思いの外、次の扉まで着くのはすぐだった。突然草木でできた道が途絶え、人がひとり通るのがせいいっぱいという大きさの扉が目の前にあるだけ。これが第二の扉だというのなら、随分と陳腐だ。第一の扉はあんなに頑丈な黒曜石でつくられていたのに。私は、木でつくられた薄い扉をそっと撫でた。ざらざらとした感覚が掌から伝わってくる。
 簡素なドアノブを捻ると、簡単に開いた。鍵が掛かっていない――なんて、尚更可笑しい。だってこの扉は、二等標本士級の管理物――『植物』に纏わる宝石標本がおかれているはずなのに。ジゼルは表情を強ばらせ、開けた扉を静かに閉める。
 
 「宝石標本士」という職業について、ジゼルが知っている事はそう多くない。
 宝石標本士、というのは、宝石の中に生き物を含めたいろんなものを閉じ込めることができる職人のことだ。世界試験を通過しないとなることはできず、今のところ、この世界には片手に収まるほどの人数しか居ない。
 標本士には、三等宝石標本士、二等宝石標本士、一等宝石標本士という階級があり、三等標本士は「物」、二等標本士は「植物」、一等標本士は「動物」――というように、それぞれの階級によって宝石の中に閉じ込めることができるものが決められている。資格がなければ、何かを閉じ込め宝石にする行いは重罪であり、即処罰の対象になる。
 ジゼルの家は代々宝石標本士になることを義務付けられている「三大宝石標本士」の家系だ。祖父がそうであるように、先代から今に至るまで、代々宝石標本士として仕事をしてきた。彼らは全員一等宝石標本士の階級を当然持っており、世界に三つしかない「記憶館」の管理を任されている。
 記憶館の管理を任されている標本士は、世界の重要な情報を宝石の中に閉じ込め、管理する「世界特権」を持っていて、それが漏れることを防ぐためにも、三大標本士が記憶館を統べることになっている。
 ――この倉庫は、その記憶館に置く前の作業途中の標本達を仕舞う場所。
 莫大な歴史……そしてはるか昔から今に至るまでの記憶の全てが、此処に仕舞われている。

 第一の門は、「物」の標本を守るために。
 第二の門は、「植物」の標本を守るために。
 第三の門は、「動物」の標本を守るために。

 一、二、三と進むたびに、その重要度は跳ね上がっていく。いくら三大宝石標本士の血を引き継いでいるとは言え、ジゼルはまだどの階級も手にしていない。試験が受けられるのは満十歳を終えてからだ。この場所に忍び込むと言うことは、立派な重罪だった。
 ジゼルの母は齢十で三等標本士になり、十三歳で二等宝石標本士になった。そしてその歳に、魔女の能力が覚醒し、クラウンルーナバルド・アカデミアという魔女の学校へ行った。
 母が一等標本士になることはなかった。記憶館を継ぐはずだったジゼルの母は、魔女になったことを理由に引き継ぎを辞退した。一等標本士の試験も、受けることはなかった。
 魔女が宝石標本士になってはいけないという法律はない。けれど、母は辞退した。祖父と喧嘩し、破門され、学校を卒業してからしばらく音信不通になった。そしてある日、ふらっと帰ってきたという。ジゼルの母の手には、幼いジゼル・アンバー=カラーレスが抱かれていた。
 その日から、ジゼルにとって、この場所が全てになった。そして、ジゼルの母にとっても、祖父にとっても。


 ジゼルはもう一度ドアノブを捻り、扉を開ける。一寸先は闇。どこまでいっても、暗い道が続いているようだった。けれども、怯まずに手を伸ばす。すると、その闇が、空間ではなく【柔らかい物体】であったことにジゼルは気がついた。
 あっという間に闇に引き摺り込まれる。辺りはひたすらに暗い紫。濃い、濃い色をしたアメジストの中みたいだった。
闇の属性を持つ魔女の魔法だ、と闇の中に沈んでいく中、ジゼルは考えた。あの扉はやはり、扉ではなかった。"この闇の中にある扉へ続く扉でしかない"。
 ジゼルはぷよぷよとゲルのように柔らかい物体の上に尻餅をついた。見上げると、自分が入ってきた木製の扉から、白い光が差し込んできているのが分かる。どうやら坂道になっていたらしい。ジゼルは、だだっ広い紫色の空間をじっと見つめる。さて――どうしたものか。考え込んでいると、どこからか真っ黒い鳥が飛んでくる。
「よウ、侵入者」
 ぎらぎらとした薄荷色の瞳は、カット加工がほどこされた宝石細工。するどいくちばしは本物の金で作られている。黒曜石よりも黒く、御影石よりも透き通っている羽は、多分黒水晶でできている。
 極めて貴重な魔法生物で有り、この世界において害獣として著名なその鳥の名を、ジゼルは物語の中だけでしか聞いたことがない。
 宝石烏【ホウセキガラス】――ジゼルが心の中で呟くと、烏の瞳が"嗤った"。
「この場所に侵入するなんてよっぽどの阿呆だと思ったガ……、そうでもなかったみたいだナ」
 流石、シャトルデューゲンの孫、という言葉に、ジゼルは目を細める。
「知らないと思ったカ? 第一の門をくぐり抜けるなんて仕業、シャトルの孫か娘……ハイネにしかできないからな」
 ハイネ、という言葉にジゼルは凍り付いた。それは母の名だった。この鳥は母を知っているのか――。
「ハイネは優秀な宝石標本士だったからナ。……惜しいことをした。あの子がつくる宝石は格別に美味かったからネ。これだからマホウってのは嫌いだよオイラは。ろくなもんじゃあないヨ。自分の中の宝石を使い果たすなんて、オイラには信じられないことサ。自殺だよジサツ! 恐ろしイ!」
 カア、だとかキャア、だとか好き勝手に烏が鳴く。ジゼルは耳を塞ぎたくなった。烏はわけのわからないことを次々と話しては、ジゼルの頭上を飛び回った。
「マ、三大標本士の中でもオイラはカラーレス家の宝石が好きでネ。シャトルデューゲンと約束してんのサ。オイラは侵入者を見つけたら即刻食べて此処を守ル。その代わり、毎日アイツが作った宝石を食わせる……そういう取引をしてるのヨ」
 侵入者を食べる――? ジゼルは慌てて宝石烏と距離を取る。けれども彼は面白そうに嗤うばかりだった。宝石烏は宝石を食べる。だから、宝石が通貨であり商材であり全ての動力源であるこの世界にとって、彼らは害獣だ。その類い希な知能の高さと【食べた宝石の記憶を知ることができる】という特殊能力さえなければ、ジゼルが産まれる頃までに全ての宝石烏は絶滅していたかもしれない。まさか、烏が人間を食べることもできるなんて――ジゼルが睨み付けると、宝石烏は彼女の頭の上に止まった。ジゼルが振り落とそうともがく。
「あんまり激しく動くと、オイラの爪がアンタの頭をもいじまうかもしんねえゾ」
「…………!!」
 仕方なく、ジゼルは動くのを辞め、沈黙する。烏は面白そうに首を動かすと、ジゼルの顔を覗いた。
「安心しナ。オイラは人間がキライなんだ。アンタが亡霊に【喪失】させられて石になったら美味しく食べてやるけド」
 ケラケラ、と人間のように嗤うと、地面に降りる。
「殺すつもりなら第一の扉を開く前にやってるヨ。流石にシャトルデューゲンの最後の家族をヤルわけにもいかないしネ。それに、アンタがしんじゃったら誰がココつぐんだよオ」
 折角永久就職口が見つかって幸せにくらしてんだかラ、オイラのユートピアを奪わないでネ、と羽を広げながら烏が訴えかける。
「デモ、流石に何も利益を無くしてキョーリョクするってワケにもいかないんだよネ。……ネエネエ、オイラにおくれよ。そうしたら、第三の扉までの道案内をしてやるヨ」
 何を――ジゼルが訝しげに目を細めると「そんなの決まってるでショ?」と烏がまた嗤った。
「アンタ、記憶を消しにきたんでショ? 宝石の中に閉じ込めるんでショ? ……それなら、オイラにおくれよ」
 ――子どもの記憶は一等うつくしく、美味しい。
 烏の歪な笑いに、ジゼルはゾッとする気持ちを抑えられなかった。けれども、彼の案内を無くして、このスライムの中のような闇の世界を脱することが出来るようには思えない。闇雲に走っているうちに、祖父に見つかるかも知れない。何より、この申し出を断ったとき、この烏が一体何をするか――ジゼルはそれが気がかりだった。
 ジゼルは母に会いに行かなくてはいけない。ハイネの元へ、走らなくてはいけない。
 そのためなら、なんだってする。そのために、重罪を犯してここへ来た。
 ジゼルが手を差し出すと、烏はにやりと嗤って手の上に乗った。透き通る黒水晶の羽が、一つ、落ちる。
「契約成立だナ。ジゼル・アンバー=カラーレス」
 オマエの透明に会いたかった、と烏が歌う。ジゼルは底知れない薄荷色の瞳を見つめながら、彼が指し示す方向へ、再び歩いて行く。この黒い不吉な鳥が指し示す道は地獄かも知れない。けれども、それでもいい。
 母さん。
 ジゼルは心の中で呼びかける。母の声はない。記憶の先、消失の向こうに、彼女は居る。

 ――遙か遠く。ジゼルの名前を呼ぶ双子のあの子の声が聞こえた気がした。
ふたつめの扉
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