やさしさに包まれたなら、


昼過ぎから降り出した雨が下校時間になっても飽きもせずグランドにいくつも水溜まりを作っている。鈴海の鞄の中には今朝お節介な幼なじみに待たされた折りたたみ傘が入っている。ふと彼女達に初めて出会った日のことを思い出す────。


* * *

今日は相手が悪かった。いつもなら、三人としても負けることはない。けれどいつもいつも海に負けているいせなのか上級生たちは自分たちよりもっと年上の中学生を連れてきたのだ。違いがはっきりとに反映されてはいくらと言えど勝ち目がない。の底がふつふつと煮えるようなイラつきと不快さと口の中に溜まった吐き出し、ふらふらと重い足にどうにか打ってぼろぼろになった身体れる場所を探した。

────‪あいつらの顔は覚えた。 今度会ったら必ず今日の礼を…

人目を避けるのにちょうどいい裏路地に入り込み、鈴海は壁に体を預けるようにして座り込む。
遅れて殴られたところが熱を持ち始め鈍い痛みが広がっていく感覚に不快さがさらに増していく。 家に手当に使えるような物は残っていただろうか。 砂と血で汚れた服も綺麗にしないと。
男の目を惹く濃い化粧に男を誘うきつい香水を纏わせ、ろくに家に寄り付かない名ばかりの母親の顔を最後に見たのはいつだったか。 それすらもまともに思い返せないほど親子の触れ合いは希薄だった。

「……チッ」

鈴海は次から次へと湧き上がる雑念を追い払うように舌打ちをする。 さっきから余計ことばかり考えてしまうのはきっと喧嘩をして頭に血が足りないせいだ。 あの女がいないからなんだと言うのだ。 自らの役目を放棄したあんな女いない方がマシだ。 そうだろう。 そうじゃないと───

「だっだいじょうぶ?」

投げかけられた不安そうな声に反射的に身構えながらそちらを向くと可愛らしいクマのアップリケがついた小さめのトートバッグを胸の前で大事そうにえる少女が佇んでいた。

────なんだこの女…?

ぐるぐると思声が回り続け、彼女に声に掛けられるまで人が近寄ってきていたことに気付けなかったった。警戒を深める鈴海がじろりと睨みつけると少女が大きくが跳ね上がり揺れる目元にじんわり涙がたまる。

「けっ、け怪我してるの?」
「関係ないだろ。 ほっとけよ」
「でっでもいっそう・・・・だし 手当した方が
「っせぇな! ほっとっけって言ってるだろ!うぜぇんだよ!」

内に含んだイライラを全てぶつけるような気を孕んだ声は自分でも驚くほど低いものだった。海に怒鳴りつけられ明らかに怯えた様子の少女はどこかへ走っていってしまった。
少し過ぎだっただろうか。いや、これでいい。 弱っているところに現れる他人なんてろくなものじゃない。今日はこれ以上イラつきたくない。ああ最悪だ、頭がぼうっとする。
ふいに頬に冷たい感触がして閉じられた瞼が一気に押し開き、それを弾いた。そこにはいなくなったはずの少女が驚きに大きな瞳をぱちぱちさせている。彼女はすぐに地面に落ちたハンカチを拾うと砂埃を払いおずおずと再び涼海へと伸ばす。

「だっ大丈夫だよ。 これ今日はまだ一回も使ってない綺麗なやつ・・・だから」

何か変な勘違いをしている少女はそのまま、今日はみーちゃんのご飯しか持ってなくてお金ないから近くの公園まで行ってたら遅くなっちゃった、ともごもご言いながら腫れた頬を冷やしている。

「こんなことしか出来なくてごめんね。前にみこちゃんが腫れた時は冷やした方がいいって言ってたの思い出して、あのね、ちゃんと手当した方がいいと思うの。あっでも手当するって言っても私出来ないからみこちゃんにお願いして、えっと」

しどろもどろに話し続ける少女は今にも泣き出しそうだ。それもそうだろう、
ついさっき涼海にすごい剣幕で怒鳴られたばかりなのだから。 怖いに決まっている。怖いなら放っておけばいいのにわざわざ自分を邪険にした相手の世話を焼きに戻ってくるなんて彼女は本物のバカなのだろうか。

「なんなの、おまえ」
「? あっ私の名前はね」
「違ぇよバカ。お前の名前なんてどうでもいいわ。それよりなんで戻ってきたんだよ」
「……だって、怪我してる人ほっとけないもん」

もん、ってなんだよ。くだらない
ふいに血で汚れたハンカチが目に止まる。 ピンク地にねこ柄の女の子が好きなそうなそれは彼女の言っていた通り洗剤のいい香りがして未使用の綺麗な物だったのだろう。涼海の手当に使ったせいで今は見る影もないが何故だかその事が妙に申し訳なく感じる。

「あのね、うちこの近くなの。今ならみこちゃんお家にいると思うから手当してもらおうよ」
「……お前ホントにバカなの。見ず知らずの他人家に呼ぶとかバカだろ。危ないとか思わないわけ?」
「むっ私バカじゃないもん。 困った時はお互い様だってドラマで言ってたもん。それに困ってる人がいたら助けてあげてって先生も言ってたよ。知らないそっちの方がバカだもん」

そんなのはただの理想論だ。周囲に自分を良い人間に見せるための綺麗事に過ぎない。そんな建前を信じて本気で実行する人間がいることに衝撃を受け、思わず黙り込んでしまう。
それをまたえらく自分の都合のいい方へ勘違いした少女は恐る恐る涼海の傷だらけの手を取りゆっくり歩きだした。

「みーちゃんはね、真っ白いねこさんなんよ。ふわふわでね可愛いの! ほんとは・・・エサあげちゃダメってママに言われてるけどみーちゃんはまだ小さいしそれに友達だから…..。あっみこちゃんって言うのはね私のお姉ちゃんで勉強も運動も何でもできてすごいんだよ! その怪我もね、みこちゃんが手当してくれたらきっとすぐ痛くなくなるよ」

黙ったままの涼海に気を遣ったのかはたまた彼女がお喋りなだけなのか少女の家に着くまでの間、他愛もない話ばかりしていた。
振り払うことも逃げることもやろうと思えば簡単に出来たのに、どうして自分は大人しく彼女に手を引かれているのか明瞭な答えを得られないまま自宅に連れていかれる涼海はこの後さらに驚かされることになる。



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