君の恋人





「坊ちゃま、僕と付き合ってくれませんか」
「いいですよ。どちらに行かれるんですか?」
――というやり取りを経て、それが恋愛的な意味を含んでいると気づいたのは何回目かの『付き合い』が終わり、彼と別れようとした時のことだった。偶然、同じく非番であった隊員に声を掛けられ、彼は何時もの柔和な笑みを浮かべて云ったのだ――デートをしていたんです、と。え!?と驚く声が重なるのは自然の流れだった。
まあ、まだこの時は冗談だと思っていた。
だから隊長ってお付き合いされてたんですね!?と愕然する隊員達へこの事はご内密に、とフリンズが人差し指を立てながら口止めするのをぼんやりと眺めていたのだ。彼らが去り、あんな冗談を云って本気にされたらどうするんですかと呆れながら見遣ると冗談とは?と不思議そうな表情で返され、坊ちゃまが僕の告白を受け入れたのでお付き合いが始まったのでしょう?と続けられて思わずはい!?と声を上げてしまった。そこで漸く、彼の云っていた付き合ってくださいの意味を理解したのだ。目を白黒させているうちに坊ちゃまは嘘を吐かれたのですか、などと大袈裟に嘆かれ違いますただ認識の違いがありまして……、と答えるしかなく、では僕が云いたかったことが正しく伝わりましたねと微笑まれ何も返せなかった。有無を云わせぬ威圧感に気づけばお手柔らかにお願いしますと口にしていて、あれよあれよと云う間に次の休日の予定が決まり正しく『お付き合い』が始まったのだ。


*


そうやって始まった関係だが、思いの外穏やかに進んでいた。そういうことはもう少し待って欲しいと伝えた為、恋仲らしいことは手を繋ぐくらいしかしていない。それだって人前では絶対にしてこないし、あの時の隊員もフリンズに云われた通り誰にも云わず秘密にしてくれているようなので今のところフリンズとの関係を知るものは彼らを除いて誰も居なかった。正直最初の頃はどうなることかと思っていたが、今では手を繋いで歩くことも抱きしめられて抱き返すことだって戸惑うことなく出来るようになった。
今日も久々に休みが重なったためナシャタウンで落ち合う約束をしていたのだが隊員に呼び止められて指示を出したりしている間に遅くなってしまい、足早に待ち合わせの場所へ向かっていた。見慣れた背中を視界の端に捉え、声を掛けようと口を開いたところで彼が一人でないことに気づいて開きかけた口を閉じると咄嗟に建物の影に身を隠す。そっと覗き見るようにして様子を窺えば頬を赤く染めた女性が熱っぽく見上げていて、明らかに好意を寄せているであろうことが見て取れた。胸の奥底が鈍く痛むような気がするのと同時に、お似合いだな、と思った。すらりとした長身に美しい顔立ちをした彼女はフリンズの隣に立っても見劣りせず、誰がどう見ても美男美女の組み合わせだろう。……帰ろうかな。もし次に逢った時何か云われたら急用が出来て行けなくなってしまいましたとでも云えばいい。そう決めて立ち去ろうとした瞬間、女性がそっと腕を伸ばすのが見えた。その手が彼の手に触れそうになって、
「――すみませんフリンズさん。お待たせしてしまって……」
――気づけば躯が動いていた。彼女の手が触れる寸前、遮るように間に割り込む。突然のことに驚いてこちらを見つめてくる女性に軽く会釈をしてフリンズを見遣れば、普段と変わらない柔らかな笑みを返された。
「大丈夫ですよ、彼女が話し相手になってくれましたから。ですが遅刻だなんて珍しいですね。何かありましたか」
「少々トラブルがありまして……皆さんに指示出ししていたものですから」
「そうでしたか、何にせよ大事に至らなくて良かったです。……嗚呼、すみません。では待ち人が来ましたのでこれで失礼します」
行きましょうか、という言葉と共にさり気なく手を取られそのまま引かれるように歩を進める。何か云いたそうな表情を浮かべている彼女の横を通り過ぎ街の喧騒へと紛れ込んだ。
暫く歩き続け先程の場所から充分離れた所でフリンズさん、と呼び掛け足を止める。どうかしましたかと手を解きながらフリンズが振り返った。そんな彼をじ、と見てから口を開く。
「……僕が居た事気づいてましたよね?」
「おや、何のことでしょう」
坊ちゃまが何を仰りたいのか解りませんね、などとわざとらしく肩を竦めてみせる彼は正直に答えるつもりはないらしい。はぁ、と溜め息を吐く。この人相手に口で勝てるわけがないと解っている、だから追及するのは早々に諦めた。もういいです、と返そうとしたところでするりと頬を撫でられ、思わずびくりと肩が跳ねる。
「フリンズさん……!?」
「あぁ、すみません。少し浮かれてしまいましたね、まさか坊ちゃまが妬いてくださるなんて思いませんでしたから」
照れたように頬を染める彼を見て無意識にえ、と声が零れ、それと同時にああそうかと何かが胸に落ちるような感覚があった。何故、あの時咄嗟に動いてしまったのか解らなかったけれど。……だから、そっと背中に腕を回した。
「……当たり前じゃないですか。……だって、僕は君の恋人、でしょう?」
「!……ふふ。そうですね、その通りです」
驚きに見開かれた目がゆるりと細められ、ふ、と笑うのを見た。頬に触れていた手が離れ、腰へと回される。
「……今度のお休みの日、フリンズさんの家に泊まりに行ってもいいですか」
「勿論構いませんよ。ですが……それはつまり、そういう意味と受け取っても?」
「…………フリンズさんの好きに解釈してもらって構いませんよ」
どろりと熱を帯びた双眸から逃れるように目を逸らし小さく呟くと、随分と大胆になりましたね、などと云いながら腰に回った手に力が籠められた。お嫌いですか?と視線を戻し首を傾げるように告げれば坊ちゃまの好きに解釈してもらって構いませんよ、と先の言葉を返され、相変わらず狡い人だと心の中で呟く。だから、お好きな方をどうぞと笑ってみせる彼の瞳の奥にちらつく鈍い光に気づいてないふりをして、背中に回した腕の力を少しだけ強めるのだった。