「小舟さんももう少し空気読んでくれたらいいのにね。なんか鈴海くんは私のですって言われてるみたいで、ちょっとさぁ」
「わかるぅ。なんかさ彼女気取りだよね。今日だってさー」
忘れ物を取りに戻ってきた心寧はふと教室内から聞こえてきた陰口にぎゅっと心臓が握り潰され、サッと血の気が引いていきドアノブにかかったみるみる指先が冷たくなっていく。
まるで水際に打ち上げられた魚のように呼吸が浅くなり、彼女達に気付かれないように急いで踵を返し夕陽が差し掛かる廊下を掛けていく。
どうしてこんな日に限って忘れ物なんてしてしまったんだろう。 プリントはもう諦めよう。今日持って帰らなくても確か提出日まではまだ何日か余裕があったはずだ。じわりと見慣れた景色がぼやけていく。
───また失敗しちゃった
でも彼女達の言う通りだ。 幼なじみを理由に自分が鈴海の優しさに甘えて彼を縛り付けているのは事実だ。
───みこちゃんならもっと上手く立ち回れるんだろうな
本当に同じ親から同じ時に生まれたのかと疑うくらい姉と自分は出来が違いすぎる。 昔から何をやらせても上手くこなせる姉ならきっとめそめそ泣いてないで毅然とした態度で彼女達に対峙できるんだろうな、と考えてしまい己の至らなさが情けなくなる。このまま家に帰る気になれず昔よく心湖と鈴海と遊んだ公園に立ち寄った。 夕方を過ぎ子供達の姿がなくガランとした公園はささくれだった心を休めるにはちょうどよかった。
キイッ、と軋む音を立ててブランコが揺れる。
この世にもし感情なんてものがなかったら誰かの敵意に心を痛めることも誰かを羨ましいと妬むこともなかったのに───
「みこちゃんを妬んだって仕方ないでしょ。 出来ないのは自分が悪いんだから」
じゅくじゅくと心を蝕んでいく邪念を払うようにふるふると頭を振る。 いつも優しくしてくれる片割れにこんな醜い嫉妬心を向けるなんて心が狭いのだろう。こんな自分だから周りと上手くやれないのだ。
* * *
「っくしゅん!」
コートとマフラーで防寒しているとはいえ二月はまだまだ寒い。 先にあたたかい飲み物を買って来ればよかった。小さなくしゃみをして自販機で何か買ってこようと立ち上がろうとした心寧の頬に熱が走り、驚いて顔を上げるとコンビニの袋を下げた鈴海が立っていた。
「…… スズちゃん」
「ファニチキのチョコ味…アレだめだわ」
心寧がホットドリンクを受け取ると隣のブランコに腰掛けながらそう言って鈴海は眉を顰める。彼がダメだと言ったチョコ味は今CMで何かと話題のチキンの新フレーバーだ。
「スズちゃんそういうの好きだよね」
「今食っとかないともう食べれないだろ。 マズイってわかってるのに食っちまうんだよなぁ」
普段あんまりホットスナックやお菓子を食べないのに季節限定の文字に弱い彼はよくわからない商品を試しては渋い顔を何度もしている。
「限定って魔法の言葉だよね。今買わないともう食べられないって思っちゃうと買ってるもん」
「まずいのにな」
「まあ…当たり外れはあるよね….」
隣で幼児用のブランコに不釣り合いの長い足を遊ばせている様子はなんだか可笑しくてふふっと小さく笑えば軽く小突かれた。 他愛もない話をする鈴海に、海が来た安心感から涙腺が緩みまた目頭が熱くなる。
「何かあった?」
心寧の目の前で膝をつきそっと手を握ってくれる鈴海の問いに首を横に振る。泣いている原因を話してしまえばきっと彼は怒るだろうから。 鈴海は女性に手を上げるタイプではないが言葉で傷付けてしまう。もしそうなれば彼女達も辛いだろうから。
「何があったかは知らないけど俺も心湖もいるから」
「......うん」
「だからもう泣くな」
大きくてあったかい手がぽんぽんと子供をあやす仕草に余計涙が溢れる。いつかきっと自分で立てるようになってこの人を自由にするから、だから今はまだこのぬくもりに縋ることを許してほしい。
そう密かに胸に誓う心寧を抱きしめる鈴海の瞳が鈍く光ったことに気付かなかった。
「帰ろっか」
ふと吐き出した白い息がゆっくりと冬の空気に溶けていった。
「ハッピーバレンタイン!」
もうすぐ心寧の家に着くといった頃に何かを思い出したようにわざとらしく明るくそれでいておずおずと可愛らしくラッピングしたチョコを渡せば鈴海が小さな子供のように嬉しそうにふわりと柔く微笑む。
「今年はくれないのかと思った」
「……渡すタイミングを見失っちゃって」
「ありがと。 大事に食べる」
「へへっ」
ふと夕飯の匂いが風に乗ってふたりの元にやってくる。 繋いだ手を子供のようにぶんぶん振り回しながら喜ぶ心寧に鈴海は静かに微笑んだ。
「やったーっ今日カレーだ! スズちゃん食べてかない?」
「ん」
このあとふたりは帰りが遅いことを心配した心湖にとんとんと叱られることになるのだがそれはまた別のお話───。