硬く、鋭い。絶対的な声色だった。償って。つぐなって。その言葉に、絶句する。言葉を失う。赤い髪の毛に、赤い瞳をした少年は、口を開きかけて――けれど隣の黒い少女が、それをさせなかった。どうしてだ、と噛みつこうとして、脱力する。傍らの少女は、泣いていた。まるで、まるですくわれたとでもいうように。まるで生きる目的を見つけたみたいに。その瞳にはひかりがあった。その唇には意思があった。
「罪だというなら償って。一生掛けて、償って。私は貴方を、赦さない。誰が赦しても、誰が否定しても、貴方が口にした罪は消えない。償いの仕方を見つけるその日まで、私の目の前に現れないで――」
"人殺し"
彼女の唇がたしかにそう動いて、キルは息をのんだ。なんてことを。この女は。
「ちょっと、あんた――」
「キル、やめて」
ミチの制止も聞かずに、つかみかかろうとしたキルを止めたのは、意外にもジゼルだった。有無を言わせない強い瞳が、睨むようにキルに一瞬向けられて、ミチに戻る。
「貴方には関係ない。これは、ミチ=クラウディアの咎よ。そして"私たち"の鎖」
少女が、美しい緑の瞳を細めて呟く。何処までもつめたい温度をした言葉だった。踵を返して、彼女はシロツメクサの生えた庭から建物へ戻っていく。白い石で作られた大きい柱が等間隔に並んでいる建物。そこへと、真っ直ぐに、けれども決して速くない速度で。
彼女が遠ざかっていくのを睨むように見て、キルは勢いよくミチに振り返る。拳が握られていた。
「ミチ、なんで、あんな酷い事言われて、人を呼び出しといて、あいつは、」
「違う、キル。――違うのよ」
彼女は。嗚咽混じりにミチが言う。膝を地面にストン、と落とすと、白い膝小僧でシロツメクサがつぶれる。青い匂いが鼻を刺激する。違う。何が。そういうキルに、首を振る。
「彼女は、"赦さないで居てくれた"のよ」
「……どう、いう」
「わたしは許されたくなかった。誰かに問い詰められて、何もかもお前の所為だと言われたかった。罪だと、言って欲しかった。はっきりと、形にして欲しかった。自分の中だけの思いにするには、重すぎたから。ずっと、ずっとこうされたかったのよ。オフィーリアが死んだのは貴方の所為だって、言われたかった。それが自分を救うと、知っていたからよ」
罪だと言って欲しかった。罪だと言われれば、償えるから。許さないと言われれば、許して貰えるようになんとかして許して貰おうとできるから。ずっとそうしてほしかった。そしてそうできるのは、ジゼルのほかいなかったのだ。
「彼女はわたしに罪を与えてくれた。許さないと言ってくれた。呪いを掛けてくれた。"私たちの鎖"だと、自分自身を使って、わたしを縛ってくれた」
ミチの言葉に、キルは言葉を閉ざす。そして無言で、彼女が渡された不思議な透明な樹脂のようなもので固められたつきのいしを見つめる。紐が通されて、髪を結うゴムの形になったそれ。オフィーリアだったもの。彼女、ジゼルがオフィーリアの母親から貰った物の片割れだという。片割れ、というからにはもう片方は彼女の手にあるのだろう。私たちの鎖。彼女の言葉を、反芻する。
「聞きたいことがある」
あいつに。
だから、待っていて。キルの声に、ミチが分かったと告げる。建物を振り返れば、角をジゼルが曲がるところだった。急いで足を動かして、ジゼルの後を追った。
「まってよ、ジゼル」
脳みそまでひびくような、いろんな花の混じり合ったにおいと、背丈をこえる草のむっとするような湿気。青空がはるか上空でひかりあっているのが見える。太陽のあかるさが、草に覆われた地面の底をあらわにするように強い。
ジゼル、と呼ばれた子どもは、赤色のつるつるとした肌触りのリボンがついた麦わら帽子をかぶって、懸命に走っていた。ちいさく柔らかい手。指をてのひらの内側にしまう。おだんごのような形になったふたつの手が、交互にまえ、うしろ、と振られる。耳のうしろから首すじへと透明のしずくが伝う。半袖の薄い白のブラウスの下が蒸れるのも気にせずに、もえるような青葉の色をした瞳が草むらのその先を見据えていた。
草の間をすり抜ける、ざざざ、という音がひとつ。少し遅れて、もうひとつ。彼女の後ろから。後ろの子どももまた、懸命に走るジゼルと同じくらいの懸命さで、ジゼルの名前を呼んでいた。ジゼル。まって。ジゼル。
聞こえないふりをしていた、というよりも返事をする余裕が無かったジゼルは、後ろからの呼びかけにすこしだけ靴を動かすリズムをゆるやかにした。けれども振り返ることはしない。覚え立ての、へたくそな高い音をした溜息をついて、「やーよ!」と叫ぶ。「フィリアがもーっとはやくはしれば良いでしょう?」
「むりだよ、ジゼルみたいにはやくはしれないよ」
「やるまえからあきらめない!」
「だってむりだもん」
なみだのまじった情けない声に、ジゼルはとうとう足を止める。くるりと潔く振り返っても、フィリアは見えなかった。しゃがみこんでしまったのだろう。ジゼルはこまったなあ、という顔をしながら、自分が走ってきた道を一歩一歩戻った。
フィリアはすぐにみつかった。大きい丸いレンズの眼鏡がずれている。よくみるとむきだしになったちいさい膝が赤くじんわりと滲んでいた。「ころんじゃったの?」ジゼルが問いかけると。うん、と言葉が返ってくる。ジゼルはしゃがみ込んだフィリアのむかいにしゃがみこんだ。
「フィリア、げんきだして。わたしが、フィリアにまほうをかけてあげるわ」
「まほう?」
「そう、まほう」
「ジゼルはまじょだったの?」
「わたしのママはね、まじょなの。だからわたしにもつかえるの。でもフィリアにだけだから、ないしょね」
「ぼくにだけにしかきかないの?」
「そう、フィリアだけにきくまほうなの。てをだして」
フィリアが膝の裏で組んでいた手をゆっくりとほどく。両方の手のひらをさしだすジゼルの手のうえに、フィリアの手がのる。汗でふたつのてはあつかったけれど、ふたりはきにしなかった。
「だいじょうぶ。ふたりならこの草むらの先にいけるわ」
「むりだよ、だってぼく足が棒みたいなんだ」
「だいじょうぶ。だってフィリアにはわたしがまほうをかけたんだもの。わたしがフィリアの手をぎゅってしたらね、フィリア立てるようになるわ」
「できないよ」
「できるわ。フィリアはわたしがしんじられない?」
ジゼルが笑う。ひまわりのようなあたたかであかるい笑顔に、フィリアは口籠もる。「しんじられる」こくん、と首を縦に動かして、つられるようにフィリアが笑う。「じゃあだいじょうぶ。きっと立てるわ。きっとよ」「だってもう足はいたくないでしょう?」いつの間にか花柄のハンカチでむすばれている自分の膝を見て、フィリアは目を丸くする。いつの間にこのハンカチは結ばれていたのだろう。「すごいよ、ジゼル!」フィリアが声をあげる。だからいったじゃない、とジゼルがからりと笑う。ねえ、だからいこう。両方の手でフィリアの手を強く握る。ジゼルが勢いよく立ち上がる。フィリアは、もう一生動かないんじゃ無いかと言うくらい重かった身体が、ふわりと宙に浮かぶのがわかった。
フィリアは立ち上がることが出来た。ジゼルはすぐに片方の手をはなして、フィリアの手を引き始めた。フィリアはジゼルの動きつられて自分の足が動くのが分かった。自分で動かそうと思っているわけでは無いのに、ジゼルの一歩にあわせて身体が動く。本当にジゼルは魔法が使えるんだ。フィリアは目を輝かせる。
「フィリア、うたをうたいましょ」
「なんのうた?」
「んーなにがいいかなあ」
記憶の鳥は? とフィリアが言うと、「いいわね」とジゼルがちらりと此方を向いた。じゃあ記憶の鳥にしましょう。
前奏のなだらかなメロディが、ジゼルのからだからうまれる。ラララ、と簡単な言葉で紡がれる音のひとつひとつが、空気の中を満たした。
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
あおいろのうみのなかも あかいろのそらのなかも
とうめいのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに まどべによりそうように
みどりいろのじめんのなかも ちゃいろにそまるきぎのなかにも
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
ねむるこどものゆめのなかに えいえんをたゆたう きおくのとり
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
つないでおくれ つないでおくれ あのとびらが ひらくときまで
そのつばさが おれるまで
「記憶の鳥」 第一番
ジゼル・アンバー=カラーレスとオフィーリア・スミスコラスは産まれたときからずっと一緒に居た。
まるで一緒に居ることが当たり前のように育ったふたりの、記憶の中に残っている「一番最初の記憶」は、オフィーリアの家の庭でふたりが花冠を作っているときのことだったと思う。
傍らには、ふたりが好きな本。バード、オブ、アーカイブ。記憶の鳥。古い本だった。黄色く縁取りされた真っ青な表紙に、深い深い緑色で題名が刻まれている。中央に手を繋いだ子ども。そのふたりの頭上を、白い鳥が飛んでいる。むつかしくて、中の文字はふたりとも全然読めないけれど、毎夜お手伝いの香代さんに読んで貰っているうちに、本のページの押し絵を見ればそのページに書かれている場面を口にすることが出来るようになっていた。
花冠を作りながら、オフィーリアが一枚ずつ本のページを捲る。ふたりで声をそろえて場面を音読する。シロツメクサを器用に繋げながら、ジゼルの宝石のような瞳がオフィーリアを見る。オフィーリアは読めない文字を目で追いながらも、ジゼルを見つめる。オフィーリアがまだ、大きい丸い硝子の眼鏡を付けずとも、世界をはっきりに見ることが出来たとき。多分、5歳くらいの時の、思い出だ。
ねえ、フィリア。――音読を中断して、ジゼルの桜貝のような唇がオフィーリアの名前を呼ぶ。オフィーリアは本から目を離して、ジゼルを真っ直ぐに見た。シロツメクサの花冠を茶色いチェックのズボンの膝の上に置く。
「わたしと、あなたのめ、わたしのかみのいろとおんなじね!」
「きみの目の色もぼくのとおんなじだね」
わたしたち、おんなじひにうまれて、おんなじばしょでうまれたのよね、とジゼルが言う。
そうだね、とオフィーリアが答える。
ねえそれって、このほんのふたごとおんなじよ。ジゼルが言う。
そうだね、とまたオフィーリアが答える。
「じゃあわたしたちって、ふたごなの?」
「ぼくたちはふたごなの?」
「だってみて、このほんにかいてあるでしょ?"ふたりはおなじひにうまれ、おなじばしょでうまれました。ふたりはふたごなのです。おんなのこのめのいろは、おとこのこのかみのいろ。おとこのこのかみのいろは、おんなのこのかみのいろをしていました。ふたりは、ふたごなのです。"」
「じゃあぼくたちはふたごなんだね?」
「そうよ。きっとそうよ」
そうよだから、みて。ジゼルがページを捲る。最後のページに行き着くと、そこには鳥が二羽。
「そうよ。だからわたしたちどこまでもいけるの。どこまでもずっといっしょよ」
「いっしょ?」
「そうよ」
「僕たちは鳥を探しに行くの?」
ジゼルが笑うと、オフィーリアも笑った。ふたりでそっと手を繋ぐ。本のページの上に、二つのシロツメクサの花冠が落ちる。ふたりは青空のした、走る。鳥のように、軽やかに。
本の中のふたごは、誕生日にお互いに、相手の瞳の色をしたものを交換する。お互いの幸福と、絆の証に。それに習って、石の好きなふたりがお互いの髪の毛の色、相手の瞳の色をした石を贈り合う。どちらからともいわずにはじまった習慣は、やがて約束となって積み重なっていく。
「ジゼル」
低い声に、意識が呼び戻される。視線を声の方向に向ける。机に向かっているジゼルに声を掛けたのは、彼女の祖父だった。白髪交じりの髪の毛を瞳に捉えて、「お祖父様」とジゼルの唇から言葉が漏れる。
「いらっしゃったよ」
誰が、とは言わなかったけれど、ジゼルはすぐにわかった。自分が呼んだからだ。会うのは二年ぶりだったけれど、話すのは初めてだった。けれども不思議と緊張はしなかった。ただひたすらに、このときをずっと待ちわびていたのだという思いだけがあった。
お祖父様、とよばれた彼女の祖父はそれだけ告げると姿を消した。多忙な人なのだ。そして彼は、誰よりも人の感情に鋭い。今のジゼルに必要な物は、彼女達以外に無いのだと言うことを感じたのだろう。まるで敵わないとジゼルは思いながら、客人を待たせてはいけないと立ち上がる。
「いいえオフィーリア。私、わかったの」
「私たちは鳥を探してたんじゃ無い。私こそ、鳥だったのよ」
言葉が淡く空気に溶けて、完全になくなったとき。部屋には誰も居なくなる。主人を失った机の上に、緑色の石が一つ。そしてその傍らに、樹脂で覆われた白い石。窓越しにひかりをうけて、燦めいた。
息を切らす少年。追いかけてきた彼をジゼルは快く部屋に招いた。目の端っこが少しだけつり上がった、凜々しい目元をしている少年は、警戒心を瞳に滲ませながらも、部屋に入ってくる。君が聞きたいことは、わかってるよ。ジゼルの言葉に、眉毛が動く。ほんの数ミリの変化に、ジゼルは「長くなるけれど、聞いてくれる」と笑った。キルはゆっくりと、首を縦に振った。
「私ね、ヤキモチをやいてたの。私はフィリア――オフィーリアの幼馴染みで、私たちはきょうだいだった。産まれたときからずっと、ずっと一緒に居て、一番近いところに居たはずなの。それなのに、フィリアは私と居るときもミチとキルの話ばかり。大好きだった学舎でのフィリアの話が、だんだん嫌いになっていったわ。急に私の知らないフィリアになったみたいだった。私たちはふたりで一つだったはずなのに、って――ばかよね、はじめからふたつとも別々だったのに」
「……私とフィリアは昔から、自分の髪の毛の色をした石を相手に贈ることにしていたの。私の茶色い髪の毛は、オフィーリアの瞳の色。オフィーリアの髪の毛は、私の瞳の色をしているでしょう? 記憶の鳥――知っている?」
窓枠をそっとなぞって、外の庭の色彩を眩しそうに見つめる。ゆるく波打つ髪は艶やかで、それでいて心をほっとさせるようなあたたかさを持っていた。キルは彼女と同じようにそっと目を細める。この色を、よく知っていた。なるほど、彼女の持つ色は、――自分の亡き友人のそれと全く同じだった。
返事をしないキルを、オフィーリアの髪の毛の色と同じ、明るく燦めく深みのあるグリーンが見つめた。キルは自分が質問されていたことを思い出して、「記憶の鳥って……歌の?」と呟いた。ジゼルはいいえ、と僅かに微笑んで首を振る。その仕草がひどく痛みを伴っているような物に思えて、キルは表情を少しだけ固くする。じゃあ、知らないと思う。言葉を返すと、ジゼルはそう、とだけ言った。
「記憶の鳥――"バードオブアーカイブ"は童話から産まれた歌なの。私が知っているかと聞いたのは本の方。今ではもう廃盤になっているし、多分あの本を持っている人は少ないと思う」
その本がどう、ジゼルとオフィーリアの特別な贈り物に関係しているのかキルは聞きたかったが、調べれば分かることをわざわざ聞くのはどうか、という思いと、それはふたりの関係には部外者である自分が聞いて良いものか、という思いが鬩ぎ合って、口に出すことは出来なかった。ジゼルはそんなキルの様子を見て「貴方って凄く不器用なのね」とはじめて表情を崩す。その笑顔がまたしてもオフィーリアに似ていて、キルは胸がズキズキと痛む。こうしてお互い、お互いのどこかにオフィーリアの何かを探し合っている。とても不毛で、傷つく行為だと知っているのに、どうしようも無いことだと、知っているのに。
「貴方やミチが、もっと嫌な人だったら良かったわ。そうしたら私」
声は震えていた。泣くのだろうかと思って顔を上げると、彼女は意外にもきちんとした表情をしていた。意思の強い瞳がすっと逸らされる。本音を言ってしまった気まずさからか、耳がほんの少しだけ赤かった。「寄り道してる」と小さく呟いて、ジゼルは話を再開した。
「毎回石を探して、誕生日にそれを交換するの。私はね、これがあったからまだ不安にならずに済んだ。私たちは、ミチやキルよりも強い絆なんだって、思いたかったのね。私はオフィーリアに毎日のように石の話をしたわ。宝箱の中にしまった緑色の、私の瞳の色をした石を一つずつ取り出しながら、この石をくれた時を覚えてる? って思い出話をした。彼がミチと、貴方の話をするたびに。それを遮るように」
「でもある日ね。誕生日が三日前に迫ったとき。オフィーリアは言ったわ。ごめんって。凄くすまなそうに。申し訳なさそうに。眉は下がって、目はかなしい色をしてた。間に合わないかも知れないって言ったの。私の色をした石を、見つけられてないって。少しだけ、遅れるかも知れないって」
いつもなら、仕方ないなあって言えたと思う。もしかしたら一緒に探そうって笑えたかもしれない。でも私は駄目だった。その時、怖くて仕方が無かった気持ちを抑えてたなにかが壊れてしまったの。嫌な色をした感情がまるで弾けるみたいに私から飛んでいったわ。自分の中に怪物が居て、その怪物が私の心を食べて、身体を乗っ取ったみたいだった。
「貴方は私より、ミチとキルのほうが大事なんだって。だったらもう、オフィーリアなんて要らないって言った。オフィーリアはびっくりした顔して、どうしてそんなこと言うのって本当につらそうな声で言ったわ。いつもなら私はそこで思いとどまってた。言い過ぎたって謝ってた。でも、その時の私を食べた怪物は、そんな事じゃ満足しなかった! もっとズタズタにオフィーリアを傷つけなきゃ、満足しなかった。私はだったら探してって言った。言葉では何とでも言えるから、私のことが本当に大事で、これからも友達で居たいなら、何が何でも探してって。間に合わせてって言った。約束を守ってくれない友達なんて友達じゃ無い。約束を守らないなら、オフィーリアなんてもう私の何でも無い、要らないから! 要らないから! もうどこにでもいけって――いなくなってしまえっていったのよ!! 私は!!!!」
最後はもう叫び声みたいだった。ジゼルが床に膝をつく。自分の身体を抱きしめて、涙を流す。右手が左手の二の腕を。左手が右手の二の腕を。爪が食い込んで肌を傷つけるくらいに強く、握っていた。やはり泣いてはいなかった。キルはなにもできなかった。ただ突っ立って、震えるジゼルを見つめることしか出来なかった。だって彼女を抱きしめ、彼女の手を握り、彼女に涙を流しても良いのだとほほえみかけるはずの人間は、此処に居ないからだ。
「その日以来私は話しかけようとするフィリアをはねのけた。石を持ってくるまでは口をきいてやらないって。私は一方的に怒っただけ。フィリアは怒ったって良かった。むしろそうして欲しかった。けど、フィリアは謝るばかりだった。ごめんって申し訳なさそうにするだけ。私はそれさえも腹立たしかった。ずっと、ずっと、話さなかった。彼の大好きな目も、大好きな髪も、視界に入れなかった。まともにあの穏やかな顔を見ることをしなかった! そして、そして――」
「そのまま、死んじゃった」
わかったでしょ。掠れた声が呟く。わかったでしょう。
窓の外の庭。雲が太陽を覆う。影が落ちる。室内が影に染まる。
「なんでフィリアがあんなところで、あんな時間まで石を探してたか。これでわかったでしょう?」
オフィーリア・スミスコラスが死んだのはyareah(ヤレアッハ)――六月の二日。
オフィーリアの誕生日で有り――ジゼルの誕生日。
「ばかね。貴方がいなかったら何の意味も無いのに」
彼女の手元に光る緑色を、キルは見つける。キルの視線に気付いたように、ジゼルが頷く。「あの水たまりに通じている水路で、オフィーリアのズボンが見つかってね。もうずたぼろで、右足の部分のとこしか無かったけど、そのポケットに入っていたんだって」ほんと、ばかね。ひとしずくだけ、瞳から滴が落ちる。無駄の無い速さでするりと頬を滑って、つややかな石床で弾けた。
「本当にフィリアを殺したのは、私なの」
立ち上がって、こちらを向いてジゼルが言う。同じ言葉の響きを、自分はよく知っていた。ずっと閉じたままにしていた口を開いた。
「そう思わないと、あんたもミチも生きられないんだね」
――そして僕も、とは言わなかった。
ジゼルが困ったように笑う。「そうね」視線を床に落として、まるで自分に言い聞かせるみたいに呟く。そうね。
「これは私と彼女が、生きるための呪いなのよ」
愚かだね、とも寂しいね、とも悲しいね、ともキルは言わない。
呪いにかかったふたりを、見守ること。それが自分の「呪い」だと、キルは分かっていた。そうおもわないとまた、自分も生きられないことを、知っていた。
誰の所為でも無い、誰の所為でもある、でもやっぱり、誰の所為でも無い。罪なんて無い。でも、それを感じなければ生きていけない。誰も望んでいないのに。呪いなんて言う責を背負わなければ、足下が覚束ない。
罪なんて無いのに、許しなんてあるのかと思う。許しなんて、赦しなんてあるのか。終わりはあるのか。途方も無い。今はその終わりなど、何処にも見えない。そう思って、首をふる。だからこその、"呪い"なのだ。だとしたら今は、終わりなんて見えなくて良い、とも思う。
「私たちはみんな殺人者だけれど、共犯者にはなれない」
ジゼルはそう言って、もう後は何も喋らなかった。キルは無言で部屋を出て、白い石のタイルが敷き詰められた広い廊下に出る。もうここに来る事は無いかも知れないと思った。でもそう思ってすぐに、きっと会う日が来るのだと思った。その時自分たちはきっと、今日のような大きい決意をするのだと、ただ漠然と。
オフィーリアが行方知れずだと聞かされたのと、私が11の誕生日を迎えたのは、同時だった。
布団の中で震えながら、何事も無かったようにオフィーリアが朝に家にやってくるのを何度も想像した。だっていままでもずっとそうだったんだもの。誕生日の日は必ず、一緒にお祝いするって決めている。一緒に作ったケーキを食べて、一緒に笑って蝋燭を消して――そうやって決まっていたのだから。決まっているのだから。だから絶対、オフィーリアは現れる。朝になったら何でも無いみたいに、庭でお昼寝しちゃったままだったんだ、なんて言って恥ずかしそうに。そして、見つけた私の瞳の色の宝石を、私の髪の色をしたお誕生日カードと一緒に渡してくれるはずなのだ。
目をつむり、朝を待つ。祈るように両手を組んで。けれども朝に、彼は来ない。彼は永遠に、ジゼルの元へはやってこない。
ひしゃげたこわれためがね。渡された右足部分しか無いズボン。ポケットに入った、緑の石。私の瞳と同じ色をした石。それを手にしたとき、それに触れたとき。私は、自分のしでかした過ちとその代償を知る。
ごめんなさい。言葉が出なかった。ごめんなさい。何度謝っても、届いて欲しい相手には届かない。本当は宝石なんてどうでも良かった。本当は、約束なんて、ただの形だった。貴方が居れば、フィリア、貴方が居れば。今更になって出て来る素直な言葉が、もうすべて遅すぎるのだと言うことを余計に明らかにする。強いひかりに照らされて、私の行く先が影になる。もう戻れない。振り向いても、帰れない。私は、間違えた。
もう二度と、あんな事は言わない。言わないから、あんなに心無いこと、二度と言わないから。だから、帰ってきて。そばに居て。いなくならないで。嘘でしょう。もうこの世界の何処にも、何処にだって、居ないなんて。
ごめんなさい。言葉が出なかった。
彼を殺したのは、ジゼル・アンバー=カラーレス。
私以外に、有り得ない。
私たちの罪
prev top next