祝福ギフト





眠りから覚めた私は酷く戸惑った。――何も見えない。ただ漆黒だけが広がっていた。
目が見えない事に気づいた私が最初に思った事は困ったわね、というどこか他人事の様な軽い感情だった。
まあそれでも、一応昨日の記憶を脳裏から引っ張り出してみる。感覚に優れているのなら動いても良さそうだけれど、生憎私は普通の人間だ。余計な怪我を負いそうなので止めておくのが正解だろう。
……そもそも、急に失明する事は有り得るのだろうか?
私は何となく右手を上げて、ぶらりと軽く振ってみる。でも、何も見えない。じっ、と掲げた手を眺めていてもこの暗闇に目が慣れる様子はなさそうだ。矢張り、失明でもしたのか。……こんなに、急に?
「主、起きているかな」
そんな時だった。襖越しに聞こえる声。恐らく、朝食を持ってきた近侍だ。私は皆がいる大広間ではなく、この私室で食事を取っている。だから近侍がここに食事を運んでくる事になっていた。もうそんな時間かと時計を確認しようとして、それは意味がない事だと気づいた。思わず舌打ちしそうになるが、『私』らしくないと堪える。近侍がやって来たのなら、普段ならとっくに身支度を済ませている時間帯なのだろう。私は一呼吸置いて、それから外で待つ近侍に声を掛けた。
「――おはよう、山姥切ちゃん。ちょっと困ったことがあってねぇ。だから勝手に入ってきていいよー」
「……主が困ったなんていうとは、かなり深刻な事みたいだな」
何やら失礼なことを云われた気がするが、まあいいやと聞き流す。私は心が広いもの。……なんて、実は気にしてないだけだけど。
襖が開く音がして、それからかたん、と何か置かれた音が響く。恐らく机に膳を置いたのだろう。見えないから予測しかできないけれど、この状況ではそれしか思い浮かばない。ふむ、と近くで山姥切の声と気配がした。
「……見えない、のかな」
「うん、そうみたい。真っ暗だねぇ」
「……相変わらずだな主は。少しは焦ったらどうかな」
はぁ、と呆れた様に溜息をつかれる。ええ、よく言われるわ。きっと『私』は髭切と相性がいいに違いない。
まぁ焦っていないのは事実だ。だってどうでもいいもの。私は私の事に興味を持てない。それが日常生活に支障がある様な事であっても。
嗚呼、でも。彼の顔が見えないのは、少し寂しいかもしれない。
「焦ったってどうにもならないでしょ?見えるようになる方法があるなら話は別だけど」
「――方法がない訳ではない」
「え?」
間を置いた返答に、私は思わず瞬かせた。急に見えなくなったように、急に見えるようになる方法があるというのか。もし霊力で治すというのなら、なんて便利な力なのだろう。
「だが……まぁ余り推奨された行為ではない。それでもいいのかな」
「うーん、まぁ、今のままじゃ不便だしねぇ。……それに、山姥切ちゃんの顔が見えないし」
そういうと、何故か山姥切が一瞬息を呑んだ気配がした。不思議に思った私が山姥切?と問いかける前に、頬に指が触れる感覚がする。山姥切の指だろう。直前まで浮かんでいた愕きは消え失せて、頬から伝わってくる温度に冷たいな、と私はぼんやりと思った。
「…………持てるものこそ与えなくては。君が後悔しないというのなら、俺は与えよう」
但し、と山姥切が云う。この方法には痛みが伴うらしい。曰く、拒絶反応の様なもの。ただこれは最初だけで、馴染んでくれば痛みはなくなるそうだ。それでも構わないかと問い掛ける山姥切に私は頷いた。正直、治ろうが治らなくてもどっちでもいいが不便なのは事実だ。ならば合法ではないとはいえ、こうして治してもらう方がいいだろう。
山姥切にそう答えてから直後。目を閉じた私を、激痛が襲った。
「……っは……が、ぁ、っっ……ッ」
殺しきれなかった言葉が口から飛び出す。全身に脂汗が浮かんでいるのではないだろうか。どうやら甘く見ていたみたい。想像以上の痛みが、私を貫いている。永遠とこの痛みが続くのではないか。そんな考えがふと浮かんで、初めて私は恐怖を覚えた。
……どれ程経ったのか。数十分か数分程度のものだったのか解らないけれど。山姥切の気配が遠くなったのを感じてあぁ終わったんだ、と私は理解した。後は痛みが引くのを待つだけだろう。今の状態では瞼を開けられそうもない。
暫くじっと動かずにいると段々と痛みが引いてきて、私はゆっくりと瞼を開けた。視界に広がるのは先程までの暗闇ではない。昨日まで見えていたものが見えている。私の目は、光を取り戻していた。目の前の山姥切が何処かうっとりとした様な笑みを浮かべているのだって、今の私には、ちゃんと見えている。
「……ふふ。ほら、綺麗に染まっているじゃないか」
「え?」
愉快そうに紡がれる言葉に、私は部屋の隅に置かれた姿見を見た。
――そこに映った私の眼は。山姥切と同じ、蒼色だった。