廊下は人っ子一人おらず、先程まで試合があった事など嘘のように物寂しく埃っぽい。
チームジャージからイートンジャケットに着替えると、熱が上がりつつあるのか身体がぶるりと震えた。急いでパーカーを取り出し着込む。ほんと、全部終わって気が抜けたかな。『痛い痛い! 離して花宮、離せよ!』廊下と違い控え室の中は妙に盛り上がっていてまだまだ掛かりそうだ。芯は寒いのに火照る身体を風に当てようと会場の外を目指す。出口へ向かう程増える人の数に、フードを深く被りその群れを必死で縫う。早く一人になりたかった。
やっと抜け出た外は見事な夕日が出ていた。また雨が降ったのか、濡れた世界は夕焼けを浴びた雫できらきら輝き、大きな虹が架かっている。
(ほんと、おっきい虹……)
荷物を下ろし、会場をぐるりと囲う高めのコンクリート塀を、建物との間を飛び移るように登る。やってて良かったパルクール! 背後から近付く夜に、空は濃紺と朱色のグラデーションで美しく染まり、遠くに薄明光線──天使の階段や光のパイプオルガンと表される光の筋が降り注いでいる。虹と薄明光線、同時に出ている景色なんて初めて見た。
(きれい、かも)
虹を見てそう思う事も初めてだった。
虹は嫌い。綺麗なモノだと理解出来るがなんとなく好きじゃない。なのに目が離せず、焦がれるように見入ってしまうから嫌になる。今だって態々塀に登って、全く何に突き動かされてんだか。記憶を失う前の体験だったりするのかな……こんな事を考えてしまう所も嫌いだ。
まぁ綺麗な空が良く見えるし、誰も頭上の私に気付かないから良しとしよう。まこちゃんにはバカと煙はなんとやらと呆れられそうだけど、うん、中々良い場所だ。眼下の雑踏から解放されたここは静かで、しっとり柔らかな風が気持ち良い。一人だ。どんどん気が抜けて、どんどん身体が重くなっていく。
「へ……?」
不意に感じた視線と驚く声にそちらを向くと、橙の集団の最後尾、足を止めこちらをポカンと見上げる黒髪の男子と目が合った。「どうしたのだよ高尾」緑髪に話し掛けられても、彼の視線はそのままだ。あーあ──……
「虹がそんなに気にな……ん? あれは……どうやって登ったのだよ」
「ッそこじゃねーだろ緑間! キミ、そんなとこ居たら危ねーって!」
──折角一人だったのに。見付かっちゃった。
怒りと心配が混じった表情のタカオさんは、今にも駆け寄って来そうな勢いだ。彼の反応を見る限り面倒になりそうだし、元より視線は集めたくないから騒がないで欲しい。そんなに高い所じゃないんだけどな……店長との約束は守っている、ここはせいぜい建物の二階辺りだ。一つ溜息を零して重い腕を上げ、立てた人差し指を口元に当てる。
( し ず か に )
「はぁ!? ッ……でも……」
どうやらタカオさんは目が良いらしく、そこそこ距離があるのに、駄目元の口パクを読み取りハッと口を手で押さえた。だがこのままにしておく気は無いのか、塀の周りと私を交互に見ては隣のミドリマさんと相談する。ほっといてよ、構わないで。
「緑間高尾! テメーら遅ぇよ、埋めんぞ! 埋めて置いてくぞ!」
「すみません! でも違うんすよ宮地さん! えーっと……」
「人が居て」
集団から二人へ声が飛んだ。ミドリマさんはタカオさんが言い渋っているにも関わらず、潔く答えこちらをぴっと指し示す。空気読もうよその長い指捻じ曲げるぞ、というかミヤジさんは態々埋めてまで置いてくのか……ん? 埋める? ミヤジ? ミヤジって、
(……誰だっけ)
身体が重くて堪らないし、頭は回らない。まぁ解らないのならその程度の事、何処かで聞き齧った名前だろう。同級生や芸能人、道ですれ違っただけの相手かもしれない。「言い訳してんじゃねーぞ!」集団を逆走する、なんだか見覚えのある気がしなくもない飴色へ二人の視線が逸れたのを良い事に塀を下りる。最後、ちらりとまた虹に目を奪われながら。
「人ってなんだよ、ここも予選してんだからいくらでも居るに決まってんだろーが。マジで埋めんぞ」
「そうなんですが、あの塀の上で。危ないのだよ……うん?」
「あ? 塀? 誰も居ねーぞ」
「またまたー。ほら……って、あれ?」
「あんなとこ登れるかよ、お前らの頭の方が危ねーわ」
「いやいやさっきまで確かに居たんですって! パーカー着た、こんくらいの背のスッゲー色白な女の子!」
「んなチビなら尚更無理だろ」
「だから驚いたんです。それにしてもいつの間に、どうやって降りたのだよ」
「見間違いじゃねーのか」
「でも俺らに向かって『静かに』って人差し指立て、て……」
「…………スゲー色白のガキが、あんなとこに居て、さっきの間に消えたのか」
「よ、要約すると……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「も、もしかして……ゆ、」
「おーい、宮地まで一緒になって何やっとるんだー! お前ら早く──……」
気の抜ける怒鳴り声と走り去る音を聞きながら、塀に凭れ荒い息を吐き出す。
「テメーは大人しく『待て』も出来ねぇのか、バァカ」
顔を上げると、軽く息を切らしたまこちゃんが私を見下ろしていた。周りに部員は、と言うか人っ子一人居ない。「ったく……結構解り易い所で良かったぜ」溜息をつくまこちゃんに首を傾げる。それではまるで解り難い所に居る方が普通みたいだ。首を傾げる私に彼はまた溜息をつく、から私も更に首を傾げる。無限ループだが首の角度は有限、頭につられ重い体が倒れそうになり、さっと身体を支えられた。
「ほら、上向け。思ったより熱高そうだな……」
「やだ」
「なんで」
「熱ない。だから、」
「無いなら診ても問題ねーだろ」
頬に触れる手はやっぱり気持ち良くて、誘惑に負け促される侭上を向く。そっと前髪を払われ額と額が合わさった。おでこ、冷たくてきもちい。「39度超えてるか……?」呟くまこちゃんは何故そうも正確に解るんだろう。浮かぶ疑問を考える余裕は無く、目の前の低い体温へ縋るのと引き換えに、意識を手放そうとした。
「ッおい」
「も、ねむ……い」
「少しで良い、しっかりしろ」
「んー……」
引かれた先、部員達が見え腕が離されると共に、半分眠っていた意識が覚醒する。少しで、良い。ぐっと足に力を入れる。
「種田ちゃん何処居たの、大丈夫!?」
「大丈夫です、少し風に当たりたくて。お待たせして申し訳ありません」
「俺らは今来たから気にすんな……って言いたい所だけど、俺が先週花宮に言った事忘れた? 風邪なら、」
「まさか! 試合続きで疲れちゃっただけでもう大丈夫です」
「……た、種田ちゃん、さっき思いっきり花宮が風邪って、」
「ふふ、彼の勘違いですただの疲労ですよ」
「……あのな種田、無理して倒れ、」
「 た だ の 疲 労 で す 。倒れませんのでご心配無く」
「花宮! 種田が反抗期なんだけど!」
「見た事ない愛想笑いで完全シャットアウトされるんだけど!?」
「はぁ……」
だから反抗期ってなんだよもう。とにかく私は大丈夫なのだ。目の前で熱なんて測ってないから、誰も私が風邪かなんて証明出来ないでしょ? 気のせいだよ。余裕よゆう、全然平気。何処もおかしくない、変じゃない、普通だ、異常はない。だから大丈夫。ちゃんとしなきゃ、ちゃんと。バレたら困る。おうちに帰るまで、一人になるまで、ぜったいだれにもバレちゃだめ。バレたら──……
「結希、おい結希!」
「ッ! ぁ、ご、ごめん。早く学校戻ろっか」
「……お前部員に風邪伝染す気か」
「えと、や、私風邪じゃないよ。ちゃんと、ちゃんとしてる」
「じゃあなんで目ぇ泳いでんだよ」
「気のせい」
「来週も試合あんだぞ。今日はテスト明けだ、成績ヤベー奴は徹夜で詰め込んで抵抗力落ちてる可能性が高ぇ「松本とか山崎とか松本とか松本とかね」
「「おい」」
「今更っちゃあ今更だが……そんなに部員に風邪伝染してーのか?」
「ち、がう……けど……」
「『けど』なんだよ? 熱出て頭回んねー結希チャンには解んねーかもなぁ? テメーがやってんのは病原菌撒き散らしてんのと変わんねぇんだよ、バァカ」
「ぅー……」
「いやだからそれ花宮が言う?」
「煩ぇよ」
そ、れはそうだ。健ちゃんの言う通り、先週同じく風邪を隠していた人に言われるのは癪だけど。私は一応さっきまでマスクをしてたし、それさえしていなかった人に言われるのはほんと癪だけど。「種田、」釈然としない気持ちでまこちゃんを眺めていると、主将が鋭い視線で私を射る。
「自分がどれだけ迷惑な事やってるか、解らない?」
「……」
「花宮も言った通り来週も試合で、しかも次の相手は厄介だ。スターターはまだ検討中だけど、誰も欠いてない状態で臨みたいわけ」
「ごめんなさい……」
「それは何に対しての謝罪?」
「か、ぜ……部員に伝染るかもだから、もう伝染したかもだから……」
「はぁ。俺は『誰も欠いてない状態』って言ったんだけど?」
「?」
「『誰も』には勿論マネージャー──種田、お前も入ってる。来週もお前にはベンチ居て貰わないとだから、これ以上無理して長引いたら迷惑ってわけ。さっさと帰ってしっかり治しな」
頭を撫でる主将の言葉に、まこちゃんはウゲと顔を歪め、天使先輩がイケメンと褒めちぎる。当の主将は、キザ過ぎると気持ち悪がる他の部員達を笑顔で殴っていた。
私はそれどころではなかった。選手とマネージャーは、違う。例え同じ色のジャージに身を包んでも、アウトラインから向こう側へは決して入れないし、経験者でその場所の様子を知っていても、本当に同じ場所──霧崎第一男子バスケ部が立つコートの様子は解らない。選手間でしか解り合えない事は沢山あるのだ。そして……選手間でさえ亀裂が入ると、私は身を持って知っている。それでも、主将は「誰も欠いてない状態」に当然のようにマネを入れた。私が入りたいと願った場所に入れてくれた。
「ぁう、えと……はぃ、ごめんなさい」
「本当に解ったのかー? こんなに熱い頭で。このこの」
きっとどんなマネも喜ぶ殺し文句。しかも相手は、マネが初めてやりたいと思った事で、理由は酷く自己中心的なもので、更に部の仲間だとかを信じられない私だ。怒られていたけどこんなの、嬉しくない訳がない。かお、あつい。熱とか関係無く、今絶対顔赤い。嬉し過ぎて、熱も相俟って目の前がぐるぐるする。
「ユーキチャン顔真っ赤だし。主将の話響いちったの?」原ちゃんに弄られていると、試合終了直後何処かへ行っていた顧問が戻って来た。「青春劇は終わったか? 種田、」ビニール袋を突き出され首を傾げながら受け取ると、市販薬や冷却シート、ポカリ、レトルトのお粥等風邪っぴき向けアイテムが一通り詰まっていた。
「これと、試合終わったら学校戻りたがるだろうから直帰させろって保健の先生に頼まれてな。タクシー呼ぶから乗って帰れ。『真直ぐ家へ帰ったら、堂々とサボりに来たのは体調不良って事にしてあげます』だとよ」
「先生気付いてたくせに……」
「隠そうとして墓穴掘ったな。教師舐めんなよー種田、少しくらい大人頼れ」
「はあ」
「はい、だろうが。もう一つ伝言だ、『花宮君に送ってもらいなさい』……って訳で頼んだぞ花宮」
「はぁ……解ってますよ」
「お前も素直じゃないな……聞いたか種田、花宮はちゃんと解ってるぞ。お前も見習え」
「はぁ……解りましたよ」
「溜息まで見習うなよ、先生泣くぞ」
全然泣きそうじゃない仏頂面のまま言われても。そしてまこちゃんの付き添い話に何故か騒ぐ部員を「花宮はこいつの母親だぞ」と窘める。それで良いのか教員。保健医もこの人も、色々知っているとは言え、種田の面倒は花宮へ感が強過ぎないか。お母さんって言ったのは私だけど。「お前らも今日は直帰しろ。考査明けで疲れてるだろうし俺も早く帰りたいからな。荷物は……頑張れ若者」部員を促して、煙草に火を着けながら電話をかける担任。ここ喫煙所じゃない。それで良いのか教員、だめだよ。
「じゃあ種田、ちゃんと花宮の言う事聞けよ」有無を言わさずタクシー代を叩きつけ、携帯灰皿に吸い殻を入れ去っていくマナーが良いのか悪いのか解らない担任に続き、先輩達と松本さんがお大事にと言う声と共に駅へ向かう。そして何故か帰らないいつものメンバー四人。「花宮が目ぇ離した隙にどっか行きそうだしね」笑う健ちゃんの目は、監視と言うより観察だ。面白いものを見付けたと言わんばかりに私を眺めている。原ちゃんも康くんも、タクシーが来るまで帰らないつもりだろうか。心配そうにこちらを窺うザキちゃんだけが良心だが、今は放っておいて欲しい。
「ユーキチャン大丈夫ー?」
「余裕」
「お前何気にプライド高いんだね」
「どの辺り「もう風邪って完全にバレてるのに、今も必死に取り繕ってる辺りが」
「必死? 酷くないだけだよ」
「だ、そうだが。どうなんだ花宮」
「帰ったら即行ぶっ倒れるな。クソ面倒くせぇ」
「面倒なら帰りなよ、一人で帰れる」
「保健医の伝言忘れたのかよ、高熱で頭回んねー結希チャン? んで? その熱は昨日からか、一昨日からか?」
「…………」
「おぉ、今種田地味に舌打ちした」
そりゃぁ舌打ちの一つや二つしたくなる。ニヤニヤするまこちゃんは、私が人前で不調を突きつけられるのが嫌だと解ってやっているのだから。
「も、勘弁してよ」
空へ吐いた言葉は、思いの外掠れた。
ねぇ、まこちゃんなら解るでしょ。限界ぎりぎりまで風邪を隠し通して、限界が来ても言い出せなくて、どう仕様も無く私の腕を掴む君なら解るでしょ。君も他人に不調を知られるのは嫌なんでしょ。私は嫌だよ、とても怖い。強迫観念に囚われているように、絶対悟られてはいけないと思う。知られてしまえばきっと悪い事が起る、そう頭の奥で警鐘が鳴り響くの。
見上げた空、まだ消えない虹から目が離せない。虹は嫌い、なのに。なんでだろう。なんで。なんであの時──……
「大丈夫か? そんなに熱高ぇのかよ」
「────ッ! だ、大丈、夫だってば」
ザキちゃんの呼びかけに我に帰り溜息を吐く。じとりと彼を見ると怪訝な顔をされた。
「お前も器用か不器用か解んねぇよな」
「はい? というか君ももう帰りなよ」
「だって花宮でも気付かねぇくらい風邪隠せんのに、気付かれてもまだ強がってんじゃねぇか」
「帰ればって聞こえなかったの?」
「別にキツそうにしろってワケじゃねぇけど」
「聞いてる?」
「おー聞いてる聞いてる」
「ちょ、」
車両止めのポールを持っていたタオルで拭いたザキちゃんに、ぐいっと腕を引かれそこへ座らされる。持っていた筈のビニール袋はいつの間にか彼の手にあり、キャップの緩んだポカリを押し付けるように差し出された。勢いに負けて一口含む。どうやら私は喉が渇いていたらしい、自然と飲むスピードが上がるが、喉は追い付かず思いきり咽せた。
「あーほら焦んな、誰も奪らねぇよ。ゆっくり飲め」
「ッふぁ! ゃ、そこ撫でな、ぃで……」
「お、おおぉぉぉうんああワリィ」
熱で背中の傷跡が疼くせいで、摩ってくれる手に変な声が出てしまった。むずむずする傷跡は感覚を繋ぎとめ主張する。体の不調も、それを悟られる恐怖や不安も、一人にしてくれと喚き散らしたい衝動も、今感じる全ては現実だ己のモノだ向き合えと突き付けてくる。こんな時に限って他人事にさせてはくれないなんて酷い話だ、今だけは虚無感が恋しい。
「担任じゃねぇけどよー、お前そこまで母親見習うなよ」
「おいヤマ」
「つか花宮でももう少し聞き分けあったぞ」
「俺『でも』って、『聞き分け』ってなんだよテメー」
「お前の母親は『悪童』だ、人の嫌がる事大好きだぞ」
「煩ぇ、ぶっ殺されてぇのか」
「んな意地張ってりゃここぞとばかりに弄られんの知ってんだろ」
「良い度胸してんじゃねーか無視キメ込んでんじゃねーよ。ぶっ殺すぞマジで、マ ジ で 」
腰の少し上に手を移したザキちゃんが、ぽんぽんと一定のリズムで軽く叩く。「解ったから……ほっといてよ」子供に言い聞かせるような口調とその手に困惑して、情けない声になってしまった。今私どんな顔してるんだろ。見上げると彼はふむと頷いた。
「種田って風邪引くと面倒くせぇな」
「…………はい?」
「ブフッ! ザキ直球過ぎ!」
「あ? だって本当の事「確かに」
「端から見ている分には面白いぞ。頑張れ山崎、その調子だ」
「種田の世話は花宮だろ」
「当然のように俺に擦り付けんな」
「なんでだよ。保健の先生にも担任にも頼まれたじゃねぇか」
「…………」
「うわ、スゲーレア。ザキが花宮論破してる」
「ドヤ?」
「黙れ」
そうやって中々辛辣な事を言われて、ふ、と笑いが漏れた。
(そっか。なんか……もう良いや)
欲していた虚無感とも、自暴自棄とも違う。ただ簡単な事に気付いた……彼らに対して一体全体何を怖がる必要があるんだろう、と。
痛覚鈍麻の時もそうだったじゃないか、だから両親の死も隠さなかったんじゃないか。皆なら面白がったり疑問を抱く事はあっても、ただ在るが儘事実を受け取って自分達の中で消化し、無闇に否定したりこわがったり先生やみんなに言ったりしないでくれるのに…………あれ、先生や皆って誰? あぁ頭、回ってないな。
「はは……なんか、アホみたいだね」
「ぁあ?」
ザキちゃんは体温が高い。だからその手は少しも気持ちよくないのに、あやすようなリズムは酷く心地良かった。
「……しんどい」
「おう」
「頭痛い」
「おう」
「割れる」
「おう」
「熱い」
「おう」
「でも寒い」
「どっちだよ」
「考査期間中なのに一昨日から熱出るし、昨日からは雨まで降るし、男女被んないから女バスも出なきゃだし、まこちゃん鼻効き過ぎだし。わんこかよ「おい」犬のお巡りさんかよ「おいコラ」
「だな。嫌がられてんのに無理矢理匂い嗅いでんの、ぶっちゃけ引いたわ」
「キメェ言い方してんじゃねーよ!」
「言い方も何もそうだったろ」
「くんくんしてた、されたもん」
「心配だったんだろうけど諦めなよ花宮、事実は事実だよ」
「写真撮ればよかったわ。『ユーキチャンをクンクンする花宮の図』」
「花宮は膝の裏フェチじゃなくて匂いフェチだったんだな」
「……お前ら月曜基礎練三倍な」
「「「「横暴です女王様」」」」
「煩ぇよ!!!」
怒って吠えるわんこなまこちゃん。まこちゃんが煩いって怒る時だいたい本人が一番煩いよね、と彼を見ると、思っている事が解ったのか舌打ちして口を閉ざした。
「でも今日楽しかった」
「あ?」
「試合観れて」
「……ラフプレーしてたけどな」
「ザキちゃんは空振ってたけどね」
「俺やっぱ器用じゃねぇし向いてねぇわ。それに……どうしても思い切って……出来ねぇ」
「やりたくねーなら無理してまでやらなくて良い」
「花宮……!」
「お前すぐ顔に出るから審判にも相手にもタイミングから何からモロバレだし、下手クソ過ぎてファール取られんだろーが。寧ろやるな」
「俺のささやかな感動を返せ」
淡々と言ったまこちゃんは、ザキちゃんのツッコミに怪訝な顔をする。ザキちゃんその人『悪童』だから、猫被らない限り思い遣りとか希だから、本人はただ合理性考えて事実を言っただけだから、その感動理解すらされてないからね。
「ねーユーキチャン、花宮格好良かった?」感動を無駄遣いしたザキちゃんを嗤っていた原ちゃんが、愉しそうな雰囲気のまま訊いてきた。
「うん、ほんと……ほんとに、すごく。格好良かった」
試合中を思い出して、噛み締めるように答える。
「……キメェ事言ってんじゃねぇよ」
居心地悪そうに吐き捨てるまこちゃんの耳は、夕焼けを浴びてほんのり赤く染まっている。例え今が吹雪舞う早朝でも大嵐の真夜中でも、この色は絶対に褪せないと私には解る。言われ慣れた筈の言葉で照れる姿に、小さな満足感と優越感を覚えた。
(その割りに間があんね)
(コレ照れてんの? 微妙に照れてる? うわ初めて見たかも、クッソウケる)
(良かったな花宮……)
「その割りに間があったがもしかして照れてるのか? 良かったな花み、ッ! 痛いだろ、祝ったのに殴るなよ」
「康次郎は基礎練五倍で良いかな?」
「……何故だ」
「皆もね、生き生きしてて良かった」
「おー。なんつか、さも素晴らしい試合したみたいに聞こえるな」
「うん、素晴らしい試合だったよ」
「……ラフプレーしてたのにか」
「楽しそうだったから。それで良い」
きっと大切な事だ。私には欠けている、大切な感情。カタチは歪でも、楽しめるのなら。それはきっと素晴らしい。
「種田がマネで良かったわ……」
そっとザキちゃんは呟いた。“──期待……したらワリィかも知んねぇけど思ってる”そう『悪童』について語った彼は、バスケが好きで優しい彼は、後ろめたさを感じているのかもしれない。同じチームに身を置き、ラフプレーを止めず、それどころか期待を寄せている事に。
「『無理してまでやらなくて良い』だよ、無理するなんてなんかやだ」
「……おう」
「ザキちゃんがやると笛鳴っちゃうし」
「おい。つかそれお前もだからな、今まさに。無理してんなよ」
「ザキってば主将のキザが伝染っちったの? キモイよん」
「ぅ、ウルセー……」
顔を赤くするザキちゃんに笑うが、体力が底を尽きたのか、息が漏れるだけになった。
「アイス、たべたい」
「花宮に買ってもらえ」
「ん」
「大丈夫かよ」
「も、ねむい」
「おう、もう寝ちまえ」
「ヤマふざけんな、面倒臭ぇだろーが」
「花宮運んでやれよ、逆は余裕でいけんだろ」
「はぁ? ……あ゙? 逆?」
「あっ」
「おいヤマ、テメー、」
「あー花宮タクシー来た、タクシー来たぞ! じゃあな種田、お大事に!」
「ブッハ! ザキバカ過ぎっしょ!」
「元はと言えばお前の、」
「はいはーい帰るよん、オレもアイス食いたくなっちった。花宮もユーキチャンもバイバーイ」
「おい一哉テメーも待ちやがれ!」
「花宮、運転手困ってるよ。じゃあな」
「送り狼になるなよ」
「康次郎はマジ月曜覚えとけよ」
「すまないな、忘れる」
まこちゃんは不服そうにしながらも、私を乱暴に車内へ押し乗り込んだ。運ちゃんへ住所を伝え、窓から四人へ緩く手を振る。四人の後ろ、消えゆく虹になんとなく安堵して、私は瞼を下ろした。