記録 10,911mに隠した怯え2021/02/21 禁欲主義をてらったところで隠しきれない欲気が表層に滲んでいるのだ。‖悪趣味だと思った。試されていると思った。弟は何も語らない。代わりに、常に怯えを含ませていた。それは誘いをかける時に微妙に合わぬ視線であったり、矢継ぎ早に連ねられる言い訳だったりから滲むのだ。彼は何より俺の拒絶を恐れているようだった。 2021/02/20 面は蒼ざめ、両つの象嵌された眼だけが輝々と鮮やかだった。‖ピンク色の肺を汚すため、深く息を吸い込んではニコチンにまみれた煙を吐く。一連の行為を「緩やかな自殺」と呼んだのは確か唯一の兄だった。デリカシーの欠如を体現したような男だが、なかなか洒落たことを言うものだと妙に感心したのを憶えている。 2021/02/19 口の辺に嘲りの笑い、君の驕慢を皆が陰で馬鹿にしている。‖僕が道端で野垂れ死にしてもいいような屑になる前に君が颯爽と現れて首を掻き切ってくれたなら、やっぱりもう一度惚れ直してしまいそうだ。 2021/02/18 あえかのひと‖飾られていく素直、言葉ばかり上手になって、私はいつの間にか大人になってゆく。なのになんでだろうか、どこか置いてけぼりになっていく実感があった。声にするのが怖くて飲み込んだ言葉たちが、私を見て馬鹿だねって哀れんでいる。八月、夏の終わり。みーん、と蝉の鳴き声が聞こえ、寂しげに伸びる影が揺れた。言葉に出来ないようなこの心を、誰か、救い取って飲み干してくれたのなら。そう夢を抱きながら、私はあの蝉と同じようにただ泣くことしか出来なかった。 2021/02/17 夜が明けたらめでたしめでたし‖足の小指をぶつけた。すごく痛かったけど小さなことだ。普通に歩けるし、気づいたらぶつけたことなんて忘れてる。そうやって生きてきた。だけどまたぶつけて、忘れて、ぶつけて、痛みを繰り返して、何かが少しずつ摩耗していく。またぶつけた、痛い。よかった、まだ痛い。 2021/02/16 呼吸すらままならないポケット‖金色、黒色、全てが君の魅力。ふわふわ優しいバスタオルにくるまって、真っ白なシーツに寝ころぶの。見せないはずの黄色をお花にうつして、真っ青なそれにかぶりつく。気持ちの悪くなる茶色を残して、真っ赤なあれをすする。チカチカ眩しい緑を叩くと紫色にかわって気分がとても良い。 2021/02/15 空っぽのガラクタを捨てた‖ふかふかのお布団にふわふわの毛布。柔らかいお日様に可愛いぬいぐるみ。だいすきな絵本と甘いお菓子と冷たいアイスクリーム。コンソメ味のポテトチップを少しの刺激にして青空を背にして漕ぐ自転車。サラサラと流れる風を感じながら湖でちょっぴり遊ぶ。フリルとリボンが可愛いお洋服。 2021/02/14 モルヒネ‖彼を見た瞬間、私の心の中のジョウロが満水になった。 少しでも傾ければ、注ぎ口から中の水が理性を忘れて勢いよく飛び出てくるだろう。そうならないように、遠くから彼を見るだけでいた。だがある日、ひょんな事で、彼と知り合い、話をするようになった。これ以降、私の心の中のジョウロの均衡は脆く崩れ去った。 彼と顔を合わせる度に、ジョウロの水は、彼を知る度に新しい水が注がれ、その分だけ注ぎ口から古い水が流れ出ていった。次第に、私は初心を忘れて彼にのめり込んでいった。八年前の事だった。 2021/02/13 唐衣‖僕は悟った。彼は自分の才能をひけらかし、何か他人と違ったことをしようと心がけているようだけれど、紫式部が言うように、そういう人の人生は衰退するだろう、とね。 2021/02/12 未来標本‖無限を削り、過ぎ行く現在を量産しながら思うのです。刹那はこれほどまでにうつくしいことを誰しもが無意識下で認識しているというのに、際限なく横たわる未来のうつくしさに何故焦がれないのかと。縫いつけて綴じ込めたくないのかと。僕はそっとその永遠に手を伸ばしました。未来を永久にも等しい時間のなかに捕まえておくために。 ;prev or next ☂top page |