些細

 眼帯が鬱陶しい。受け流したものの、殴られた目元は微妙に青くなってしまった。化粧で隠そうにも私がそんな技術を持っている筈も無く……手足の痣なら何処かにぶつけたで済むが、顔の痣は殴られたと気付かれそうで困りものだ。

「種田ちゃん!? ど「どしたのそれ」
「ちょっと」
「ふーん、ものもらい? 酷いと腫れるよねん」
「原ちゃんは腫れても眼帯要らないね」
「寧ろ髪が目に入って悪化するから必須なんじゃないか」
「『オレの髪=バイ菌』みたいな言い方やめてくんない?」

 ザキちゃんがこちらを心配そうに見ているが、色が変わってしまっただけで大した事は無い。後でメールでも入れておこう。部員達は原ちゃんのめばちこ発言でサラッと流されてくれた。うん、おっけーおっけー。喧嘩して殴られましたとは言えないからね。
 と、朝は思っていたんだけど。

「種田さんやっぱり目、全然大丈夫じゃないじゃん! 俺のせいで、」
「たった今大丈夫じゃなくなったかな」
「……山内察しろよ」
「えっ!? あ……」

 午前の授業が終わり「おーい山崎と種田に客だぞー」と呼ばれた。そして現れた山内さんの大声によって、如何にも何かに遭いました、とバレてしまった。クラスの視線が集まる。「ボールにぶつかった、ぶつけた」適当に苦しい言い訳を捻り出す。

「えと、ザキちゃんがストバスしてて? 私混じろうとしてー、ほら、こう、ミスした?」
「危なっかしいなぁ……『俺のせい』って? 山内クンもバスケするんだ?」
「たまたま……通り、がかって声掛けられた。うん。声掛けられて気を取られて余所見した」
「そ、そうなんだ。今からでもやっぱり病院行った方が、」
「ふーん? 結希、少し診せて」
「あー……はい」

 これ逃げられないやつ。
 山内さんを遮ったまこちゃんに、近くへ行って眼帯を取る。「あぁ少し腫れて青くなってるね。大事には至ってないようだけど……顔に怪我するなんて、女の子なんだから気をつけないと」眉を下げて哀しそうな寂しそうな、儚気な表情をするまこちゃんが怖くて堪らない。眼球見ようと下瞼抑える時、すっごい爪立てられたからね。今もこっそり足踏まれてるからね……怒ってらっしゃる。
 まこちゃんは気を許す相手には手が出易い、特に痛覚が鈍いからか私相手だと顕著だ。その癖私が他で怪我をすると酷く不機嫌になる。矛盾してる。
 「お花がそう言うなら大丈夫でしょ。バスケも良いけど気を付けなよ?」背後からべーちゃんの怒りのオーラも感じる。怖くて堪らない。二人の発言によって、集まっていた視線は「お大事に」との声と共に散って行った。なんとかなったようだ……目の前の五人以外は。

「それで?」
「少し種田さんと山崎君に用があったんだけど……えーっと……」
「なら山内クンも屋上に来る? 俺達、普段昼は屋上で食べてるんだ」
「あー……その、良いのかな……?」

 こちらを窺う山内さん。昨日の件だろう。誤摩化した手前、まこちゃん達の前では話せないと思っているようだ。「問題ないよ」あんな適当な言い訳は通用しないから、どの道説明はしなければいけない。「じゃあ、お、お邪魔します」何故まこちゃん相手には敬語なのか。
 いつも以上ににこにこ爽やかなまこちゃんと超ご機嫌なべーちゃんが冷気を発している。健ちゃんと康くんは興味無さげ、原ちゃんはニヤニヤ、ザキちゃんは溜息を吐きながら屋上へ。

「本当はどうしたんだ?」
「えっ」
「山内さんが絡まれてるのをザキちゃんが助けてて巻き込まれに行った」
「ちょっ、種田さん!?」
「皆気付いてる。痣見たらすぐ解るよ、特にバスケットボールはつぶつぶだから」
「つーか別に助けてねぇって。俺も巻き込まれただけだ」
「二人とも危ない事はしないでよ、心配するだろ。今月はインハイ予選も始まるのに怪我したら大変じゃないか、って結希はしてるけど……」
「たっ、大会前だったの!? 本当にゴメン!」

 副音声は「山内はどーでも良いが、お前ら試合前に問題起こしてんじゃねーよ」かな。またまた儚気な侭咎めるまこちゃんに、ザキちゃんがヒクリと引きつる。解るよ、山内さんが居るからって優男モードのまま怒られるの怖いよね。なにより薄ら寒い、さぶいぼがやばい。

「ヤマは仕方無いとして、結希は『巻き込まれに行った』ってどういう事だよ?」
「そのまんま。見過ごせないでしょ」
「種田さん……」

 山内さんに思い詰めた感じで見られて首を傾げる。部員が、というか友達が喧嘩していたら見過ごせないものじゃないだろうか。ザキちゃん静かにキレてたし心配だったんだもん、なんか変な事言ったかな。「見逃せないからって自分が怪我したら元も子もないだろ」まこちゃんが溜息をついた。うん、ザキちゃんとも約束したし今後は気を付ける。
 「それで?」話が一段落したので再度山内さんに伺う。あぁ、と彼は持っていた紙袋から二つ、キャンディらしき物が入った透明な箱を取り出した。

「あのコレ、助けてくれたお礼に。二人はそんなつもりないって言ったけど俺が助けられたのは事実だし、二人とも怪我しちゃったし……こんなんじゃお礼とお詫びにならないとは思うけど……」
「俺は怪我っつーか拳ちょっと腫れただけだけどな、痣にもなってねぇし。まぁ貰っとくわ、サンキュ」
「わ、ごでぃばごでぃば!」

 渡されたラッピングチョコレートに思わず両手を上げる。やったー。しかもザキちゃんはダーク、そして私は、

「ホワイトチョコ選ぶとかセンス良い」
「去年会った時、よく本とお菓子……特にホワイトチョコレート持ってたよなぁって。好みだったなら良かったよ」
「うん、すき! ありがと」
「ッそ、そっか!」

 自慢気に笑いながらまこちゃんに貰ったチョコを見せる。だが彼は何故か少し困ったように苦笑していた。ホワイトチョコ嫌いだからかな?
 「じゃ、じゃあ俺はもう行くね、お昼持って来てないし。お邪魔しました」「んー」「もう絡まれんなよ」去りゆく山内さんへ適当に手を振る。呼んだのはまこちゃんだが、山内さんが居たら彼は猫を被らなければならない。用が済んでさっさと行ってくれて助かった。

「昨日も言ったけど、俺はお前の今後が怖ぇよ」
「うん?」
「あいつ絶対先輩達と同じ……いやそれ以上に変なフィルター掛かってんぞ」
「変なフィルター?」

 首を傾げると溜息をつかれた……が、数が多い。ザキちゃんは勿論、花宮田辺瀬戸。なぜに。

「……ユーキ、山内の印象は?」
「? 昨日の今日で印象も何もない「チョコ貰っただろ。優しいとか言わねぇんだ?」
「彼が悪い訳じゃないけど原因だしね。彼が絡まれなければザキちゃんは巻き込まれなかったし、ザキちゃんが居なければ私は通り過ぎた。結果的に助けたのも怪我したのも事実だから、菓子折りは……丁寧って印象はあるかな」
「ふぅん?」
「お前も初っぱな菓子折り持って来たもんな、クッソ甘ったるいやつ……つーか去年もあいつに会ってたのかよ?」
「らしい」
「山内が先輩に絡まれてるとこに何回か居合わせたんだと。んで種田が居たから助かった、助けられたって」
「えーユーキチャンなんだかんだ言って人助けとかする柄なワケ?」
「まさか。サボり場所で騒がれて煩いから注意しただけ……だったと思う」

 答えると原ちゃんはケラケラ笑った。

「しっかし去年山内が何組だったかは覚えてんのに、なんで顔も名前も覚えてねぇんだよ?」
「何組かなんて知らなかったよ」
「はぁ?」
「適当と言うか、当てずっぽ」

 山内さんはザキちゃんを知っている、しかも少々親し気な様子だった。だがザキちゃんは覚えていない。この時点で友達と元クラスメイトの線、そして尋ね方からして同中の線も消える。なら週に二回の体育、ペアやグループ決めの自由度が高く同じクラスの仲良しで固まり易いそれで、年に数回程度の交流しかなかった相手──合同の隣のクラスだろうと。

「ザキちゃん気さくだから、君は覚えてなくても山内さんの中では好印象且つ印象深かったんじゃないかな」
「名探偵かよ、成る程なぁ」
「全部まるっとお見通しだ「それ違うから」
「……マジで普段大して頭使わねーくせに、くだんねー事には良く回んな」

 回さなくてもなんとなく解るじゃん。
 べちん、とまこちゃんにデコピンされる。彼はそのまま「それで、」と私の眉間に人差し指を突き立てた。一気に低く冷えた声。本題はここからだ。

「テメーなんで怪我してんだよ」
「えーんー……と、」
「どーせ避けずに態と殴られたんだろ、あ゙?」
「ぅー…………うん」
「ちったぁ脳ミソ使えよ、バァカ。くだんねー事には良く回る癖にどーなってんだ? 何詰めてんだよこの頭は」
「状況知らないのに言わないで」
「なら説明してみろよ」
「……」
「ふはっ、つっても大体予想つくけどな。見逃せねーならヤマ引きずって逃げりゃ良いだろーが。不意打ちで真正面から顔面殴られるなんてほぼねーよ、向かい合わなきゃ出来ねぇ……が、んな状況で避けらんねータマじゃねーだろテメーは。危機回避──逃げる余地があんのに攻撃したら正当防衛じゃねーっつーの」
「攻撃はしてない、取り押さえたの。それに、」
「だから態と殴られましたってか? 前提が間違ってんだよ。『殴られたら迎撃して良い』じゃねぇ、ハナっから逃げてりゃんな必要ねぇだろ、バァカ」

 ご尤もです。しょんもりした私をまこちゃんは鼻で嗤って矛先を変える。

「テメーもだぞヤマ。絡まれてんじゃねーよ、それこそさっき言ったが危機回避をしろ。無理なら仕方ねぇが、このバカ女が逃げる選択取らなかったっつー事はやり過ぎてたんだろ」
「うっ……ま、まぁ少し?」

 まこちゃんの言葉でやっと自分の行動に納得した。ザキちゃんが少々やり過ぎだったから、もしかしたら報復でもされるかもしれないと取り押さえて脅す事を選んだのだ。誰か人を呼んだフリをするにしても、どちらが加害者か解らない状況、本当に人が来たら困る。正直ザキちゃんが加害者だとは思えなかったけど……ならやはりザキちゃんを連れてさっさと逃げるべきだったか、反省。

「んで。どう処理した」
「学生証の写真撮るフリして、下手な事考えてるなら学校に連絡、又は今すぐ通報って言っておいた」
「え、あれフリだったのか?」
「赤の他人の個人情報なんて重荷」
「はあ……解るような解んねぇような」
「後々問題になった時、個人情報握って脅したとバレたら面倒だし」
「で?」
「半泣きで『しない』って言ったから、お互い水に流そう、今度会っても構うなって解放した。固有名詞一切出してないし、相手は荒事馴れてなさそうだったから大丈夫、たぶん」
「……効力弱ぇけど良いか。相手がお前以上のバカで助けられたな」
「うんまぁ」

 ほんと相手がアホで助かった。

「逆に種田は荒事に馴れ過ぎじゃないか?」
「花宮に護身術教えられたんだっけ」
「うん。今は別の人に習ってる」
「フリだとしても学生証写メるってウケる、どんだけ用意周到なの」
「その辺はべーちゃんの入れ知恵」
「田辺怖過ぎっしょ、何してんの!」
「ユーキ通じてお花の近くにいると敵作り易いからさぁ。防衛手段に色々?」
「だからお前は種田と違って噂が一切出なかったのか」
「さっあねぇ〜?」
「べーちゃん友達多いから、色々しなくても大丈夫だと思うけど」
「ふふーん! ま、アタシの場合は友達もだけど人脈かな」

 意味深に笑うべーちゃん。これ防衛手段で無茶に切り開いた人脈とかあるんだろうな。
 お昼ご飯を食べ終え、貰ったチョコをぱくりと口に入れる。リンツとは違うがこちらも中々、やっぱりホワイトチョコ美味しいよね。上機嫌に三つ目の包装を開いていると視線を感じた。なんだか難しい顔をしたべーちゃん。

「山内、山内なぁ……元七組で今何組だっけ? 美術部ってのは覚えてんだけど」
「お前よく知ってんな、知り合いか? 八組っつってたぞ」
「いや全っ然。うーん……古橋同じクラスだったでしょ、どうよ?」
「どうも何も、印象が薄過ぎて覚えていないな」
「べーちゃんどしたの?」
「なんっか釈然としないっつーか」
「田辺も大概過保護だよね。部員もあんな感じ……もう少しマシだけど大差無いぜ? 特に三年」
「バスケ部のレギュラー陣は結構シビアなとこあんでしょ? 山内はなんかこう……超純粋純情少年って感じじゃん、それがなんかねぇ」
「あー擦れてないってか、現実主義実力主義の多い霧崎ウチでは珍しく平和ボケっての? 鈍臭そうだよねん」
「だから絡まれんだろ。押しに弱い、いかにも気弱ですって感じじゃねぇか」
「危機感が皆無な人間だったな。不良の殆ど居ないウチで絡まれるなんて、山内本人にも問題があるんじゃないか?」
「100%とは言わないけどそうだよな。馬鹿そうだったし」
「皆ぼろくそだね、どしたの?」

 えらく辛辣だなと疑問をぶつけると、皆一様に肩を竦める。

「悪い奴じゃねぇんだろうけど、面倒臭そうじゃねぇか。ハッキリしねぇっつーか」
「馬鹿そうだったもん……てか馬鹿でしょ。俺パス」
「同意。あーゆータイプって苛々してくんの、つまんなそーだし?」
「俺は興味が無いだけさ。取るに足らない」

 つまり先程の邂逅で、四人は馬が合わないと判断したらしい。判断力一瞬か。

「ブッハ! なんか予想通りな反応で超笑えるわ」
「つーかユーキチャン庇う感じ? 山内クンはセンサー引っかかっちった?」
「センサー? 確かに教室の件は困ったけど、ただの気弱で丁寧な少年だよ」
「でも『礼儀正しい良い人だ』とか『少しおっちょこちょいなだけで彼は悪くないよ』とか言わないんだ?」

 何故か猫を被り微笑むまこちゃんに、不思議に思いながら頷く。山内さんは気弱そうで丁寧な人、それ以上でも以下でもない。礼儀正しいと言える程丁寧では無いし、先程教室での件は明らかに彼が悪かった。ホワイトチョコを選ぶセンスは買うけど。「ないよ」もう一度頷いて言うと、まこちゃんはニヤリと笑った。悪いわるい笑顔。

「ふはっ、もう答え出てんじゃねーか」
「?」
「引っかけるだけ引っかけておいてそれか、山内は不憫だな」
「あー怖ぇ。まぁ本人も変なフィルター掛けてっからしゃーねぇんだろうけど……っつっても昨日の今日だしまだ「けどそれまで会ってて覚えてないんだぜ?」
「オレみたく粘り勝ちってのは?」
「それこそ気弱だから超無理っしょ」
「つか目の前で脅してるとこ見てんのに……あれでよくフィルター掛かんな」
「吊り橋効果ってヤツ?」
「ねぇ……よく解んないんだけど」

 首を傾げる。すると皆こちらを見て軽く笑った。

「解んねーなら解んねーで良い、答えは出てる。気にするだけ無駄だ」
「んー……ん、じゃぁ良い」

 それで良いと皆頷くから、益々もう良いやと安心して考えを放棄した。






 次の日のお昼休み、購買にご飯を買いに行こうとしていると「おーい種田に客だぞー」と呼ばれた。デジャブを感じ教室の入り口に視線を向けると知らない男子、バスケ部でもない。人違いかと思ったが目が合うとにこりと笑い片手を緩く上げる。用件があるからお昼を食べながら二人で話したいと言ったので、彼と共に購買へ行き裏庭の適当なベンチで一緒に食べる事になった。
 外川ソトカワと名乗った彼は話し上手なようで、意外にも会話は途切れなかった。そして途中から私を色々な方面から褒めちぎった外川さんは、今、真剣な表情でこちらを見ている。

「──好きです。俺と付き合ってくれませんか?」

 人生初の告白というものに戸惑う。
 外川さんは私がお喋りじゃないと解っていて沢山話題を提供してくれたのだろう。それもこちらは肯定か否定で済む、答え易い話し方で。真直ぐ好意を伝えてくれ、何故話した事もない人間を好きになれるのかと不思議に思う私に、好意を持った理由を丁寧に説明してくれた。きっと良い人なのだろう。でも、

「……ごめんなさい」

 初対面の人とお付き合いなんて出来ると思えなかった。お付き合いしてからお互いを知る、という手もあるかもしれない。それでもやはり無理だ。

「そっか。あー……やっぱ話した事無かったのが……でも種田さんの周りって田辺に花宮、割りと原も……自棄に外堀固くてなぁ……まずはお友達からってのも難しいんだよなぁ……」
「? なんて?」
「いやなんでもねぇ。これは好奇心だから答えなくても良いけど……好きな人、いる? 花宮とか瀬戸とか?」
「そういう意味で誰かを好きになった事は無い、と思う。レンアイは……よく解んない」

 好きだと思う人達は居る。しょーいち先輩やまこちゃん、べーちゃん、友達数人に小谷。皆好きだ。だがその内の誰かとお付き合いしたいのかと考えても、さっぱり解らない。
 「時間も無いから」他人の話や本なんかの知識しかないが、私には殆ど時間が無いしお付き合いなんて面倒そうだと思っている。平日と土曜の放課後は部活と練習。日曜は一日中練習でたまに誰かと会ったり買い物へ行く。そのたまの時間、恋人を優先し恋人に裂くなんて出来そうに無い……ましてや相手が初対面の外川さんなら尚更だ。予定は先着順だが恋人と言う先客を作りたくない。恋人との予定を入れ後から友達に誘われて断っても、私は後ろ髪を引かれ続けるだろう。
 断って、でも好意を持ってくれた事にお礼を言って。「ごめんな! 今日手間取らせて」そう苦笑する外川さんはさっぱりすっきりした人だった。爽やかってきっとほんとは彼のような人だ。優男モードのまこちゃんも爽やかと言われているが、あれは薄ら寒いである。
 一人になったベンチでぼーっと考える。好き、か……よく解んないな。手持ち無沙汰でチチッと短く舌を鳴らして鳥を呼び、サンドイッチの切れ端を投げる。五月の爽やかな風が駆け抜けた。

「で。誰?」
「ッえぁ、やっ山内です!」

 訊けば背にした校舎の窓から、恐喝被害者さんが顔を出した。勢いに鳥が逃げてしまい、思わず溜息を吐く。

「あ、あぁあゴメン! 鳥、えと、その!」
「慌て過ぎ」
「う……その、盗み聞きも、するつもりじゃなかったんだけど……ゴメン」
「べつに私は気にしない」

 途中特別教室から誰かが出て来たのには気付いていた。立ち去る音も気配もしなかったからまだ居るだろうと思っていたが、どうやらその通りだったらしい。

「種田さんって花宮君と付き合ってるんじゃなかったんだね……」
「うん」

 というか、何故そうなる。

「男バスが恋愛禁止なのも……驚いた」

 そう、男バスは部内恋愛禁止を掲げている。先程外川さんが言っていたが、四月の頭に三年が食堂で嘆いていたそうだ。アホだなと思う。如何にもドロドロしそうだし、恋愛のために部活をしている訳ではないのに。そもそもゲイ以外必然的に対象は私だ、態々禁止しなくてもない筈。だが先輩達は女子マネと言う響きに夢を見ている(後輩談)のでショックが大きかったようだ……先輩アホだな。男バスの恋愛禁止を知る人は多いと言われたが山内さんは知らなかったらしい。噂避けになるから浸透して欲しい気もする。やっぱり先輩アホで良いよ、もっと夢見てて。

「じゃ、じゃあ他の男バスの人とか、誰とも付き合ってないんだよね?」
「ないよ」
「そっか…………そっかぁ」

 もう一度鳥を呼んでパンの切れ端を投げる。「種田さんは、」今度は静かな声で山内さんが問い掛けて来た。

「誰かを好きになった事無いんだね……その、そういう意味で」
「ないと思う」
「初恋もまだって事? だよね」
「たぶん……ない、まだ」

 記憶を失う前は誰か好きな人が居ただろうか? ふと考える。もし居たとしても忘れてしまう程度のものだったらしい。たったそれだけの好意……なんだか嫌だな。

「君はある?」
「えっ! あっいや、う…………うん、あるよ」
「そう」

 ちらりと見た山内さんは、恥ずかしそうに、でも柔らかくふんわり笑っていた。

「なんか良いね」
「え?」
「楽しそうだから」
「そ、そうかな……でもそうかも、楽しいかも」
「まこちゃんを好きな女子ってなんか怖いしさ、本や映画見ても面倒そうだなって思うの。レンアイってやつ?」
「花宮君凄くモテるもんね……去年種田さん大変だったみたいだし……」
「うん。でも今の山内さん見てると、ちょっとは悪くないかもって思ったよ」

 今まで見てきた『恋する人』は、私に嫉妬や憎悪に塗れた目を向ける人達ばかりだった。もしかしたら女子の恋愛と男子の恋愛は違うのかも知れない、先程の外川さんはとてもさっぱりしていたし……あぁでも『桃色の女神様』も可愛くて幸せそうだったっけ、男女は関係無く人によるか。
 山内さんや外川さん、女神様の笑顔を思い浮かべる。そんな風に笑えた事も、そんな風に笑える想いも忘れているのは嫌だ。だから記憶を失う前も、初恋はまだだったら良いな。
 ゆっくり立ち上がって、手の平に乗せたパン屑を鳥──ヤマガラに差し出す。無防備に手に乗って食む姿が可愛くて笑いが漏れた。ふふ、ほんと可愛い。

「種田さんって本当に……」
「?」
「あ、ちが…………どストレートで、は、恥ずかしいよ」
「そうかな」

 だって悪くないと思ったのだ、仕方無い。

「えーっと……いつもその鳥に餌をあげてるの?」
「いや。なんで?」
「凄く懐いてるって言うか。野鳥ってこんなに近付かないでしょ?」
「この鳥──ヤマガラは元々警戒心が低いの。ここは住宅地で学校だから特に人に慣れてるんだと思う」
「詳しいんだね。鳥が好きなの?」
「図鑑をよく見る。動植物、星や宇宙、鉱物、岩石とか色々と。まぁ生き物は嫌いじゃないよ、面倒起こさないから」
「…………人は?」
「あまり得意じゃない」
「そっか……」
「君もあげる?」
「いや、いいや。俺はここで見てる。なんか……邪魔しちゃ悪いし」

 なら何故先程は盗み聞きのような真似をしたのか。よく解らない人だ。鳥が怖いのかな?
 掌のパン屑を食べ終え、こちらへ首を傾げて鳴くヤマガラは可愛い。だがパンはもう残っていない、小さく謝って空に放つ。そろそろ予鈴が鳴りそうだと、流れで山内さんと教室の方へ戻る。

「あ、あのさ。もし種田さんに好きな人が出来たら、その……」
「なに?」
「あの、俺に教えて欲しい……かも」
「なんで?」
「えーっと……ほ、ほら! 俺見て悪くないかもって思ったって言ったから?」
「はあ」
「う、ゴメン……」
「いや。まぁ覚えてたら言うよ」
「うん……なんか変な事言っちゃった」
「そうかもね」
「多分種田さんのが伝染ったんだよ」
「ふふ、それザキちゃんの台詞。私今変な事言ってないよ」

 一昨日を思い出して一頻り笑って「じゃぁ私二組だから」と教室に入ろうとすると、山内さんは顔を真っ赤にして固まっていた。どうやら伝染っただけと言うのは、変な事を言った羞恥心を誤摩化すための言い訳だったらしい。普通にツッコミ入れてしまった。ごめん。

(『もし好きな人が出来たら』、か)

 そうしたら私も、誰かへ嫉妬や憎悪に塗れた目を向けたり、必要以上に容姿に拘ったりうっとり惚けたりするのだろうか? お付き合いも面倒だと思わなくて、告白して、はれて恋人になれたら頑張って時間を作ったりするのだろうか?

(その時は親離れするのかな……それって逆? 私が掌を返すって事?)

 ぽつぽつ考えてもいまいち想像出来なかった。ぐるぐると思考を始める頭……あぁでも『もしもを考えて悩むのは下らない事』だ、その時考えよう。今は必要無い、きっと気にするだけ無駄だ。

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