素朴

「なにしてるの」
「あ゙? ッ、」
「名前呼ばないで、面倒だから」

 ストリートコートへ向かう途中路地裏の喧嘩が目に入った。踞り呻く人達、対峙する二人。その片方、見覚えのあるかば色は、声を掛けると鈍い威嚇と共に振り向く。ギラリと光る緑と目が合った……ザキちゃんだ。

「巻き込まれんぞ、さっさと逃げろ」
「それは訊いてない。なにしてるの」

 面倒そうな抑揚の無い声、少しの不機嫌さ。まるで別人みたいだ。今更ながら、ザキちゃんの目付きは結構鋭いと気付く。無表情だとこうも印象が違うのか。だが逃げろと言う彼はやはり優しい。

「見たら解んだろ、喧嘩だっつーの。さっさと行け」
「違う。理由を訊いて、……うん?」
「は、ははは! 動くなよ、動いたらこのガキボコるからな!」

 ガキじゃな……高校生はガキか。
 どうやらもう一人居たようで、背後から首に腕を掛けられた。「やってくれやがって……慰謝料として財布出せ。んでサンドバッグな」小物感たっぷりな台詞に、踞っていた人達は勝機を見出だしたのかのろのろ立ち上がる。ザキちゃんは大きく舌打ちした。
 「後ろ、危ないよ」「あ?」「黙れ! お前も動くな、このガキがどうなっても良いのかよ!?」こちらを向いたザキちゃんに注意するとぐっと腕が絞まったが、財布を取られるのも怪我をされるのも困る。「私は気にしないで」「黙れっつってんだろ!」反撃はしないまでも、困惑の表情で跳んで来る拳を避けるザキちゃん。素直で助かる。後ろの小物さんは、避けるザキちゃんと動揺しない私に焦っているようだ。こういうの馴れてないのかな。

「そのまま答えて。喧嘩の理由は?」
「……そいつが絡まれてた、多分ただのカツアゲだろ。んで巻き込まれた」

 そいつ?
 小物さんが喚くのをBGMに辺りを見回すと、ぼろぼろ泣きながら縮こまる気弱そうな男が目に入った。

「つまり君は加害者じゃない?」
「違ぇっつーの」
「なら良い、そのまま避けて反撃しないで。そのままね」
「はぁ?」

 怪訝な表情でこちらを伺うザキちゃんに、まこちゃんを真似た悪どい笑顔を送る。「……どうなっても知んねぇぞ」相変わらず面倒臭さと不機嫌を滲ませ、彼は大きく溜息をついた。

「おい! だから、」
「ねぇ……『脅しっちゅうんは相手が怯まんとなぁんも意味ないんやで』」
「あぁ? 何言ってんだ!?」
「私が捕らえられても彼は止まらないし、私も怯んでいない。だから『このガキがどうなっても良いのか』なんてなんの脅しにもならない」
「ナメてんのか? マジでボコるぞ!」
「良いよ」

 じゃなきゃ正当防衛にならない。腕から抜け出しバックパックを降ろす。正面から見た小物さんは顔を真っ赤にして怒っていた。怒りで我を忘れているのか、大振りで殴り掛かってくる。隙だらけ。

「望み通りボコボコにしてやるよ!」
「べつに──……」

 ──ぼこぼこにされたい訳じゃないんだけど。言葉を続ける前に受け流しつつ少し食らう。目元を殴られ思わず舌打ちが溢れた。弱いパンチだが場所が悪い。青たんになるかも……頬ならマスクで隠れるのに気が利かないな。殴られたタイミングに合わせて、顎へ掌底突きを繰り出す。まともに入ってふらつく相手の耳を掴んで地面に転がし、後は俯せに取り押さえるだけ。おしまい。

「全員、動くな」

 低く大きめの声を出せば皆ビクリと動きを止めた。驚くザキちゃんに小さく笑う。辺りは静かになったのに、取り押さえた小物さんは喚きながら抜け出そうと足掻いている。私は軽いからやめて欲しい。捕らえた腕を少し引っ張り静める。

「少しでも抵抗したら容赦無く腕を絞める。誰かが動いても同じ」
「煩い、やってみやがれ! 離せこの、クソッ! ぐ、ッ!?」
「抵抗には喚く事も含まれるよ……これ以上抵抗するなら指を折る」
「ッおい! 早く誰かこいつをどけろよ! 何してんだよお前ら!」
「それとも折るのは鼻が良い? その方が解り易いかな」

 一向に口を閉じない小物さんにうんざりした。溜め息を吐いて、片手で彼の頭を何度か撫でる。しばし怪訝そうにしていたが、またすぐ喚きだしたので髪に指を絡め、グッと掴んで引き上げる。

「痛ッ! 離、」
「さて。このまま地面に何度も打ち付ければ、鼻は勿論前歯も折れ、顔はぐちゃぐちゃになってしまうでしょう。私も出来ればそんな乱暴で惨たらしい事はしたくない、ですが仕方ありません。暴れる侭に解放を許し貴方にまた殴られてしまうかと思うと、物理的に止めるしか……繰り返し地面へ、何度も何度も打ち付けて。鼻血が出ようと折れた歯が飛び散ろうと、何度も何度も何度も」
「ッ、」

 仕上げに上がった頭に顔を近付け、耳元で優しく囁く。

「これで最後です。どうか抵抗しないで下さいませんか? ね?」

 ひきつるような悲鳴を上げ、抵抗は止んだ。“──脅す時は、優しく丁寧に、ですよ”サチマが言っていた方法は効果覿面だったようだ。
 小物さんのお尻ポケットから財布を出し身分証を探す。入っていた学生証を見ると、なんとそこそこ頭の良い私立中高一貫校の高校三年だった。他の三人にも出させ、並べて携帯のカメラをかざす。

「彼を巻き込んだのは許せないけど、こちらも大事にしたくない。だからお互い水に流そうよ。彼の反撃も、君が私を殴った事も」
「……」
「返事が無いね。聞こえなかったかな」
「わ、解った水に流す」
「もし報復とか下手な事するなら、気付き次第即学校に連絡する」
「なっ!」
「嫌? なら今すぐ警察呼ぶ?」
「いや! ぁ、嫌じゃなくて、あの、」
「何もしなければ良いだけ。今後私達を見かけても無視して。それなら何処へも連絡しない」
「しない、しないから連絡だけは!」
「うん。君達は悪事を働いた、私達は警戒を怠った。お互い悪い、痛み分けだ。だから水に流してお仕舞い。今日は何も無かった……そう、ですよね?」
「あ、あぁ……何も無かった」
「有難うございます、お互いの認識にズレが無いようで安心しました。君達もそれで良いかな」
「……俺はどうでも良い、お前の好きにして構わねぇ」
「お、俺も大丈夫っ!」
「だって、良かったね。じゃぁ離すから……それではサヨウナラ」

 ザキちゃんからも、恐喝された人からも了承は得たので立ち上がる。小物さん達は四人で固まって早足に逃げて行った。背後こちらに一切警戒しない様子を見るに、やはり喧嘩に馴れていないのだろう。受験を控えた高三になってやんちゃデビューなんてアホみたい……歳は関係なくアホか。

「お前何考えてんだよ、危ねぇだろ」
「それはこっちの台詞。危ないよ、なに考えてるの」
「ぁあ゙? 巻き込まれたっつっただろーが。俺も財布出して大人しくカツアゲされろってか?」
「違う。もうちょっと頭使って」
「お前がしたみてぇにかよ? こいつは使いモンになんねぇし、俺は四対一で殴り掛かられたんだぞ。んな余裕あるか」
「だとしても、」
「それともなんだ、『やり過ぎだ』ってお前も説教か? こっちは喧嘩なんて売ってねぇんだよ、向こうが話も聞かずにクソ迷惑な勘違いで手ぇ出して来たのに悪いのは全部返り討ちにした俺ってか? ならどうしたら良いんだ、」
「落ち着きなさい」

 ペチリ、捲し立てるザキちゃんの頬を軽く叩く。はっとした彼は決まりが悪そうに目線をさ迷わせた。「巻き込んで悪かったな。じゃ」逃げるように去ろうとするのを、服を掴んで止める。

「アイス奢るから待って」
「……要らねぇ」
「一緒にアイス食べたいから待って」
「……」
「『悪かった』と思うならそれくらい付き合って、お願い」
「はぁ……解ったっつーの」
「ありがと」

「あ、あの、俺が払う! アイス! 元は俺が巻き込んだし……」

 やっと脚を止めたザキちゃんに安心していると、恐喝被害者さんが声を上げた。あぁ、まだ居たのか。
 誰も喋らず無言でコンビニへ行きアイスを買う。ザキちゃんは恐喝被害者さんに勧められるが侭にハーゲンダッツのクリスピーサンドを、私はそれを断って五月に食べるには少し寒いガリガリ君を二本選んだ。コンビニ前に置かれたベンチへ座り、ガリガリ君を殴られた目に当てる。冷たくて気持ち良い。

「大丈夫?」
「えぇ、ご心配なく」
「ゴメン……あの病院に、」
「これくらい問題ありません、好きで巻き込まれたのでお気になさらず」
「でも……目って危ないし……」
「受け流したので大した事はありません、大 丈 夫 で す 」
「わ、解った……あのさ、山崎君と、同じ二組で男バスの種田さんだよね?」

 ザキちゃんと顔を見合わせる。どうやら恐喝被害者さんも霧崎生だったらしい。
 「もしかして去年七組?」「えっ、う、うん」目が合うと嬉しそうにこくこく頷く彼は、二年八組山内ヤマウチと名乗った。更に一年の頃校内で絡まれた際も私に助けられたと告げる。「ほら、今日みたいに『なにしてるの』って追い払ってくれて」「ぁー……?」安眠を妨害され、私のサボり場所で何を騒いでくれているのか、と不機嫌をぶつけた事は何度かあった。ザキちゃんとは去年隣のクラスで体育で一緒だったそうだ。ザキちゃんの記憶力……人の事言えないけど。

「また助けてもらっちゃったね」
「気にしないで。そんなつもりだった訳じゃない」
「でも助けられたのは事実だから。学校でもよく種田さんが居たから助かったんだ……今日も有難う、山崎君も本当に有難う」

 眉を下げて笑う山内さんには悪いが、以前はサボりの邪魔だったし、今回はザキちゃんが居たからに過ぎない。

「別に。なんかお前よく絡まれてんな」
「校内のは同中の先輩で。中学の時からだから……もう先輩達は卒業したし今は無いよ。街でもカツアゲなんて今日が初めてだったし」
「ふーん。つか種田が居たからって……お前人少ねぇとこウロチョロしてんなよ、危ねぇだろ」
「霧崎は不良居ないから大丈夫」
「俺は入学早々三年に絡まれたぞ、その後も何回か。もしかしたら山内に絡んでた奴かもな、スゲェ弱かったけど」
「うーん……喧嘩の強さは解らないけどそうかも。先輩達以外に不良らしい人なんて見た事無いしね……」

 偏差値の割りにガリ勉は少なく良い意味でも悪い意味でもノリが良過ぎる霧崎だが、如何にもな不良は居ない。根は真面目な人が多いのかもしれない。というか、

「ザキちゃん喧嘩馴れてるよね」
「よく絡まれんだよ、『ガンつけんな』って。目付きが悪ぃからよ」
「あぁさっき気が付いた。悪いというか鋭い……かな?」
「今更か」
「今更。喧嘩してると鋭いね、普段は全然なのに」
「……お前は初対面でもビビってなかったもんな」
「うん」

 片目で雲一つない空を見上げる。
 五月は天気が良くて好きだ。もうすぐ夏が来ると始まりを感じさせる空気、新緑と太陽の強い香りがして気分が高揚する。このまま夏を迎えてくれれば良いのに、残念ながら毎年厄介にも梅雨を挟むのだ。勘弁して欲しい。

「はぁ」
「んだよ……」
「これでも結構怒ってるの。さっきも言ったけどもっと頭使って。喧嘩売られたからってキッチリお買い上げせずにさ、一発入れて逃げるとか大声で人呼ぶとかあるじゃん?」
「……逃げんのはムカつくだろ」
「ええぇぇ……でもさぁ」
「イラッと来んだよ仕方ねぇだろ。ガンつけんな、喧嘩売ってんのかって、こっちはそんな気サラサラねぇのに。んで金出せとか舐めてんのかって殴り掛かられんだぜ? さっきだって視界に入って『あぁ下らねぇ事してんな』ってチラッと見ただけなのによ」
「……だとしても。マネとして言う、あまり問題起こさないで。君はレギュラーだ。喧嘩なんて発覚すれば謹慎や欠場──損失が大きい。レギュラーの一人くらい代えは利くけど、最悪男バスごと活動休止になる事も有り得る。迷惑だ」
「ちょ、種田さん言い過ぎ……」
「チッ……煩ぇな、解ってるっつーの」

 ちらりと見たザキちゃんは苛々しながらも、酷く傷ついた表情をしていた。辛辣な事言ったからな。少し悪いなと思いつつ、買ってもらったもう一本のガリガリ君を差し出す。

「あと陳腐だけど……自分を大事にして欲しい。これは友達として」
「…………は?」
「これ右手に当てて。拳、腫れてる」
「えっ山崎君大丈夫!?」

 ザキちゃんはぽかんとして自分の右手を見た。気付かなかったのだろうか、まだアドレナリン出てるのかな。

「いくらザキちゃんが喧嘩に馴れてても、素人が拳で殴るのはだめだよ。手首や指を痛める、小指の付け根とか脆くて骨折し易い。足の甲も腫れ易いから、蹴るのもお勧めしない。怪我なんて、こちらが手を出してもするモノ」
「……」
「だから骨の堅い部分、掌底や肘、膝を使うべき」
「ぇ……はあ?」
「私がしたみたく、顎への掌底突きはまともに入れば脚に来るからその隙に逃げれる。アッパーの要領。腿に膝入れるのもあり。あと避けるのは上手いけど往なした方が良いよ、キレてたみたいだけど冷静だったし出来る筈だ。往なす方が動きは最小限で済むし反撃に移り易い。それから数人に囲まれても、さっきみたく一人を取り押さえれば他を無力化出来る可能性は高い。とは言え構わず突っ込まれたら終わりだし、取り押さえても腱を痛めるの承知で暴れられたら、」
「ストップ! ちょ、ちょっと待て」

 慌てて止められる。なんでも良いけど、さっさと氷嚢(ガリガリ君梨味)を受け取って欲しい。

「……お前喧嘩辞めろとか言わねぇのか?」
「ザキちゃんから売ってるの? なら相手するから私で我慢して欲しいな」
「いや俺からは売らねぇ……って、お前は喧嘩すんのかよ」
「しない。護身術習ってるって言ったでしょ、それで手合わせはするの」
「種田さん護身術してるの!? だからさっきも凄かったんだ?」
「凄いかどうかはさて置き、してるよ」
「それマジだったのか」
「まじ。売ってないなら良いよ、絡まれて殴り掛かられたら仕方無い」
「……迷惑だって言っただろ」
「うん、だから反撃は最低限にして逃げて。問題になったら困るし、ザキちゃんが怪我するのはやだ」
「……」
「良いから拳冷やして、ほい」

 やっと受け取ってくれた。

「正当防衛か過剰防衛かって難しいんだよ。今のも、怪我だけ見たらあの四人の方が明らかに酷かった、でも四対一なんて確実に潰さないとザキちゃんの方が危ない。私を捕らえた人なんて、背後からザキちゃんを殴りつけてたかもしれない」
「……だな」
「でも偶然通りがかった人は、怪我の量だけ見て君が悪いと決めつけるかもしれない。ならその理由を与えなければ良い、反撃は最低限に逃げれば良い。『逃げんのはムカつく』かもしれないけど『説教されてムカつく』のは回避出来る……っても難しいよねー」
「お前急に面倒臭くなったろ……」
「だって自分で言ってて、最低限の反撃ってどれくらいだよって。逃げろっても逃げ切れるか解んないし。因縁付けられてずーっと後つけて虎視眈々と狙われたら、結局戦闘勃発?」
「まぁな……っつかもうそれストーカーじゃねぇか。はーあ、面倒くせぇ」
「ね」

 背もたれに勢い良く頭を預けて空を仰ぐザキちゃんをじっと観察する。樺色の髪は明るく、眉尻と目尻はキッと上がっていて目元は確かに少し鋭いか。それに影響され、中性色の緑の瞳も心なしか冷たくも見える……かもしれない。でもやはり言動とか、そういうのが、

「お前見過ぎ……なんだよ」
「喧嘩売ってるように見える顔してるかなって。山内さんどう思う? ザキちゃんって目付き悪い?」
「いや……うーん、ええと…………ゴメン、少し、その」
「まぁ自覚あるし言われ馴れてる」
「ふぅん」
「そうだ、微笑んでみるとか! 俺先輩に絡まれるから一時期頑張って表情練習したよ、凄みある表情だけど」
「なんもねぇのにニヤニヤしてたらキメェだろ。それはそれで『何ニヤついてんだ、バカにしてんのか』って喧嘩売られるっつーの。お前凄みある表情ってのは効果あったのか?」
「…………無かった」
「だろうな。はぁ」
「んー……私にはよく解んないや」

 私には初めて見た時からお祭りのヒヨコに見えるのだ。「中学時代にね、」べーちゃんと行ったお祭りの話をする。

「そのヒヨコがなんだよ? どうした急に」
「ザキちゃん似てる」
「あ?」
「私の印象はあのヒヨコだから絡まれるとか謎」
「ブフッ! ヒヨコって、山崎君がヒヨコ! ゴメ、駄目笑いが止ま、はは!」
「そんなに笑わなくても」

 困惑の中、苦虫を噛潰したような表情でザキちゃんが狼狽えている。

「大の男をヒヨコなんて可愛らしいモンに例えんなよ、複雑過ぎんわ……つか凶暴なヒヨコってなんだよ! ヒヨコに凶暴もクソもねぇだろ、んで結局俺は凶暴とかそんな分類なんじゃねーか!」
「目付きや表情の話じゃなくて、言動だよ。今のその感じがまさに」
「ッ〜〜! クソッ!」
「あはは、確かにちょっと解るかも! 少し凶暴な感じ!」
「お前もそんなに笑うなよっ!」

 立ち上がり吠えるザキちゃんに、更に笑う山内さん。ずっと喧嘩の時の様子を引きずっていたが、やっと気が抜けたと言うか、いつもの調子が戻って来た。

「ふふ」
「種田まで笑うなっつーの! あーもー……調子狂うっ!」
「ごめん。でもさ、やっぱりそうじゃないとザキちゃんじゃないよ」
「あ? ヒヨコじゃねーとか!?」
「んー……なんて言えば良いんだろ。人によっては喧嘩売ってるように見える? ガンつけてる? 私にはよく解んないけど。今の、自然な感じがザキちゃん」
「……」
「だからそのままで良いと思う。喧嘩売られるのは面倒かもしれないけど、無理ににこにこするのはなんか違うし。笑うなって訳じゃないけど、無理するなんてなんかやだ。少なくとも私は、だけど」

 建前を言ったり、人好きの仮面や猫を被るのも時に必要だ。しょーいち先輩とまこちゃんを見ていると嫌でも思い知らされる。ああして器用に過ごせば、敵は少なく味方は多く、人間関係は円滑に進む。だがずっとああしているなんて疲れてしまうし、端で見ていて少し……嫌だ。心配、と言うか。
 ほんとは何度も思った、そこまでしなくても良いんじゃないかって言いたい時が何度もあった。だってそんな事をせずとも、二人には二人の、それぞれの良さがあるのだから。でも言わない。それは彼らの努力を無下にする事と同意義で。私が出会った時彼らは既にああだった、ならきっと私が出会うまでにそれらを被らなければならない状況だったのだ。何も知らない私が辞めろなんて言える筈が無いし、言うべきじゃない。
 だからこそ素で接してくれるのは嬉しい。それらを被るのも彼らの一部だが、本当の部分の本当の良い所を見る事を許されているようで。私は無理を強いていないのだと安心するから。
 ザキちゃんは無理に笑わなくても今でもやってこれている。喧嘩を売られる事は多いようだが、友達もとても多い。なら無理なんてしなくて良い筈だ。必要無い。この先必要になるかもしれないとしても、きっとそれは今じゃない。

「私は今の、そのままのザキちゃんが、すきだよ」

 伝わって欲しいと微笑みながら強く願い言うと、ぶわ、とザキちゃんの顔が赤くなった。

「ッだーもー! だからお前な、そーゆーとこがアレだ! 瀬戸が言ってただろ、『悪女』って。俺は怖ぇわ、お前の今後が怖ぇよ、クッソ恥ずかしい事サラッと言いやがって!」
「本音を言うのは悪女?」
「はぁ、もう良い……まぁお前もそうじゃなきゃ種田じゃねぇな」
「ふふ、変なの」

 よく解らないが、悪女じゃないと私じゃないらしい……一体どの辺りが悪女なのか。「悪女かな?」笑いながら山内さんを見ると、何故か彼も顔を真っ赤にしていた。

「な、んか種田さんって……」
「?」
「真っ直ぐで、凄く…………その……」

 眩しそうに、目を細め見られるけど、

「真っ直ぐな悪女とは一体」
「あー良い言い方したらそうかもな、どストレートだからよ」
「あっ、う、うん……どストレートだね。聞いてるこっちが恥ずかしくなっちゃった」
「直接言われた俺の気持ち考えろ、比じゃねぇぞ」

 そんな恥ずかしい事言った? 怪訝に二人を見ると、まとめて力強く頷かれた。うーん。
 溶けきったガリガリ君を溢さないようなんとか飲み切り、ゴミを捨てバックパックから救急セットを取り出す。「ザキちゃん手ぇ出して」「あ?」湿布を貼る、応急処置だ。患部の色は変わっていないから大丈夫だろう。他に怪我は無いと聞き安堵する。ついでと山内さんにも訊くと、彼も怪我は無かったらしい。

「自分大事にしろって種田もだからな」
「うん?」
「目。あんだけ動けてその上受け流せたんなら、避けれたんじゃねぇの?」
「あぁ……彼らが納得しなかったら通報する気だったから、正当防衛」
「羽交い締めにされた時点で、充分正当防衛になんだろ」
「確かに? でも説得する上でさ、『自分が殴った』っていう解り易い被害者に『水に流そう』って言われた方が納得し易いかなーとか……色々?」
「それがお前なりの『説教される理由を与えない方法』かよ」
「んー……かなぁ」

 正直そこまで考えてなかったけど。
 ザキちゃんがほぼ全員、ふらふらになるまで痛めつけていたから、相手から見てイーブンじゃないかな、とか? 何故避けなかったと言われても難しい。突然男に後ろから抱きつかれた、なんて護身術を発揮するには充分な理由だろう。だけどなんと言えば良いのか……正当防衛としてか、私が殴られれば上手く行く、全て丸く治まると思ったのだ。
 言葉を探して考え込む私の目元を、ザキちゃんがそっと指の背で撫でる。少し苦しそうな、何かを堪えるような表情をしていて首を傾げる。

「ならお前ももうちょい頭使え」
「?」
「殴られねぇでもなんとかなる方法思いつけよ」
「これくらい平気だよ」
「それはお前が──……ッ、平気だろうが平気じゃなかろうが、殴られてんのに代わりねぇだろ」

 きっとザキちゃんが言い淀んだ言葉は「──痛くないから」だろう。山内さんが居るからと飲み込んだ言葉に少し嬉しくなる。そしてこう言ってくれる事も。ほんとザキちゃんは優しい。

「ふふ、そうだね」
「はぁ。マジで解ってんのか? お前割りと自分の事は適当だからなぁ……なんつったら良いか…………あぁ、自分を大事にしねぇ奴に『自分を大事にしろ』って言われても説得力ねぇよ」
「おぉ」
「俺も絡まれたら出来るだけ、その、問題も怪我もしねぇようにする。だからお前もちゃんとそうしろ」

 そうだ、全然説得力が無い。確かにたしかに、うんうんそうする。ぶんぶん首を縦に頷くとザキちゃんは呆れた。

「それに女が顔に傷作ってんじゃねぇ。あー……母親がキレんぞ」
「ふふ、そうだね。『勝手に怪我してんじゃねーよ』って怒られるし、笑顔で問い詰めながら怒られるかな」
「言っとくけど俺も怒ってんだからな。適当な事やってんな、怪我されて困んのは俺も一緒だ」
「ふふふ」
「はぁ……」
「ごめん、不純だけど嬉しいと思って。心配してくれてありがと」

 やっぱりザキちゃんはほんと、とても優しい。好きで巻き込まれて勝手に殴られた私を、困ると言って心配してくれるのだから。

「や、山崎君も結構ストレートだね」
「あー言うな! 今のは種田のが伝染うつっただけだっつーの!」
「まさか。ザキちゃんはいつもはっきり言ってくれる、優しいんだよ」
「やめろこっ恥ずかしい!」

 しょーいち先輩の柔らかくも退路を断つような優しさとか、まこちゃんの捻くれて遠回しな優しさとか、それは解るようになったけど。ザキちゃん達高校に入って知り合った皆の事は、まだまだ解らない事が多い。だからこうやって、恥ずかしいと顔を赤らめながらもはっきり言ってくれるザキちゃんは解り易くて。やっぱり優しくて。

(こういう所がほんと、すきだな)

 そう思って、また笑みが溢れた。

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