"6EQUJ5"のための三時のおやつ

2021/03/02
翼の名残に接吻して。そしたら飛べるような気がするんだ。十三階から飛んだ彼女もきっとそう思っていたはずだよ。‖頭が真っ白で、腹の中は真っ黒で笑えるくらいおめでたい人ね。はばかりさま。誰もあなたみたいな人は好いてはくれないわ。


2021/03/01
たなごころに蝶を閉じ込めただなんて、なんて可愛らしい表現をする方でしょう。‖生まれ変わったら何になりたい? 僕はね、青い蝶になって潮水を飲みに、白い砂浜へ翅を休めに行きたいよ。


2021/02/28
群れて咲く紅い曼珠沙華の中で一際目立つ白色は「白一点」とでも言うのだろうか。‖一昨日の雨ですっかり金木犀の花も落ちてしまって、何処へ行っても香っていたあの花の匂いはもうしなくて、僕だけが一昨日の感傷に取り残されている。


2021/02/27
特に意味もなく手首を握って膨らんだ血脈のゆっくりとした響きを感じ取ろうとすれば、目の前で喚く声もくぐもって聴こえる気がした。‖色褪せたモビールがくるくると回っているのをバスタブの中から眺めていた。割れた硝子から射し込む陽の中で塵が煌めいている。


2021/02/26
欄干から身を乗り出して黒々とした水を見つめれば、早朝に浮かぶ白く膨らんだ自らの肢体がありありと目に浮かぶようだった。そしてその光景は心を安らかにした。‖獣の息は腐った血肉の匂いがする。人と獣が対等になるには人が野生に還るしかなく、薬で命を生かすこと、着飾ること、職を得て評価されること、サービスの対価にお金を払うこと、繊細な感傷に浸ること……“人が人であるため”の、文化的で健全で人間らしいとされるものは全て、同時に人が野生に還ることを拒むものだ。


2021/02/25
黒い河の水は月明かりを輝々と弾き、全てを白へと閉じ込める冬の中でそこだけ生きているようだった。明日の朝にはここも凍ってしまうのだろうか。‖湿った土の匂いは身体の底に眠る創造の記憶にきっと結びついていて、雨の日の地面が濡れ冷やされていくときの匂いを必要以上に嗅いでしまう理由もきっとそのせいだ。




2021/02/24
総籬の向こうでは女たちが白い顔ばせを涼しげに表へと向けていた。‖一度入ってしまえば夜が更けて湯が水へ変わっても出るのが億劫になるのがバスタブというものだ。ふやけていく指先で水を掻きながら、額の髪を後ろへと掻き上げた。


2021/02/23
お前は犬だろう? 食い意地のはった、どうしようもない汚い犬だ。下水道で寝起きして、そこらの路傍で野垂れ死んでも誰も気にとめない存在だ。‖その男は黒猫のようだった。しなやかで気まぐれな黒い獣。ゆらゆらと揺れる尻尾が思わせぶりで、だが気安く触れさせない。男の歳は20代後半だというので、猫と呼ぶにはいささか薹が立つ。しかし黒豹などと例えてやるには、どうにも隠しきれない粗暴さが邪魔だった。


2021/02/22
「お寒くなって参りました」前を行く女中の後頭部で乱れ一筋ない黒髪が黄熱灯の光に艷めいているのを、凝と見ていた。‖自分の名前の由来になった曲を数年ぶりに聴いたとき涙が溢れてきた。なぜなのかは分からない。生前一度も聴いたことがない父親の歌声に何処となく似ていた。ひとつ、思い至ってドキリとしたのは、父親の声を殆どもう思い出せないことだ。これは結構堪える。


2021/02/22
私たちの関係を表すなら黄昏の光が妥当なのだろう。花盛りを過ぎて夕暮れに差し掛かった男に、人生の青い春を謳歌している青年が囚われる時間。‖自分の名前の由来になった曲を数年ぶりに聴いたとき涙が溢れてきた。なぜなのかは分からない。生前一度も聴いたことがない父親の歌声に何処となく似ていた。ひとつ、思い至ってドキリとしたのは、父親の声を殆どもう思い出せないことだ。これは結構堪える。


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