TOP
3 悪魔の友人 その@

 少女は、男二人から巻き上げた金をポケットの中で転がしながら自宅に向かっていた。
 組織へのみかじめ料を滞納していた店の主人をとっちめたのはいいが、こんな片手間にできる仕事では金にならない。
 やはり、あの女が鍵だ。

 アメリカで、活動が急に活発になったギャングの組織がある。名前をBブラック・フロイドという。
 元は行き場のない非行少年たちの小さな集まりだったようだが、それが組織化し、町を支配し、いつしか裏をも支配する非合法組織へと発展していった。規模としてはそれほど大きくなかった彼らが、なぜか急に力を付け、周辺のギャングを吸収し始めたのはここ一年のことだ。そして野望に塗れた彼らは今や世界を相手取っているらしかった。
 世界のギャングに偵察を出し実状を探ろうとしていて、それはもちろんパッショーネも例外ではなかった。
 B・フロイドが送り込んだ諜報員の特定、及び捕獲。B・フロイドの人間は、パッショーネで言うところのバッヂに当たる、組織に与している証明として足の付け根にタトゥーが彫られているので、それで判別しろ──という指令が組織の一部チームに下されたのは少し前だ。

 情報管理チームの分析を元に怪しい人物を数名に絞り込み、各々監視をつけていたが、彼女の担当する女が当たりだった。
 そして都合よく暴漢に襲われているところを助けるというテイで──まあ計画とは多少違った展開にはなったが──騒動のどさくさに紛れて女を自宅まで引っ張っていき、捕らえ、監禁していた。
 後は尋問だけである。

 車一台がやっと通れるくらいの路地を抜け、石造りの古びたアパルトメントが立ち並んでいる区画の一階。そこが彼女の自宅だった。その扉に手をかけようとして、違和感があった。
 何者かが侵入した形跡、部屋の中に人がいる気配がする。それが捕らえた女のものならいいが、どうもそうではなさそうだった。

 少女は、ドアノブに手をかけると慎重に扉を押した。
 寝室とキッチンと居間がひと続きになっているこぢんまりとした部屋の中は、出てきた時とあまり変わってはいなかった。そもそも荒らされた形跡がわかるほど元から整頓されておらず、荒れたままの部屋は変わらず荒れたままだった、というのが正しい。床には読みかけの本や資料、なんとなく捨てられずに残っている雑貨類が散らばっていて、ベッドの上もさっき起きてきたばかりのように布団がぐしゃぐしゃになっている。
 ただ、尋問するべき女はそこにいなかった。食卓の椅子に縛り付けていたはずだが、代わりに、見知らぬ男がその椅子に座っていた。食卓机に長い足を乗せ、まるでここが己の自宅だと言わんばかりの図々しさで踏ん反り返っていた。
 男は、少女が険しい表情で家に入ってくるのをただ座って見ているだけだった。攻撃の意思は感じられなかったが、家の中の空気は張り詰めていた。

「セキュリティが甘いんじゃあねぇか? こんなぼろアパートのちゃっちい鍵一つじゃあ、足の生えたモンは勝手に逃げちまうし、泥棒にも簡単に入られるぜ、こんな風にな」

 男は自分の姿をよく見せるように大きく腕を広げた。マジシャンが人体切断マジックから生還したのを観客に見せる時のような振りだった。
 
「それに、女の縛り方も甘すぎだ。あれじゃあ簡単に抜け出される。縛り付けるんなら、ちょっとやそっとじゃあ動かせねぇモンに縛り付けるべきだぜ。ベッドとか冷蔵庫とかよォ。椅子なんて、その気になりゃあ逆に利用されて武器にされる」

 男は淡々と少女のミスを指摘した。懐から取り出したタバコに火を着けながら、まるで上司が部下に説教をするかのように、椅子にどかっと座ったままで、何も言わない少女を睨み上げる。

「拘束してる部屋にこれだけ物が多いのも感心しねぇ。 死角が多くなるし、脱出の仕方の選択肢をわざわざ与えてるようなもんだ。何を散らかしたのか知らねぇが、足元がこんなゴミだらけじゃあ手元を簡単に隠されるだろうがよ。全部燃やしてやりたいくらいだぜ」

 男は机からその長い足を下ろすと、床に散らばる本や紙くずを足で除けた。 

「これだけ簡単に逃亡させる条件を揃えておいて、だ。お前、なんでわざわざあの場に戻ったんだ? あのニット帽の男が女の仲間かと疑ったにしても、わざわざ戻る必要はねェーよなァ? ここはお前の城だ。仕込んだ銃もナイフもお前だけが知ってるし、地の利は完全にお前にあるのによォ。わざわざ女に逃げられるリスクを負ってまであの場に戻った理由はなんだ? ええ?」

 それまで淡々としていた男の口調に怒気が混ざった。男は机の下に隠してあったマテバを取り出し、椅子の下にあったナイフを机に突き立て、シュガーポットの中の銃弾をばら撒いた。
 どの口が「お前だけが知っている」だ、と少女は脳内で吐き捨てた。男は少女が隠している武器は全て把握済みで、そしてそんなものは全てお見通しだということをわざわざ見せつけた。この短時間で見つけたものだとは考えにくかった。何日も、あるいは何週間かかけて調べ上げた成果に見えた。

「……説教する前に、あんたが誰なのかはっきりしろよな。おれはあんたを家宅侵入罪で警察に突き出すべきなのか?」

 警察? と男は鼻で笑った。ギャングが警察に頼るってのは悪くない冗談だな、と言ってポケットの中から何かを取り出すと、それを投げてよこした。パッショーネの人間であることを示すバッヂだ。ベッド脇の窓サッシの上を見た。いつもそこに置いてあるバッヂは変わらずそこにあった。

「心配するな、俺もパッショーネの人間だ。お前が捕らえた女は拷問する方向で俺の仲間が確保している。……だが、お前が俺たちの味方かどうかは、これから判断させてもらう」

 バッヂに気を取られた、その隙に男は銃を取っていた。しまった、と思った時にはすでに遅く、乾いた音がして足を撃たれていた。

「ぐっ……」

 太ももを撃たれ、体勢が崩れたところを今度は反対の太ももを撃たれる。足に力が入れられず、前に崩れ落ちる。
 男はゆっくりと椅子から立ち上がり、床に這いつくばる少女を見下ろした。眉間にシワを寄せて、気に食わないと言いたげに煙を吐いた。

「中途半端な仕事しやがって。おめーみたいな甘ちゃんのマンモーナを連れてこいなんてどうかしてる」

 男の言うことはいちいちもっともだった。
 部屋の乱雑さ、ゆるい拘束、わざわざ女を置いて外出したこと。そして、

「……そういえばあんた、なんのために外に出たか、って言ってたよな? ……おれはてっきり、例のアメリカンギャングだと思ってたんだ。あの女に仲間がいて、おれに気づいて、逆に目をつけられちまったんじゃあないかってな……それで、考えたんだ。おれのスタンドは戦闘に向いてないから、事前に準備するしかないんだ。この家におびき寄せて、それで叩くしかないって……ここ最近おれを見張っていた誰かさんを」

 男が言ったように、地の利は彼女の方にあった。

「エンドルフィンマシーン!」

 そう叫んで現れた彼女のスタンドは男の方には向かわなかった。その代わり、男の周りのものをやたらめったら殴った。机、ベッド、冷蔵庫、本棚、床のゴミにまで。それらは部屋の中央、男が今まさに立っている場所に集まってきていた。
 そして床に散らばっていた部屋のゴミ──ダクトテープの欠片はまた一つの帯に戻り、集まった家具を乾燥したパスタの麺を束にするテープのようにまとめてぐるぐる巻きにした。
 男は、集積した家具の中央で押し潰された。