刻まれて、溶かされて、再び固められた可哀想なあまいあまいチョコレート。
普段内に秘めて表に出せない想いやほんの少し込められた期待に口にしてもいないのに胃もたれがする。
「ハッピーバレンタイン!」
「俺にくれるの? ありがとう嬉しいよ」
「義理だけどね。お返し三倍返しでよろしく」
他の人にも渡してくると言って足早に立ち去っていく背中を見送りつつ深くため息を吐いた。義理だと茶化す彼女の声は僅かに緊張の色が含まれていたのを見逃さなかった。
────ダメだよ。嘘つくならもっと上手に騙さないと
ご丁寧に以前遙真が好きだとこぼした水色のリボンで綺麗にラッピングされた包みを紙袋に放り込んでこれ以上チョコが増える前に退散しようと教室を出る。
毎年の事ながらバレンタインデーは気が重い。
朝から男子も女子もどこかそわそわしていて落ち着きがなく、学校全体が浮ついた雰囲気に飲まれてしまって学生の本分はどこへやら───なんて言えるほど自分も真面目な人間ではないがそれでも今日は居心地が悪いったらありゃしない。
「タチが悪いのは俺も一緒か」
他人から好かれていたいと思っているくせにこうして好意を目に見える形で渡されると拒絶してしまうのだから始末が悪い。 そう自覚してしまうとぶら下げた紙袋が余計重く感じられた。
自然と足が向いた中庭には遙真の期待通り二人がけのペンチに一人腰掛ける心湖の姿があった。心湖はこちらに気付くと苦虫を噛み潰したような苦い表情を浮かべる。
「げえっ」
「あはは、流石にげえっは酷いな!」
「なんでここにいんの」
「安心してよもう帰るところだからさ。 心湖ちゃんこそこんな日に一人で何やってるの」
「私が何してようとあんたに関係ないでしょ」
ぴしゃりと言い切った心湖は遙真から視線を外しわかりやすくこれ以上遙真と関わる意思がないことを示した。取り付く島がないとはまさにこのこと。
文武両道で教師人気が高く、生徒からも人望があり誰に対しても分け隔てなく人当たりが良いはずの心湖はどういう事か自分に対してだけこの有様だ。
───いたらいいなくらいだったけど・・・これは
いつもなら心湖の態度を適当に茶化すことができるのに感傷的になってしまうのはどうやら自分もバレンタインデーの魔力に魅せられてしまっていたようだ。
「… 早く帰ってあげなさいよ」
「え?」
心湖は静かに顔を上げそのままちらりと遙真の手元に視線を移して一向に帰る兆しのない遙真の帰宅を促した。
「いくら今日が寒いからって道草ばっかりしてたら溶けちゃうわよ。せっかくのチョコが可哀想でしょ」
「あぁ、別に大丈夫だよ。いっぱいあるけど…どうせどれも義理だろうし」
「あのねぇそういう問題じゃ、へっくしゅ」
「大丈夫?今日寒いもんね」
揶揄うつもりで言ったわけじゃなかったが、バツが悪そうな心湖にうるさいと睨まれた。
残念ながらそう必死に睨まれても羞恥心から朱に染る頬と相まってただ可愛いだけである。
「はい。ハッピーバレンタインデー」
「..……カイロ?」
「今日バレンタインデーでしょ。いつもお世話になってるし俺からのバレンタインチョコだよ。 なんちゃって」
「お世話してるつもりなんてないけぉど……でもありがと」
一体いつからここに居るのかは知らないが余程身体が冷えていたのか珍しく素直な心湖の態度に自然と頬が緩む。
────マスク付けてて良かった
心湖は両手でカイロを包み込むとふう、と短く息を吐く。 一旦カイロを膝に置いてごそごそとコートのポケットを探りそのまま遙真に右手を突き出した。
「あげる」
心湖に促されるまま差し出した手のひらで転がるチロルチョコ。先程心湖がポケットを探していたのはこれだったのだ。
「えっ」
「心湖!」
遙真が意図を訊ねるより先に彼女を呼ぶ声が少し離れた場所から飛んでくる。
二人を遮った声の主はやけに自分を敵対視している双子の幼なじみだった。じとりと黒いオーラを纏った鋭い視線が肌を突き刺す。 少し気まずそうに彼の隣に立つ心寧が心湖に手を振っている。
「そんなので悪いけどカイロのお礼」
そう付け加えて心湖は荷物を持って立ち上がると遙真を置いて二人の方へ歩いていく。ふと何か思い立ったように足を止めゆっくり遙真を振り返る。
「あんたも風邪引く前に早く帰りなよ」
ちらりと紙袋に目をやり再び歩き始めた心湖は二人と並んで去っていく。 去り際に幼なじみが睨んできたがそんなことは気にならないほど遙真の心は浮ついていた。
困ったような笑顔。それが自分に向けられたものじゃないとしても焦がれる気持ちを熱くするには十分で。へなへなとその場に座り込む。
「・・・・・・なんでそこで笑うのさ」
握りしめた小さなチョコは今日貰ったどんな手の込んだチョコよりも特別なものに思えた。