記憶すること
 保存すること
 永久の中に閉じ込めること

 透明の中に閉まっておくこと。時を止めること。そのものを、じかんのなかに置き去りにすること。
 人間から切り離し、生かすこと。そして同時に殺すこと。

 宝石標本士。人々は呼ぶ。彼らは記憶の鳥なのだと。
 今とむかし。人と記憶の間をつなぐことが出来る、自由を持つ鳥なのだと。

 閉ざされた扉の奥からは何の音もしない。戸口で木の箱を持った私は、見えやしない扉の先を見つめていた。暗くて、独特のにおいがするその部屋に何があるのか。どんな秘密が隠されていて、どんな道具がしまわれているのか。想像して、想像して、やめる。深く息を吸えば、鼻先を木の香りが掠める。
 がちゃりと扉が開く。
 目を、開いた。

 葬ると言う言葉が私には理解できなかった。頭の奥がひどく重くて、ただひたすらに内側は閑散としている。なかに何も入っていない棺。私達は何に向かって泣いているのだろう。母の葬儀を思い出す。色とりどりの花の中で目を閉じる母。冷たい、人のものではない肌。生きていた時の肌触りを知っているからこそ、その違いに気づく。もえていくこと。くちていくこと。自然に還ってゆくこと。確かな死がそこに寄り添っていたはずだ。けれど、今。この場所に、この棺の横にはなにもない。
 下を見てすすり泣く人達の中で、私はまっすぐに棺を見つめていた。涙はなかった。そこにオフィーリア・スミスコラスは存在しなかったからだ。この場所のどこにもオフィーリアはいないし、知る人もいない。視線を動かす。そうして私は、黒を見つけた。

 黒い服装をした人達の中にも、ひときわ目立つ真っ黒さ。黒い髪に黒い瞳。真っ黒のワンピース。パフスリーブ。白い肌。となりに立つ男の子のせいか、余計にそのモノクロは目立った。誰もがどこかに色を持っている中、彼女は鮮やかな色彩を何一つもっていなかった。持っていないのに、誰よりも輝いていた。目立っていた。ひと目で、彼女から目が逸らせなくなる。彼女もまた、まっすぐに棺を見つめていた。となりの彼も伏し目がちに棺を見つめていた。彼女たちの周りには人が少なかった。みんな関わることを避けるような雰囲気があった。直感でわかる。多分彼女たちは"人間でない"。
 自分の母親と同じ、あの種族の持つ独特な雰囲気。どこか秘密と熱を持つ、興奮と哀愁の重ねられた雰囲気。繊細であり荒々しい、そしてなによりも線が細い、現実味の無い彼らの姿。幻想のような美しさと残酷さの共存。いつの間にか息を止めていた私は、ゆっくりと息を吐き出した。冷たい雨に絡め取られて、私の体温は地面にたたきつけられる。
 じっと私が見ていたからだろうか。黒い髪の彼女がゆっくりとこちらに首を動かした。どの黒よりもはっきりとした黒色。私は目をそらさなかった。そらしたくなかった。

 ――"ぼくのともだち、いつかきみにも紹介するよ"。

 溢れるような笑顔でいう。大きいメガネのレンズがきらりとひかる。オレンジ色をした優しいやわらかなひかりに、私は影になる。理不尽な感情が、足先から這い上がってくる。私の髪の色と同じ色をした瞳。私の瞳の色と同じ色をした髪。私がそこに居たはずなのに。私が、私が誰よりも。

 ミチ=クラウディア。
 キル=キルリエイズ。

 目を細める。私の記憶と、ずれている。確かにあそこに居る二人は、「どちらも」まじょなのに。私の知っている「ミチ=クラウディア」は"まじょじゃない"。
 そこまで考えて、ああ、と納得する。オフィーリアのお母さんが言っていた言葉。オフィーリアのメガネを友人が探し出してくれた話。奇跡的に二人とも、夜を乗り越えて帰ってきた話。幽霊が這う夜の中で、消えることの無かった魂の火。

 帰ってこられなかったオフィーリアの話。

 外に出ていたオフィーリアの末路。からっぽの棺。ふたりのまじょ。

 ――まじょが覚醒するのは13さいまでだ。私はそれを、よく知っている。誰よりも、知っている。

 "まじょじゃないミチ=クラウディアがまじょになった理由"。

 まじょになるためには、きっかけが必要だ。自分の人生をひっくりかえすみたいな、暴力的な出来事。

 "奇跡的に二人とも、夜を乗り越えて帰ってきた"

 "幽霊を殺せるのは 魔女の魔法だけ"

 ――すべて納得した。憶測でしか無い考えは、どうしてか私の中で確信として存在した。
 ひたすらに彼女を見つめる。強く。彼女が、はっとしたような顔をした。
 心の中に、ストンと答えが落ちてくる。隙間にはまったピース。

 ああ、ああ、はじめまして。
 私は、あなたに、あなたたちに、――会いたくなかった。

 黒い傘をみんなが差しているなか、私と彼女らだけが何も差さずに雨に打たれていた。ミチとキル(と思われるふたり)もびしょ濡れだった。髪の毛も、黒い服も。肩にぶつかる雨の粒が服に吸収されずに、静かに弾けていた。
 こうやって黒い傘を持って一箇所に集まっている私たちは、空から見たら一つの固まりの様に見えるのだろうか。水分を含んだ黒い傘の表面は、艶やかに光っているのだろうか。黒い真珠のようにあやしく、絶対的な光度で。そしてオフィーリアは、それを見ているのだろうか。
 確認も出来ない、全く意味の無いことを考えている。けれども、そうしなくてはだめだった。この我慢ならない茶番をやり過ごすには、こうするしかなかった。自分も茶番の中で踊る、一つの人形として過ごすしかなかった。
 涙一つ流さない私を、誰もがまるで痛ましい物のように見た。そうじゃない人は私を見た後に目をそらし、すすりないた。私を抱きしめる人も居た。

 大丈夫よ――なにが?
 オフィーリアくんは遠いところに言ってしまったのよ――何処に?
 元気を出してね――何のために?
 オフィーリアくんの分も生きるのよ――見当違いも、甚だしい。

 私の内側は氷にコーティングされていく。冷えていく。冷えて、冷え切って、感覚が死んでいく。自分の中身が消えていくみたいだった。バラバラに崩れて、崩れて、溶けてきえていく。自分の中なのに、心だけがどこか遠くに行ってしまったみたいだった。オフィーリア、あなたが連れて行ったの。私は思って、少しだけ笑った。だとしたら私の魂ごと、連れて行って欲しかった。

 ねえオフィーリア。私は棺に触れる。しっとりとした手触りをしていた。両方の手で触れて、そっと頬を寄せた。棺桶の中の音を聞くように、耳をぴたりとくっつける。湿った木の匂い。詰められた花のうっとするような香り。ほっぺたを傷つけることのないつややかな棺は、私の心にささくれをつくる。痛みは無い。ただずっと、ずうっと、孤独に違いなかった。

 "私はお姉ちゃん。あなたは弟。私たち、同じ日に産まれたから、双子だわ"。

 目に向かって空の涙が降り注ぐ。私は目をつむる。左手で表面を最後に撫でる。空洞からは、何も聞こえない。
 形式的なさようならを、あなたに呟く。さようなら。私の半身。私の化身。私の、私の、

 ――ねえオフィーリア。

 あなたは、きみは、君は。――大嘘つきだ。

 あの日から私は、ずうっと、未完成だ。
始まりの終わり
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