを抜いて、無意味にギリギリでダブルクラッチに変えシュート。無理矢理でもちゃんと決まったが、ジャンプは低いし打点は高過ぎる。これじゃ全然違う。
2-2、あと1点でどちらかの勝利だ。あぁもう終わってしまうのか。もっとこの人のプレーを見たい、そして自分のモノにして試したいのに。
「君見失ってるよ」
「何が、」
「目的を、見失ってる」
小さく、無機質に言われて首を傾げる。急に脚を止めたオレをトビさんは見逃す筈も無くボールを奪われた。でも彼女は何故かシュートへ行かず、ドリブルで攻めあぐねいている……多分、ワザと。
「君が今、すべき事は?」
「そりゃあ勝つ事っス」
もう負けるのはこりごりだ。今度は勝つ。この1on1は勿論、誠凛にだって、『キセキ』の皆にだって、憧れのアノ人にだって。他の誰にだって、勝つんだ。
「ならカンペ、見えてる?」
「へ……?」
カンペ?
目が覚めるような感覚、ステージ袖でぶんぶん振られる《尺OK》のカンペが視界に飛び込んだ。サッと顔が青ざめる。完全に、尺を伸ばすとか仕事中だとか、完璧に、綺麗さっぱり忘れていた。ちらっと会場を見るとぽかんとした観客、一人だけニヤニヤする最前列の女の子が自棄に目につく。我を忘れて熱くなり過ぎた。恥ずかしくなって、素早くトビさんからボールを奪う。内心、羞恥心の叫び声を上げながら出たのはワンハンドダンクだった。
∇ ∇ ∇
クレンジングシートを貰って、腕と脚のペイントを落とす。
「溜飲は下がった? オ師匠サマ」
「充分じゅうぶん。一発目のシュートスッキリしたー、しかもなんか転けてたし。良い弟子持ったわー」
ケラケラ店長が笑う。「まー黄瀬君悪い子じゃないんだろーけどね、ガキってだけで」それでも立場くらい弁えて欲しい。黄瀬さんはバスケが上手過ぎるモデルとして、パキラ達はフリースタイルバスケのパフォーマーとしてステージに立っていたのだ。例えフリースタイルを大した事が無いと思っても、ステージでやってはいけない。こんなの芸能人じゃなくても解るよ、しっかりして。
あの後ステージ裏で、笑顔のパキラによくやったとばしばし背中を叩かれた。サチマはニヤニヤ英語とチャイ語の交じった言語を吐きながら私の頭を撫で回した。私への賞賛であって、黄瀬さんざまあみろな悪口では無いと思いたい。
「皆様お疲れさまでした!」
「「「「「お疲れさまでしたー!」」」」」
スタッフや共演者と、お菓子やジュースを摘みながら少し話す程度の小規模な打ち上げをする。
サチマが地下ドル除けに私を側に置いていたが、それでも彼女は寄って来たので逃げる。私はサチマに睨まれるより嫉妬の方が怖い。店長使えよ、と失礼な考えで見た店長は芸人に絡まれ、スタイリストのお姉様(仮)を盾に防戦中。パキラだけが企業さんと真面目に話している。
携帯が震えたので見るとべーちゃんからだった。室内はそこまで騒がしくないし大丈夫だろう、隅に行って通話ボタンを押す。
『ユーキ!!!』
「やっ、」
『あ、ゴメ──……』
あまりの大声に驚き、携帯を落としてしまった。べーちゃんの声とその音に室内の視線が集まる。「お騒がせして申し訳ございません」急いで廊下へ出る。
『なんで事前に言わないワケ!? 知ってたらハンディカム持ってきたのに、超ショック! まぁスマホでムービー撮ったけど!』
最早運動会の保護者だ。用件はそれだけだったらしく、気をつけて帰りなさいと通話は締め括られた。べーちゃんは何処までもお母さんである。
戻るとゴージャスな笑顔の黄瀬さんに出迎えられた……なに、どしたの。
「お疲れさまっス! トビさん本名ユーキって言うんスか?」
「お疲れさま……うんまぁ」
「ならユーキっちって呼ぶっス!」
「お、おぉ」
まこちゃんの優男笑顔とはまた違う眩しさ。なんだろう、シャラララーンって感じ。光り輝く粒子が見える、是非女神様と並べたい。というかこれ……懐かれた? なんで? 軽蔑や警戒を映していた目は1on1での真剣さとも違う、好奇心旺盛な犬のそれ。まんま小谷だ。
「ユーキっちってなにモンなんスか?」
「『trilingual』の弟子?」
「ッだからそうじゃなくて! バスケ、その辺の男子より余裕で上手いじゃないっスか!」
「ならその辺の男子より余裕で上手い、その辺の女子?」
「その辺の女子はあんなに上手くないっスよ! 後でどっかのストリートコートでもう一回、1on1しよ?」
私は自分の実力を自覚している、その辺の男子より女子より余裕で上手いと自覚している。まこちゃんには敵わないとしても、みやみやと同じくらいだろうか。黄瀬さんの通う全国区の強豪・海常なら、部内に私と同等の選手は居ると思うけど。
「なんで?」
「ユーキっち程の実力者って少ないし、中々模倣出来ない相手とか初めてなんスよ。もっと色々見せて欲しいっス」
「んー……」
にこにこしている黄瀬さんを空いた椅子に勧め、私もその横に腰を降ろして差し入れの生ドーナツを頂く。ぷるぷるで美味しい。
「君見失ってるよ」
「あ、あの時は……その、ちょっと仕事中って忘れてて……」
「今も。君の目的は模倣?」
「目的って……上手い人のプレーを模倣するのはっ、」
「君のスタイルを否定したい訳じゃない。他人の技術を模倣して参考にするのは基本、全てはそこから始まってどう昇華するか」
「ショーカ?」
「一段階上のレベルに高める」
「そりゃあ実力以下のまま真似しても意味ないっスからね」
「ならなんで私の模倣するの?」
「いやいやユーキっちめちゃくちゃ上手いじゃないっスか!? そりゃオレら程じゃないっスけど充分強いっスよ! あのスリーとか緑間っちとは違うけど長距離で、ジャンプ力だって火が、」
「どうどう」
立ち上がって勢い良く話し出す黄瀬さんを宥める。緑マッチとか言われても解んない。褒めてくれてるっぽいのは喜ばしい事だろうが間違っている。彼は解っているのに、解っていない。
「低次元な技術は取るに足らないよ」
「は? だからユーキっちは充分上手いっスよ? 謙遜し過ぎは嫌味っス」
「謙遜じゃない。私の模倣は君に出来ないし、そもそも不要」
「ッなんで! そりゃ他の『キセキ』は無理だけど……ユーキっちのコピーくらいオレなら出来るっスよ!」
「物理的に無理。身長何センチ?」
「189cmっスけど」
「私は150cm。いくら『キセキ』が天才でも、39cm縮むなんて芸当出来ない」
「う……」
「そして私のプレーの殆どは、身長をカバーしつつ生かすモノ。既に39cmを持ってる君には不要」
「……オレがやったら、もっと凄いかなって思ったんスもん」
「一理あるね。でもやっぱり不要だし、寧ろ邪魔かな」
「なんでっスか?」
「最初のシュート。君の身体能力なら長い溜めは要らないだろうし隙を生むだけ、だからスティール出来た。あれはナメられる私だから出来る奇襲。低姿勢のドリブルやレッグスルーも。私が更に姿勢を低くするから生きるけど、君じゃなんかちょっと低いだけ。逆に、スピードとキレの低下・スタミナ消費・足腰への負担──デメリットしかない。さっさと切り込むべき」
「うー……」
「長所を捨ててまで拾う技術じゃない」
言い終わると、黄瀬さんはズーンと項垂れた。
黄瀬さんの模倣技術は凄まじい。見ただけで把握出来る観察眼と、それを再現可能にする身体能力とセンス。だから自信と誇りを持つのは解るけど。“──練習休んだ甲斐”そう零す程仕事よりバスケを優先している彼なら、模倣が目的な筈が無いのだ。きっと別にある。
「『模倣出来ない相手とか初めて』。当然だよ、同世代の男子でこの身長はほぼ居ないから」
「ま、ぁ……そうっスけど」
「君は『初めて』の経験に惑わされて、振り回されてるだけ」
「ッ!」
はっとこちらを見る黄瀬さん。“──オレに勝てるのはオレだけだ”ふと、退屈そうに言った青いのの、乾ききった声音が頭を過った。
強さは時に不便だ。黄瀬さんも紛う事無き強者で、『キセキ』以上は無理でも他はなんでも模倣出来てしまうんだろう。万能と言って過言ではない才能、それは出来ない経験が少ないとも言える。
「君が出来ない事は上だけじゃない、下にもある。取捨選択を見誤るな」
「下……」
「模倣は手段であって、目的じゃない筈でしょ?」
「……当然っスよ。オレは勝ちたい、次は勝つ。そのための手段っス」
「うん」
急に真剣な表情になる黄瀬さん。次は、と言う彼は青いのと違って負けた事があるらしい。青いのに負けたのかな。
「だから必要ないよ」「ソレとコレとは別っス!」ガバリとこちらを見て、元気にまた1on1をしようと言う。150cmの相手を想定した練習なんて要らない、男子でそんな選手見た事が無い。「そ、そうっスけど〜面白いんスもん!」だからそれは初めての経験に惑わされてるだけだ……まぁ遊びなら良いか。勿論機会があったら、だけど。
「君はバスケに関わってる方が良いね」
「へ?」
「お仕事してるより黄色の目がきらきらしててさ、その色の方が良い」
「そりゃバスケ好きっスもんっ!」
にっこり笑う黄瀬さん。うん、あんな軽薄な色よりこっちの方が良い。
「トビ随分懐かれたねー」
「そうみたい」
「数回会ったけどな、いっつもすげー冷めてたから。まー仲良くなったみたいで安心したわ」
「パキラは後輩思いですね」
「後輩?」
「俺黄瀬君と同じ海常だったんだぜ?」
「ふぅん」
「うっは、反応薄!」
小さな打ち上げはお開きになった。それぞれの収穫はパキラ:イベント企画会社の名刺と別イベントの話、店長:若手芸人ツッコミ担当の連絡先、サチマ:地下ドルの連絡先である。パキラしかまともじゃない。
「あ、ユーキっち連絡s、」
「「「「「キャー! 黄瀬君!!!」」」」」
ビルから出る時、何か言おうとた黄瀬さんは出待ちの女の子達に囲まれてしまった。困りながらも握手やサインに笑顔で応じる目は軽薄で。私は嫌だと思ったが、あれは防衛反応なのかもしれない。女の子達は彼の様子に気付かずはしゃいでいる。芸能界は怖くて大変だ。
( お つ か れ さ ま )
「え? あ、ッ! あっ、いえコレに書けば良い──……」
口パクの挨拶は伝わっただろうか。私の名を呼ぼうとした口の形、言葉を飲み込みファンに対応する彼に小さく笑う。なんだ、立場弁えれるじゃん。ファンの前で女の子を呼んだら、きっと恐ろしい事になるからね。
軽く手を振りパキラの車に乗る。「『trilingual』の皆さん、お疲れさまでした」ファンを制した黄瀬さんは礼をした。そして少し頭を上げ、だが眉は下げて私を見る。犬を捨てる気分だ……中学の卒業式での小谷を思い出す。
( ま た ね )
だからか、気まぐれにそう口を動かした。黄瀬さんははっとして( ま た )と、バスケが好きだと言った時の笑顔で口を動かした。うん、そっちの方が良いよ。