いつかイスラ・ヌブラル島で出会おう

2020/01/20
優しい狂気とは月並みな‖彼が唱える言葉はさながら呪詛だった。恨み辛みの数々、後悔の念、嫉妬や憂鬱。しかし私はそれらを綺麗だと思った、思ってしまった。否、それ以外の言葉を見つけられなかった。それほどに彼の言葉は美しすぎたのだ。彼を罪人と呼ぶには美しすぎたのだ。よもや、その笑みは、なんとも。


2020/01/19
遠い雨の日の約束‖教室の一番後ろの隅に、彼女の居場所はあった。一番前の真ん中の席のあの子のように笑うでもなく、窓際の一番明るい席のあの子のような活発さもない。しかし彼女が本に落とす視線は、喩えるなら、恋人に向けるような優しさと熱を持っていた。


2020/01/18
午後4時27分の血溜り‖昔々の、そのまた昔。或る獣がおりました。その獣は気付けばそこにいて、歩いておりました。獣は、名前もなければここが何処なのか、己がどう云う存在なのかも、何一つわかりませんでした。獣は歩いて、歩いて歩いて歩いて、歩き続けました。
ここは、何処だろう。
獣は立ち止まりました、考えました。けれど一向に答えは見つかりません。仕方がない、そう呟いてまた歩きだしました。ざくざく、雪の音だけが響きます。

その昔、或る少年がおりました。その少年は気付けばそこにおりました。なんだか随分長い間歩き続けていた気がしますが、何一つ思い出せません。ただなんとなく、夕暮れに照らされた身体は、ほんの少しの倦怠感を抱えておりました。はて、自分は誰だろう。少年は呟きましたが、もちろん答えなど返ってくるはずもありません。やがて少年は考えることをやめ、歩きだしました。さくさく、枯葉を踏む音だけが聞こえます。


神代の昔、とある国にこう云う古い言い伝えがありました。
――黄昏に山に入ると悍ましい化け物に連れていかれるぞ。その化け物を見たならば、もうお前の帰る道はない。もし、お前がお前の家へ帰りたいならば、沈黙の人形となるしか他は無い。そして、尋ねてはいけない言葉がある。
お前は誰だい、どこから来たんだい。
黄昏の化け物は立ち止まるだろう。そしてお前はそれが何かを知るだろう。それは自分で自分の問いにも答えられぬ化物。ゆえに、お前は黄昏になるのだ。

この言い伝えも、もうむかしむかしのお話なので誰も本当のことは知りません。本当に化け物などいるのでしょうか。ある人は嘲笑って言いました。そんなものいるはずが無い、私が見てきてやろう。ある人は黄昏に山に入ったっきり帰ってきませんでした。たまたま道に迷ったのかもしれない、うっかり山を越えて向こうの国に辿り着いてしまったのかもしれない、山桜を気に入ってそこに住むことにしたのかもしれない。誰もが口を揃えてそう言いました。
それ以来、その国の人が黄昏の山へ入ることはありませんでした。
どれが本当でどれが嘘で、化け物は本当なのか、嘘なのか。昔を語ってもわかる人などもうこの国には存在しませんから、真実はわかりません。本当のことを知る者は誰一人いませんが、今日もこの黄昏の山には、しばしば新緑を仰ぐ足音が聞こえています。



2020/01/17
ゐきは良い良い帰りはコワヒ‖お嬢さん、どこへ参られるのですか。――どこへでしたっけ、もう忘れてしまいました。

それはいけない。わたくしめがご案内いたしましょう。――私の往き先をご存知なの?

えぇ、知ってますとも。わたくしの良く知るところにございます。――そこにいけば、私は、彼がいなくても幸せになれるかしら?

えぇ、もちろんですとも。さぁ一緒に参りましょう。――そうね、往きましょう。あぁそういえば、お名前はなんとおっしゃるの?

なぁに、名乗るほどの名前もございません。いえ、そうですね、強いていうなら、……と、お呼び頂ければ光栄です。
――……そう、とても、素敵な、お名前ね。前に聞いた時よりも、もっと素敵な響きに聞こえるわ。



2020/01/16
月が綺麗と弄ぶ唇‖無垢、という言葉を知ったのはいつだっただろう。思い出せやしないけど、多分もうそんな言葉が似つかわしくない、そんな頃だった。規則的に並べられた文字をそっと指でなぞってみる。無垢ーー汚れを知らない、純白。
私は、どこで間違えたのだろうか。
もはやその言葉を使う日は永遠に来ない。



2020/01/15
恋心水葬‖最初は些細な心の変化だった。あの娘が愛おしいとか、あの娘が恋しいとか。あの娘が、食べたい、とか。なんてことないそんなもののはずだ。誰にでもあるはずだ。愛おしい愛おしい愛おしい愛らしい愛らしい狂おしい愛おしいおいしそう、愛おしい美味しそう美味しそう愛おしい。あぁこんな僕を見て化物だなんて言った君はどこに行ってしまったんだろう。夕闇の中?暁の果て?白昼の向こう側?君はどこに行ったんだ。どうすれば帰ってくるんだ。こんなにも全身を君の好きな色で染めあげたのにさ。
君は、どこに行ったんだい。



2020/01/14
始まりの見える朝‖林檎をそのまま、少しだけ齧ってみた。昔読んだ話によると、「林檎を食べた」、その行為だけで神様は激怒してアダムとイヴを楽園から追放してしまったらしい。そんなに大義な実なら、食べちゃダメなら、最初からそんなもの無くしちゃえばよかったんだ。うつ手はいくらでもあったはずなのに、食べた人だけを責めて、予防しなかった自分にはお咎めなしだなんて、神様はなんて自分勝手なんだろう。善悪がわかる実を食べたからってなんで追放する必要があったんだろうね。
楽園が善であるなら、たとえその実を食べたところで二人の考えは変わらなかっただろうに。全く神様ってやつは本当に自分勝手だ、結局怖がりなんだ。まぁ神様も一回林檎を食べてみるべきだと、僕は思うんだけどさ。

色々考えながら食べた、甘いはずの林檎は、口の中にほんの少しの苦さとやりきれない気持ちだけを残していった。



2020/01/13
私の倫理は夜に磨耗する‖みんながあたしのことを悪者だって言ったわ。あたしは悪いことをした覚えはないし、事実してないわ。でもみんな口をそろえて言うのよ。ヴィラン、ってね。
そりゃあ誰かから見れば私は悪役かもしれない。でもあたしはただ毎日を必死に生きているだけなのよ、みんなそうでしょ?それなのにあたしだけ悪役なんてひどいじゃない。指をさして、あいつはダメだよ、なんて。
そしたらある日気づいたの。こんなに苦しいなら、もういっそ悪役になったほうが楽なんじゃないか、なんてね。自分でも馬鹿げてると思ったわ。散々忌み嫌った言葉を自分から名乗るなんてばかみたい。でももう、それでいいのよ。いっそ清々しく憎むことしかできない悪役になってやるの。そしていつかはこう呼ばれるのよ。

プリンセス・ヴィラン、ってね。



2020/01/12
この世界に必要な反重力‖宇宙はどんな色なんだろう。黒か灰色か、もしかしたら白かもしれない。一面真白な世界、まるで雪原だ。いつか重力をなくしたときにならわかるだろうか、宇宙の色が。



2020/01/11
いつか見た彗星の残像、追い縋るには遠すぎた‖本当に愛していた。わたしの生涯の中で唯一の輝きだった。彼は美しかった、優しかった、適わなかった。いつまでも原石の如き輝きをもって、彼はこのまま歳をとることもなく、わたしを置いて永遠を手に入れてしまった。制限の猶予と、その生を代償に。


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