ナイトメア症候群





顕現して以来、夢を見る。星々が煌めく夜空をぼんやりとただ眺める夢だ。そしてその内目が覚め、現へと戻る。ヒトは夢を見る生き物だと聞いた。だから特に気にすることも、気になることもない――そう、思っていたのだが。
「――山姥切、」
政府から本丸所属になって、本丸の偽物くんが折れてから。あいつが俺の夢に現れるようになった。俺以外誰も居ない筈の世界に偽物くんが蹲って、俺の名前を呼ぶ。その姿はまるで、寂しい寂しいと泣く子供の様だった。
同位体から話は散々聞いていた。だから俺は、本丸で逢った偽物くんを居ないものとして扱った。同位体の話から話しても無駄だと判断した結果だ。幾ら審神者に俺こそが山姥切だと訴えても審神者にとっては偽物くんとの方が付き合いが長いのだ、俺の主張が切り捨てられるのが解りきっている。ならばこんな無駄なことに時間を割く暇などない。それよりも、俺の実力を見せつけ認識を改めさせる方が効率的だ。宣戦布告も、俺には不要。関わって不愉快になるだけだ。だから俺は声を掛けなかったし、偽物くんを視界に捉えると避け続けた。その結果、何か言いたげな視線を常に感じていたが、俺はそれでも無視し続けていたのだ。
「……こんなところで何をしているのかな、偽物くん」
「――、山姥切……?」
ただの気まぐれだった。夢であろうとも、いや、夢であるからこそ。俺の世界に偽物くんが居るというのは、まぁ、不愉快ではあったが。もう実体はないのだしいいかな。蹲る偽物くんに近づいて、俺は声を掛けた。戸惑いながら顔を上げた偽物くんと目が合い、偽物くんが何かを言おうとした所で俺の視界は天井で埋め尽くされていた。躯を起こしながら、溜め息を吐く。どうやら夢から覚めた様だ。あいつが何を言おうとしたのか気にはなったが、所詮は夢だ。起きて活動していく内に忘却の彼方へと消えていった。
「あぁ、山姥切。やっと、会話してくれたな」
――だから今日も偽物くんが居るのは予想外だった。星空以外何もない草原に偽物くんがそこにいて、今日もこいつと向き合っている。
「……俺は今でもお前と会話する気はない」
「なら、何故。昨日話してくれたんだ。俺を哀れんでくれたんだろう?」
「お前……、」
フッ、と布の下で偽物くんが笑った気がした。そっと目を伏せて、偽物くんが呟く。
「……俺は別に、それでも良かった。山姥切が俺を嫌っていても、その感情を向けるのは俺だけだったから。――なのに、何故、」
怒りと悲しみの入り混じった言葉のその先を、俺が聞くことはなかった。


***


「なあ、山姥切。お前は何が好きなんだ?」
「……唐突に何を言い出す」
再び訪れた夢の世界に、当たり前の様に偽物くんはいた。昨日の続きを話すのかと思えばその予想は裏切られ、思わぬ言葉に思わず顔を顰める。
「お前の事が知りたい。本丸に居た頃は、お前と話せなかったから」
「……答える気はないと云ったら、偽物くんはどうするのかな」
「写しは偽物とは違う。……別に、どうもしない。ただ……待つだけだ」
きっとそうするだろうなと、そう思ってはいた。だから俺があの時声を掛けなければ、偽物くんは何時までもああやって蹲っていただろう。結局こうやって話す様になったが、もし、今でも無視し続けていたのなら。それはどちらの方が良かったのか。
「…………甘いのは、余り好きではないな。紅茶ぐらいの甘さが丁度いい」
「……!」
ぽつりと洩らした声は偽物くんに届いたらしい。驚いた様に目を見開くと、そうか、と何処か嬉しそうに呟いた。


***


「兄弟達は元気か」
「さぁ。俺は堀川派とは会話したことがないからね。まぁ、何も聞かないし元気じゃないのか」
「ならいいんだ」
兄弟刀について聞いてきた偽物くんを俺は適当にあしらった。満足そうに笑う偽物くんにちらりと顔を向け、直ぐに逸らす。
あれから幾日か経ったが、相変わらず偽物くんはそこにいた。……ここは俺の世界だろう、何故何時までもお前が居るんだ。
「――山姥切、」
偽物くんの声にハッと顔を上げれば、何時の間にか距離を詰められていた。咄嗟に後退る俺の手を、偽物くんが掴む。
「……、お前に、触れてもいいかと訊きたかったんだが……」
もう触れてしまったな、と偽物くんは云う。何処か嬉しそうに口元を緩ませ目を細めていたが、俺は反応しなかった。
……いや、きっと、何かの間違いだ。でなければ、可笑しい。
夢の中なのに、何故、触覚が、
「……?山姥切、どうかしたのか」
何時もなら何かしら声を上げる俺に反応がないのが気になったのか、偽物くんが不思議そうに問い掛けてくる。……嗚呼、そうだ。気のせいだ。疲れている、だけだ。
「…………お前には関係ない。そんな事より何時まで握っているつもりだ。放せ」
不快だ、と手を振り払う。済まない、と小さく謝罪を口にする偽物くんから視線を逸らして、俺は空を見上げる。手にはまだ、触れた感覚が残っていた。
――違和感を覚え始めたのはここ最近だった。
日に日に、起きるのが遅くなっている。現に、最初の頃なら偽物くんが距離を縮めてきた所で目が覚めていただろう。今はまだ寝坊などという醜態は晒していないが、そろそろ焦るべきかもしれない。
そしてさっきの触覚。
夢では触覚も嗅覚も味覚も、ない筈だ。だが確かに。偽物くんに触れられたあの時、触覚は働いた。一体、何が、
「山姥切、」
偽物くんが、哂っている。
「――また、明日」


***


あの時、俺は声を掛けるべきではなかった。
未だ偽物くんは新たに顕現されていない。だというのに、本丸内で偽物くんの声が、耳を打つ。無論、振り返っても居ない。居ない筈だった。
「――山姥切。」
「……ッ、な……」
振り向いても、偽物くんは居ない。なのに、最近では何時の間にか、俺はあの世界に入り込んでいる。当たり前の様にそこに佇む偽物くんは嬉しそうに笑って、今日も俺を、迎える。
「……最初は、少しだけ話せたらいいと思っていたんだ。それは本当だ。……だが、ヒトがもつ欲望というのは恐ろしいものだな。とうに俺は肉体を失っているというのに」
「偽、物く、」
穏やかに笑うこいつが、とても恐ろしい。
「俺の、俺だけの山姥切が欲しい――そう思うことは、いけない事なんだろうか」
その瞬間、硝子に罅が入ったような乾いた音を立てて、世界は一変した。