手負

「────ッ!?」

 反射的にガバリと起き上がり、寝起きで回らない頭のままゆらゆらと辺りを見回す。

(……?)

 なんとなく、誰か居たような……気のせいかな。
 携帯を開くと原ちゃんとザキちゃんから所在を訊くラインが幾つか届いていた。《ただのサボり》返すとすぐさま、体育祭、私の出場種目が借り物競走に決定した趣旨が送られて来た。

《今年の借り物は障害物もあるらしいよん。その分得点高いんだってさ》
《プリンはまかせて》
《お前もか、田辺もスゲーやる気で怖ぇんだけど。つか今何処だ? あんま人気のねぇとこフラフラすんなよ》
《しない。保健室》
《なら良い。そのまま女バス行くのか?》
《うん。昨日伝えた荷物宜しく》
《任せてー、ちゃんとザキが会場まで持ってくよん☆》
《俺かよ。お前も持てよ》
《今日の差し入れはー?》
《残念ながら今日は無し》
《無視か。つかテスト期間中にまで差し入れ乞うなよ》
《ザキも気になってた癖に》
《ごめんね。じゃぁ会場で》

 ドアのスライドする音がして保健医が入って来た。コーヒーを淹れに出ていたようだ、落ち着く香りが室内に漂う。ベッドから出て時計を見ると授業終了まであと十分程、外はもう雨が上がっている。

「あら、帰ってきたら起こそうと思っていたのよ。はいこれ、気休め程度にしかならないでしょうけど……って試合まで余裕あるかしら」
「あります。有難うございます」

 保健医は二つ持っていたカップの一つを机に置き、机に着くよう促した。お礼を言って座り、一口飲んでご飯を取り出す。二人で静かにお昼タイムだ。痛覚鈍麻と記憶喪失という厄介な事情を抱える私は、梅雨などによくサボる事も相俟って自然と保健医との距離は近い。中学時代もそうだった。

「男女両方試合って間に合うの?」
「女子が第一試合、男子が第二試合。そこそこ時間は空いているので間に……合わせます」
「会場は一緒なの?」
「別だけど近いから大丈夫です」
「はぁ……種田さんって変なところ器用で、変に律儀よね。さっきも言ったけど男子の方は欠席したら?」
「……だめ」
「それは欠席出来ないって事かしら。キャプテンや部員が怒るとか、迷惑をかけるからとか、そういう事?」
「…………私が、やだ」
「男子の試合を欠席するのが嫌?」
「嫌です、欠席したくない。試合、出れないけど……出席したい。これは私がしたい事」

 すると保健医はもう一度溜息をついた。だが、それはどこか柔らかい。

「そう、種田さんがしたい事なのね」
「はい……初めて、なんです」
「……」
「初めて『これがしたい』って思ったのが、男バスのマネージャー」
「……私もあなたの口から願望を訊いたのは初めてね」

 柔らかく笑われて少し恥ずかしくなる。この先生はとても優しい。時折ベッドの中で、理由もなくサボりたがる生徒に親身になって相談に乗っているのを聞いた。些細な悩みでも自分の事のように悩み心を痛め、解決すれば一緒になって喜んでいるのを見た。きっと慈悲深いのは私なんかではなく彼女の方だ。カウンセラーには向いていないだろう、沢山の他人の悩みを背負って先に潰れてしまいそうなタイプ。「ここに来る時は決定事項で言うんだから、困っちゃうわ」私のお節介な心配に気付かない先生は、怒りのポーズを取る。

「今度からは『サボりたい!』って元気よく願望を口にした方が良いですか?」
「こら! 調子に乗らないの」
「ふふ」






 会場入りして控え室へ、後でマネ業がある私は一人だけ制服なのですぐに着替える。そして、

「アップ行って来ます」
「あぁ、遅れるなよ」
「しっかり身体暖めて来い」
「いってらっしゃ〜い!」

 監督と声をかけてくれた主将に頭を下げ、小谷に手を振り返し控え室を出る。パーカーのフードを被ってイヤホンを耳に挿す。
 私はいつも先に一人でウォーミングアップを行う。これは中学時代からだ。試合前、十分程度のあれでは物足りないしチームで行うアップはテンポが合わない。何より一人の方が集中力が高まる。簡単な準備体操をして、ぐるぐる会場の周りをほぼ全力疾走する。濡れる地面、跳ねる水溜まり。雨の跡が煩わしく、そして頭が痛かった。雨は上がったもののまだ分厚い雲に覆われごろごろ煩い空に、iPodのボリュームへ指をあてる。

「あ! あれもしかして『死──……」
(煩い)

 何個もボリュームを上げて、走って走って走って。身体の温度と集中力を高める。
 息を切らして控え室に戻ると、丁度出ようとしていたところだった。

「戻ったな……行こうか」

 第一試合にも関わらず、会場は既に熱気に包まれていた。アップを途中で抜け、またイヤホンを耳に挿しベンチの近くで一人ストレッチに没頭する。今日は特に集中しなければいけない、スロースターターなんて言っていられないのだ。深く吐く息と共に先程までのアップの疲れを抜き、呼吸を整える。まるで水に沈むように、深くふかく集中する。

(井戸……)

 そこは真っ暗で冷たく狭い、井戸の底。伸ばした手が届く範囲、自分とボール……そして少し先のゴール以外何も見えないような、何も解らないような、そんな場所。そこを目指して、注意深く入念にストレッチをする。熱気も雑音も向けられる期待も敵意も、外のモノは全てシャットアウトして。思考を切って頭を空っぽにして、ただただ集中しているだけの状態へと。早く、底へ。
 もうすぐティップオフだ。そろそろ整列だと言うのに、ベンチに座ったまま縮こまる後輩の肩を叩く。

「ゔー……種田先ぱ、い……」
「ん」

 どんなに集中して周りが見えなくとも忘れない、大事なだいじな後輩へのおまじない。掌へ口付けを落とした小谷は、最後にぎゅっと私の手を握りしめ祈るように額に当てる。前に帰り道でしたのには続きがあったのだ。額から離された手に彼女を引っ張って立たせ、腕相撲をするように握り直す。ぎゅっと。顔を上げた彼女は先程と打って変わって、ニヤリと好戦的に笑った。

「今日も頑張りましょうね〜!」
「ん。ごめん、今日ちょっと余裕ない、たぶん」
「んん? ……了解で〜す」

 深呼吸して、二度小さくジャンプ。井戸の底に足が──……

「awesome...先輩達今日は覚悟ですよ〜」

 ──着いた。

「うぅぅ味方の気迫で鳥肌って。少し抑えてよもう、種田……おーい」
「もう聞こえてないみたいっすけど」
「早いな。小谷、どう見る?」
「ん〜……自由に泳がせつつ邪魔しないよう私達もガンガンオフェンス、突き放してさっさと向こうの心折ってもらいましょう」
「可愛い後輩って顔しといて本当に怖いな、お前」
「可愛い後輩ってだけで務まる程最強も、その隣も甘くないんで? ほら気合い入れますよ、ちゃんと着いて来て下さいね〜」

 さぁ始めよう、準備は整った。

「試合……開始!」

 この静かな場所が、今の、私の最高の状態。



 ∇ ∇ ∇



 今日霧崎ウチは第二試合だと言うのに、第一試合──三回戦で当たるだろう相手が少々厄介らしく、スカウティングのために授業が終わってすぐ会場へ向かう。どうせ俺は三回戦も出ねぇし、スカウティングは苦手だから普通に練習してぇわ……なんて考えながら観戦席へ向かう列から外れる。「ワリィ便所」「来て即行マーキングとか犬かよ」生理現象は仕方無いのに花宮に鼻で嗤われた。「犬は種田だろ、豆しば」「はぁ?」「あれ意外」「花宮しっくり来ないカンジ?」古橋はどんだけ豆柴に拘るんだ。んで瀬戸と原はしっくり来てんのかよ。

(あ゙ぁー……普通に観戦しそう、つかスカウティングっつってもなぁ……なに見りゃ良いんだよ)
「唸りながらトイレってザキなんかオッサンみたいなんですけど、ウケる」
「うぉっ!?」
「ちょ! ビックリし過ぎだって、飛ばさないでよ!? 汚ぇじゃん!」
「もう終わったっつーの! そこまで驚いてねぇよ」

 ギャアギャア言う原は便所に来た割りに入り口近くに突っ立ったままだ。「なんだよ」手を洗っていると至近距離に寄ってくる。「ちゃんと石鹸で洗って、ザキだし」「なんだよ!?」やめろ、あんま近ぇとガムが髪に付くだろーが。

「つーワケでザキ」
「あ?」
「ヒマだし女子見に行こーぜ」
「お前試合来てナンパかよ」
「違うっつーの、ユーキチャンの試合だよん」
「あー種田の公式戦か…………会場近かったよな」
「見たくない? オレ古橋との1on1しか見た事ないし気になってんだよねん」
「……ドヤされっぞ」
「なに、ザキビビってんの?」
「はぁ? ビビってねぇよ!」
「ウルサイんですけど。ザキは気になんないワケ?」
「そりゃあ気になってねぇっつったら嘘になるけどよ」
「実はスゲー気になってるっしょ?」
「……中学から二年経って更に上手くなってんだろーしなぁ」
「正直言ってみ?」
「……」
「出ない試合のためのスカウティングとユーキチャンの試合、どっち見たい?」
「………………種田の試合」
「ほらねん。んじゃーレッツゴー☆」

 気の抜けた音頭で男子の会場を抜ける。男女それぞれの会場は近く、徒歩で行ける距離だ。まだ第一試合が始まるまで時間がある。この分なら試合開始時刻辺りに着くだろう。

「主将より花宮が切れそうだな。あいつ変なとこ素で真面目だし」
「でも三回戦もオレら出ないし、別に良、っと噂をすれば花み、や……」
「あ?」

 スマホを見て原が固まる。「見て、ライン見て」恐る恐るラインを見ると、花宮から可愛らしいウサギのスタンプが一つ。コイツがスタンプ使ってんの初めてだろ。穴から笑顔で顔を出すこれを選んだ意図は解らないが、身の危険は充分伝わった。思わず二人で近くにあったマンホールを警戒する。「原チャンビビっちった」「ざ、ザキちゃんも」引き攣った笑いでスマホを仕舞う。

「女子の会場向かってんのバレてそう……」
「花宮だしな……」

 着いた女子の会場は意外に人が多かった。意外に、と言うだけでそれほど混雑はしていないが。

「前に女バスは人気無いっつってなかったっけ。男子より人多くない?」
「言ったか? 人気ねぇっつーか男バス人気で霞んでんだよ。でもこりゃ……種田効果かも」
「……そん時ユーキチャンは有名人じゃないとも言ってたけど。ザキ記憶力ゴミじゃん、頭ん中ババロアでも詰まってんじゃないの?」
「煩ぇよ。男女総合的に見てって話だ、あんだけスゲー奴女バスん中じゃ有名に決まってんだろ」
「ふーん。やっぱ有力選手は見たいもんなのかねー」
「男子に余裕で通用する奴だぞ」
「あー……古橋のデコ当ては今思い出してもウケるわ」
「あと霧崎ウチは出場数少ねぇ上に女子は強豪じゃねぇ、しかも去年は種田居るのに都大会止まりだからな」
「ユーキチャンって全国堅い選手なんだ……『今観とかなきゃ』ってコト?」
「多分な」

 運動部にそこそこ力を入れる霧崎第一だが文武両道は掲げていない、基本的には学問優先だ。だからどの部も出る大会は他校より少なく、バスケ部も一部大会は不参加。加えて種田はなんとU18等ユース選抜も蹴ったらしい。勿体ないと思う反面、正直マネ業をしてくれる方が俺らは助かるので聞いた時は安堵した。
 「ユーキチャンみっけ。一人だけジャージ着てない……ハミゴ?」原の指す方を見ると、ベンチの近くに大きめのパーカーを着たチビが居た。サイズ感やバスパンから伸びる絞まった白い脚、被ったフードから時折覗く色素の薄い髪はどう見ても種田だ。イヤホンをつけ一人ストレッチしている。べたりと前屈で床にへばりつく姿は、どう見ても今からバスケを始めると思えない。

「身体柔らかっ! バレエ? 新体操? 明らかそこまで柔軟しなくて良いっしょ。アップ混じんなくて良いワケ?」
「集中するためにストレッチするって聞いた事あっけど……スゲーな」
「ザキってマジ詳しいけどユーキチャンのファンかなんか? ストーカー?」
「おい。中学ん時のダチがファンだったんだよ、そいつに色々聞かされた」

 中学時代、妹がバスケ部の奴など女バス事情にやたら詳しい奴が数人居た。何かの機会に種田の試合を見て、魅せられて、すっかり虜となった奴らだ。『キセキの世代』に『無冠の五将』と目立つ男バスの影に隠れる女バスだが、彼ら曰く種田のお陰で自分達のようなコアなファンが存在するとかなんとか。
 ギリギリまでストレッチをしていた種田は、ゆっくり立ち上がってパーカーを脱ぐ。背番号6番に二の腕から手首を隠す両腕のアームスリーブ、『無冠の六将目・死篭』のトレードマークだ。「部紹介の時も思ったけど、あの長いアームスリーブなんかエロくない?」「……お前そんなんばっかだな」「身体柔らかいのもイイよね、ヤる時便利で」エロに煩い原と反して、そっとイヤホンを外す種田は一人会場から切り離されたように静かに見えた。高い集中状態がこっちまで伝わって来る。

「なーんか『孤高』ってカンジ。今だけは豆シバじゃなくてちゃんと狼だわ」

 古橋と言い、お前らどうしても種田を犬にしてぇんだな。
 そんな孤高な狼(仮)の種田だったが、ベンチに踞り動かない小谷へ声をかける。そして例のマジナイをした時、会場が抑えきれない興奮に包まれた。

「二年ぶりの小谷君と種田さん……!」
「やっぱ『死篭』はコレがないと」
「小谷くんって種田さん追い掛けての霧崎第一? だよね? 愛だなぁ」
「うわぁ……まだアレやってんだ……」
「そう言や『悪童』花宮も霧崎だっけ」
「キャー! これで勝つる!」
「先週男バスのベンチで『死篭』がマネージャーしてたって聞いたんだけど」
「小谷君がんば! リラックスー!」
「マジ? 『死篭』と『悪童』仲良いんでしょ? 『悪童』がマネしてくれって誘ったのかな……」
「小谷と種田良いわー」
「種田さんが花宮くん追い掛けて霧崎第一入ったらしいって聞いたよ?」
「出た、最強百合カプエース」
「今の聞こえた? 『悪童』が『死篭』にマネしてって頼んだらしいよ」
「ねぇあのジャージ、霧崎の男バスだよね……?」
「えっどこ? 『悪童』様居る!?」

 観客の女子が口々に話す。女子校ってこんな空気だろうかと現実逃避した。元々少し目立っていた俺らだが、霧崎第一だと気付かれてから一層強い視線を感じる。なんか色々スゲー怖ぇ。

「ザキ……なんなのコレ……」
「俺も知らねぇよ……」
「女バスの試合観た事あんでしょ?」
「種田の試合を二回だけだって。一回目は途中からだし、二回目は……多分小谷居なかったし」
「つーか小谷サンデフォで『小谷クン』呼びなんですけど。あとオマジナイって名物かなんかなワケ?」
「……みてぇだな」

 整列を終え配置に付いた種田が、二回その場でジャンプした。度々見たがどうやらゲーム前の癖らしい。まるでそれを合図のように、会場が静まり返る。

「試合……開始!」

 ボールが高く上げられ、小谷が跳び上がった。






 霧崎ウチの勝利を確信して第4Qもそこそこに会場を抜ける。バスケにコールドゲームがあったら既に終わっていただろう、ハーフタイムの時点でそれくらい点は開いていた。種田と小谷の連携は観客が騒ぐのも納得な、互いを信頼しあっている事が伝わるようなプレーだった。“──小谷が居ないと困る”そう語った種田の本心がよく現れていた……いや、

「ザキ気付いた? ユーキチャンのパス、貰いはするけど自分から出すのは小谷サンだけだったの」
「やっぱアレ気のせいじゃねぇよな」

 現れ過ぎていた。

「なんかさ、マジ『孤高』ってカンジ……実力とか、そんなん、だけじゃ……なくて」

 原が言葉を探しながら呟く。種田の雰囲気と言えばいいのだろうか、何がとは具体的に説明出来ないが、確かに「孤高」の言葉がよく似合う試合だった。抜きん出た種田と、少しだけ小谷、他には何も無い。そんな感じの試合。
 脳裏に『キセキの世代』、特に青色がちらつく。実力差があり過ぎて、相手にならな過ぎて、見ているこっちまで退屈になる彼らの試合。先程の試合はそれに少し似ていた。だが敵も味方も圧倒する種田は、退屈そうでも相手をナメても手を抜いてもいない、ただ淡々と、でも真剣にバスケをしていた。その姿は何故か寂しさや空しさを覚えさせた。そして、

「やっぱ……スッゲー格好良かったわ」
「うん。ちょっとギャラリーの気持ちわかっちったかも」

 美しかった。目が離せないのだ。のびのびコートを走り回り、時に荒々しい野性味溢れるトリッキーなプレー。敗北を感じさせない実力。だが本人の表情はキリリと冷えていて、何処か危うささえ抱かせる淡々とした様子で。それすらある種のスパイスとなって、人を魅了する。

「普通あんだけ実力差あったら手ぇ抜いてもおかしくねぇよ」
「オレなら絶対抜くわ。ザキ、ゲフンゲフン、ザコ相手「お前ワザとだろ」……ザコ相手じゃなくても四十分フルで全力出すとかダル過ぎっしょ」
「そこはザコだけにしとけよ」
「そこで『ザコにも全力出せよ!』とか言わない辺りザキだよねん」
「はぁ?」
「まー良いってザキはそれで、じゃなきゃムリ。にしてもあんなストイックにやんのにラフプレー良しとすんだもんなー……真面目にやろうって言いそうなのに」
「種田が? しかも花宮に?」
「あー……うん、ないわ」

 そもそも多分、いや明らかに種田にそこまでバスケへの情熱や誠意は無い。あったらマネはせず女バスの練習に出るだろう。高校でバスケを続ける気はなく、推薦も監督がしつこいからと言っていた。それでも入ったからには毎日自主練に励み、真剣に試合に挑む。花宮の娘宜しく、種田も変に真面目だ。対戦相手からしたら厄介だろうけど……あ、でも他の奴らは自主練とか知らねぇか。下手したら味方さえも。

「中学ん時から小谷サンにしかパス出してなかったの?」
「最初見た時は……普通だったと思うぜ、印象薄いし」
「ふーん。二回目は? あ、でも小谷サン居なかったかもなんだっけ」
「だからなのか知らねぇけど負けそうになってて一人で引っくり返して無事全中三位。あの第4Qはマジヤバかったわ」
「は? 全中って…………全国三位!?」
「おう、知らなかったのかよ」
「ザキ言わなかったじゃん! 変な名前しか言わなかったじゃん!?」
「今日もヤバかったなー、なんかあん時と似てたかも。観客も今日は容赦無ぇっつってたし」
「聞けよ!」
「テストでストレスでも溜まって、」
「ヤマも一哉も、随分楽しそうだね──……」

 男子の会場に戻って来た所で声を掛けられ、ギクリと原と肩を振るわせた。

「──おかえり?」



 ∇ ∇ ∇



 男子の会場へ着き控え室に入ると原ザキコンビが正座していた。なんだこれ。
 今日は「監修:『悪童』」の元、部内で特にラフプレーに定評があって息もぴったりな二年がスタメンだ。しかし視界には正座する原ザキコンビとそれを写真に撮る康くん、隅で爆睡する健ちゃん、遠い目の松本さん……そして正座の二人を見下す輝く笑顔のまこちゃん。「種田お疲れ、ご苦労さん」「ありがと」目を瞬かせる私へ松本さんは苦笑いした。彼はバスケとラグビーで推薦を貰い兼部している、学内唯一の学業以外での特別特待生だ。身長・体重はまこちゃんと殆ど変わらないのにパワー型Cを勤めるだけある。まこちゃんとラグビー部で試合慣れしている松本さんはともかく、初陣なのに皆緊張感がない。まぁあるとこ想像出来ないけど。

「どしたのこれ」
「あいつらスカウティングサボって、その……あー……外、ブラついててな」
「なるほど」

 とは言えいい加減にしないと試合に支障を来しそう、零れた私の呟きに原ザキコンビが驚いた。「俺ら試合!?」「聞いてないんですけど!?」「テメーらバカ二人は言ったら浮かれて煩ぇからな」まこちゃんの配慮は空しく、暇を持て余していると勘違いした二人はサボった訳だけど。
 緩み切った空気の中、霧崎男バスのチームジャージを羽織り一足先にコートへ出ていようと扉へ向かう。と、すれ違い様まこちゃんに引き止められた。

「お前……」
「?」

 少し身を屈めたまこちゃんが私の首元に顔を近付けた。試合の後、しっかり身体を拭いたとは言え汗臭いだろう。「なに」「動くな」さっと引いた身体は胸ぐらを掴んで止められる。「ねぇ、汗かいたからやめて欲し、」「黙ってろ」ええぇぇ……やだよ、なに。というか……くんくんしてる? この人何してるの、意味解んない。そもそも試合後だとか関係無く今は近寄らないで欲しい。
 漸く顔を上げたまこちゃんは深く眉間に皺を寄せていた。

「くせぇ」
「「「「「は?」」」」」
「…………そう、なら離して」
「ブハッ! 花宮ヤバいしユーキチャン反応薄いしなんなの!」
「主将、花宮がセクハラした上にセクハラ発言してる!」
「聞こえてるから……花宮まだ風邪か? は?」

 流石にいらっと来た。試合後で汗臭いと解り切っているのに、くんくんしたのはまこちゃんの方だ。まこちゃんアホなの? 苛立を溜息にして吐き出し、今度こそ扉へ向かう。早く一人になりたい。

「お前、負傷しただろ」

 しかしまこちゃんの冷えきった声に、私の足はその場に縫い付けられた。

「……はい?」
「薬品くせぇ」
「「「「「は?」」」」」
「厳密にはメンソールとかそっち系だな。湿布かなんかしてんだろ」
「ッしてないよ!」

 まこちゃんわんこか、警察犬か。
 詰まりそうになりながらも言葉を返す。『悪童』さんは鼻が利くのだ。誰かの弱みや悪趣味な話と言った愉しい物事は勿論、実際の嗅覚も鋭い。耳も良い……目は悪いけど。「嘘つくな、何処だよまたぶっ飛ばされたか? それとも捻挫か」だが見抜く力はある。一歩離れてしげしげと私の異常を探るまこちゃんが、どんどん不機嫌になっていくのを感じる。試合前の、特に頭を回すPGのメンタルを損なうなんて最悪だ。とは言え嘘は吐いていない。

「湿布も怪我もしてない」
「ならなんでだよ」
「さぁ……」
「はぐらかすな、さっさと答えろ」
「来る途中新しいマスクにしたから?」
「そんだけじゃねーだろ」
「……とにかく怪我はしてない、嘘じゃない」

 強く灰汁色を見返す。長々と睨み合った末に、まこちゃんは大きく舌打ちした。

「話は後だ…………行くぞ」

 時間はぎりぎりだ。「お騒がせしました」荷物を持ち、扉を開けて退室を促す。部員達はまこちゃんが出て行った扉と私を交互に見るが、知らぬ存ぜぬを貫く。最後の一人、健ちゃんは私の前で立ち止まった。

「早く」
「『怪我 は してない』ね。お前ほんと言葉遊びが好きだな」
「……言葉遊びじゃない」
「お前も反抗期とかあるんだ?」
「反抗期?」
「そ、反抗期」

 首を傾げれば、物珍しいと愉しそうな顔で言われた。






 無事勝利を修めて控え室に戻る。無事って言うのもおかしな話か。だって、

「ユーキチャン見た? スゲーキレーに鳩尾キマってたっしょ!」
「ふふ、さぁ? 笛は鳴って無いからよく解んなかった」

 対戦相手は無事じゃなかったから。原ちゃんとくすくす笑い合う。
 まこちゃんはとても格好良かった。ベンチから近くで見る彼はキラキラドロドロ、眩しくて堪らなかった。観戦席なんかと比べ物にならない臨場感。コートは彼の支配下で、その中で生き生きとプレーする皆を見るのも楽しかった。ユニフォームを引っ張って、足を踏んで、肘打ちして。打撲痕で相手の体と青春を塗り潰す。私の見たかったモノがそこには在った。
 相手校はラフプレーに気付かず、原ちゃんの挑発混じりな謝罪を素直に受け入れていた。だが終盤に出た健ちゃんによって得点が滞ると、迫る敗北も相俟って苛立ち始め、プレーが荒過ぎると声を上げた。結局最後までどうにも故意だと気付いてなさそうな間抜けな彼らは、原ちゃん曰く頭にババロアが詰まっている。

「うん。お前らチームとしてもだけど、言うまでもなくプレーと性格のアレさが上手く噛み合ってんな」
「それそれ! 試しに二年だけで行くって聞いた時はヒヤヒヤしたけど、下手したら俺らより妙な安定感あるかも……初陣勝利、おめでとー!」
「おめでとー」
「種田ちゃんがめッちゃ喜んでる! 超笑顔! マスク外して!」
「だめー」
「先週はそこまでじゃなかったのが主将は悔やまれるぜ種田、この薄情者」
「ふふ、先週も嬉しかったですよ」

 両手を上げた天使先輩にハイタッチする。試合中、相手選手を痛そうだと半泣きで見ていたが、今は手放しで勝利を喜ぶ辺りこの人も類友だ。上手く出来たチーム……いや、上手く出来た『悪童』の住処。

「種田ほんと機嫌良いね……そりゃそうか」
「健ちゃんもね」
「花宮のスティール、ガンガン決まったからな」
「健ちゃん入ってから「全部だろ?」
「ん、流石健ちゃんごめーとー」

 頭をフル回転させぐったりしているが健ちゃんは満足そうに笑う。“──花宮には敵わない”そう零していた彼は、敵わない人間の読みに着いて行ける事が嬉しいのだろう。100%のスティール、動かない失点はその証明だ。瀬戸健太郎にとって勝利とは、ただのおまけなのかもしれない。

「ユーキチャンまたぐにゃんぐにゃんになってっし!」
「気ぃ抜けちったー」
「ブッハ! オレの真似? 気ぃ抜けちったんだー? お疲れー」
「おつかれー」
「テスト明けに試合してマネもやってだもんな。マジお疲れ」
「まじおつかれー」

 原ちゃんとザキちゃんともハイタッチを交わし、流れで全員とハイタッチ。「種田、ちんちん」「ブフッ!」「犬じゃないし座るのしんどい」「てか元々二足歩行だから既にしてるようなもんでしょ」「改めて言う事に意味があるんだ」アホな康くんには強めに叩く。

「あ? 何やってんだよ」

 顔を洗っていたのか、前髪から雫を垂らしたまこちゃんがお手洗いから帰って来た。駆け寄って構えていた両手を上げる。

「まこちゃんハイタッチー」
「ぜってーやだ」
「ほらほらマコチャン、ハイタッチだよん」
「誰がするかよウゼーな」
「花宮ハイタッチ。主将命令な」
「はあ? 無理です」
「恥ずかしがんなって花宮!」
「ヤマ殺すぞ」
「ちょっ、なんでだよ!?」
「まこちゃんまこちゃん」

 早くはやく、手を振って主張する。ニヤニヤ部員達に眺められているまこちゃんは、苦々しく私の腕をはたき下ろした。「全員やったんだぞ、今日のノルマだからこれ」「全員?」主将のアホな説得を聞いて彼は訝し気に私を見た。なんだろう?

「結希?」
「んー?」
「……」

 首を傾げていると乱暴にマスクを剥ぎ取られ、左頬に手が添えられた。元々冷たい手が水で更に冷やされたのかとても気持良くて、思わずその右手を取って擦り寄る。うっとりするくらいきもちい。目を細めると、忘れ去っていた眠気がふわふわとやって来た。

「ん……もっと」
「お前……」
「もっと、触って……?」

 周りで息を飲む音が幾つもした。中々応えてくれないまこちゃんを見上げる。じっと私の顔を覗き込んだ彼は、仕方無いと言わんばかりに溜息を吐いて、もう片方の手も私の頬に添え──……

 ムギュ

「ぅー……ちがう」
「違うじゃねぇよ、バァカ!」

 ──ずに、つねった。

「ちがう、やら、そえきもちくない」
「あ゙?」

 もっとこう、ちゃんと触ってくれないと手の冷たさが伝わらない。違うと訴えるがいつのまにか両頬が抓られ、力はどんどん強くなっていく。これじゃぁ違うどころか痛い。

「さて……」
「ぅ?」
「試合前のオハナシの続きと行こうぜ、結希チャン?」

 目の前には優しいやさしい猫の面の微笑み。ぞわっとさぶいぼが立った。「やら、しない、いらない」「ぁあ゙?」「も、きもちくない」抓られて痛いし、冷たかった手は私の体温で温くなってしまった。話もしたくないし丁度良いと、唸りながら痛む頬を無視して無理矢理抜け出そうとする。しかし身を捩っても身体を押し返しても決して手は離れなかった。

「お前、風邪引いてんだろ」

 そして決定的な言葉を告げられる。

「「「「「えっ」」」」」
「ッひいてない、はなひて」
「薬品くせぇのは冷却ジェル……移動中貼ってたってとこか」
「ち、ちがう。えと、あの、」
「全部終わって気ぃ抜けたか? 隠し通すなら最後までやれよ、面倒くせーな。いつから熱あんだ、昨日か」
「な、ない、いまもない」
「嘘ついてんじゃねーよ。雨にしてはへばり過ぎてると思ったんだよ……差し入れが無ぇ訳だ、病人の作ったモンなんざ食わせらんねーもんなぁ?」
「ひいてないもん、も、やら、まこちゃんやら、いらない、ぬるい、はなひて」
「ぶっ殺されてぇのか」

 こうなったら強行手段だ。私の頬を抓る手、人差し指と親指の間を強く摘む。「テメッ!」万能なツボはよく利いたらしい、まこちゃんはこちらを睨み、離した手を振って痛みを飛ばしている。そのままさっと距離を取ってのろのろ控え室脱出を目指す。

「何処行く気だ」
「…………べつに」
「ふざけてんのか?」
「べつに。元気だからほっといて」
「ど こ が だ ! まだ解散じゃねーのも解んねぇ程頭バグってんじゃねーか」
「……着替えるでしょ、外出るの」
「おいコラ『出る』じゃねーよ『待つ』だろーが。俺が出て来るまで扉の前で待機だ、勝手に帰んな」
「……」
「返事は」
「……」
「チッ! 帰りアイス買ってやるから大人しくオスワリして待ってろバカ女」
「一人で帰る、まこちゃんうざい」
「テメー前に道端でぶっ倒れたの忘れたのか、ぁあ゙?」
「…………パレタスかシルクレーム」
「調子乗んな、ハーゲンダッツで充分だろ我慢しろ」
「……」
「……マネが部員置いてとっとと先に帰る気か」
「外で待ってます」

 ごもっとも。確かに試合は終わったが、終わったら即帰って良い訳じゃない。室内に向けている背中にマスクを投げつけられる。拾い上げてそそくさと控え室を出た。



 ∇ ∇ ∇



「た、たた種田ちゃんが……」
「花宮を……」
「「「「「引っ掻いたぁ!!?」」」」」
「煩ぇな……引っ掻かれてませんよ。合谷ごうこく押されただけ、軽い護身術です」
「花宮を氷嚢扱いした挙げ句用済みになれば護身術まで使うのか……風邪を引いた種田は恐ろしいな」
「事細かく説明してんじゃねーよ!」
「『もっと触って』ってエロかったのに『要らない』って! ブフッ! マコチャン、ドンマイ☆」
「……一哉手ェ貸せ」
「やめ、ちょ…………いだっ! 痛い痛い! 離して花宮、離しっ、離 せ よ !」
「ココだよな。スゲーな護身術、自分でこんな所押しても痛くねぇのに「合谷は自分でやっても効果あるけど。ただのツボ押しだから」
「喜べヤマ、バカには利かねぇツボだ」
「はぁ!!?」
(俺も全く痛くないんだが……押し方が悪いのか……?)
「てか反抗期かと思ったら風邪か。ウザイまで言うとはね」
「種田も風邪を引くと強情になるのか」
「『も』ってなんだよ、『も』って」
(((((ええぇぇ……)))))
「……種田は風邪を引くと強情になるのか。しかも花宮が言っても認めない程」
「あれはそーゆーんじゃねーよ。相変わらずクソ面倒くせぇ」
「……花宮がそれ言う?」
「ぁあ゙?」
「四限サボりっつったの普通に信じたわ。試合中もさっきも、全然キツそうじゃなかったしよ」
「そりゃそーだろ、妖怪でもあいつの怪我やらただの体調不良見抜くのは至難だぜ? 試合に関しちゃ、ペース配分も加減も出来ねぇ上に普段通りだけは装おうとして逆に調子良く見える程だ」
「妖怪……?」
「絶対サトらせねーようにするし、弱ってる時程一人になりたがる……それで気付くっちゃ気付くがな。ったく、何処の野生動物だ」
「『猫は死期が近づくと姿をくらます』ってヤツ?」
「それが近ぇ、つーかまさにそれか」
「……種田は豆しばだぞ」
「だからお前はどんだけ豆シバに拘んだよ! つか種田勝手に殺すなって!」
(あぁ……だから花宮は犬にしっくり来ないワケね)

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